遊牧夫婦

第29回 三人の怪しい男

こんにちは!
すっかり2ヶ月もお休みをいただいてしまいました。
今日からまた連載を再開しますので、どうぞよろしくお願い致します(しばらくは隔週でやらせていただくことになりそうですが)。

おかげさまで、『遊牧夫婦』の書籍版第一巻も完成が近づいてきました! 一冊の本にするにあたって、どのような形がベストかと、ミシマ社・三島さんとやりとりを繰り返す中で、いろいろと手が加わっていきました。連載にはなかったエピソードもたくさん盛り込まれ、このミシマガ連載とはまた違った形で読んでいただける作品になったかな、と思っています。一方で、本にするにあたってどうしても入れることができなかったエピソードも出てきたので、そういう意味でも、連載は連載として、楽しんでいただければ幸いです。
本の完成、楽しみにしていただければうれしいです!

ちなみに、これは他社のものですが、4月21日に初の著作が発売になります。
『旅に出よう ―世界にはいろんな生き方があふれてる―』(岩波ジュニア新書)
です。若い世代の人たちに向けて、生き方をいろいろと考えてもらえるきっかけになる本になれば、という気持ちで書きました。が、ぼくらの五年間の旅のダイジェスト版みたいな形でも楽しんでいただけるようにしたつもりなので、こちらも機会があれば、手にとっていただけるとうれしいです!

では、話は二〇〇四年のインドネシアへ戻ります。舞台は、前回の捕鯨村ラマレラから、ジャワ島の大都市スラバヤへ。ラマレラを出発した十一日後の、七月十八日の早朝のこと。その朝、ぼくらは長距離バスでスラバヤへ到着した――。

                  *

スラバヤに着いたのは、まだ日が昇るか昇らないかの早朝六時で、ぼくたちはまだ眠っていたい気だるい身体をヨイショッと起こして、バスを降りた。
バスは、前にジャカルタからバリまで乗ったもののように豪華なタイプではなく、車両も古く座席も小さく、全く快適ではなかった。しかも、夜中に島から島へのフェリーに乗るために起こされたりして、決して優雅な夜とはいかない。が、その割には、ぐっすりと眠ることができた、とモトコは言った。

モトコもぼくも、それぞれ車内に持ち込んだ小さな肩掛けバッグとバックパックを手に持ってバスを降りる。そして、預けた大きなバックパックも出してもらうと、ぼくは、やっと着いた! と身体を伸ばしながら、スラバヤのバスターミナルを見渡した。さあ、これでインドネシアも今日で最後だ、と思い、その最後の一日をいかに過ごそうか、と考え始めていた。
が、そのときだった。隣でしゃがみこんで、自分の小さな肩掛けバッグを開けてみたモトコが叫んだのだ。

「カメラがない!」

と。え? と思って、モトコが開いていたそのバッグの中を見てみると、あるはずのカメラがなく、そこには見慣れぬ水のペットボトルが二本入っていた。とっさにどういうことかわからずにいると、モトコが絶望的な声で続けた。

「カメラがペットボトルに変わってる!」

マジックではない。おお、すげえよ、全然仕掛けがわからないよ! という話ではない。仕掛けは明らか。バスの中で、寝ている間にバッグを開けられ、すり替えられてしまったのである。水のペットボトルは、重さが変わらないようにするために入れられたのだ。
モトコもぼくも、そのペットボトルを見て呆然とした。

そういえば、確かにぼくらの後ろに座っていた連中は怪しげだった。というのは、なぜか二人がけの席に男三人で座っていたのだ。座席が豪華ではなかったのは先に書いた通りで、まさに、オトナの男が三人、無理やり二人分の普通席に、きつそうに座っていたのである。
モトコは最初から彼らを、「なんなんだろう、この人たちは」と不思議に思っていた。一方ぼくは、「三人で二人分の料金でがんばってるのかな、殊勝な人たちだな」なんて軽く思っていたぐらいだったかもしれない。

しかし、おそらくモトコの直感が正しくて、彼らは、唯一の外国人乗客であったぼくらに、狙いを定めていたのだろう。なぜ三人必要だったのかはわからないが、ぼくたちが爆睡している間に、モトコの足元に置かれていた肩掛けバッグを、彼らがじっくりのんびりと、物色し続けていたにちがいなかった。

