石井ゆかりの闇鍋インタビュー

第13回 クラフト・エヴィング商會・その2

2015.04.16更新

夢を壊さないのが夢か。

「全国行脚をして、最初の本を
すごくたくさんの方に知っていただけました。
それはよかったんですが、
これで驕ってはいけないと思ったのと、
同時に、似たようなことをする人も出てくるだろうな、と思いました。
それで、もし自分たちにライバルみたいなものが現れたら、
こんなのが一番いやだな!!
というのを、自分たちで先にやってしまおう
ということになりました」

ライバル、の設定か!

「それは、自分たちに娘がいて、
でも、彼女が四代目を引き継がず、
両親がやってることなんてつまんない、
もっとおもしろいことができる、
と言って本を出す、という設定なんです。
吉田音(おん)という、13、4歳くらいの設定で、
本を二冊くらいつくりました」

「それは、吉田(篤弘)さんが、書いたんですか、
少女のふりをして」

「そうです。僕が書いたんですが、
本を読んでくれた中学生の女の子から、
『わたしの考えていることと同じです』と
ファンレターが来たりして。
でも、もしかすると、
読者の皆さんも設定に乗っかって、
手紙をくれたのかもしれません(笑)」

「架空ということで、そんなふうに
いろんなことをやってきました。
まあ、真剣に手の込んだ遊びというか、
洒落なんですが、
洒落だと解ってくれている人もいる一方で、
信じていらっしゃる方もいるわけです。
編集者の方でも
『娘さん大きくなったでしょうね』
なんて言ったりするのでびっくりするんですが(笑)」

「でも、架空というのは、どういうことなんでしょうね、
架空の世界を作りたかった、ということなんでしょうか」

「架空のことが、したいんじゃないんだよね」

と言って、篤弘さんは、浩美さんを見た。
浩美さんは「うん。」とうなずいた。

「僕らがやっていることは、
断片的なものとか、文章を通して、
架空の世界に、想像で入ってきてもらうことなんですが、
じつは、現実のほうが面白いよ、
ということが言いたいんです。
たとえば、ヘンなものと、ふつうのものとを
交互に見せていくと、
ふつうの、ごくありふれたものが、
いかにもあやしげな、ふしぎなものみたいに見えてくるでしょう。
そもそも、
冷蔵庫とか洗濯機とかも、
最初は架空の品だったはずで、
もとは空想だったものが現実の商品になったわけです。
そういう意味でも現実の中に空想的な面白さがたくさん隠されているし、
自分たちの空想の源もすべて現実から始まっています。
だから、現実は面白いよ、と事あるごとに言ってきたんですが、
これがなかなか伝わらないんです(笑)」

「むしろ『それを言ってくれるな』という人が多い。
僕らは
『現実のほうが楽しいから、架空の世界から現実に帰ってください』
ということを一貫して言ってきたんです、
ファンタジーに浸りっぱなし、では駄目なんです。
そもそも、ファンタジーはシニカルなものだと思っていますし」

それはたとえば『不思議の国のアリス』が
現実社会への皮肉満載、みたいなことだろう。


読んだって忘れてしまうなら、どうして読むのか。

篤弘さんは小説家であり、読書家でもある。
私は、ライターという商売の上では
本はどんどん読んだほうがいいはずなのだが、
新しい本に手を出すのが怖くて仕方が無い。
何が怖いのか自分でもわからないのだが
とにかく、大義なのだ。
だから、読んだことのある、気に入った本ばかりを
何度も何度も何度も読んでしまう。
だから、読んでいる量はすごく少ないと思う。
しかるに「読書家」というのは、どうしてそうなれるのだろうか。

「本屋で立ち読み、っていうか、
ぱらぱらっと何行か読んで、
その数行がどんなふうに響くか、なんです。
で、本を買って帰るときは、
それが数行ではおさまらなくて、一冊の中に何行もあるときです。
で、買って帰って、家でゆっくり味わうわけですが、
これがなぜか、本屋でぱらぱらっと読んだときのほうが良かった、
ということがよくあります(笑)」

と篤弘さんが言ったところで、
浩美さんが口を開いた。

「なんか、本当に吟味して少ししか買わない、みたいに聞こえますけど、
買って帰ってくる量は、ハッキリ言って尋常じゃないです(笑)」

篤弘さんは苦笑いしながら、続けた。

「本を一冊、まるまる読んで、
何が書いてあったかを理解するのは大事なことだと思うけれど、
それがすべてじゃないですね。
極端なことを言うと、『読まなくもいい』んです。
本を一冊まるごと記憶するのは不可能ですから、
何年かしたら、あらかた忘れてしまいます。
だったら、読まなくても同じですよね。
でも、その本とつき合うのは意味あることです。
その本がどんな本なのか理解して、
実際に手にとって、ページをめくるということです」

