ウソつきの国

 子どもの頃、親にウソをつくというのは、一大決心が必要なことだった気がします。大人になった今でも、ウソをつくときは、若干心拍数があがり、ソワソワ。できるだけウソをつかなくていいように過ごしていきたい・・・。

 ところが世の中、最近どうも、"心を痛めずに発されるウソ"が増えているような気がします。たとえば、ウェブサイトのアクセス数を稼ぎ、広告料を上げるために、誤った内容の記事を掲載していた、という話。その記事を書いた人、載せた人、たくさんの関係者が、とくに心を痛めていなかったであろうことに加えて、恐いなと思うのは、その記事を読む側の人たちにも、「まあ、ウェブの記事ってそんなもの」と諦めのような気持ちが蔓延しているように感じられることです。

 「ウソ」をつかない人は、いない。けれど、短期的な利益や人気取りのために、こんなにたやすくウソが量産され、言葉が信用されなくなっていいのだろうか。

 今月発刊となる『ウソつきの国』(勢古浩爾著)では、そこのところを、掘り下げていきます。著者の勢古さんは、「ふつうのおじさん」の立場から、本を読み、ものを書き、34年会社に勤め、「まっとうに生きること」を問いつづけてきた方。
 そんな勢古さんの「ウソ」の考察は、自分たちの足元を見直すところへとつながってゆきます。この短期連載では、発売に先行して、そんな『ウソつきの国』の一部抜粋を、計4回にわたり、お届けします。

短期連載第1回 ウソはつきつめると難しい

2017.02.07更新

 会社をずる休みするために、〝おれなんかこれまでに何回親兄弟を病気にしちまったことか。親戚は何人も殺しちまったよ〟という笑い話がある。あるいは、〝法事など何回やったことか〟と。「笑い話」というのもちょっとしたウソで、ほんとはそんなにおもしろくはない。もうみんなこの手の話は知っているのだ。犠牲にしたのは親兄弟親戚だけではない。一番の偽理由は自分の〝体調不良〟だろうが、妻や子どもたちもウソの病気になったりする。もちろん、このウソは許される。たとえ会社に行きたくない日があっても、そんなウソはよくないという人がいたら、その人の顔が見てみたい。

 いまではあまり流行らないかもしれないが、結婚式の仲人や会社の上司による新郎の紹介や祝辞では、「〇〇君は当社のエースで」とか「ホープで」とか「将来のリーダーで」などといわれたものだ。しかし、〇〇君のとんま面を見れば一目でウソとわかるのだ。「△△子さんはご覧のとおり容姿端麗の才媛で」という新婦の紹介にしても、参列者はみんな内心「どこがじゃ?」と思っても、そんなことを口にする人はひとりもいない。もちろん、このウソも許される。許されるどころか、義務であり礼儀である。

 芸能人は、結婚(離婚)しないといいながら、翌週に発表したりする。選挙の候補に挙げられた人は絶対出ないといいながら、出る。だがだれも、かれらをウソつきだとはいわない。ましてや「なぜウソをついたのか」と糾弾するものなどいない。「すみません、頭痛がするので今日休みます」というのへ、「ウソだろ」とつっこむバカ社員はいない。「当社のエースで」というのへ、「そりゃちがうな」という参列者もいない。いずれも許容範囲内のウソだからである。「わかっとるよ」と双方ともが織り込み済みなのだ。魚心あれば水心の形式的なウソで、だれも被害者はいないのである。

 日々の暮らしのなかで見聞きし、交わされるウソの大半は、あからさまに「ウソ」と意識されないこれらの、形式的な、相互了解済みの、他愛もないウソか、会話にスパイスを利かせるための、だれにも咎められない冗談としてのウソである。しかしそんなウソだけだったら、世の中も、自分の生活も平和である。悪意のないウソだったとしても、ときに人を傷つけることがある。人に害を与える(与えかねない)ウソがあるから、ウソは問題になるのだ。


 男も女も浮気の疑念を責められて、「やっていない」とウソをつく。浮気相手に「独身だよ」とか「妻とは別れるから」とウソをつく。経歴でウソをつく。会社の面接でウソをつく。テレビで大々的に宣伝するサプリメントは効かない。毛生え薬も精力剤も効かない。小バエが取れるという商品がただの一匹も取れない。犯罪者は「やっていない」とウソをつく。警察も検察もいざとなったら組織防衛(じつは個々の人間の保身)のために露骨なウソをつく。自動車会社は燃費でウソをつく。HPで立派な経営理念を表明しておきながら、社員を平気で酷使する。料理店は産地偽装をし消費期限を操作する。政府も役所もウソをつく。政党は自分たちにつごうのいい統計だけをつまみ食いをして党利のために使う。政治家は「いっていない」「天地神明に誓って潔白だ」とウソをつく。新聞も週刊誌もウソをつく。テレビは「画」になる映像を撮るために演出(やらせ)をする。ニュースではしれっと「ブラック企業」の報道をするが、局内部のブラック性は野放しのまま。テレビドクターは制作側にいい含められ、「下手をすると死ぬ可能性があります」などと極端なことをいって出演者や視聴者を脅す。ネットでは情報の「まとめ」サイトが盗用した情報を使う。ネットのブックレビューの星の数は、サクラや悪意だけの者がいて信用がならない。

