遊牧夫婦こぼれ話。

第32回 7年前の旅を書き直す

2017.01.06更新

 今春、拙著『遊牧夫婦』を新たな形で出版させていただけることになり、昨年末より大幅に書き直す作業を続けています。詳細についてはまた改めてお知らせするつもりですが、いま、過去に自分が書いた文章とじっくりと向き合う中で、改めていろいろなことを考えています。

 『遊牧夫婦』を書いたのはすでに7年ほど前のことになります。久しぶりに読み返すと、いまならこうは書かないだろうと感じる箇所が思っていた以上に多く見つかり、少しでもいまの自分によりしっくりくる形にできないかと、細部まで手を入れることになっています。この7年の間にいかに自分の文章が変化したかを実感しています。

 この連載でも以前書いたかもしれませんが、もともとぼくは、本を一切読まない人間でした。
 読まないどころか「嫌い」と言っても過言ではないレベルで、高校卒業までに読んだ本の数は10冊もないぐらいだったし、大学の合格発表のときも、掲示に自分の名前を見つけてまず思ったことの一つが、これでもう国語を勉強しなくていいんだ、本も読まなくてもいいんだ、ということだったほどです(つまり、本を読むことが受験勉強としかリンクしていなかったという状況でもあったわけです)。

 そんなだったのに、いくつかのきっかけを得て文筆業を仕事にしたいと思うようになり、それならばもっと本を読まなければと、文豪の古典などを中心にようやくある程度本を読み始めたのは大学4年になったころのことでした。
 しかしその数年後の2003年には日本を出ることになり、旅中はなかなか本を手に入れることもできなかったため(旅に持っていった沢木耕太郎さんの文庫本4、5冊だけは繰り返し読んでいました)、結局、本をそれほど読まないままに書く仕事を始めることになりました。そして2008年に帰国し、その翌年から本格的に『遊牧夫婦』を書き始めたのでした。

 それからいまに至る7、8年間は、遅読な自分なりに、これまでの分を取り戻すべくあれこれ読み、自分の人生においてもっともさまざまな文章に接する期間になっています。
 恥ずかしながら、そうした時期を経たいまようやく、文章を読む楽しみや、本がそばにある幸せを純粋に感じられるようになった気がします。そして同時に、自分自身読んでいてどんな文章が心地よいのか、書き手としてどんな文章を書きたいのか、ということがだんだんとはっきりわかるようになってきたことを感じるのです。

 いま自分が書きたい文章をひとことで言えば、次のようになります。

<内容や素材の力を最大限に引き出すシンプルさと、力強さ、優しさがある文章>

 読み手としてそうした文章に徐々に惹かれるようになってきたのとともに、自分もそのような文章を書きたいと思いながら日々原稿を書いています。

 いま『遊牧夫婦』を読み直すと、当時の自分が、それとはかなり異なる感覚を持っていたことに気づかされます。すなわち、文章表現そのもので何かをしようとし過ぎていたというか、伝えるべき内容そのもの以上に、言葉に装飾を施すことに力を入れ過ぎていたように感じるのです。
 それゆえ、あの作品をいま新たな形で世に問えるとすれば、やはり、現在の自分自身が希求する文章に近づけたいという気持ちが強くあり、それをできる限り実現したいと考えています。

 その一方で、いまある『遊牧夫婦』もまた、当時の自分が確信を持って書いたものです。
 いま読み返して違和感をおぼえる部分があるとしても、その時の自分が信じた書き方がしっかりと留められている大切な作品であることは言うまでもありません。それゆえのエネルギーが詰まっているようにも感じます。このオリジナル版とも呼べるミシマ社刊の『遊牧夫婦』については、今後も可能な限り、いまの形のまま世に出し続けてもらえたらと願っています。


 そして、書き直しをしていくうちに一つ、ふと気づいたことがありました。それは『遊牧夫婦』の次の部分を読んだときのことでした。
 日本を出て約10カ月が経とうとしていた2004年4月、オーストラリア大陸をバンに乗って北上していたころ、どうにもライターとしての仕事が思うように進まず焦っていたときの気持ちを書いた部分を読んだとき、当時から今に至る自分の気持ちの流れが蘇ってくるような気がしました。

 一番の問題は、自分自身にまだ、文章を書いて食べていくという決心、あるいは覚悟のようなものが十分になかったことだと思う。その覚悟がないから、ぼくはいろいろ理由をつけてなんとなく現実から逃げ、毎日をやり過ごしていたような気がする。
 果てしなく思えるオーストラリア大陸の上でハンドルを握り、その広大さに圧倒されながら、ぼくはいつもそんなことを考えていた。自分にはこの旅を生活とし、自分にとっての「何か」にするだけの覚悟が本当にあるのだろうか、と。
           (『遊牧夫婦』13 ダーウィン到着 <修正バージョン>)


 「文章を書いて食べていくという決心、あるいは覚悟のようなものが十分になかった」
 2004年当時のこの気持ちは、帰国し『遊牧夫婦』を書いていた2009年ころもそう大きく変わってはいませんでした。
 つまり、そのころになっても、書き手としてのプロ意識を十分に持つことができずにいました。それはいま思えば、それまでの5年間、旅をしながら自分なりに書く経験を積んできていたとはいえ、日本で本格的に文章を書いて生計を立てて生きていけるかはわからなかったし、やはりもともと自分はあまりにも本や文筆という世界からは縁遠い人間であったため、文章を書いて生きていこうとしている自分自身をどこか信じられずにいた、ということだったのだと感じます。

 しかしその気持ちは、いまははっきりと違ったものになっています。いまは文章を書くことがはっきりと自分の本業だと言えるし、これからもずっと、文章書いて生きていきたいと思っています。一つひとつの文、言葉に、できる限りの気持ちを込めて書きたいと強く思っているし、そのために自分が何をするべきなのか、何ができるのかを日々考えるようになっています。それは日本に帰ってからの8年ほどの間に、書き手として、いいとき悪いときを含めて、それなりに経験を重ねてきたことによってようやく得られた意識だと感じています。

 そうした意識を持った上で改めて、『遊牧夫婦』という自分にとって大切な作品を再生する機会を与えていただいたことは、とてもありがたく幸せなことだと思っています。しかも、他社さんからの刊行でありながらミシマ社さんに全面的にバックアップしてもらえるという願ってもない特典付です。
 自分の2017年は、この作品を通じて自分自身のこれまでと今後とを考えることから始まりました。そしていま思い浮かべている今年の願いのようなものを実現するべく力を尽くし、書き手として何かしらの飛躍のある年にしたいと思っています。

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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近藤雄生こんどう・ゆうき

東京大学工学部卒業、同大学院修了後、旅をしながら文章を書いていこうと決意 して、2003年、結婚直後に妻とともに日本をたつ。オーストラリアでのイルカボ ランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の 勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを 横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。旅と定住を年単位で繰り返しなが ら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌に発表。2008年秋に帰国 し、現在は京都市に在住。著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』『終わり なき旅の終わり』(以上『遊牧夫婦』シリーズ、ミシマ社刊)、『旅に出よう』 (岩波ジュニア新書)。ノンフィクション、サイエンス、エッセイ、紀行文な ど、さまざまな分野の文章を執筆中。京都造形芸術大学・大谷大学 非常勤講師。

http://www.yukikondo.jp/

遊牧夫婦

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終わりなき旅の終わり

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