遊牧夫婦

第26回 セレブの旅への誘惑

ジャカルタのリッチなドイツ人一家の家から、ぼくたちは再び東へ向かった。
ジャカルタの東というのは、バリや東ティモールがある方である。そう、ぼくたちは、ティモールのあとにすっ飛ばしてしまったバリ島とティモール島の間にある小さな島に向かっていたのだ。

目的地は、レンバタ島という小さな島のラマレラ村。何があるのかといえば、ここには四〇〇年前とほとんど同じ方法でマッコウクジラを捕る人たちが暮らしているのである。彼らは、小さな木船と柄が竹でできた銛で、二〇メートルにもなるマッコウクジラを捕っているのだ。そんな場所はおそらく世界でこの村だけだと思われる。

ラマレラについて初めて耳にしたのは、まだ東ティモールのディリにいたころのことだった。教えてくれたのは、あの(っていうほど、前回の登場でインパクトは残してないだろうけど)味噌汁大好きオランダ人、エドメである。

彼にこの村のことを聞いたとき、ぼくもモトコもすぐに、行くしかないと思った。イルカをはじめ海洋哺乳類好きのモトコはもちろんのこと、ぼくだって、バンバリーではイルカ嫌いの名をほしいままにしながらも、イルカ・クジラについては「もう素人じゃねーぞ、ちょっと見せてみろ」ぐらいの気概はあった。

しかしそれにしても、木の船と竹の銛で二〇メートルもあるマッコウクジラを捕るだって? 全く想像のつかない世界がインドネシアには潜んでいるんだな、と胸が躍った。

さて、ジャカルタからラマレラへは、国内の移動とはいってもかなりの長旅を要する。島を伝っていくインドネシアの移動はなかなか骨が折れるのだ。できるだけ陸路と海路で行きたいものの、それだけで行くのはなかなかきつい。

というのも、船は数日に一度だったりする上に、発着スケジュールは大抵、その港まで行かないと分からない。急いで港まで言った挙句、次は来週だよん、などと言われれば、すぐに一ヶ月のビザは切れてしまう。そのたびにシンガポールに飛んでジャカルタに戻ったら無限ループに入ってしまうだろう。だから、ときに飛行機も使いながら、目的地を目指すことになる。

検討を重ねた結果決まったのが、次のようなルートだった。
ジャカルタ(ジャワ島)⇒《陸路》⇒デンパサール(バリ島)⇒《飛行機》⇒マウメレ(フローレス島)⇒《陸路》⇒ラランテゥカ(フローレス島)⇒《船》⇒レウォレバ(レンバタ島)⇒《陸路》⇒ラマレラ(レンバタ島)

第26回遊牧夫婦

ジャカルタからラマレラまでは、以下の順で移動。ジャカルタ(Jakarta)⇒バリ(Denpasar, Bali)⇒マウメレ(Maumere)⇒ララントゥカ(Larantuka)⇒ラマレラ(Lamalera)(これらの町は地図中青文字)

そして結果からいえば、バリでのフライト待ちと、フローレスでモトコが体調を崩し一日休んだのを抜かして、純粋な移動だけで四日もかかった。
とにかく時間のかかるその行程を、以下ざっと説明しよう。
 
まずジャカルタからバリ・デンパサールへは二七時間のバスの旅だ。
ジャカルタのバスターミナルに着いてみると、なかなか豪華なバスが待っている。座席は新品に近いきれいさで、しかも大きくふかふかだ。これなら丸一日も悪くないかもと少しうれしくなりもしたが、実際はそれほど楽ではない。

夜七時ごろには車内は暗くなり、強制的におやすみなさいとなるが、クーラーの効きすぎで寒くて眠れない。そしてやっとうとうと眠りにつけたと思ったら、バスが止まり、突然ガンガン音楽が流れる。深夜三時だ。みなしぶしぶ起き上がって外に出るのでなんだろうと思ったら、「マカン、マカン!」。メシである。

真っ暗闇の中、バスの到着を待ってまだ営業中の食堂がひとつ。そこに、バスから出てきたぼくたちが行列を作って直行する。そして深夜の強制ディナーとなる(食べなくてもいいのだけれど、夕食が五時ごろだったため、みな腹は減っている)。寝ぼけまなこをこすりつつ、食堂に並ばされ、ご飯の上にどーんと鶏肉をのっけたものをスプーンとフォークでみなで頬張り、終わったらまたすぐに乗り込み、出発だ。

日が出てからはフェリーに乗ってジャワ島からバリ島へと渡り、バリ島をまた数時間南下して、結局デンパサールに着いたのはその日の夕方六時ごろであった。ちなみにデンパサールは、例のクタのすぐそばであり、この日ぼくらはやはりクタに泊まった。

こうして再び、勝手知ったバリに戻ってきた。
次は、バリ島から島をいくつか挟んでさらに東にあるフローレス島への移動である。ここは時間的にとても陸・海では行けそうにないので、バリでのミッションは安い航空券探しとなる。が、聞いてみると、今度はフローレス島までの飛行機が週四回しかないことが分かり、バリでの待機を余儀なくされる。また、モトコが少々問題をかかえる歯のための抗生物質や、インドネシアの僻地で猛威を振るうマラリアの薬も探したかったために、結局バリではまた三泊することになってしまった。

