遊牧夫婦

第15回 サイクロンの襲来

基本的にぼくが運転したが、疲れるとモトコが代わった。モトコは日本ではほとんどペーパードライバーだったが、さすがにこれだけ直線で車も少なければ問題ない。ただ、カーブが多いところはなかなか辛い。パワーステアリングではないためだ。スピードを出していないときハンドルは恐ろしく重い。駐車場などで細かく動くときは、ぼくでもなかなか回せないときもあったぐらいだ。だから街中では、モトコは運転しない。本人がしたがらないだけでなく、交差点で曲がりきれずに対向車線を爆走などというシャレにならないことにもなりかねないからだ。

道路横の赤土の大地には、ときおりヤギやウシの姿が見える。野生なのか、もしくは果てしなく広い土地に放牧されているのかはよくわからない。いずれにしても、食べものを探してひたすら下を向いてフラフラと歩いている。

野生なのか、放牧なのか


車に轢かれて絶命し、鳥などに食われ、骨のむき出しとなったカンガルーの死体や、干からびて死んでいるウマやウシを見かけると、自然の容赦のなさに圧倒される。この車の外に放り出されたら、自分もこうなるのだ。
そうはならず、自分たちを生きながらえさせてくれているのは、紛れもなく、水、食料、ガソリンといった「燃料」である。だから、それらが十分にあるかはいつも気になっていた。

まずはガソリンについてだが、ぼくらのバンは、巨体ながら満タンでも40リットル少々しか入らず、燃費の悪いこのバンは、いくら工夫してがんばってみても最大300キロほどしか走ってくれない。そのため9.4リットル入るガソリン用の予備タンクをコーラルベイというサンゴのきれいな海辺の町で買ったが、買ったその日に予期せぬ場所で早くもタンクが活躍することになってしまった。

途中、給油場所のなかった280キロを走りきることができず、ガソリンスタンドまであと200メートルのところで停まってしまったのだ。完全に停止する数キロ前から、アクセルを踏んでもスピードが出なくなり、プスプスッと不穏な音が鳴り始めた。なんとなくスカスカな感じがしてきたと思ったら、案の定であった。さわやかな青空の下、緑のバンは完全に停止し、黄色いガソリンスタンドを目の前に、真っ赤なマイタンクからガソリンを注入するという、粋な展開になってしまったわけである。
それ以来、予備タンクはお守りのような存在となった。

ちょっとネタバレ気味だけど、これは本文のあと、 サイクロンが去ってポートヘッドランドを出た日の写真。 この日の宿泊予定地までの道が閉鎖されていることが分かり、 途方に暮れているバン。

食料に関しても、ちょっとした問題が起きた。
同じくコーラルベイでしばらくゆっくりしていたときのこと。食事の後片付けをしているとき、モトコが言った。

「バンの中にネズミがいた!」

ナニ?と、ちょっとびっくりしつつ、気配を弱めて様子を伺うと、確かカサコソと音が聞こえる気がする......。カサカサ。ゴソ......ゴソゴソ。しかし1時間ぐらい捜索しても、ホシはあがらなかった。
気持ち悪いな、と思いつつも、その日はそのまま眠りについたが、翌朝、確実な物証が見つかった。朝、モトコが食べ物をガサゴソやっていると、なんと、パスタやインスタント乾麺の袋に穴が開き、中身が齧られているのを発見したのだ。

「やっぱり、ほんまにネズミやで!」

いや、これは本当に気持ち悪い。ネズミがどうこうというより、姿の見えない相手に、ガリガリと歯形だけ付けられるというのは、なんとも人を落ち着かなくさせる。
仕方ないので、齧られたところを捨てようとすると、モトコがあわてて、そんなんじゃだめだと指令を出す。

