遊牧夫婦こぼれ話。

第38回 20代、まだ何も始めていなかったころ

2017.07.07更新

 3年以上前から不定期で月刊誌に連載している吃音をテーマにしたルポが、ようやく、今月発売の号に掲載される分で一旦連載の最後となり、書籍化へと動き出すことになりました。

 振り返ると、結局、1年に2本ずつぐらいしか形にできず、今回で最後とはいえ、まだ7回目でしかありません。取材を始めてからはもう4年以上が経っていて、当初想像していた以上に思うように進まなかったことに自分ながら驚きつつ、その一方、もともと志していたノンフィクションらしい仕事の連載を初めて最後まで書き切って書籍化に向かうという段階まで来れたことを、いまとても嬉しく思っています。
 これから追加取材もして、1冊の本の形にまとめるためには、まだまだやることがかなりありますが、吃音をテーマにしたノンフィクションというのはおそらく類書がなく、また、これまで取材にご協力くださった方たちの様々な思いが自分の中に渦巻くいま、なんとしても、長く読みつがれる価値ある一冊にしたいと気持ちを新たにしています。


 ぼくが明確にノンフィクションを書きたいと思うようになったのは大学時代、すでに20年近く前のことになります。本などほとんど一切読むこともなく、とにかく理系の道しか考えていなかった自分が、しかし大きく方向転換してノンフィクションやルポルタージュを書くことへの興味が強まっていったのは、大学院に入るか入らないかぐらいのころのことでした。そのように興味を移す一つの重要なきっかけとなったのが、沢木耕太郎さんのノンフィクション作品との出会いでした。

 沢木さんにいかに大きな影響を受けてきたかについては、すでにいろんなところで書いているため、改めて触れませんが、最近、武田徹さんの『日本ノンフィクション史』(中公新書)という本を読む中で、日本のノンフィクションの歴史において沢木さんがいかに大きな存在であるかということ、さらに、沢木さんがさまざまな方法を模索し、数々の傑作を世に送り出してきたことで日本のいまのノンフィクションの形が出来ていったと言っても過言ではないということが書かれていて、改めて深く頷きました。
 そして、そのような視点で見たときに沢木さんの仕事の中でも最も重要な作品ともいえる『テロルの決算』をふと読み直したくなり、久々にパラパラとめくり、最後の2章分を読み返してみたのでした。

 最初に読んだのは、おそらくいまから15年以上前になると思いますが、そのときと同じ、紙がすっかり茶に変色した文庫本を久々に手にして文章を追ってみました。そしていま、その内容のすごさに驚愕してしまいました。かつて読んだときももちろん面白いと思ったものの、ここまでの、震えるような感激はなかったように思います。
 おそらくいま、一応は同じ土俵に立ち、なんとか10数年の間、書き手として悪戦苦闘しながらも生きていたことによって、沢木さんのこの作品のすごさが自分なりに理解できるようになったのだろうと感じています。


 文章を書くのも読むのも本当に縁遠かった学生時代の自分が「自分も書いてみたい」と思うようになったのには、沢木さんの文章が、まったく文章を読む経験が浅かった自分にもすんなりと染み入り、心地よく読めるものだったことと関係があります。恥ずかしいほどおこがましいことながら、「こういう文章は、もしかしたら自分にも書けるのかもしれない」というありえない勘違いをさせてもらえたことが、書いてみようと決心できた大きなきっかけとしてあったのです。

 ぼくはいまでも、うまい文章というのは読者にそう思わせることができるものだと、どこか思っているところがあるのですが、いま読み直すと、当時は特に気づくことのなかった沢木さんの文章の行間というか、氷山の海中に隠れた部分というか、背後に潜むものすごい技術や力量が透けるように見える気がします。
 自分も書く側になり、日々、右往左往し、落ち込み、悩みながら、なんとか文字を書き付けていると、文章が自然に語りかけてきてくれるような気さえして、その技術の高さ、そして取材の際に乗り越えてきたハードルの数々が想像でき感嘆させられるのです。しかも、当時沢木さんがまだ30歳前後という若さだったことにも改めて驚かされてしまいます。


 その、沢木さんの、まさに玉稿をいま読みながら、この同じ本を手に取っていた20代だったころの自分のことをふと思い浮かべました。あのとき、根拠なく、「自分にも書けるかもしれない」と思っていた自分は、実際に自分で文章を書き出した後の自分自身をどのように思い描いていたのだろうか、と。
 日本を離れ、旅に出てライターとしてやっていくなどということはとても成立はしないだろう、数年したらあきらめて帰国することになるだろう。きっとそう思う気持ちがあった一方、まったく逆に、自分も沢木さんのように、20代、30代のうちに、さまざまな作品を形にして世に問うのだ、それも可能なのではないか、と思う気持ちもまたあったように思います。

 しかし、現実はそのどちらにも進みませんでした。あきらめて帰国してライターを断念することもなかった一方、ノンフィクションの作品を次々に形にするなどという状況は程遠く、沢木さんがいかにすごいかという実感は年々増すばかりです。
 沢木さんは『テロルの決算』をはじめ、30歳になろうというころにはすでに、いまもまったく色あせることない傑作をいくつも書いていた一方で、自分はいま、まもなく41歳になろうという段階で、紀行作品は出すことがかなったものの、自分が思い描いていたようなノンフィクションらしい作品については、ようやく一つ形にできる道筋がなんとか見えてきたばかり、という状況なのです。

 あのとき、20代でまだ何も始めてなかった自分は、おそらく自分がいつか40代になるということすらも想像できていなかった。だから40代になってどんな仕事をしているか、どんな生活をしているかなど思い浮かべられるはずもなかったと思います。
 でもいま、当時と同じこの一冊の文庫本を手に持って開いてみて、沢木さんの文章に対する自分の気持ちの変化を感じながら、ふと当時の自分に出会えたような気持ちになっています。本を顔に近づけて目をつぶると、一瞬自分が20代のころに戻ったような気にもなりました。


 ライターを志し始めたころ思い描いていたようにはいっていません。やはり、人生はそんなにはうまく進まないものだと感じます。
 でも、人生はきっとずっとそんなものではないかとも思うし、想像するようにいかないからこそ面白く、日々を懸命に生きる意味があるのだとも思います。


 ただとにかく、自分の人生に向き合おう。 
 自分はとにかく、いま自分が形にするべきこの本を形にしよう。
 そんな思いを込めながら、3年間書き進めてきた自分のテーマを、これから一冊にまとめていこうと思っています。


*「吃音と生きる」第7回は、今月発売の『新潮45』8月号に掲載になります。

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近藤雄生こんどう・ゆうき

東京大学工学部卒業、同大学院修了後、旅をしながら文章を書いていこうと決意 して、2003年、結婚直後に妻とともに日本をたつ。オーストラリアでのイルカボ ランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の 勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを 横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。旅と定住を年単位で繰り返しなが ら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌に発表。2008年秋に帰国 し、現在は京都市に在住。著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』『終わり なき旅の終わり』(以上『遊牧夫婦』シリーズ、ミシマ社刊)、『旅に出よう』 (岩波ジュニア新書)。ノンフィクション、サイエンス、エッセイ、紀行文な ど、さまざまな分野の文章を執筆中。京都造形芸術大学・大谷大学 非常勤講師。

http://www.yukikondo.jp/

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