遊牧夫婦

第12回 バンバリーの最後の朝

1200ドルのバン。これは、破格だった。日本円にして当時10万円弱といったところ。逆に安すぎて不安な価格である。

バンであれば、中で寝られ、また場合によっては料理も車内でできるため、当然普通の車に比べて高くなる。中にキッチンがついていれば多少古くとも5000ドル程度する場合も多いし、自分たちが見た限りでは、かなり安いものでも2000ドルを下回ることはまずないといってよかった。そんな相場での1200ドルである。

しかもすごいのは、このバンがその値段にして"ポップアップ"まで付いていること。車内から天井を上にぐっと押すと50cmぐらい持ち上がる、すなわちポップアップするのだ。その何がうれしいかといえば、そうすると車内で立って行動することができ、車内活動がかなり快適になる。その上、持ち上がった横の部分に網つきの窓が開くので、虫を入れずに風通しをよくすることができ、夜、車内で寝るときもぐっと心地よくなるのだ。(といっても、実際は相当寝苦しい夜が多々あったけれど)

西オーストラリア州は、オーストラリアの中でも特に車の売買が自由で簡単な州として知られている。未開拓地のことを英語で「アウトバック」と呼ぶが、西オーストラリアは、町をちょっと離れたらすぐにアウトバック、車をぶんぶん飛ばしているとすぐ荒野という世界。そんなワイルドな土地柄に、やれ査定だとか、やれ税金だとか、そんなチマチマしたことは関係ない。

ここでは、車を売買する際の面倒な手続きは、ほとんど何もないのだ。必要な登録がなされていることを書類でちゃちゃっと確認すれば、名義変更も書類を一枚ポストにポンでおしまいで、郵便局で書留郵便を送るよりも簡単だ。車庫などもちろん必要ないどころか、定住所すらも、そんなの関係ねぇ!といったおおらかさ(ぼくらは住所をワンダーインにした)。
基本的に、車を買うのもファーストフードでフィッシュ&チップスを買うのも大差ないといった具合なのだ。だから、西オーストラリア州ナンバーの車は当たり外れも大きいが、逆にひどく安いものも見つかるのである。

バンを5000ドル出して購入して、一週間で壊れて終わりということも決して少なくはなく、だから確率的には、1200ドルというのは無事に大陸縦断をできることを期待すべき価格ではない。すぐに全壊・お陀仏コースもじつにリアリティがある。しかしすごい掘り出し物である可能性もまたあるのだ。

とりあえずオーナーに連絡を取ってみると、現れたのは、若くてハンサムなキンパツ男。名はピーターといった。彼に、このバン、調子はどうなの?と聞くと、

「全く問題ないよ」

と穏やかな笑顔で言う。もちろん「調子悪くてね」などというわけはないのだが、目が優しく、口調はゆっくりで、着飾ればハリウッドの俳優にでもなれそうなピーターの言葉は、直感的に信じられそうに思えた。外見にすっかりやられてしまっただけ、とも言えるのだが。

「こないだ(オーストラリアの)北部で友だちと一緒にこのバンを買って、バンバリーまで戻ってきたんだ。すごく調子はよかったよ。でも、ぼくは近々アメリカに行くことになって、どうしてもそれまでに売らないといけなくなってしまって」

さわやかな笑顔でそこまで言うならと、試運転をさせてもらうことにした。

とはいえ、ギアが、ハンドルの横の、ふつうワイパー操作の棒のあるあたりについていたりして妙に勝手が違うので、とてもいきなり自分で運転できる自信はなかった。だから、車に詳しいボランティアのスコットを呼んで、まず彼に運転してもらった。すると、ぶーんと軽めの音を立てて、確かに問題なく走った。そして彼に「どうかな?」と聞くと、

「エンジンの音は悪くない。これに賭けてみてもいいんじゃないか」

そう言ってくれたのだ。

第12回遊牧夫婦

ハンドル周辺は機械むき出し。ハンドルの中心軸から写真手前に延びているのが ギア。しかも、この写真を見ると、先が折れているような・・・・・・

スコットは、ステディな彼女との間に子どももいたが、ビーチにはイルカを見にきているのか若い女性ボランティアを追っかけにきているのか分からない誰もが認める女好き。マッチョ寄りのソフトマッチョボディにワイルドな胸毛(があった印象)、そして、着込んだネルシャツとウォッシュの効いたリーバイスが似合うオトコ臭さ抜群のオージーだ。

