第10回 去る者、見送る者
研修2週目に入った。
ここからは学科よりも実技中心の日々。中間試験前に一通り教わっていたリフレクソロジー40分コースを「お客様と会話しながら施術できるレベル」まであげていく。さらに、ハンドリフレクソロジー20分&40分コースも学ぶ。
ある日のこと、補習時間にそれまで組んだことのないユウカちゃんというコが「よかったらお相手してもらえませんか?」と声をかけてきた。私は「よろこんで」と、お客様役になった。
お客様役をやるときは、それに徹しなくてはいけない。セラピスト役が「ずいぶん肩や目の反射区がこっていらっしゃいますが、お仕事は何をされているんですか?」と話を振れば、私の場合は「ライターをしているんです」と答えるわけだ。
現在大学生の彼女は、ライターという仕事に興味を持ったらしく、少し興奮した様子でたくさんの質問をしてきた。私はそれに答えつつ、仕事で経験したおもしろい事柄や失敗談などをおもしろおかしく喋った。
そして40分コースを終えたあと、私が「会話していても手が止まらないし、すごーく気持ちよかったよ」と感想を述べると、驚いたことに彼女は涙ぐんでしまった。
話を聞くと、セラピストは自分に向いていないのではないかと悩んでいるらしい。
すでにボディケア研修を修了しており、あと数日でリフレクソロジー研修も終わるのに、ここで諦めるのはもったいない。それに彼女のすらりとしたバレエダンサーのような出で立ちと、清潔感あふれるとびきりの笑顔は、お客様に安心感をもたらすに違いない。セラピストには技術も大事だが、癒しのスペシャリストとしての佇まいも大事なのだ。
私は自分が感じたことを彼女に率直に伝え、「もう少し頑張ってみない?」と励ました。
その晩、携帯電話に彼女からのメールが届いた。
「このところずっと、もうできない、逃げ出したいって悩んでいたんです。でもホリさんに話を聞いてもらって、本当に救われました。もう少し頑張ってみます」とあった。
しかし、最終実技試験前日の朝、点呼と準備体操を終え、班長からの連絡事項が伝えられた際、ユウカちゃんが研修を辞めるという話がされた。
ユウカちゃんはみんなを見渡してからぺこりと頭を下げ、その想いをとつとつと喋った。
女の子たちからはすすり泣きが漏れた。数人の男性たちも口を真一文字に閉めて、彼女の言葉に聞き入っていた。「あと2日なのに・・・」という惜しむ気持ちと、「真面目なユウカちゃんだからこその、結論なんだろう」という納得が、クラスメイトみんなの心に交錯していた。
ユウカちゃんは最後に一人ひとりにハグをして、教室を出て行った。残された私たちは涙を拭いて、授業の準備を始めた。
こうして、35人でスタートしたクラスは、ユウカちゃん含め10人が途中棄権、契約違反で強制終了、連絡なしのバックレ、一期下のクラスへの移動などの理由でいなくなり、25人となって翌日の最終実技試験を迎えようとしていた。
17時半、授業が終わったあと、担当講師が試験直前で緊張しているみんなに、最後の言葉を託した。研修が始まったころは鬼軍曹みたいだった講師は、このころにはホンマもんの観音様みたいで、やさしく穏やかな彼女本来の性質がとても感じられた。
「謙虚な気持ちで仕事に臨むこと。視野を広く、臨機応変に動くこと。そして日々、反省し、修正し、その上を目指すこと。時間の大切さを知ること。小さな目標をしっかり立てて成長すること。相手にこうしてほしいと思うのなら、自分が先にそれをしてください。100%できることは、店舗に出たあともありません。でも、それを目指して日々頑張ってください」
クラスメイトたちはみんな神妙な顔をして聞いていた。メモを取る人もいれば、涙を浮かべて頷いている人もいた。私くらいの年齢になると、真剣に人に叱られるということがほとんどない。だからそのこと自体に感動して泣けてくる場合もあるのだ。
「そして」と講師は最後に言った。「とにかく楽しむことです。明日の試験も、それから続く日々も」
その夜、居残り練習を終えた私は、セラピストの道に進もうと思うきっかけを与えてくれた友人宅に行き、リフレクソロジーとハンドリフレクソロジーを行った。
「本当に上手になったね」という彼女の言葉が、単なる励ましではなく、心からの言葉だとわかり、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。
泣いても笑っても明日が最終試験。受かれば翌週からボディケアの研修が始まり、落ちれば一期下のクラスでリフレクソロジーを1週間追加で学ぶことになる。
でも、明日はとにかく「いまできること」をするしかない。それで落ちるのなら、それがいまの時点での自分の実力なのだから、仕方がないのだ。
タクシーで帰ろうかと思ったけれど、彼女が「泊まっていけば?」と言ってくれたので、彼女と彼女の2歳半になる息子と3人で川の字で寝た。温かくて、幸福で、久しぶりによく眠った。
