石井ゆかりの闇鍋インタビュー

第13回 クラフト・エヴィング商會・その3

2015.04.17更新

場所。

「いま、ミシマ社から出す本を書いているんですが、
これは京都の本、というか、京都で考えて、京都で書く本なんです。
これまでは、東京で考えて、東京で書いて、東京から発信する、
というのが当たり前になっていたんですが、
もし、宇宙人が地球にやってきて日本を見学したら、
この国はビジネスと政治は東京でやってもいいけど、
文化はすべて京都から発信すべきだと、
指摘するんじゃないかと思うんです。
実は、三島さん(ミシマ社社長)が
京都にオフィスを構えようと思う、と言ったとき、
僕も、背中を押したうちの一人なんです。
それで、僕もそれに乗じて、
京都で書いて、印刷も製本も京都でやって、
という本を出そうということになりました。
たぶん、『京都で考えた』というタイトルになると思います」

「僕らは二人とも、外国に行ったことがないんです。
本の中の『クラフト・エヴィング商會』は、
海外へ買い付けの旅に出たりしていますが、
実は飛行機も船も嫌いで、海を渡ったことがない(笑)。
だから、僕らにとって、京都は『遠いところ』なんです。
要するに、いったん自分たちのフィールドを離れて、
そこで少し『考えたい』と思ってるんです」

篤弘さんは、自室で執筆することを、
ほとんどしない。

「書くことはイコール考えることで、
考えるっていうことは、
外に出ることだと思うんです。
実際に『外』へ出て行かなくても、たとえば、この東京駅みたいに、
たくさんの人が活き活きと動いているところ、
その舞台袖みたいなところにいると、
頭が活性化して、自然と言葉がわき出てきます」

「そういうところに、マシンを持っていくんですか?」

「いえ、僕はいつも手書きです。
僕は子どものときから、物書きになりたい、と思っていましたが、
それって、ペンを持って紙に書くということだったんです。
自分が心地よく感じてきたアクションはそれなんです」

と、篤弘さんは、
必死にメモをとっている私の手元を指さした。

「いつのまにか世の風潮に流されて、
パソコンでタイピングをしてますけど、
なんだか、罠にはまった、みたいな感じですよね。
それで、外に出たい、『圏外』に出て頭を冷やさなきゃ!と思うんです。
移動しながら書くことも、よくあります。
座っているときより、歩いているときのほうがいろんなことを思いつくし、
できれば、歩きながら書きたいくらいです。
実際、メモなんかは本当に歩きながら書いています。
電車に乗っていても、常に書いていたり」

星占いでは、実は、
動いていくこと、移動していくことと、
「言葉」「文章」とは、
同じ世界の出来事なのだ。

篤弘さんは、どこにいても、東西南北を把握しているらしい。

「たとえば、車に乗せられて遠くまで連れてゆかれて、
車を降りたあとに地下の店に入ったとします。
そんな状況でも、いま、北がどちらの方角にあるか、
わかるんですよ、なぜか。
たぶん、場所を体で感じることが自分にとっていちばん大事なことなんだと思います。
そこがどんな場所で、自分がいまどこにいるのか、ということですね。
場所なんて関係ない、どこで考えようと同じじゃないか、とも思うんですが、
しばし東京を離れて、京都で考えることに意味があると思っています。
そうして自分の『外』へ出て、そこで普遍的な言葉、
みたいなものを見つけ出したいんです。
山奥ではなく、街なかの人のいるところを、
自転車で走り回りながら考えたいんです」

私は今、京都に住んでいるけれど、
なるほどたしかに、京都は、
そういうことに向いているかもしれない。
自分でもそういうことを
なんでやらないのだろう、と
なんだか不思議に思った。
やればいいのに。
篤弘さんがあまりにたのしそうなので、
私は、京都に漫然と暮らしている自分が
ものすごく勿体ないことをしているような気がして
ちょっと焦った。

篤弘さんは、五感の人であるようだ。
ものがあって、場所があって、動きがある。
濃い身体性の渦の中にどっしりふんばって
決して「流されまい」としているように見える。
あるいは、流されそうになることに
危機感を感じていて
それで、流されないためにはどこにつかまればいいのか、
仁王のような眼力で見つめ続け、探し続けているようにも見える。


普遍的な言葉。

篤弘さんが口にした
「普遍的な言葉」
というフレーズが気になった。
「普遍的な言葉」とは、なんだろう。

「いい文章とは何か、いい小説とは何か、
みたいなことを、よく二人で話すんですが、
いい文章の秘密のひとつは、
『これは自分だけがわかることだ』
と思えるものじゃないかと──」

「『昔の人も、いまの自分と同じことを考えていたんだなぁ』とか
『これは歳をとったから、わかることだよなぁ』とか、
共感にも、いろいろなレベルがあるんですが、
『どうして自分だけが知っていることが、
ここに書いてあるんだろう?』
というのが、『普遍的な言葉』の最良のものじゃないかと思うんです。
それまで言葉にならなくて漠然としていた思いが、
輪郭のハッキリした言葉になっていたり、
自分の中に元々あったものが明確になっていたり。
そういう文章は、書こうと思って書けるものではないです。

さっき、東京駅の話をしましたが、
こういう大きな駅にいると、
常に人や物が流動していて、
それが自分の中にも入ってくるような気がするんです。
だから、駅の中にある喫茶店の片隅とかで、
小説を書くことが多いです。
『さぁ、入ってこい』と念じながら書いています(笑)」

人がたくさん動いているところに、
普段摑まえられないものが掴まる
というイメージは
ごく納得できるような気がした。
私も『愛する人に。』という書籍は、
まるっとフィリピンで執筆したのだが、
誰も知る人のない、完全な「異邦人」状態で、
見知らぬ人々が活発に動き回る、
都会の渦のような風景を見つめながら書いていたのを覚えている。

京都は、死んだ人も生きている町だ、と
最近、思うようになった。
前回のインタビュイーの中川さん
江戸時代より前に亡くなった女性を
「うちのお姫様」と呼んで、
そこに何の違和感もないのが、
京都という場所なのだ。
そんな奇妙な世界で、
吉田さんの中に、何が「入って」いくのか、
もし、叶うならば
京都で本を書き終えられた頃にもう一度
お話を伺ってみたいなと思った。


   

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石井ゆかり(いしい・ゆかり)

ライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、独特の文体で老若男女を問わず人気を集める。著書に『12星座シリーズ』(WAVE出版)、『愛する人に』(幻冬舎)、『月のとびら』(阪急コミュニケーションズ)、『星の交差点』(イースト・プレス)など多数。

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