なくなっていたのは、モトコの愛用のキャノンの一眼レフだけではなかった。日本円五万円、髪を留めるゴム、そしてその他、ポケットの隅の隅まで舐めるようにかき回されたことがわかるほど、細かなものがなくなったり、いじられたりしていた。
特に、髪留めのゴムがなくなっていたことが、モトコにとってはぞっとするほど気持ち悪かった。
モトコは、大きく目を見開き、この旅で一番の圧倒的に絶望した表情で、ぼくを見つめた。
どうしよう――! と。

このバスに乗ったのは、その前日の夜七時前、バリ島の中心都市デンパサールだった。捕鯨村ラマレラを出たあと、ぼくたちは未開の島であるスンバ島を訪れたが、ビザの残り日数も少なかったため、スンバを終えたらすぐにインドネシアを出国する必要があった。そのため、スンバからは飛行機を使って、ササッとマレーシアまで移動しようということになった。そして、結局決まったルートは、次のようなものだった:

<スンバ島・ワインガプ →(飛行機)→ バリ島・デンパサール →(夜行バス)→ジャワ島・スラバヤ →(飛行機)→マレーシア・クアラルンプール>

第29回遊牧夫婦

スンバ島からクアラルンプールまでの移動経路は、この図の通り。スンバ島(Sumba)→デンパサール(Denpasar)→スラバヤ(Surabaya)→クアラルンプール(Kuala Lumpur)。事件は、その途中のスラバヤで起きてしまった。

ササッと移動するはずが、なぜ途中でバスを? と不思議に思われるかもしれない。じつはその通りで、もともとはここも飛ぶ予定だった。そのような航空券を最初ぼくたちは予約していたのだ。
しかし、航空会社の手違いで予約できていないことが後から判明した。そのため、仕方なく仕切り直して再度チケットを探したら、値段がぐっと高いものしか見つからず、それならばと、途中、デンパサールからスラバヤを夜行バスにして、値段を抑えようということになったのだ。

バスが入ると、もちろん移動はぐっと面倒くさく、また時間的にも若干綱渡りのようなスケジュールになってしまったが、とにかく安くすることを優先して、そうすることにしたのだ。つまり、ケチったのだ。
そして、ケチったことが、思わぬ不運を招くことになってしまったのである。
 
――とにかくすぐに、乗っていたバスに戻ろうということになり、探してみたが、すでに降りた場所からバスの姿は消えていた。そして広いバスターミナルには、似たようなバスがウジャウジャいて、もはやどれが自分たちのバスかはわかりようがないという状況になってしまっていた。
まさに「ウォーリーを探せ」状態だった。が、致命的だったのは、ぼくらが自分たちの乗っていたバスの外観をはっきりと覚えていなかったことである。それでは探しようがない。途方にくれてしまった。

しかもモトコは、バスを降りたとき、こんなことをキャッチしていた――すなわち、運転手と、怪しい三人組だけが、なぜかバスを降りていなかった、というのだ。モトコはバスを降りながら、そのことも不思議に思っていた。
そしてすでにそのバスがないとすれば(探し方が悪かっただけなのかもしれないけれど)、残っていた三人はやはり怪しいし、運転手がグルだった可能性が高いとモトコは思った。
モトコは、こう考えていた。

あれだけ荷物の中を丹念にいじられていたら、いつもの自分だったら気配で起きそうなはず。起きなかったのは、もしかすると、睡眠薬を飲まされていたからではなかったか、と。そして、その可能性があるとすれば、それは、バスに乗ってから乗客みなに配られた、箱に入ったおやつのような食べ物しかない。ウハウハ言いながら食べてしまったが、自分たちのだけ睡眠薬か何かが入っていたのではなかったか。だとすれば、運転手がグルにちがいない。そして、最後に運転手が三人だけを乗せて、彼らをうまい具合に逃がしたのではないだろうか、と。
ぼくたちがこの旅で初めて出くわした本格的な盗難だった。

だが、もうどうしようもなさそうだった。ぼくらには探すべきウォーリーの「服装」がわからないのだから。
仕方なく、バスターミナルの警察の詰め所のようなところに駆け込んだ。が、もちろん、彼らに言って見つかると思っていたわけではない。そのときはすでに、とにかく盗難証明書は手に入れておかないと、という気持ちだったのだ。

薄汚れた白い壁の殺風景な部屋の中で、二人の警官相手に、モトコは冷静さを装って、盗難の状況となくなったものを英語で熱く語った。向こうが理解してくれているかは微妙なところだったが、とにかく必死な思いを伝えて、盗難証明書を作りあげてもらった。

