今月の特集2

 2017年2月23日、下北沢のB&Bにて、ミシマガ史上もっともラディカルといっても過言ではない対談が行われました。

 ミシマガでもおなじみ、昨年11月に『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』が発売となった三砂ちづる先生と、『あわいの力 「心の時代」の次を生きる』『イナンナの冥界下り』をミシマ社から発刊されている安田登先生。

 お二人は、年齢も同じくらい。ともに、身体にかかわる活動をされており、熊本にご縁があったり、共通の知人もたくさん・・・にもかかわらず、この日が初対面。和装のお二人のゆったりとした雰囲気で始まった対談は開始早々に急速に深度を増し、その場にいた誰もが予想もしなかった展開へ。
 ここでしか味わえない世界を、どうぞお楽しみください。

(構成:角智春、星野友里、写真:池畑索季)

不安をかかえる女性たちへ 三砂ちづる×安田登(2)

2017.03.22更新

私たちの生活にビルトインされている、「心以前」の状態


三砂『あわいの力』に書いておられる、「心」と羌族の話がすごく面白いですよね。

安田羌族といって、数百年間、あるいは千年以上、つねに生贄にされていた人たちがいました。なぜ彼らが長年生贄にされ続けたかを考えたときに、ひょっとしたら彼らは、自分たちが生贄にされるということをよくわかっていないのではないか、と。もし時間感覚が無くて、過去とか未来を知らなかったら、誰かが生贄に連れていかれたことに気付かないじゃないですか。

三砂なぜ仲間が消えたのかを考えたり、脱走しようとしたりできないわけですね。

安田はい。そんななか、記憶と未来を考える力があるとき突発的に誰かの中に芽生え、一人が数人に広がり、のちに多くの人が「ひょっとしたら自分たちは殺されるかもしれない」と考えるようになったのだと思います。

 古代中国で漢字が出来たのが紀元前1300年くらいなのですが、「心」という字ができるのは紀元前1000年あたりです。実はこの羌の人たちは、殷を倒して、紀元前1046年に周王朝を作ります。羌族が自らの生存を守るために手に入れた、未来を考える力と過去を記憶する力が、「心」と名付けられたのではないでしょうか。

 ところが、未来を考える力や過去を記憶する力は、それを手に入れた瞬間に、「不安」や「後悔」という副作用も伴ってしまうんです。心の作用と副作用は、長い間いいバランスを保ってきたのに、近年、副作用の部分がすごく大きくなってきていて、かなり多くのひとが、不安によって心をつぶされている。自殺をしてしまったり。

 生存のために得た心によって、むしろ生存が脅かされているいま、そろそろ心の時代が終わりなんじゃないかな、と私は思っているんです。

三砂自己憐憫、罪悪感、不安などを抱えて、心で悩んでいる私たちの集団のなかに、フッと違う考えの人が出てくるとしたら、それはどのようなものだと思いますか?

安田それがどのようなものであるかはわからないのですが、僕はそれが出てくるのは昔の羌族のような人たち、すなわち迫害されていたり、いまが生きにくいと思ってたりしている人たちの中からではないかと思っています。たとえば引きこもりとかADHDとか精神疾患を持っているとか、そういう苦しんでいる人の中から心に代わる何かが生まれてくるような気がします。

 それもあって、心以前の時代に書かれた、古代ギリシャの『イーリアス』やシュメール語の作品に共通する特徴には注目しています。1つは「未来のことをちゃんと考えない」。登場人物たちが行きあたりばったりで行動するんです。2つめは「突然話が飛ぶ」。3つめは「色彩が非常に少ない。」これは、私たちが夢を見ているときの感覚と似ているでしょ。

 これって、心以前の世界が、いまの夢の中に閉じ込められているんじゃないかと思うのです。ですから、いま僕たちが感じている不安や罪悪感などのようなものを、あまりに強く感じる人たちがいて、それを彼らが夢、というか無意識の底の方に閉じ込める。そのときに意識の表層に現れてくるもの、それが心に代わるものではないかと思っています。

三砂そういう感覚は、私たちの中にピンポイントで残っていますよね。私は出産のことをずっと研究していて、女性の自然な出産は、人間の一番プリミティヴな感情や感覚が戻ってくるところだと思っています。自然なお産の場面では、時間の感覚が全く無くなったり、話が飛んだりするは当然のことで、妊婦さんは全然違う世界にいっちゃっている。助産師さんたちは、「そういうふうな状態にならないと生まれない」とおっしゃるんです。でもその、あっちの世界にいっちゃってる感覚って、すごく気持ちがいいわけですよ。私は、女性の性と生殖の経験のほとんどに、いま安田さんがおっしゃったような経験がビルトインされていると思います。それはおそらく、「心」の登場以前の人間の状態みたいなものなのではないでしょうか。

天地と繋がる女性の力


安田そうなんですよね。だから女性には勝てないなと思うとともに(笑)、次の時代を作るのも女性ではないかと思っているんです。

 さきほど触れた古代中国は、文字が出来てから突然男性中心の社会になりますが、文字以前の中国やシュメールの時代は、女性が中心だったと言われています。いわゆる心が無かった時代、未来を知る意識が無かった時代というのは、たぶん女性性の時代なんです。

