遊牧夫婦

第10回 結婚のかたち

バンバリーでのぼくとモトコの生活は、ほとんど同じように流れていった。
ともに朝8時ごろボランティアに出かけ、午後には一緒に宿でベッドメイクや掃除をした。ともに買い物に行き、食事を作り、夜はたいてい、入れ替わり宿にやってくる旅行者や他のボランティア仲間たちと話して過ごした。

違いはといえば、ぼくがボランティアの時間を多少削って、ライターとしてわずかにある仕事をすること、そして、食事作りにおいてモトコが司令官として味付けと総指揮をするのに対して、ぼくはその司令のもとで、ひたすら野菜切りと皿洗いばかりをする歩兵だったことぐらいだ。

それはおそらく日本で過ごした場合とは随分異なる新婚生活であったように思う。それぞれに、仕事場など、相手の知らない生活の場があるわけではない。24時間一緒に過ごし、全く同じ人間関係の中で暮らす。隠し事などをする余地はまるでない。
にもかかわらず、ふたりだけで過ごす時間というのはほとんどない。ふたりの部屋を与えられていたとはいえ、広さ的にもゆっくりくつろげる場所ではなかったし、寝る以外に時間を過ごせるような空間ではなかった。
つまり、いつもふたり一緒だが、同時に、多くの友人たちや一期一会の旅行者たちも一緒だったわけである。

モトコは結婚したあと、日本の友達に何度かこういわれたことがあったという。

「結婚したのにすごい自由なんだね」

目の前にある生活だけについていえばまさにその通りであった。もちろん、常に一緒にいるという点においては、それが不自由さにもなりうるけれど、ふたりともが属しているDDCとワンダーインという小さな社会が、そのとき自分にとってもモトコにとってもほとんどすべてであったために、それは問題にならなかったのだと思う。

確かに、これ以上自由な結婚生活はなかったかもしれない。ふたりでいることを厭わなければ、結婚によって縛られることなんか何もないという気さえしていた。
しかし、自由である分だけ、何も縛られない分だけ、ぼくらには自分たちが結婚しているという実感がほとんどもてなかった。

日本で結婚式を行なったとき、ぼくは結婚というものがいかに社会的なものなのかを実感した。親戚や友人などが自分たちのために集まってくれ、また自分たちが結婚することによって周囲の人々にいくつもの新たな人間関係が発生する。自分たちにとって結婚が家族同士のもの、という意識はないが、それでもお互いの家族同士が新たなつながりを持つのは当然のことだし、そういうことが次々に進んでいくのを見るうちに、結婚のまた別の側面が見えてくるような気がした。

結婚とは、周囲の人とともに社会の中で生きているからこそ意味を持つものなのだ、と。そしてそう考えると結婚式とは、ふたりの誓いとかそういうことよりもむしろ、周りの社会に対して「ふたりで生きていきます、よろしくお願いします」という挨拶だと捉える方がぼくにとってはしっくりきた。

バンバリーにいたぼくらにとって、結婚したという実感が希薄だったのは、今まで自分たちが生活していた社会から切り離された場所で、全く新たな人間関係の中で結婚生活を始めたからだと思う。

バンバリーで一緒に過ごしていた人たちには、自分たちが結婚していようがいまいがひとまず関係のないことだった。また、周囲にいるのがすべて、結婚してから知り合った人だったために、当然のことだが、ぼくらが結婚したことによって彼らとぼくらの人間関係が新たに構築されたり変わったり、ということが一切なかった。だから、夫婦であることを意識する機会がとても少なかったのだと思う。

ボランティアの中にはぼくら以外にもカップルはいたが、みな西洋人で、思い出す限り結婚していたのは自分たちだけだった。
スイス人のマシューとニコルは、ぼくらの3つほど年上で、彼らもまたふたりで2,3年というつもりでふらふらと世界各地を旅していた。フランス語圏であるスイス南西部出身のふたりは、ともに絵に描いたような美男美女で、ともにもともと国際的な大手監査法人に勤めていた金融業界の優秀な人材だった。が、あるとき長期の旅を決意し、会社を辞めてスイスを出た。

落ち着いた茶色い髪と、スイス人らしい真面目な雰囲気、そしてふたりともが持つユーモアと陽気さが、とてもさわやかな印象を周囲に与えた。彼らは、結婚についてこういっていた。

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マシューとニコル

「ふたりでこの長い旅をすることで、本当に相手のことが分かると思う。いつになるか分からないけど、この旅を終えてスイスに帰って、そのときやはり結婚したいと思ったら、ぼくらは結婚すると思うよ」

