遊牧夫婦こぼれ話。

第36回 走れなくなるのは突然に

2017.05.05更新

 先月から久々に、夜に少しだけジョギングをしています。

 久々に、というのは、以前は走っていたものの、ここ1年ほど走ることができなくなっていたためです。昨年3月、左膝を激しく痛めてしまったのです。
 左膝は、20年ほど前(!)の大学時代に、高校のOBチームでやっていたバスケットボールの試合で靭帯を切って以来、心もとない状態であり続けています。ぼくが切ったのは前十字靭帯というものですが、それがないと、膝にねじれの力がかかるような動き(バスケやテニスで横方向に急に止まるような動き)に耐えることができず、力がかかりすぎると膝が可動しすぎてしまいます。
 切ってから何年かした後の大学院時代、もう大丈夫なんじゃないかと油断してバスケをやったら、シュートして着地した瞬間に(自分は左利きなので左足から着地します)、瞬間的に膝が可動域を超えて動いてしまって激痛に襲われ、しばらく松葉づえになったことがありました。
 しかしその松葉づえの件以来15年以上、ほぼ一切生活に影響はありませんでした。バスケなどは怖くてできなくなったものの、普段は右だったか左だったかも忘れてしまえるほどで、走ることも普通にできました。


 そうしてもはや過去のことになったはずだった問題が、昨年突如顕在化してしまったのです。家で階段を降りるとき、あと2段あるのを最後の1段だと勘違いして勢いよく降りてしまい、着地した左足を通じて左膝に強い力がかかり、膝がグググッと激しく動き、一瞬外れるような形になったのでした。
 もの凄い痛みに思わず絶叫し、娘に「お父さん、怖い......」と怯えられるほどでしたが、大学院時代の経験から、そのうちにすっかり治るだろうと考えていました。1週間、長くても1カ月もすれば、と。

 しかし、1か月経っても、2カ月経っても状態は変わりません。膝には痛みが残ったうえ、歩くと膝がガクガクして、体重をかけたら膝がぐしゃりと砕けてしまうのではないかという頼りない状態が続きました。とても走るどころではありません。これはおかしい。あるいは本当に、膝は深刻な状態にあるのではないか......。そう心配になり、何カ月か経ったある日、いよいよ整形外科でちゃんと診てもらうと、こう言われたのでした。
「これは靭帯再建の手術をしないと治りませんよ。まだ40歳なのであれば、先は長いし手術をすることをおすすめします」

 階段を降り誤った3カ月ほど前に初めてハーフマラソンに出場し、よしこれからもう少し本格的に走りたいと思うようになった矢先だっただけに、このままではもう走れないのかと思うと、それだけで人生が急激に先に進んでしまったような残念な気持ちになりました。

 しかし大学院時代に同じような状態になったときは、さっと回復したのはなぜだったのか。医師に尋ねると、おそらく周りの筋肉などでなんとか補えていたからだろうとのことでした。ただしいまは、もはや筋肉などでカバーできるほど肉体が若くない。だからきっと同じようには戻らない。そのような感じの説明を受けました。

 なるほど、これまでは若さでカバーしていたのか。その均衡が破れてしまった。それを再び自ら立て直せるほどの年齢ではもはやない、自然に治るのを待っていてもおそらく治らないだろう。そういうことだったのです。
 しみじみ年齢の重さを痛感しました。


 その後、何カ月たっても回復する気配はありませんでした。たしかに医者の言う通りなんだろう、もう手術をしなければこのままずっと走ることはかなわないのだろう。そう諦める気持ちになりました。
 とはいえ、太腿から何らかの筋(?)を取り出して膝に移植して新たな靭帯を再建するという手術は、簡単に「よし、やろう」と思えるようなものではありませんでした。リハビリも数カ月はかかると言われ、「いまさらアスリートでもあるまいし......」と、なんとも決断しきれずにいました。


 しかし、ところが――。
 今年の年明けぐらいになるといつしか痛みは消え、膝が外れそうに感じるガクガクした状態も自然に薄れていきました。
「もしかすると回復してきたのだろうか。前のように走れるぐらいになるかもしれない......」
 急にそんな希望が見えるようになりました。

 そして2月、おそるおそる家の周りを走ってみました。すると、2,3キロ、なんとか走ることはできました。しかし翌日から再び膝はガクガクに。ああ、やはり難しいのかなと思い、しばらく静かにしていると、また徐々に状態は上向きに。そこでその数週間後に再び走ってみると今度はほとんど問題なし。さらに数週間後にまた試すと、やはり問題はなく、数キロとはいえ、今度こそ、それなりに快調に走ることができたのでした。

 治ったのかもしれない。いや、もちろん、前十字靭帯がないことには変わりはなく、根本解決はしていないものの、まだ多少なりとも自力で補強できる力が残っていたのか、どうやら階段を降り誤る前の状態には戻れたのかもしれません。痛めてから1年以上経ち、ひとまずほぼ回復してきたことが確信できるようになりました。
「よかった......。また走れそうだ」
 気がつけば、「走れる」ということが、とても貴重でありがたいことになっていたのでした。

  *

 それまで当たり前にできていたこともきっと少しずつできなくなっていく。そんな感覚を、いま持つようになっています。これから歳を重ねる中で、この膝のような経験が少しずつ増えていくのだろうと。
 しかし、それは必ずしも悲観的な感覚ではありません。何かができなくなることは、そこに新たな工夫や感覚が生まれることでもあるからです。
 言葉が通じず文化が分からぬ異国だからこその新たな発見や喜びがあるように。

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近藤雄生こんどう・ゆうき

東京大学工学部卒業、同大学院修了後、旅をしながら文章を書いていこうと決意 して、2003年、結婚直後に妻とともに日本をたつ。オーストラリアでのイルカボ ランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の 勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを 横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。旅と定住を年単位で繰り返しなが ら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌に発表。2008年秋に帰国 し、現在は京都市に在住。著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』『終わり なき旅の終わり』(以上『遊牧夫婦』シリーズ、ミシマ社刊)、『旅に出よう』 (岩波ジュニア新書)。ノンフィクション、サイエンス、エッセイ、紀行文な ど、さまざまな分野の文章を執筆中。京都造形芸術大学・大谷大学 非常勤講師。

http://www.yukikondo.jp/

遊牧夫婦

中国でお尻を手術。

終わりなき旅の終わり

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