遊牧夫婦こぼれ話。

第2回 上海の落とし穴 その1

2014.07.04更新

 6月、上海に行きました。4月にソウルに行ったのと同じく紀行文の連載のためです。
 行き先はドイツかニューヨークになりそうだということだったのに、直前になって急に、「上海に決まりました」との連絡が。すっかり気分は西洋だったので、気持ちを切り替えるのがちょっと大変だったものの、しかし上海といえば、2006~07年にかけて1年半ほど住んだ土地です。気持ちを切り替えてしまえば、7,8年ぶりの再訪がとても楽しみになりました。
 
 2008年の北京オリンピック、2010年の上海万博を経て、中国はガラリと変わったというようなことは聞いていました。いったいどうなっているんだろう、とわくわくしながら上海の町に降り立ちました。
 しかし、着いた瞬間の感想としては、みながスマホを持っていることぐらい以外、ほとんど記憶通りの風景でした。
 ああ、懐かしい――。

 上海は、自分のライター人生にとって1つの転機となった場所です。
 というのは、ここに住んでいるときに初めて、貯金を食いつぶすことなくライターとしての収入で生活ができるようになったからです。
 ちょうど30歳になったころのことでした。

 そういう意味でも、いろんな思い出のある、極めて親しみのある町です。
 そこに1週間滞在して紀行文を書くのが今回のミッション。
 こんなに楽しい仕事はめったにない!
 そう思って、ぼくは気楽に、本当に気楽な気持ちで上海の町を歩き続けたのでした。

 しかし、そこに落とし穴が待っていました。
 まんまとやられてしまったのです――。
 5年半の旅においても、こんなに間抜けななことはありませんでした。

 自分の馬鹿っぷりをしっかりと記録するため、
 この悔しさを忘れないため、
 さらにみなさんに注意を促すために、
 そしてなんといっても、こんな話をネタにしない手はないので、
 その顛末の一部始終を書きました。
 長文すぎて3回にわたって掲載という、
 連載2回目から変則的な形になってしまいますが、
 どうぞみなさまお付き合いください。

 *

 上海滞在2日目の夜――。
 テレビ塔や超高層ビル、西洋近代建築がまるで博物館のように川の両側にずらりと並ぶ外灘(ワイタン)から西に延びる南京東路を歩いていたときのことである。
 無数の観光客の中にいた旅行者風の男が突然地図を出しながら中国語で聞いてきた。
「ここからどう進めば○×に行けますか?」

外灘(ワイタン)から川の東岸を望む。ピンクと紫に光っているのがテレビ塔。後ろを振り向くと、西洋近代建築がずらりと並ぶ。

「すみません、わかりません。ぼくも上海の人間じゃなくて旅行者なんです」
と答えると、彼は、ああそうなんですか、と言った。
 日本人だというと、彼も自分のことを話しだした。
「ぼくは天津から旅行で上海に来ています。日本の会社の工場で働いているので、日本語が少しわかります」
 なるほど、たしかに日本語が話せるようだった。
 白いシャツに薄茶色のパンツをはいた典型的な中国人ファッション。坊主頭で背は小さく、とても人の良さそうな顔が印象的だった。年齢は45歳だと言い、話しているうちに日本語はだんだんと流暢になり、途中から会話はすべて日本語になった。

「ぼくは劉です」「近藤です」
 と互いに自己紹介をし、何をしているのかなどを話しながら、
 賑やかな南京東路を西に向かって二人で歩いた。
 今回、いろんな中国人の話を聞きたいと思っていたこともあって、
 ちょうどいい人が声をかけてくれたと内心喜んでいた。

 そしてそのうち、彼はこんなことを言い出した。
「天津じゃ、家族といるからなかなか羽を伸ばせないでしょ。だからこうやって旅行に来たときに、女の子と遊ぶのが好きなんだよね。それが一番楽しいんだよね。近藤さんはどう? 日本では最後までやるといくらくらい?」

 ああ、普通にエロいおっさんなんだなと思い、笑って適当に答えておいた。
 ホテルの人に安くてかわいい子が多い店を聞いてきたんだ、エヘエヘと笑うので「そうか、よかったね、楽しんでね」と言ってぼくも笑った。

 その後15分ぐらい歩いていると、彼は「一緒にお茶屋さんにいかないか」と誘ってきた。
 話していて楽しかったし、時間もあったので、ぼくは一緒に行くことにした。
 その店で、鉄観音のお茶を試飲しながらまた二人で世間話。
 彼は、試飲させてもらった鉄観音を家族に買うといって50元(800円ほど)払い、ぼくは何も買わないで店を出た。

「じゃ、ぼくはこれから女の子と遊びに行くけど、近藤さんはどうする?」
 男が言うので、じゃあ、ぼくはもう帰るよと言った。
 すると彼は名残惜しそうに誘ってくる。
「ビール一杯だけでもどう?一杯飲んで帰っても大丈夫だから。そのあとぼくは女の子と遊ぶから」

 このとき、会話では女の子と遊ぶ場所として「KTV」という言葉を使っている。
 ぼくの認識では、KTVとは、キャバクラや風俗店の意味がありつつも、
 普通のカラオケという意味でも使われているものと思っていた。
 上海に住んでいた当時、日本人の友達と何度かカラオケに行ったことがあったけれど、
 そのときも「KTVに行こう」と言っていたと記憶している。
 その境界がよくわからずにいた。
 だからこのとき、男にKTVと言われても、
 ビールだけ飲んで話したりできる部屋があり、そこでまず飲んでから、
 彼だけ女の子とやりに奥に行くのだろうぐらいに思っていた。