ぼくとモトコが、日本を出るにあたって結婚したのとは逆だ。マシューとニコルの考えを聞くと、彼らはむしろ結婚を非常に慎重に考えているからこそ、結婚せずにふたりで年単位の旅をしているのだ、ということが分かった。

ちなみに彼らは、2年半の旅を終え帰国した後、2007年に結婚した。15年間を一緒に過ごした上でのことだった。ぼくらは2008年、夫婦となったこのふたりをスイスに訪れたが、ふたりはバンバリー時代と変わらない様子で、さわやかに優雅に、レマン湖沿いの静かな町で暮らしていた。マシューは相変わらずおかしな顔を作り続け、ニコルはやっぱりおちょっこちょいでエレベーターだかのドアに指を挟んで指が完全に落ちかかるという笑えない怪我をしたりしていた。

これは余談だけれど、彼らが2年半の旅を終えて帰国すると、ふたりとも前に勤めていた大手監査法人から戻ってこないかといわれた。ニコルは会社を移ったものの、マシューはなんと旅立つ前からひとつ昇進したポストで会社に復帰することになったという。ふたりの実力があってこそだろうけど、スイスってすごい、としかいいようがない。

話は再び、バンバリーへ。
レミーとクリステルというオランダ人のカップルも、ぼくらとほとんど同年代だった。ラジオやテレビのジャーナリストであるレミーと看護士のクリステルは、オランダ人らしい、シニカルさと陽気さを備えたインパクトの強いやつらだった。いつも誰かをからかい、怒らせては笑っている。レミーにちょっと日本語を教えると、ずっとこんなことをいわれ続ける。

「ボクデカチン、オマエ、チッチャイ!」

ネイティブばりの早口の英語で口の悪いことをまくし立てるふたりに、うまく言い返せずにうんざりした時期もあったが、付き合ううちにその温かみが見えてきた。彼らはからかうことで、いろんな人をつなげようとしているのだった。そして最後には一番親しみを感じるふたりとなった。

彼らは夫婦のようだったが、ふたりにとっては、結婚ということ自体があまり意味を持たないという感じだった。

「どうして、ふたりの愛情を法的に認めてもらわなければならないんだ? いいじゃないか、お互いに好きなんだから、それで」

と、いかにも西洋人がよくいいそうなことを言っていた。とても現実的なオランダ人らしいといえるのかもしれない。そして逆に、「なんで、ユウキとモトコは結婚してるんだ?」と聞かれたが、ぼくは「日本では、結婚せずにふたりで長期の旅をするというのは簡単なことじゃなくて」といったぐらいにしか答えられなかった。

彼らともまた2008年、オランダで再会を果たした。が、ぼくらが会いにいくまさに直前に、ふたりは別れてしまっていた。レミーが新しい彼女を作って出て行ってしまったのだ。オランダ南部のアクセルという小さな村の、ふたりで住んでいた家に突然ひとり取り残されたクリステルは、あまりのショックで生活が一時休止しかけていた。しかも、新しい彼女というのが、レミーの同僚であるテレビ局のキンパツ女子アナで、油断するとテレビで眼が合ってしまったりするので、クリステルとしてはつらいことこの上ない。

そんなときにぼくらが現れたことがクリステルとしては大きな救いだったらしく、そのままぼくらはクリステルの言葉に甘えつつ、ダラダラと彼女の家に1ヶ月も居候することになった。その間のある日、3人で出かけたロッテルダムの大通りを歩きながら、クリステルはふとこんなことをつぶやいた。

「結婚についての考え方は別にいまも変わっていないけれど、たまに思うときがあるの。もし結婚していたら、レミーは出て行ってなかったかな、って。いや、気持ちとしてはあのキンパツ女を好きになっていたかもしれないけれど、結婚していたら、少なくともこんなに簡単に別れることはできなかったはずよね」

2003年当時、ぼくらはまだ夫婦であるということに慣れていなかった。それを実感させてくれる環境も周囲にはなかった。そんな時期に、イルカの周りに集まる人たちを通じて、ぼくらはいろんな結婚観に触れていった。

まだ自分たちが結婚しているということ自体が新鮮で、結婚ってどういうものだろうと少しずつ考えるようになったばかりの新婚時代をこのように送ったことは、自分たちの結婚観に少なからぬ影響を与えていった。

ちなみに、イルカのそばで暮らせば心が和んで平穏な結婚生活になるかと思ったら、全然そんなことはない。部屋が狭いせいもあったのか、とにかくバンバリーではぼくとモトコの間には、ケンカが絶えなかった。本当にささいなことから巨大なケンカに発展できることはもう驚くしかない。犬も食わないし、人も読まないので、内容は書かないが。

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プロフィール

近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。
オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。
旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。
疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。

YUKI KONDO

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