そうして、モトコもぼくも、すでに完全にあきらめ、とりあえず空港に行った。この日の夜、ここスラバヤからインドネシアを発って、マレーシアのクアラルンプールへ行くことになっていたからだ。
空港に着くと、モトコはがっくりと落ち込み、もはや何もする気はないという脱力感たっぷりの様子で、イスにぐったりと全身をあずけていた。その、"もう今日は何もせーへん"モードのモトコの指示を受けて、ぼくが保険会社に電話した。

空港の電話ボックスに入り、確か、最寄りだったシンガポールオフィスに電話をかけると、日本人のお姉さんがすかさず応対。
聞いてくださいよー! という気持ちでこの悲劇を訴えたが、お姉さんはあくまで事務的。カメラ盗られた? ハイハイってところだろう。当然だ。毎日こんな電話ばかりを受けているのだから。それでも状況を伝えると、なんとかある程度はお金が戻ってくるだろう、という期待は持てた。

しかしもちろん、そんなことではモトコの悔しさと怒りはおさまらない。それをどこかにぶつけざるを得ないような状態だったと思われる。が、そんなモトコに、ぼくはまた余計なことを言ってしまった。そういえば、という感じで、

「おれは、バックパックの一部を寝るときも自分の身体に巻きつけるようにしといたよ。だから、盗られなかったんだ」

などと言ってみたのだ。それを聞いたモトコは、なんだよ、自分だけ細心の注意をはらっちゃって、とでも思ったのだろう。すぐにこう切り返してきた。

「なんで、私にもそうしろって言ってくれへんかったん?」

モトコの悔しさを察してぼくもオトナになればいいものの、その言葉に、自分のせいにされている気がしてしまい、さらに反論を付け加えた。

「おいおい、人のせいにするなよ」 

と。するとモトコが・・・そして、ぼくが・・・。売り言葉に買い言葉。あまりに小さい話なので、あとは想像にお任せするが、二人とも、バスでの疲労と盗難のショックとが、相乗効果ですごい高まりを見せ、ここでまた大衝突へと発展したのだった。
そうしてぼくらは、空港でしばらく口をきかなくなり、インドネシアの最終日は最悪の日となっていった。滞在中にどんどん印象がよくなっていったインドネシアに、最後の最後でやられてしまった。モトコは、その怒りを日記にぶつけた。彼女はこの日こう書いた。

《人の物を盗んでる暇があったらもっと働いて国の繁栄に貢献しろよ、と思った。》

モトコの日記の中身は見たことがないので、普段どういうことが書かれているかは知らないが、この一文にはじつにストレートに、彼女の怒りが凝縮されている気がした。
そしてこの文面だけをぼくに口頭で教えてくれたあとに彼女はこう付け加えた。こういう言い方が差別的だっていうのはわかってる。国が貧しいのは彼らのせいではないのだから、と。
まあ、とにかく、この日は何にも増して、めっちゃむかついた!ということなのだ。

しかし、不幸中の幸いだったのは、すでに書いている通り、この日がインドネシア最終日、という予定だけは変えずにすんだことである。すなわち、あれだけ縦横無尽に物色されながらも、なぜかパスポートだけは、そのバッグに入っていたにもかかわらず盗られていなかったのだ。

盗品としてはおそらくカメラ以上に価値があるにちがいないそれがなぜ残っていたのか、その理由はわからない。さすがにパスポートを盗ったらかわいそうかな・・・、などと情けをかけてくれたのかもしれない。カメラも5万円も手に入ったことだし、と。案外いいやつらだったのかもしれない。

いずれにしてもそのおかげで、ぼくたちは予定を変えずに、この日、インドネシアからマレーシアへと飛ぶことができたのであった。パスポートがなくなった場合のめんどくささを想像すると、それだけは救いだった。

しかしその一方、盗った連中には全く必要ないけれど、モトコにとってはパスポートよりも大切なものが、盗まれてしまっていた。それは、カメラとともになくなったフィルムである。どうしても取り返しのつかない撮影後のフィルムを失ったことが、モトコは悔しくて残念で仕方がなかった。

そこには、ぼくらにとってインドネシアの最後の日々を飾ったとても印象的な地であったスンバ島の写真が含まれていた。モトコが渾身のショットだったと信じる、スンバ島で切り取った多数の瑞々しい風景が、カメラとともに永遠に消え去ってしまったのだ。

もしかすると、写真がなくなったからなのかもしれないが、スンバは、モトコにとって、あとから何度も思い返す、とても印象深い地となっていた。
そう、スンバは確かに、美しくて不思議な島だった――。

お便りはこちら

プロフィール

近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。
オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。
旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。
疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。

YUKI KONDO

バックナンバー