 日々の暮らしのなかのウソは他愛のないウソが大半だが(むろん、嫉妬ややっかみや意趣返しや責任転嫁による卑怯なウソもある)、世の中はピンからキリまでの悪質なウソで満ちている。ウソではないにしても、ほんとうのことは隠す。そのことで、物的、心的な被害者をつくり、誤った認識をもってしまう被害者をつくりだす。


 しかし、たとえばこんな例となるとどうか。
 いささか古い話だが、2013年9月、2020年のオリンピック招致を競うIOC総会でのプレゼンテーションで、わが安倍晋三総理大臣は、福島原発に関する懸念を払拭しようと、「Let me assure you, the situation is under control.(事態はコントロールされている。わたしが保証する)」と演説をした。そして、東京にはこれまでも、またこれからもなんのダメージもない、と付け加えた。

 これを聞いていた多くの日本国民は「どこがじゃ?」と、一斉につっこんだはずである。わたしも「よくもまあ、ぬけぬけと」と思った。しかしそんなことをいえば、東日本大震災が起きた2011年当時、総理大臣だった民主党の野田佳彦は同年12月に、原子炉が冷温停止状態に達したとして廃炉へ向けたロードマップの第二ステップの完了を早々と宣言したのである。発電所の事故の収束宣言だ。だが、その後も福島第一原発からの放射能汚染水の漏洩はとまらず、とても収束とはいえない状態だった。「ウソつきの国」そのものが露呈したといわざるをえない。

 結局、政権党の都合でそのつど政府が適当なことをいっているというほかはない。しかしそれなら、安倍首相や野田首相はどういえばよかったのだろうか。そして、このふたりの言説はどんな被害をもたらしたのか。それがわからない。


 ろくでもない人間ばかりだ、どいつもこいつも信用がならない、といいたいわけではない。ろくでもないのはそのとおりだが、当事者でないかぎり、わたしたちはそれらのウソをほとんど忘れる。それでなくても、悪質なウソは日々、次から次へと出てくるのである。しかしそのほとんどは自分にとってほんとうはどうでもいいものばかりだ。とても付き合ってはいられない。舛添要一前東京都知事のウソはひどかったが、もう人々の記憶の底に沈んでいる。トランプ米大統領は選挙期間中に多くのウソをついたが、それもうやむやになってしまった(今やトランプ率いるアメリカは、「ウソつきの国」先進国として世界を混乱させている)。人は案外ウソに甘く、正直さは思いのほか褒められない。

 わたしはウソをつかないか。もちろん、つく。無数に。ほとんどが取るに足らないウソで、深刻卑怯なウソは少ないと思いたいが、自信はない。ウソについて考えはじめると、けっこう難しい。なぜ人はウソをつくのか。ついていいウソとついてはいけないウソの境目はどうなっているのか。はたして良質なウソというものはあるのか。ウソで騙されたくないし被害をこうむるのもご免だが、ウソは見抜けるものか。見抜いたとして咎めるのか。見逃すのはどんな場合か。なぜ卑怯なウソはつきたくないのか。


 養老孟司 は「ウソを少し減らしたほうが世の中がわかりやすくなるのではないか」といっている(「ウソのいろいろ」『Voice』2015年12月号)。まったくそのとおりである。精神衛生上もいい。ムダなエネルギーを使うこともない。人間関係のギクシャクも減る。しかしいくら人にウソをつくなといっても効力はない。問題はやはり、一個人としての自分はどうするのか、ということである。ウソをつくのを思いとどまらせるものがあるとしたら、それはなんなのか。どうしてもウソをついてしまうのはなぜなのか。なぜ平気でウソをつくものがいるのか。ウソをつくと気持ちが悪いのはなぜか。ウソついたな、謝れ、といえないのはなぜか。そもそも、「ウソ」ってなんなのだ?

(「まえがき─ウソはつきつめると難しい」より)

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勢古浩爾(せこ・こうじ)

1947年大分県生まれ。明治大学政治経済学部卒業。洋書輸入会社に入社したが2006年に退社、執筆活動に専念。「ふつうの人」の立場から「自分」が生きていくことの意味を問いつづけ、『まれに見るバカ』(洋泉社・新書y)で話題に。その後も『アマチュア論。』(ミシマ社)、『定年後のリアル』(草思社文庫)、『会社員の父から息子へ』(ちくま新書)など著書多数。最新刊『ウソつきの国』(ミシマ社)が2017年2月22日に発売予定。

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