特に仕事をしている風でもなく、ビーチに「へ~イ!」とたまに現れて、女の子らと陽気に語らい、海辺でのんびり過ごして帰っていく。オーストラリアでは、失業者はボランティア活動をすることで失業保険のようなものをもらうことができ、それでDDCでボランティアをする人もいたが、スコットもそんな一人だったと思われる。でも彼は、緑に囲まれた大きな家でなかなか優雅に暮らしている。オーストラリアってなんていいところなんだ、と彼を見ながら感じたものだ。

そんなスコットだが、車のことになれば頼りになる。その彼が、太いゴツゴツの腕で自らハンドルを握り、エンジンの音を確認した結果「悪くない」というのだ。ぼくらにとっては「太鼓判」のようなもの。それに1200ドルなら、もしすぐだめになったとしてもあきらめられる額だった。

そしてスコットに言われた通り、買うことを決める前にまず修理屋で総点検をしてもらうことに。すると、修理屋のオヤジは言う。「このタイヤで大陸縦断なんてありえないよ・・・・・・」。しかも、ブレーキはすでに末期的な状態で交換が必要とのことだった。
が、それは換えればいい。重要なのは、エンジンがまだ大丈夫で、とりあえずは走りそうであることが確認できたことだった。一か八か賭けてみよう。ぼくらは心を決めた。

買う直前、最後の値段交渉に臨み、思い切ってオーナーのピーターに、「900ドルじゃ、だめかな?」と言ってみると、あっさりと了承してくれた。いかに交渉するか事前に作戦を立てていったのに、そんなものは必要なく彼はひとこと、「いいよ、900ドルで」。なんと7万円少々になったのだ。さすがにそんなに安くなると多少の不安も感じたが、もうあとには引けないので素直に喜ぶしかない。

こうしてぼくらは、初めての「マイカー」を手にすることになった。せっかくだから名前をつけよう、ということになり、独特な緑色から発想を得て、DDCが飼っていた迷いガメの「ハリエット」と、その世話を主にやっていた愛すべき大阪出身ボランティアのアキの名を合わせて、「ハーキー」と名付けた。

さて、しかしさすがにその値段だ、買って数日後に突然エンジンがかからなくなったこともあった。そのときは、「ヤバい、出発前にオシャカか?!」と、ヒヤッとさせられたが、スコットに見てもらうと、モーターが悪いのだろう、ということでモーターを取りだして修理屋に持っていき、そのバッテリーを交換すると、見事に直った。やはりこのワイルドな土地柄、ワイルドな車事情では、自ら車を直せる男がモてるのは道理なのかもしれない。

知っておくべき技術的なこともスコットに伝授してもらった。車の下にもぐりこんで古いエンジンオイルを捨てる方法やタイヤの交換、ラジエータの冷却液の交換の仕方、さらには毎日の点検箇所。教習所で習ったボンネットの開閉すら実践経験なしの自分だったが、ひと通り習うと、にわかに車についてわかった気になれてしまった。

車が一応準備できたら、次は荷物だ。
バンに詰め込んだものといえば、食器類、ガスコンロ、料理用ガスタンク、アイスボックス、マットレス、本、衣服、水40リットル、エンジンオイル、などなど。

このバンがキッチンとなり、寝室にもなる。全財産を積み込んだ動く家となるのだ。ガスタンクなど買うものは多かったが、たとえばマットレスは、ワンダーインで余っていたのをもらえた。バンの後部は、取り除かれた座席の替わりにベッドの土台となる大きな板が通してあったので、ぼくらはその上にマットレスを載せるだけでベッドができあがった。そして、シーツやカーテンも調達したり、作ったりしているうちに、カエルのようなバン、ハーキーは、少しずつ生活空間らしくなっていった・・・・・・。

第12回遊牧夫婦

水平方向の仕切りの上にマットレスを置いてベッドに。荷物は仕切りの下に収納

イルカそっちのけでもろもろの準備をしているうちに月が替わり3月になった。夏が終わりに近づき、いよいよバンバリーのもっとも華やかな時期も過ぎてしまったが、それでもまだ日差しの暑い日がつづいた。ぼくらはそんなときにいよいよバンバリーを離れることになった。

バンバリーを出る2日前、ワンダーインに別れを告げた。旅を始めることはぼくにとってこの上なく楽しみなことであったが、半年間暮らしたこの町と人との別れはやはり感慨深いものがあった。特にワンダーインのマネージャーのマークと別れるとき、涙がこぼれ落ちるのを抑えられなかった。マークはこの半年間、ぼくらの上司であり、友だちだった。彼も、そのときは安宿のマネージャーに収まっていたとはいえ、流れモノ感たっぷりな男で、全く地に足が着いていないタイプだった。特に何でも話したりという仲だったわけではないが、生き方的にもどこか親近感が持てた。

