遊牧夫婦

第30回 追憶の村

誰もいない細い道を、一台のバイクに二人で乗って駆け抜ける――。
空は、ときに柔らかい膜のような雲で覆われ、また、ときに淡い青色が姿を見せる。茶色と緑の草木を見ながら緩やかな上り坂を上がりきると、下には高いヤシの木がずらりと並び、その向こうにはひと気のない水色の海が、ただ静かに広がっている。
平らな道を走っていると、絵の具のパレットのように仕切られた水田が緑に輝き、そのそばを水牛に乗った少年がゆっくりと通り過ぎる。
そして、出会う男たちはサムライのように腰巻に短刀を差し、村を訪ねると上半身裸の女性もいた。

第30回遊牧夫婦

スンバは、そんな島だった。
レンバタ島の捕鯨村ラマレラから、一度フローレス島を経由してやってきたここスンバ島には、確かにこれまで訪れた他のどの島とも違った世界があるように感じた。(場所は前回の地図中に

スンバには、こんな言い伝えが残っている。
――かつて大きな梯子が天国と地球を結んでいた。その梯子から、最初の人間が降り立った地が、スンバ北端の岬だった――
そんな伝説の中で人々が生きているという雰囲気が、ここにはあるのだった。

「ハロー、ミスター! フォト、フォト!」
ディープさを残す島の南西部へ行くと、ぼくたちを見るたびに、大勢の子どもたちが笑顔でそう叫びながら駆け寄ってきた。そしてカメラを向けると、「うおー、写るのはオレ様だ~!」と、ジャイアンのような少年が他の子を押しのけて前に出てくる。ああ、子どもはどこでも同じなんだなあ、とその様子をほほえましく眺め、シャッターを押しながらぼくらは、ペロという村の一本の道を歩き続けた。

そして、その道をずっと端まで歩いていくと、茶色がかった草原が広がり、さらに歩いていくと、岩場と少々の砂場の向こうに、きれいな海が見えてきた。
白みがかった淡青色の水面は、これまでインドネシアの他の島で見てきたどの海とも異なって見え、ぼくとモトコは岩場の端に立って、大きく息を吸った。

随分果てまで来たような気分になった。方角は定かではないけれど、とにかくあの水平線のずっと向こうにオーストラリアがあるのだろう、と思った。
東ティモールの熱気を肌に染み込まれ、ラマレラでイルカ漁に心を揺さぶられ、そしていまスンバという、また全く文化の異なる島に来て、オーストラリアの日々が夢の中での出来事のように、思い出されていた。スンバでは、静かな時間が流れていた。

ペロに着いた翌日、ぼくたちはさらに奥地の村へと向かった。
少し英語を話す宿の少年ダイアットに、そこまでの行き方をたずねると、それなら一緒についていってあげるよ、とうれしそうに言ってくれたので、ぼくらはありがたく連れていってもらうことにした。

近くの小さな川を船で渡ったあと、砂の上をしばらく歩いてからは、広い草むらの中に自然にできた土の道をひたすら歩く。海を横に見て、また、畑のわきを通って、その静かで淡く美しい彩りの風景に見入っていると、突然足元に小さな黒いバッタのような虫が大量に飛び跳ねているのに驚かされる。
たまに水牛や馬とすれ違い、また、道の脇には、巨大な四角い石の上に石の板が乗っかったようなお墓が並んでいたりもする。自然の音だけが聞こえる心地よい静寂の中に、そのようにポツリポツリと人間の生きる痕跡が見えるのだ。

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スンバを印象づけた水牛たち

一時間半ほど歩いて、やっと目的の村が見えるところまで来たが、村を目の前にして最後はまた川の中を、今度は下半身を水に浸けて自分で渡っていかなければならない。川の向こうでは肌の浅黒い村人たちが、笑いながらぼくらがどうするのかを眺めている。川の中では、水牛たちが静かに休んでいる。

その川を渡り終え、やっとたどり着いた村の中へと入っていくと、巨大なとんがり帽子のような屋根の家がところ狭しと並んでいた。まるでおとぎ話の世界のようだった。
ワラのようなものでできたとんがりの屋根は二〇メートルもあろうかとも思われ、高ければ高いほど「いい」らしい。天に近いからであり、そこを通って死者がこの世を去っていくのだとか、確かそのようなことだった。

すぐに村人のほとんどが寄ってきて、ぼくらが村にいる間中、大勢がついてきた。子どもたちは裸足のまま、トゲもありそうな硬い草の上を走りながらぼくらを眺めニコニコしている。写真を撮ってあげると声を上げて喜び、もう一枚、もう一枚ときりがなくなった。

第30回遊牧夫婦

奥地の村ワインヤプの、とんがり屋根の家

一人の若い男に招かれて彼の家に行くと、そこには、男の妻、母親、それに多数の子どもたちがいた。妻は上半身裸だったが、ぼくらがやってくるとすぐに上着を身に着けた。
竹でできた高床式の床の中央には囲炉裏があり、家の入り口の上の方を見ると、そこには犬らしき動物の頭蓋骨や水牛の角がずらりと飾ってある。後に別の家を訪ねると、男たちが大盛の白米とともに、犬の肉をおいしそうに食べていたので、犬はここでは食料であるらしかった。

