となりの坊さん。

第2回 仏教ワークショップを試してみる(後編)

2010.07.14更新

単純にうれしいこと

 みなさんこんにちは。
 少しずつ、ノートは書いてみましたか。僕も、なんだか一年生の気分です。
 今日は後半のお話をお届けします。

「"正しいこと"って疲れるよね」
 そうですね。仏教のプレイヤーを目指すうえで、そういう問いかけも実感としてはよくわかります。正直に言うと、僕もお坊さんになったばかりのころ、「法話」を一生懸命した後に、言いようのない「疲れ」のようなものを感じたことがあります。

 そこで、僕たちが、"とりあえず"目指しているのは、「途中の仏教」「ゆるさをゆるす仏教」なのですから、このノートの新しいページの上にこう書きましょう。「努力のいらない単純にうれしいこと」今思いつかなければ、このページは空けておいて、毎日開ける時、思いついたことを書けばいいのです。そして、それをどのような頻度で、可能であればしたいと思っているか、月一、週一、などと書き加えます。

 なぜ、「正しいこと」は疲れやすいのか、それは「正しいこと」に罪があるわけではなく、単純に「正しいこと」には、"努力"が必要なことが多いからかもしれません。もちろん、人間にとっての「善悪」の問題は、非常に繊細な問題でもありますので、あまり単純な話にはできませんが、ここではあえて、シンプルに対処したいと思っています。

 たまには、「単純にうれしいこと」に努力なしに浸ることで、回復する何かがある・・・、そんなことも想像します。僕は「涼しい朝の時間に、山や海を訪れる」(できれば週一)そんなことを書いてみました。
 書き加えながら、できる限り、具体的に計画、実行してみましょう。

今月の主要テーマ(心身で耳を澄ませる、正直な言葉、態度を持つ)

 そしてさらに、もうひとつの、提案をしてみようと思います。
 それはある、若い女性からされた質問で、僕自身不思議と繰り返し考えるようになりました。
「今、仏教をヒントに生きてみたい、と思っている方がいるとしたら、ミッセイさんはどんなことを提案されますか? やはり経典を読んでみる・・・、そういうことしかないのでしょうか」

「経典に少しでも触れようとすることは、とても大事なことでしょうね。でも、まったく仏教的な言葉を使わずに、仏教から得たヒントを語ろうとするならば、僕は、"耳を澄ませること"ということを提案しようと思います。心や体を精一杯用いて、今の自分が何をするべきなのか、耳を澄ませること。仏教から学んだことは、そういう態度なのかもしれません」

 仏教全般でよく用いられる「十の善」、十善戒(じゅうぜんかい)はこのようなものです。一、不殺生(ふせっしょう、生物を殺さない)二、不偸盗(ふちゅうとう、盗まない)三、不邪淫(ふじゃいん、よこしまな男女関係を持たない)四、不妄語(ふもうご、嘘を言わない)五、不綺語(ふきご、きれいごとを言わない)六、不悪口(ふあっく、悪口を言わない)七、不両舌(ふりょうぜつ、二枚舌を使わない)八、不慳貪(ふけんどん、むさぼらない)九、不瞋恚(ふしんい、怒らない、うらまない)十、不邪見(ふじゃけん、間違った見解、認識を持たない)。

 これは身・口・意に分けられた仏教徒が守るべき戒めで、僕は寺で行った兄夫婦の結婚式でも、新郎新婦にこの十善戒を授けました。

 その中でも、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌は言葉の戒ですね。十善戒はあまりにもポピュラー過ぎて、また道徳的過ぎるのか「あっ、十善戒ね、知ってる、知ってる」(!)と、安易に見過ごされていることもあるように感じます。そこで今回はまず手始めに、「言葉の戒」に注目してみようと思います。この言葉の戒に、共通項を見出しつつ、今を生きる私たちに「ヒント」を探そうとするならば、「できる限り、必要な場所では、本当に思っていることを、口にしようとする」ということになるように思いました。

 そこで今月の主要テーマは、先ほどの「耳を澄ませる」を加えて、このように設定しようと思います。

「人や場所が発していることに、とにかく耳を澄ませ、"今までよりも、よく観て、感じて、聴いてみよう"そしてできる限り、必要な場所では、正直な言葉や態度を持とう」

 あえて繰り返し、"できる限り""必要な場所では"というのは、耳を澄ませることは真剣であればあるほど、体力も気力も使うことです。決して無理をしないでください。そして、時には本音が必要でない場所もあるでしょう。正直というのは時に諸刃の剣です。そのあたりは、自分の力で、解決する努力と知性が必要だと思います。