この話は、私には衝撃だった。
私は、本は、おぼえないといけないとおもっていたのだ。
でも、当然、おぼえられない。
ざっとした内容さえも、数年経ったらどこかに消し飛んでしまう。
レイ・ブラッドベリの『華氏451度』という小説があるのだが
これはいわば「焚書」の話だ。
本が法律で禁止されて、個人所有の本もみんな焼かれてしまう。
だけど、数人の知恵者が
「頭の中に本をまるごと記憶してしまうことで、権力に対抗する」
ということになっている。
私はこれを読んで、
「そんなことは不可能だ」
と思った。
私は、どんなに何度も繰り返し読んだ本でも、
まるっとおぼえているものなんかない。
私はそのことに、ずっと罪悪感や劣等感を感じてきた気がする。
本を読んで、難しすぎて理解できないことが情けなかったり、
内容を自分のものにすることができずに、恥ずかしさを感じたり、
こんなに本とかかわってきたのに
本に対する恐ろしさや辛さ、引け目のようなものを
抱き続けてきていたのだった。
それを、吉田さんは
「おぼえていられないでしょう」
「忘れてしまうでしょう」
と、さらっと言った。
そうなのだ。
何で私は「おぼえていられない」という事実を、
ぜんぜん受け入れられなかったのだろう。
それを受け入れたら、
私の読書は、もしかしたら、
かわっていくのかもしれない。

「何年か前に『おかしな本棚』という本を出したんですが、
これは本の背表紙ばかりを写真に撮って並べた本なんです。
ページごとにタイトルがあって、
『波打ち際の本棚』とか『金曜日の夜の本棚』とか、
それぞれの本棚にテーマがある。
本っていうのは、そんなふうに、テーマに沿って選んで、
手もとに並べるだけでも意味があると思います。
並べるためには、その本のことを知る必要がありますし」

その楽しみは、私にもわかる。
「一箱古本市」に参加したとき、
段ボール箱一箱分の「本棚」を作るのだ。
それは、私のための棚ではなく、
本を買いに来るお客さんのための本棚で、
ゆえに、「選び方」は、あたらしくなる。
本を選ぶことが、新しい楽しみにかわる。

書店員さんの本を読んだり、
北書店の佐藤さんと話したりしてわかったのだが
書店員さんはもちろん、
お店にある本を全部読んでいるわけではない。
お店のスペースには限りがあるわけで、
古今の無数の書物の中から、お店に置く本を選ぶわけだが、
その本を選ぶ基準は
「内容を読む」
ことではかならずしも、ないのだ。
表紙、背表紙、出版社、著者、価格、その他もろもろ。
本には中身以外にも、
たくさんの情報がある。
否、「情報」ではなく、「価値」や「シグナル」があるのだ。
そのシグナルは、売り手だけではなく
読み手、本の所有者にも発信されているのだろう。

「すべて、いろんなことの、
入り口なんだと思うんですよね、本は。
じっくり読んで、完全に理解しなければならない、
みたいなものとして捉えがちですが、
けっしてそうではない。
でも、自分の書いた本を全部読んでない人を見ると
『もっとちゃんと読んでよ』と思うんですけどね(笑)
でも、最近はこういう矛盾もそのまま放っておきます。
昨年、京都の精華大学で講演をしたんですが、
講演のタイトルを『答えはいつもふたつある』にしました。
最近の座右の銘みたいなものです」

つまり、
本を頭から最後まで読まなければ解らない「答え」も1つの答えだけど、
それだけが「答え」ではない、ということだろう。
たしか、ある作家が言っていた。
「たくさんの人が同じ本を読んだとして、
その本ははたして、本当に同じ本なんだろうか?」
そうではない。
3年前に読んだ本を今読めば、
まったく違うことばが、意味が、価値が、
そこにうかびあがる。
今のこの私が見つけた答えは、たしかに、一つの答えだ。
しかし、それ以外の答えがいつだって、そこにある。
光と影のように。
いつも、答えは「2つ」あるのだ。


<つづきます>

   

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石井ゆかり(いしい・ゆかり)

ライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、独特の文体で老若男女を問わず人気を集める。著書に『12星座シリーズ』(WAVE出版)、『愛する人に』(幻冬舎)、『月のとびら』(阪急コミュニケーションズ)、『星の交差点』(イースト・プレス)など多数。

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