 ところが、文字が出来た途端に、男からすると女が邪魔になる。ですからその女性を迫害しなければならない時代がやってきます。文字以降に生まれた仏教もキリスト教も儒教も女性を蔑視、軽視しますよね。それほど抑圧しておきたい女性性の「強さ」とはなにかを知りたくて、甲骨文字を読んだり、ギリシャ神話やシュメール神話の『イナンナの冥界下り』を能の形式を使って、そして原語で上演したりしています。

三砂女性のほうが強くて力があるというのは、当たり前だと思うんです。女の人は「天地と繋がる力」みたいなものを、わりとすぐ感じてしまう。

 自然なお産をした人たちに聞き取りをすると、そこには共通点があるんです。時間の感覚が無くなったりとか、自分が宇宙の塵になって何かと繋がっているかのような感覚をもったりとか、多くの人がすごい快感と全能感を得ている。たとえば、助産院に残っているノートを読むと、出産の経験についての踊るような文章が出てくるんですよ。「何かに受け止められて、自分の感覚が全部無くなって、すごく気持ちよかった」と。さらに、次世代が生きる世界がいいものであってほしいとか、私以外の女性もみんなこういう経験ができるようになってほしいとか、そういう社会認識や世の中に対する思いも急に出てくるんです。なにか大きいものと繋がって、すごくどっしりして、ある意味怖いもの無しになっている。そういう出産をすると、母親になりやすいんですね。

 でもおそらく、私が権力者であれば、そういう経験をしている人は邪魔なんです。子どもを産むたびに天地と繋がるような経験をできる存在は、力があるし、権力者の言うことを聞かない可能性がある。女の持つ、原身体経験に繋がる力は、非常に恐れられただろうなと思います。だから、女性の蔑視とか「女には力がない」という考えが出てきたのではないでしょうか。

安田古代中国の殷(商)の時代に「婦好」という女性がいました。彼女は王にしかできない祭礼をやったり、当時最大規模の軍隊を率いたりして、非常に強い力を持っていた。しかし紀元前1300年代に文字が出来て、その30年後くらいに、彼女の存在が歴史から急に消えるんです。彼女の力がいきなり弱まったことと、彼女を含めた当時の有力者が文字を操りはじめたことは、関係があるかもしれません。

三砂私は「女性も学問をして、女性の社会的地位を上げる」という理念によって1900年にできた女子大の教師なので、もちろん女性は社会的に活躍して欲しいと思いますが、私の二世代くらい前の祖父母たちが言っていた「女に学問は要らない」みたいなことも、実はちょっとわかるんです。

 文字を使って頭で物事を考えていく行為である学問と、女性の根源的な身体経験や原初的な力は、拮抗せざるを得なかったのではないかと思います。いまの時代の女性はみんな賢いし、「もっと賢い女になれ」と私自身も教員として言っていますが、同時に、女性本来の力を取り戻すことも問われているのではないでしょうか。月経とか妊娠とか出産とか、あるいはセックスそのものとかは、色や時間を失うような経験ですよね。女性は、そういう経験を重ねれば重ねるほど、本来の意味での強さが記憶の底から甦るようにできている。

不安な時代、性器を中心にした生活を取り戻したい


安田シュメールの時代に、イナンナ賛歌というものがあるのですが、その中には女性器を讃えることから始まるものがあります。はじめにイナンナが自分の性器を讃えて、その後イナンナの色々な事績を讃えて、そして最後もまた性器を讃える、という構成です。イナンナ自身が「私の性器はこんなに素晴らしい」ということを何度も言う。

三砂そんなに女性器を讃えているのは、パフォーマンスの高い性器が、心以前の時間の感覚や、夢のなかのような経験に導く装置となるからでしょうね。

安田そうですね。そういう、女性が持っているなにかが、今はすごく抑圧されています。

三砂心以前の世界に戻れる機会を、いま多くの人が失っていますね。私は、「性器」を使って言葉以前の世界に戻ることを、男にも女にも日常的な行為として担保するものが、結婚だったのではないかと思います。先の世代が結婚相手を見つけてきて、次の世代がどんな人でも性器を中心にした生活を送れるようにしていた。でも、いまはそれが機能しなくなっていて、結婚は自力でやらなきゃいけない。自力で結婚できるひとなんて、人口の数パーセントだろうと私は思います。だから、みんななかなか結婚できなくて、子どもを産む機会もなくて、異性と共に暮らすこともハードルが高くなっている。

 まさに「不安な時代の女性たちへ」という今日のタイトルどおり、人間の身体的な接触が日常的にないというのは、やはり不安なものじゃないですか。セックスでなくても、肌と肌を合わせることがないと、人間は言葉や心のほうばかりに気がいって、どんどん不安になっていくんじゃないかな。だから、女性器というよき装置を使って、女性も男性も幸せになるような生活ができるように、考えたいなと思います。

   

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

バックナンバー