第3回 旅立ち以前の話
さて、今回は旅立つ前の技術編。3、4年旅をしようと考えたぼくらの持ち物について少々説明を。
旅の持ち物は、一ヶ月の場合も一年の場合もじつはほとんど変わらない。いや、一週間でもそれほど変わらないかも分からない。一週間だろうが、一年だろうが、下着にしろ、Tシャツにしろ、もっていくのは3、4枚ずつが標準的なのではないか。ただ一年程度旅する場合は、途中で季節が変わっていくために、現地で防寒具を買ったり、不必要なものを捨てたり交換したり、といった現地調達、現地処理が必要になるということはある。
いずれにしても、ぼくとモトコはそれぞれ65~75リットル、50~75リットル(ともに調節可能)の大きなバックパックに入るだけのものを入れた。あとはそれぞれ小さなリュックサックを一つずつ。ここに貴重品が入る。
思い浮かぶものから羅列してみると......まず、生活用品が、4日分ほどの衣類、水着、ビーチサンダル、寝袋、タオル、洗面道具一式、薬、といったところだろうか(+モトコの化粧品なども)。よく考えると全然大したものはなく、これなら小さいリュックひとつでも旅できちゃうんじゃないかという気もする(実際、可能だ。小さなリュックにコンビニのビニール袋みたいなので2年ほど旅している友人もいる。彼はそんなだからか油断しまくりなのか、何度もすべてを盗まれているが、同時に、そんなだから、何を盗まれてもすぐフル装備に復活できる。物に執着する必要がないのは旅の自由度を非常に上げる)。
が、ぼくの場合は、ライターとして仕事をするという目的があったので、そのための道具がじつは結構あった。
ノートパソコン、カメラ2台(一眼レフのデジカメと銀塩カメラ)、ビデオカメラ(最初は映像作りも視野に入れていたため)とその周辺機器、フィルムやビデオテープだけで、じつはバックパックの3分の1ぐらい占める量になってしまった。それに本(教科書のようにしていた沢木耕太郎さんの文庫本を5冊ぐらいとガイドブック1冊)や上記機器のトリセツなどを含めると、重さ的にもかなり貫禄が出てしまう。
そんなこんなで、生活に関係ない物品が重さ的には6、7割を占めていたように思う。これらの機材がなければ、確かに小さなリュックでもイケそうなことが分かるだろう(ちなみにバックパックは大きければ余計なものまで入れてしまうものだ。小さければより工夫をするので、じつはあまり大きくない方がいい、という気がする)。
ボツワナで「生還」できたため、大バックパックは二人とも5年間ずっと変わらず。左がモトコので(カリマー、50~75リットル)、右がぼくの(ドイター、65~75リットル)。2004年8月。マレーシア・ボルネオ島のバスの中で |
お金は50万円を一部トラベラーズチェックにして、一部ドルなどの現金にして、それ以外は銀行口座に入れたまま。2003年の時点ではまだトラベラーズチェックが必要と思っていたが、いまとなってはほとんどの場合、日本のキャッシュカードとドル、ユーロ、円を少しずつもっていれば、大丈夫なはずだ。
ところで、「5年間もどうやってそんな生活を続けたの?」と聞かれることはいまも多い。実際自分たちも5年間こんな生活をしたあとにまだお金が結構残っているという状態は全く想像していなかった。日本を出たとき持っていたお金がぼくとモトコで、それぞれ250万、450万ほどで、5年後に日本に帰ってきたときはそれぞれまだ、100万、150万も残っていたのだ。
ぼくは、浮き沈みはあったものの、ライターとしてそれなりに仕事を続けることができていたから、少なかったとはいえそれなりに収入があり続けた。だから、少なからぬ人に、ぼくがライターをしてモトコの分まで稼いでいたと思われている節があるが、それは全くの誤解で、ぼくらの旅の資金は、ほぼ完全に別会計だった。
ぼくには自分の分をなんとかするだけでいっぱいいっぱいだったし、モトコはモトコで自分の分はすべて自分でまかなっていた。というより、いつも、より多くの金を持っていたのはモトコの方だったのである。
一応はずっとライター業をやっていたとはいえ、いま考えてみるとぼくの方が貯金額が多かった時期というのは全くなかった。どうしてかといえば、最初の2年ぐらいはぼくの収入がひどく少なかったのとともに、旅の出費が予想以上に少なかったこと、それに加えてぼくは奨学金の返済が始まっていたからだ。そして差がだいぶ縮まったころに、モトコも中国で1年半ばっちり働いて稼ぐことになったからだ。