無駄にウダウダしているとまた妙なものに引き込まれるのがバリである。抗生物質などを求めてクタの繁華街をうろうろしているとき、路上のにーちゃんが掲げていたなんちゃらリゾートの広告が眼に入ったのが運のつきだった。

「プロモーション企画 五〇〇ドルがもらえる! かも」

みたいな文句に惹かれてしまうのは、本当にヒマな証拠だろう。確か五〇〇ドルが、話を聞くだけでやたらと高い確率でもらえそうな雰囲気で、しかも最低でも無料の旅行券だかをくれるとかなんとか、やたらと調子のいいことをうたっている。胡散臭いなあ~と思いつつも、聞くだけ聞いてみるか、とヒマに任せて、客引きに任せて、ぼくらは何人かの旅行者と一緒に、彼らの車に乗って郊外の高級そうな建物にひょいひょいついていったのだった。

いったい何なのかといえば、それは、そのなんちゃらリゾートのホリデービジネスなのだが、確かこんなことだったはずだ。その会社が世界の複数箇所の有名リゾート地にリゾートホテルを持っていて、一定の金額を払うことによって、それらのどこでもをいつでも自由に使えるようになる権利が買えるというのである。

そんな権利はハナから買う気はないのだけれど、とりあえずさっさと話だけ聞いて五〇〇ドルをゲットしたいという身勝手な目的で入っていくと、出迎えてくれたのが日本人スタッフであることにまずちょっと驚かされた。向こうももちろん、ぼくらのような連中の落とし方を心得ているというわけである。  

その日本人スタッフ、アヤさんがぼくたちに、このリゾートの魅力を丁寧に優しく教えてくれる。ぼくたちは、短期旅行者のふりをして、このリゾート話に多少興味ある素振りまでして話を聞いた。
連れてこられたこの建物がまさにそのリゾートのバリ支部であり、中を実際に案内され、こんなにすごい部屋が自由に使えるんだよということをこれでもかとアピールされる。確かに空間は快適そうで美しかった。そして最後にその権利購入の値段が提示されるのだが、それが確か五〇万円とか三〇万円とかさすがに侮れない金額なのである。

へえ、やはりそのぐらいするんだな、おれたちにはありえねーなーと思いながら、ふとモトコを見ると、ちょっと目つきがマジではないか。「旅の途中で、こんなリゾートに泊まれるんやったらいいかも......」と、若干前向きに検討している様子なのでたまげてしまった。

もちろん、モトコはバックパックを捨ててセレブの旅へ鞍替えしたいとかそういうわけでは全くなく、ただ単に、要所要所でそういうところに泊まれるのならいいかもね、ということだったのだが、ぼくから言わせれば、「おいおい、目を覚ませよ!」である。そんな金はないし、第一ぼく的には要所要所でこんなのが待っていたら、逆に興ざめしちゃうよ、というところなのだった。

そう匂わせると、モトコも、まあ、そうだよね、ということになり、最後は「とても素敵ですが、ぼくたちにはやっぱりちょっと高いので......」と丁重にお断りするに至ったのであるが、相手が巧みなのはそのあとだった。

アヤさんが、「そうですか、やはり高いですか。分かりました」と言って、では、ちょっと隣の部屋で待っていてくださいと、隣室のソファ席を勧められた。そして言われた通りに座って待っていると、いきなりビシッとスーツを決め込んだ白人男性が現れたのだ。いかにもできるビジネスマン風の男だ。彼は、テーブル越しにぼくらの向かいのソファに静かに腰を下ろして、こういうのだ。

「高いとのことですね。ではもし値段が下がるとすれば、いくらまでだったら払えますか」

ぼくにとっては全く値段の問題ではなかったので、ええ、そうですね......、と口ごもっていると、さらに畳み掛けてくる。

「よし、ではいま決めてくださったら、○○万円にしましょう。これが最終価格です。ただし、これはいまだけの価格です。どうです、契約してもらえますか?」

その圧力とスピード感に、にわかに重要な商談をまとめる商社マンの現場に立たされたような気分になる。値段は確かに、最初に言われた金額よりはるかに安くなっていた。
それでもぼくはもちろん、この男に対して、早くあきらめてくれよーと思っていたのであるが、ふと横のモトコをみると......なんと目が再びあっちの世界へと動いてしまっているではないか。「え、それくらいなら、思い切って契約してもいいんちゃう......?」といった風なのである。

おいおい、ないって! 絶対、ないって! ――とぼくは、心でだか、声を出してだか、そうモトコに語りかけた。するとモトコは、やっぱりそうかなあ......、と未練を残した感じながらも、なんとかまたこっちの世界に戻ってきてくれる。揺さぶられている。確実に、揺さぶられている。