出発前、ワンダーインで彼がいつも流していたジャック・ジョンソンをMDに焼いてもらい、そのメロディが頭の中で流れるなか――Slow down everyone, Your moving too fast・・・・・・――、ゆっくりとワンダーインの中庭から、大陸北端へ向って出発した。
("Inaudible Melodies")

とはいえ、そのまますぐにバンバリーを出たわけではなく、それから2日間は、特に仲の良かったボランティア仲間と一緒に過ごすために、行きなれたビーチのそばにバンごと移動して、みなでバーベキューをしたりした。

暮らしなれたワンダーインを出て海辺のパーキングに車を止めて夜を過ごしてみると、夜は風も強く、こんなに寒かったのか! と驚くほどだった。いまぼくらが逃げ込めるのはバンの中しかない。いよいよ新しい生活が始まったのだ。

日本人ボランティアのリカとは、バンバリー最後の夜、バンの中で、後部にしつらえたベッドの上で3人で話しつづけた。同年代である彼女とは、これからどうやって生きていこうかと話す機会もよくあった。お互い不安がないといえば、嘘である。一生を海外で送るわけでもなく、いつかは日本に帰ることを当然のこととして考えている身として、30代が視界に入りだした当時、こんなノンキな生活を送っていてダイジョーブなのだろうか、という思いはやはりどこかにあった。

でもだからといって、中途半端に不安を抱えながら過ごすよりは、目の前の毎日を精一杯充実させることが今後につながるはずだと信じるしかなかった。そんな話ができる同年代の存在は貴重で、陽気で優しいリカは、特にモトコにとってはかけがえの無い存在だった。リカにとってもモトコはそんな存在だった、はず。 

リカも近いうちにバンバリーを離れることになっていたのだが、ぼくたちと別れる夜は、路上に取り残されるような様子で見送ってくれた。

「元気でなー!」

強い関西弁のリカの声が、頭にしっかりと焼きついている。
すでに真っ暗になり人通りもほとんどない中、彼女がシェアで暮らす家の前で、リカは涙を隠さず、ぼくたちのバンを後ろから見つめ、いつまでも手を振っていた。

その夜、ボランティアをしていたビーチからは少し離れた場所にある他の海辺にバンを止めて一晩を明かした。「カット」と呼ばれていたその場所は、よくイルカが現れることでボランティアたちに知られていた。しかもほとんど他に人がいないため、よりゆっくりとイルカが見られる。本当は禁止されているのだが、ここでイルカとともに泳ぐこともできる・・・・・・。

「バンバリーを離れる前に、最後に思いっきりカットでイルカを見ておきたい」

イルカへの思いをやはり強く残していたモトコのそんな思いがあってここにきた。
そしてカットで一夜を明かした翌日、3月4日。バンバリーを去る朝がやってきた。

第12回遊牧夫婦

バンバリー最後の朝はここで迎えた。ちなみにこれがポップアップを上げた状態

起きた後、ぼくらはまず岩場で簡単な朝食を取りながらイルカを待った。10時半。数頭のイルカが現れた。知っているイルカではなかったが、モトコは本当に名残惜しそうに、そのそばに寄っていく。イルカはいつも通りに、優雅にそしてときに勢いよく、水中を駆け回る。波打つ海水の中に見えるその姿は確かにダイナミックで美しかった・・・・・・。

1時間半ほどイルカを眺めたあと、ぼくたちはカットをあとにした。そしてバンバリーはぐんぐん南に遠ざかっていった。

バンバリーを離れてみて気がついた。イルカが常に身近にいるという環境がいかに貴重なものだったかを。半年もいる間にその環境に慣れ、当たり前に感じるようになってしまっていたが、その日々が改めて恋しくなったとき、ぼくらのバンはすでにバンバリーから何百キロも離れていた。

しかし自分にとっては、これからこそが本当の意味で旅の始まりなんだ、という思いが強かった。中国に向かって、オーストラリア大陸南部からひたすら北上する。日本を出てまだ1年も経ってなく、移動したくてうずうずしていた自分が、そんな旅の始まりに興奮しないわけがなかったのだ。

第12回遊牧夫婦

イルカとの最後の別れ

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プロフィール

近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。
オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。
旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。
疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。

YUKI KONDO

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