今日から毎日、"「となりの坊さん」日記"をつけてみよう

 今日から日記をつけてみましょう。別のノートを一冊用意し、先ほどの、「人や場所が発していることに、とにかく耳を澄ませ、"今までよりも、よく観て、感じて、聴いてみよう"そしてできる限り、必要な場所では、正直な言葉や態度を持とう」という言葉を一番上に書いてください。またこれは今月のキーワードでもありますから、ポストカードや、メモ帳に書いて、このノートの最新の場所にいつも挟んでおいてください。そして今日の日付を入れ、灌頂施を意識し、耳を澄ませ、正直な言葉、態度を持とうとしたことが、どのような結果をもたらしたか、どんな些細なことであっても、うまくいかなかった問題点であっても、毎日、気づいたことを、書いてみましょう。
 
 僕はノートの表紙に"「となりの坊さん」日記"と書きました。日記帳や手帳でもかまいませんが、ノートのいいところは、一行だけの日があってもいいし、4ページ書くような日があっても対応できるところだと思います。

 また、すべてのことは、ささやかな一例ですから、自分の「オリジナルの方法」を編み出した方は、どんどん、自分のやりやすい方法に変更してやってみてください。仕事や生活のアイデアを書き加えたりするのも、いいでしょうね!

 そして、先ほどもお話ししたように今日から毎日、できれば三度(無理なら一度でも)、二冊のノートを見つめ、また書き加えていきましょう。最初に、個別の人をあげてもらったのは、あくまで"見つめる練習"をするためです。できることならば多くの人に「灌頂施」の智慧でのぞんでみてください。今この時代に「仏教に智慧を求めて、ヒントにしている」なんて、ちょっと格好いいと思いますよ(えっ、そうでもない?)

「読誦しなければ聖典が汚(けが)れ、修理しなければ家屋(いえ)が汚れ、身なりを怠るならば容色が汚れ、なおざりになるならば、つとめ慎む人が汚れる」(『ダンマパダー法句経ー』二四一)



 『僕は坊さん。』でも紹介した言葉をもう一度、ここに掲げておきます。続けることで、見えてくることがあるかもしれません。そうでなければ、一緒に引き返しましょう。

 初回である今回はあえて「仏教がワークショップ的でなければならない」という想いから、少しデモンストレーション的な意味や試行錯誤のような意味もあって、このような「ワーク」をみなさんに提案してみることにしました。次回からは、今月での取り組みを参考にしながら、また違った切り口で仏教や密教、弘法大師の思想を語ることになることになるかも知れません。
 
 しかし、とにかく古い仏の教えに敬意を持ちながら耳を澄ませ、しかもそこに、"今"を生きる僕たちに、意味がある形での新しい声やアレンジを探す・・・、そのスタンスは大事にしておきたいと思います。

今回のまとめ

・ ワークショップノートをつくって、「灌頂施」をやってみる。
・ 単純にうれしいことも混ぜる。
・ 今月のメインメニューは「耳を澄ませ、正直な言葉、態度を持とうとする」
・ "「となりの坊さん」日記"に気づいたことを、何でも書き込んでみる。
・ 毎日ノートを読み、書き加える。

仏教家族会議「釈家の人々」

 釈家のみなさんは、名字が「釈」(しゃく)であることから、お釈迦さん(釈尊)になんとなく親近感があるけれど、お寺とはなんにも関係ない家で生まれ育った家の人たちです。彼らの、今回の話を受けての会話をちょっと聞いてみましょう。

登場人物

釈トメ(おばあちゃん)76歳
* 元気いっぱいの釈家の精神的主柱。口は悪いが、さっぱりとした性格。

釈トオル(お父さん)55歳
* 退職が見えてきた会社勤めのサラリーマン。自称、理論派。

釈サチエ(娘)33歳
*3歳の子供がいる働くママ。仏教にヒントがあるなら参考にしたい。


サチエ「始まりました、『となりの坊さん。』私たちも素人目線で感想を語ります」

トメ「ミッセイさん、『ボクは坊さん。』がそこそこ売れて、調子に乗ってるんじゃない? うははは。もう書き出しからブイブイって感じで、へへへ」

トオル「もう、やめてくれよ母さん。たぶんミッセイさんも読んでるよ・・・」

サチエ「さすが、おばあちゃん、元気だね。でも今回のお話は、正直、意外だった」

トオル「えっ、どういうどころが?」

サチエ「だって、"マニュアル本"というか安直な方法論を提示するような本だとか風潮が、今、かなりあるような気がしない? 私、ああいうの結構、苦手。『ボクは坊さん。』って、そういう本じゃないところが好きなんだよ。"僕もわからないけれど、少なくてもこう感じる"というようなスタンスがね」