しかしぼくも、連れ戻すためにがんばった。そしてモトコが眼を覚ましてくれそうになると、その流れを見抜いた男は、その瞬間に引き下がった。

「分かりました、では、お引取り下さい。ありがとうございました――」

と、さっと扉を開けて出ていくように促したのだ。無駄な交渉には一秒たりとも時間は使いませんよといった風に。そうしてぼくらは追い出されるように、その高級な建物をあとにした。
最後に一週間のタダ旅行券みたいなのは確かにもらえたのだが、しかしよく読むと、やはりそこにもオチがついていた。利用するためにはまず一〇〇ドルのなんとか料を支払っていただきます、ということなのだった。

別に胡散臭そうではなかったのだが、うわついた観光客を揺さぶってすっぽりお金をいただこうというコンセプトという意味では、まさに観光地で行なわれるビジネスらしい、という気がした。モトコが一瞬足元をすくわれそうになったのを見て、なかなか巧みな商売だなと感心すらしてしまった。

そんなわけで二度目のバリでは、危うく旅のコンセプトがガラリと変わりかねない経験をしたのだが、その二日後、なんとかフローレス島最大の町マウメレへと飛ぶことができた。「なんとか」というのは、バリの最後の夜からモトコが体調不良を訴えていたからだ。不調ながらもなんとか国内線のオンボロ飛行機に乗り込んでマウメレまでは来たが、モトコはマウメレの宿ですっかりダウン。宿の人に晩飯を買ってきてもらって部屋で食べなければならないほど具合が悪かったので、とりあえず先を急がず、マウメレで二泊してモトコの回復を待つことにした。

さて、ここマウメレで特筆すべきは、二泊の後にモトコの体調が回復して、さあ、フローレスの東端の港町ララントゥカへとミニバスに乗ったときのことである。

早起きして宿を出て、バスターミナルまで行って、朝八時発のララントゥカ行きのバスに乗ると、客が少なくすいていて、おお、いいじゃんか、とちょっとうれしい気持ちになる。そして、聞くとララントゥカまでは四時間だよというので、昼一二時ごろには着くものだと思っていた。しかしこのバス、ぼくたちとほか数人のインドネシア人を乗せて、概ね予定通りに走り出したはいいが、なぜか全然市内を出ようとしないのだ。

第26回遊牧夫婦

インドネシアの陸路での移動は、大体こういうミニバスに詰め込まれてという形になる。 (これはマウメレ・ララントゥカ間を行き来するもの)

マウメレは、フローレス島最大の街だけあって、なかなか賑やかだ。朝は、学校に向かう少年少女や、忙しく働く大人たちの姿で満ちていて、ぼくたちのバスは、その中をただぐるぐると、砂埃をあげながら走り回っているのである。どういうことだ、と思っていると、途中から、切符切りの男が窓から顔を出して、「ララントゥカ! ララントゥカ!」と叫び、ポコペン、ポコペンとバスのボディを叩きだした。なんのことはない、いま客を集めているところなのである。

が、いっこうに客は集まらず、気付くと三〇分、一時間と時間が経ち、なんとそうこうしているうちに、一時間半後、じつにさりげなくぼくたちの宿の前の道をぶーーんと通過するではないか。早朝に別れたはずの宿をバスの中から眺めながら、いったいおれたちはなにやってんだ、と失笑せざるをえなかった。
でも、そうして二時間も客探しを続けると、やっとそれなりに車内も混んできて、なんとか出発してくれたのだった。

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ララントゥカで泊まった宿。南国らしいオープンな雰囲気だ。ここで一部屋(二人分、風呂トイレ共同)一泊500円はしないぐらい。

こうしてやっとララントゥカまでやってきた。レンバタ島のラマレラまで、あと一歩だ。
ララントゥカはじつに小さな港町だった。船着場のそばに大体のものが集まっている。ここから船に乗って、目的地であるレンバタ島に行くわけだが、その日の船はもうなかったためにここで一泊することになった。

安宿にチェックインしたあと、近くの中華料理屋で晩飯を食べていると、驚いたことに店内に日本人の姿があるのに気がついた。中年の男性で、落ち着き具合が単なる旅行者ではなさそうだった。じつにディープな匂いを漂わせている。どちらから話しかけたのかは覚えていないが、さすがにここまで辺鄙なところで同胞に会うと自然と会話になるもので、聞いてみると、なんと彼は、ここララントゥカで四年も真珠関係の仕事をしているという人だった。
いやいや、本当にいろんなところに日本人が住んでいるものだと感じさせられる。

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ララントゥカでは幅を利かせてそうなカッコいい若者グループ。このあたりではぼくらのインドネシア語もだいぶ語彙が増えてきて、簡単な意思疎通はできるようになってきていた。

というわけで、今回は、移動中の小ネタ集のような感じになったが、ラマレラへの移動はそうして終盤へと向かっていった。
そしてララントゥカで夜を過ごしたその翌日。
朝八時、いよいよぼくたちは目的のレンバタ島行きの船に乗りこんだ。

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プロフィール

近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。
オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。
旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。
疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。

YUKI KONDO

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