「ネズミがどこ触ったか分からないし、穴の開いたのは袋ごと全部捨ててな」。さすがキレイ好き。気づきもしなかったが、考えてみると確かにそうだ。そして、荷物をすべて出して、大掃除をすることになった。
その日、日中はネズミ騒動を一切忘れて、ネットカフェなどに繰り出して優雅に浮かれた一日を過ごしたが、夜、ぐっすりと快眠をむさぼっていた夜中の3時ごろから、「ガサガサッ」と明らかに歩く音が聞こえだした。

来たな......と心の準備を整えるも、考えてみると、できることは何もない。二人ともその音に半分怯えつつ、半分歯噛みして悔しがりつつ、ガサゴソ、チューチュー、呑めや食えやとやりたい放題のネズミくんの放埓な夜の音に、熱心に聴き入るしかなかった。そして二人とも朝まで眠れず、寝不足になった。
チクショー、これはなんとかしなくちゃ、ということで、翌日、近くの色気のないコンビニのような店にいくとちゃんとネズミ捕りが売っていた。やはりコーラルベイでは、みなネズミに頭を悩ませているのだ。とはいえ、おいてあったのは、「トム&ジェリー」に出てくる紙バサミのような原始的なもの。トムが「ウッシッシッ」とほくそ笑みながら設置するも、5枚ほどウワテのジェリーの策略にはまって、結局自分の尻尾を挟んで終わる、例のタイプだ。

とりあえずそれを購入して、コーラルベイを出発した。そして夜、チーズやピーナッツバターを載せて、車内に仕掛けておいた。そして翌朝、ぐちゃっとつぶれてたらどうしようなどと思いながら、おそるおそる確認すると、何もかかっていなかった。
翌日以降もネズミ捕りには何もかからずで、結局、コーラルベイを出たらネズミも去ったようだった。そうして再び平穏な夜が戻ってきた。

と、引っ張ったわりにオチがなくて申し訳ないが、向こうもさすがに、パスタの袋ひとつかふたつを楽しむために、地元から何百キロも離れるわけにはいかなかったのだろう。
いずれにしても、食料の保護も、場合によっては容易じゃないわけである。

さて、生きものつながりのトラブルといえば、ネズミのあとにはこんなこともあった。大陸西部もついに北端近くまできたころのこと。地平線まで続く直線道路を走っているとき(って、まあいつもそうなんだけど)、突然「バチバチバチバチッ!」と、車体に何かがぶつかる音がし、びっくりして反射的にブレーキを踏んだ。フロントガラスについた多数の小さな固形物をよく見てみると、それらはバッタの死骸だった。

バンを停めて降り、バンの正面に回ってみると、7,8センチもありそうな大きなバッタが、ヘッドライト周辺などのあらゆる隙間に入り込んで死んでいた。隙間からかき出せる死骸は取り除き、フロントガラスの分はワイパーで一気にバリッとそぎ落とす。そんなことが何度かあった。が、それだけではない。

車を運転していなくても、場所によってはバッタ、バッタの嵐なのである。特に、トムプライスという場所のキャラバンパークは悪夢だった。600キロ以上を走り切った疲れを取るべく、シャワーを浴びようと半屋外のシャワー室にいくと、壁にバッタが何匹も張り付いているのだ。しかもシャワー室は狭く、バッタとの距離は近い。

互いに緊張が走る。バッタの動かぬ硬い表情からは何を企んでいるのかいないのか、全く読めないし、そもそも彼らがどっちを向いているのかも分からない。そしてたいてい前触れもなく、いきなり予期せぬ方向に「ビヨ~ン」と跳ぶ。しかも、大きく跳ぶ。跳躍の意図は全く不明だ。いや、意図などなく、テキトーに跳んでみただけなのかもしれない。
そんな奇奇怪怪な輩たちに囲まれて、「どうも、落ち着かねーな......」と思ったものの、どうしようもないのでとりあえず無視して全裸になりシャワーを浴び始めた。