いずれにしても、旅自体、おそらく普通に思われているより全然金はかからないし、スタート資金も実際にはこんなに必要なかった。やり方次第では、出費をもっと減らすことも十分に可能だったことも間違いない。
出国前の貯金には概ね3、4年かかっている。モトコは就職してから地道に貯金に励んだらあんなに貯まっていたという感じで、ぼくは前回書いたとおり、100万ほどは大学院の奨学金のうち授業料を払った残りで、あとはバイトをして貯めた。
この間、ぼくらがかなりの倹約生活をしていたことは言うまでもない。倹約ぶりといえば、たとえば二人でマクドナルドに行っても、バリューセット一つに単品バーガーを買って、ポテトと飲み物は一緒にエンジョイ、といった具合である。当時は特にそれを侘しいとは思っていなかったのだが、最近になって、ひとにその話をしたときに半分本気で哀れまれたらしいことを知って、それが相当侘しいことであることに気付かされた。
とはいえ、そんなケチ生活が功を奏し、金は貯まっていったのである。
また、出発前に立ちはだかったのは、結婚式の費用だ。はじめ結婚式はしなくていいかと思っていたものの、実際結婚を決めてみると、気持ち的には盛り上がってしまい、そうもいかないものである。「こじんまりやろう」という会話からスタートするが、あれよあれよという間に話はふくらみ、結局、まず京都の上賀茂神社で親戚のみの式をやって、別の日に、東京は表参道界隈で友だちを呼んでパーティーを、ということになった。ほとんどフルコースである。
結婚式は、「めでたいからケチっちゃいけない」という理屈にならない理屈が妙な説得力を持ってしまうイベントで、普段の金銭感覚が一時的に麻痺を起こす。わけのわからないどんぶり勘定な費用が10万単位でぽんぽん出ていっても、「ま、いっか、めでたいから」となぜか納得してしまいがちだ。
しかしぼくらはそういうわけにはいかず、なんとか安くできる方法を探して回った。すると、業者を通さずできる限り自分たちでやると、けっこう安く済むことがわかってくる。当時、上賀茂神社の式は、確か3万、5万、8万から選ぶといった感じだったし(安い方から順に、音楽なし、テープ、生演奏――ここはさすがに、生演奏を選んだ――)、そのあとの披露宴というか食事会は、現金な話だが、お祝儀をいただくことを考えると、各自払っていただくような感じになるわけで、それほどの出費にはならない。招待状作りなども自分でパソコンでやると、かなり安く上る(業者に聞いたら招待状50枚で10万円といわれた――おそらくこれで眼が覚めた――が、自分たちでやったら5000円+作業で済んだ。クオリティ的にもかなり納得のいくものができた)。
どうしても削ることが難しいのは衣装代だ。これだけはどうしようもなく、白無垢は20万、羽織袴が6万程度の出費がかかった。しかし、東京のパーティーでの洋装については、工夫に走った。普通に借りたらウェデイングドレスも同じくらいの値段するものだが、これが都民共済に入ると2万円で借りられるという裏技を発見。多少穴が開いていたりはしたものの、遠めには全く問題ない。選択肢も豊富だ。
一方ぼくの方は手持ちのスーツをがんばってそれっぽく着こなしてみたら、全然それっぽくなったのである。ほとんどバイトの塾講師姿と一緒になってしまったが、小物をつけてお茶を濁すと、6、7万かけて微妙にサイズが違うものを無理に着るより断然イイ、という結論に達した。
その上、そのまますぐに日本を離れるわけだから、引越し費用などは一切かからない。しかも、ぼくらがこれから何年かふらふらするということを知っていた親戚からは、少し多めにお祝儀をいただけたようだった。そのおかげもあって、結婚式はほとんどプラマイゼロ、どころか少しプラスになった感もあり、これは感謝しなければならないところである。
しかし、ちょうどこの結婚式のころに新たな問題が起きてしまった。結婚式を行なったのは、2003年3月で、それはイラク戦争が始まった月。そのイラク戦争と関連して、遠く日本で、ぼくは大きな金銭トラブルに巻き込まれることになってしまった。
出国3ヶ月前、50万を失った――。