第30回遊牧夫婦

村を案内してくれた男の家で

第30回遊牧夫婦

他の村であった上半身裸のおばあさん

家の中を案内してくれたその若い男は、それからおもむろに一冊のノートを持ってきた。どうやら「ゲストブック」らしい。ここに名前を書け、そして寄付金の金額を書け、と言っているようなのだ。
見ると、そのノートには、この村にやってきた旅行者の名前と寄付金の額がずらりと書かれていた。そうか、そういう仕組みなのか、と思いノートをパラパラとめくってみると、旅行者の数は今年に入ってから今まで、すなわちこの七カ月間で、二、三〇人程度でしかなかった。何人かが一度に来る場合も考えると、おそらく月に一度か二度しか外国人はやってこないのだろう。

え、金取るの? と一瞬思ったが、彼らから言えば、たまに訪れる裕福な外国人が少しお金を置いていくのは当然のことなのかもしれない。
でも、決していやな雰囲気はしなかった。だから考えた挙句、初めに思いついた金額より少し多めに寄付金を払った。旅行者がここに落とすいくらかの金がこの村にとっては貴重な収入源の一つであるように思えたからだ。

そのあと今度は、村長らしい一人の老人の家に連れて行かれた。気難しそうな、厳しそうな目が印象的なその老人は、まるで超人のように扱われていて、雨を自在にコントロールすることもできるのだという。
が、その老人も、気難しい顔でぼくらに金を要求してくる。「おい、寄付しなよ」と。
すると急に、俗人らしく見えてしまい、いまいち渡す気にはならず、ぼくらは言ってることがわからないふりをして適当にごまかした。

もちろん、村人が貪欲だとか、そういうことではない。そこには明らかに、ぼくたちと彼らの間に、認識の違いがあるのである。
いずれにしても、老人の顔つきはさらに厳しくなり、ぼくらはちょっと気まずくなり、そこからさっさと立ち去った。

そうして、さらに少し歩き回り、織物をする女性や、昼食に犬を食べている一家の前で立ち止まったりしていると、いつしか村の大部分を歩き回ったことに気がついた。村は非常に小さかった。
よし、そろそろ村を出ようかというころ、最初家に招き入れてくれた若い男が、身振り手振りでぼくに言った。

「目が、この通りなんだ。何か薬は持ってないか」

男は目やにがひどかった。取ってもとっても一向に止まらないという感じで、彼は鬱陶しそうにまばたきをしたり手で擦ったりし続けていた。しかし薬など何もないし、近くに診てくれる医者がいるとも思えなかった。
目薬は持っていなかったので、全く関係ないと思われたものの、薬ということでとりあえずぼくはポケットに入っていた葛根湯を何袋か取り出した。

「これは目に効くわけではないんだけど・・・」

となんとか伝えてみたが、男はなんでもいいからとにかく薬らしきものを手に入れたということがうれしかったようで、ありがとう、と言って喜んでいた。
そうして、彼らに見送られながら、ぼくたちはこの村をあとにした。
それは全く表面的な、何を理解したわけでもない、単なる旅行者の見学でしかなかった。村人たちにとって、ぼくらはただの通りすがりのよそ者に過ぎない。互いにもっと深いところで交流することができない寂しさを感じながら村を出たが、でも、この村の風景はいつまでも、ぼくらの中に残るものになっていった。

帰り、ダイアットと三人で再び一時間半ほど歩いて帰った。同じ道じゃつまらないからと、今度は岩場と砂浜の混じりあった海岸に沿って歩いた。誰も人はおらず、ただ静かに波が行き来するその海を歩きながらダイアットがぼくに言う。

「この岩陰、ここに昔、日本人がいたんだよ」

詳しく聞いてみると、どうも戦争中スンバ島も日本軍によって占領され、この辺りにも日本兵がいたということらしかった。ぼくにはまず、こんな奥地にまで日本兵はやってきたのか、ということが驚きだった。そして同時に、ラマレラからの帰りにフローレス島で乗った乗り合いバスの、前の席にいたおばあさんのことを思い出した。彼女は、ぼくたちが日本人だということを知って、突然

「ヘイタイサン、ヘイタイサンガテッテケテッテッテー・・・」

といったような歌を歌い始め、
「昔ならったんだけど、どういう意味なの?」
と笑いながら聞いてきたのだ。六十年以上前、この辺りには間違いなく多くの日本人がいたのだ。
日本兵たちはこの美しい海を前に何を思っていたのだろうか、などと考えながら海辺を歩いていると、ダイアットがふと足を止め、水の中に手を入れた。

「ほら、カニだよ」

透き通った海水の下には、何匹もの小さなカニがとにかく忙しそうに小さな岩場の穴から穴へと走り回っていた・・・。

第30回遊牧夫婦

島の中では、いつも陽気な子どもたちが寄ってきてくれた

――そんな一つひとつの風景が、盗られてしまったモトコのカメラの中には収まっているはずだった。が、そのカメラの中の風景は、フィルムの上に定着することなくモトコの胸の中にだけしまいこまれた。

記憶は、時が経つとともに、少しずつコントラストを強めていく。すなわち、美しい部分はさらに美しく鮮明になり、そうでない部分はどんどん薄まって消えていく。
ぼくたちにとって、スンバは実際に見た以上に美しい場所として記憶されているのかもしれない。もちろん、ぼくのカメラで撮った写真はあるのだけれど、コントラストを強めたモトコの記憶が、ぼくの記憶をも薄っすらと塗り替えているような気がするのである。

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プロフィール

近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。
オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。
旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。
疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。

YUKI KONDO

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