 ビール一杯だけ飲んで帰ろう。
 本当に何の疑問もなくそう思って、ぼくは男についていった。
 そして暗がりの中にあった、
 男が「ここだ、ここだ」という店に彼とともに入っていった。

 カラオケのある大きな部屋に案内されると、
 数秒遅れてミニスカートの女性2人と普通の店員っぽい女性が入ってきた。
 おいおい、いきなりそういう展開なのかよ、と思いつつソファに腰掛けると、
 ミニスカートの女性2人はそれぞれぼくと男の横に座り、店員女が説明を始めた。

「30分150元、1時間300元、うちは明朗会計の店だから、
 安心して遊んで行ってくださいね」

 ビールを頼むとハイネケンの缶が2本出てきて、
 早速30分150元(約2500円)を払わざるを得ない展開になってしまった。
「ああ、ビールだけとちがったのか......」
 と思ったが、もう仕方がない。

 一方、男は1時間だからと300元を支払った。
 そして男は、話す間もなく隣で女性に触り始め、
 2分もしないうちに、「じゃあ、ぼくは別の部屋に行くから」
 と女性の身体をまさぐりながら消えてしまった。

 随分話がちがうじゃないかとぼくは思った。
 でも、彼はやりたくてしょうがない感じだったので、まあ納得した。
 ただ、ぼくも女の子と二人になってしまい、彼女もなんだか積極的な雰囲気なので、
 そういう店なら、もうぼくは帰ろうと思った。

 女性は、髪が長く、顔立ちのはっきりとしたちょっとベトナム人っぽい子だった。
 仕事熱心なのか、積極的に誘ってくるので、
「いや、ほんとにそういうのはなしで。ビールだけ飲んですぐに帰るから」
 というも、
「ええ、なんで~。いいじゃない、誰も入ってこないから、あなたの好きにしていいのよ」
 と食い下がってくる。

「いや、ほんとにそういうんじゃないから」
「いや、でも・・・」
 そんなやり取りが何度か続いた。
 彼女はなんとかぼくを説得しようと必死に見える。

 最初に来た店員ふうの女性を連れてきて、「とりあえずblow jobだけでも」と言わせたり、私が気に入らないんだったら、ほかの女の子を選んでもらってもいいのよ、と別の3人を並ばせたり・・・。

 いくら、「そういうのはいいんだって」といってもわかってもらえず、
 ぼくはだんだんと面倒になってきた。
 そして帰ろうとすると、彼女は言った。
「わかった、わかった、話すだけでいいから」

 さっさと帰りたいと思ったものの、30分まであと10分ぐらいになっていたため、
 時間まで話してすぐ帰ろうと、とりあえず話し出した。
 しかしただ話すだけだったはずの彼女は、
 暗がりの中、気づくと自ら服を脱ごうとしているではないか。

 その執拗さにいよいよ呆れ、ぼくはバックパックを持って勢いよく立ちあがった。
 中国語に英語を交えながら
「いいっていってんだろ!話すのがいやなら、もう帰るから!」
 そういって、足早に外に出ようとした。

 が、そのときのことである――。

 部屋を出ようとしたのと同じタイミングで、
 外からゴツいおばちゃんが体を揺らしながら入ってきた。
 パパイヤ鈴木と大仁田厚を混ぜ合わせ、かろうじて女性にした感じの、
 タフそうで、見るからにめんどくさそうな中年女だった。
「私は厄介です」と、顔に書いてあるようなそんな女だ。

 うわ、こいつはやばそうだ・・・と思っていると、パパイヤ女が言った。
「おい、おまえ!帰るなら、わかった。
 帰っていいから、その前に金を払っていけ!」

「金?さっき150元払ったじゃないか!
 まだ30分もたってないぞ!あ、ビール代は払うよ、いくらだよ」
 というと、彼女はこう言うのだ。

「さっきの150元は、あの女のチップだ。うちとは関係ないよ。
 ビール2本で70元、あとはこのVIPルームが400元、
 あの女の子のギャラが300元、それに○○が300元、
 全部で1070元。金を置いて出ていけ!」

 その言葉を聞き、ぼくははっとした。
 そして、ドアの中央の窓越しに部屋の外を見ると、
 ドアの前にはゴツイ男がこっちをにらみながら立っている。

 このとき初めて気がついた。
 おれははめられていたんだと。
 愕然として、全身から力が抜けていく。
 思わず前に倒れそうになる身体を、ぼくはひざに手を当てて必死に支えた。
 くそ、どうすりゃいいんだ――。

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近藤雄生こんどう・ゆうき

東京大学工学部卒業、同大学院修了後、旅をしながら文章を書いていこうと決意 して、2003年、結婚直後に妻とともに日本をたつ。オーストラリアでのイルカボ ランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の 勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを 横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。旅と定住を年単位で繰り返しなが ら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌に発表。2008年秋に帰国 し、現在は京都市に在住。著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』『終わり なき旅の終わり』(以上『遊牧夫婦』シリーズ、ミシマ社刊)、『旅に出よう』 (岩波ジュニア新書)。ノンフィクション、サイエンス、エッセイ、紀行文な ど、さまざまな分野の文章を執筆中。京都造形芸術大学・大谷大学 非常勤講師。

http://www.yukikondo.jp/

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