ところがだ。シャワーからの放水が始まると、バッタたちは覚悟を決めたのか、なんと突然こちらに体当たりしてきたのだ。シャワーの水をかけてもひるむことなく、飛び跳ねた挙句、再度こちらに向かってくる。食われることはないと分かっていても、無防備な姿でいるときに大きなバッタにピョンピョン体当たりされるのは、恐怖以外のなにものでもない。さすがにそんな状況では、おちおち体を洗うこともできず、ぼくはそそくさと退散した。そしてその日はシャワーの直後にすぐに寝てしまった。というのも、先のガス欠騒動も、ネズミ騒ぎも、すべてこの日の出来事だったのだ。1日にイベントが多すぎたわけである。

さて、バッタの登場は、だんだん赤道に近づいて熱帯っぽくなってきたことを感じさせたが、他に熱帯らしさの現れといえば、こんなこともあった。先のトムプライスの次の次の宿泊地となったポートヘッドランドという港町でのことだ。
着いてみると、長いドライブを終えた先に見えた港町といったロマンティックさは微塵もない、赤土だらけの荒涼とした町だったので、買い物などの所用を済ませるために2泊だけしてさっさと出ようと考えた。

だが、その滞在中に、巨大なサイクロン(台風)が向かってきているという情報が入ったのだ。どうしようかと話しているうちに、いつしかぼくらが目指す方面の道が閉ざされてしまい、もはや延泊するしかなくなった。なんでこんなところで足止めを、と不運を嘆きながら、キャラバンパークのテレビ室でサイクロン情報を見ていると、しかしだんだん、かなりシリアスなサイクロンであることが分かってきた。あるときのニュースでは、中心気圧950hPa、最大風速210km/h(58m/s)とのことだった。(後に調べたところでは、このサイクロンは、最高で風速300km/h(83m/s)にも達したようで、オーストラリアでは最大級のサイクロンに分類されていた。)


外にも出られず、バンの中かテレビ室しかいる場所がないので、日中はテレビ室でプリンス・レナードについての原稿を書いたり、マカロニを食べたりして過ごした。すると夕方ごろになって、一緒に足止めをくらっていたオランダ人女性2人組がこういうのだ。

「もしかすると、明日の朝ぐらいには避難所に避難しないといけなくなるかもしれないって。レッドアラートが出たらそうなるらしいよ」

レッドアラート、すなわち「赤い警告」が出たら事態は本当に深刻になるのだ。
その夜、予定通り、風も雨も強くなってきた。でももちろん、泊まるのは屋外のキャラバンパークに駐車しているオンボロバンの中だ。夕食は、昼の残りのマカロニをバンの中で頬張る。もともとおいしくなかったものが時間の経過でまずさに磨きをかけていたが、不安のためにさらに味がみすぼらしく感じられた。

外では雨が強烈にバンの緑のボディを打ち、風が車体を左右に揺らす。「大丈夫かな......」と心配しつつも、早々と寝ることにし、寝る前には念のためにバンのポップアップの屋根も下げておいた。まったく、ここはバッタが少なくてよかったなどと喜んでいる場合ではなかったのだ。

するとしばらくしてから、キャラバンパークのおじさんが「おい、起きてくれ」とバンの扉を叩いた。
「イエローアラートが出てしまった。これがレッドアラートに替わったら、みな車を置いて避難所へ避難してもらうことになるよ」

いよいよサイクロンが近づいてきたのだ。バンをおいて避難ということになれば、自分たちの身の危険もあるが、バンはサイクロンに呑み込まれて木っ端微塵に、ということも十分ありうる。とすれば、これがバン旅最後の夜にもなるかも分からない。それはあまりにも寂しい。にわかに現実味を帯びたそんな可能性に、ことの深刻さを実感しながら、激しい雨風の音に包まれたバンの中で、なんとか寝ようと試みた。

これも、本文のあとの話。 サイクロンの後、晴れと雲の境目を走る。車の右側はこの大雨と、 果てしない水浸しの大地。でも左側は、果てしない快晴と緑の大地。 撮影時刻はほとんど同じ。

  

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プロフィール

近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。
オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。
旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。
疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。

YUKI KONDO

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