トオル「あっ、なるほど」

トメ「なるほどじゃないよ! 今、気づいたんでしょ」

トオル「うるさいなぁ」

トメ「でも、私にとってはミッセイさんの意図のようなものは、感じられたよ。実際の私たちが生きている生活のなかで、少しでも仏教を活かして欲しい、というような気持ちをね。だから、むしろ私は『ボクは坊さん。』と共通する雰囲気を感じた」

サチエ「なるほどね。私も今はまだ小さいけれど、いつか子どもがこのノートをつけているところを想像すると、少し胸があたたくなるかも」

トオル「本当? むしろ、心配になるよー」

トメ「人それぞれだからいいじゃない。トオルは今回のノートつけないの?」

トオル「いや、やってみるよ。この歳になってくると、人生の膿も多くなってきてね、ちょっと掃除しなきゃ」

サチエ「つけるんかい!」

トメ「まぁ、今回はためしに、ちょっと、やってみようか。とにかくお寺さんの話を気軽に聞けるのは、うれしいよ」

トオル「うん、そうだね。僕も仕事を何十年も続けていて、今の社会を全否定するつもりはないけれど、その裏側や、違うベクトルの価値観だってちゃんとあるよ、っていうことに自分自身、興味があるし、その辺を仏教に期待しているね」

トメ「なんだか難しい話だね。そんなことは、私はどうでもいい。お寺さんの話って、なんか落ち着くんだよ。サチヨちゃんはどう思う?」

サチヨ「うーん。とにかく私はなんにも、仏教なんて知らないしね」

トメ「それは、私も一緒。仏壇にはご飯を供えて、手をあわせているけどね。四国遍路もこの前、行ってきたよ」

サチヨ「でも、次回もお話を聴いてみようかな。子どもも大きくなるし、もうすこし、人間として大きな気持ちになりたいような気もしてて。ただ、今回の話のなかで、"相手のいいところを見つける"というのは、大事だというのは、わかるのだけど、現実に会社や生活のなかで解決したいことは、"困っていること"なんだよね。それを、解決するような方法が仏教にないのかな、って少し思った」

トオル「それこそ、マニュアル的なような気もするけれど」

サチエ「ははは、そうかもね。しかし、お父さんは揚げ足取りが多いなぁ」

トメ「トオルって、だんだん人間的に退化してるような気がする。まぁ、今日はこんなとこにしようか」

話をうけて(原因には結果がある)

 お三方、ありがとうございます。
 最後に出てきたサチヨさんの、「なんとかしたいのは、困っていること」ということは、多くの人にとってそうかもしれません。もし、このシンプルな難題に"仏教的"に応えようとするならば、「結果には原因があるということ」をもっと、丁寧に見つめる。という、とつもなくカタルシスの少ない脱力してしまうほど、馬鹿正直な方法だと思います。

 よく「ご縁ですから」とか「縁起がわるい」という言い方をしますが、「縁起」というのは、すべては「原因」や「条件」によって成っているということです。つまり「結果にはすべて原因がある」という仏教の根本思想に根ざした言葉です。ですから「縁起が悪い」というと、なんだか不可解で不思議なことでもありそうですが、本来は「条件が悪いので」「結果が悪い」というシンプルで理知的な思考方法だと思います。

 あっ、ここでも、ひとつワークショップを加えてみましょうか。
 「となりの坊さん」ワークショップノートの新しいページに「困っていること、課題点」と書き、思いつくだけリストアップしてみましょう。まずは、ひとつでもかまいません。そして時間がある時に、その原因、解決方法を自分なりに書いてみてください。また、同じように毎日、眺めたり、リストや解決方法を書き加えましょう。じつはその問題は、動かせないことではなく、考えてもいないだけなのかも知れません。「仏教の思想」は、基本的には「ハッピーになる方法をきちんと考えよう」じっくりと時間をかけて、という側面も確かにあるように感じています。

追加事項
・「困っていること、課題点」と原因、解決方法を考えて書き、毎日書き加えたり眺めたりする。

 *気づいたこと、感想、疑問等があれば、参考にさせていただきますので、readers@mishimasha.comまで、なんでもメールください。(メールは紹介させていただくことがありますので、紹介して欲しくない場合は、「紹介しないでね」と一筆、お書き添えください)

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白川密成しらかわ・みっせい

1977年愛媛県生まれ。栄福寺住職。高校を卒業後、高野山大学密教学科に入学。大学卒業後、地元の書店で社員として働くが、2001年、先代住職の遷化をうけて、24歳で四国八十八ヶ所霊場第五十七番札所、栄福寺の住職に就任する。同年、糸井重里編集長の人気サイト『ほぼ日刊イトイ新聞』において、「坊さん——57番札所24歳住職7転8起の日々——」の連載を開始し2008年まで231回の文章を寄稿。著書に『ボクは坊さん。』(ミシマ社)がある。

栄福寺ウェブサイト 「山歌う」

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