遊牧夫婦

第32回 マラリアの恐怖

クアラルンプールは、本当に大都会らしい要素を備えていた。高層ビルが立ち並び、ビジネスマンが闊歩する。商業地区のきらびやかさと洗練された雰囲気は、もはや先進国と言っていいほどだった。そしてその中にいつも、イスラム教国らしい、頭を布でくるんだ女性たちの姿があった。布の色はみなさまざまで、そのカラフルさが、クアラルンプールにやわらかい華やかさを与えていた。

その一方、前回書いた詐欺師の話が、都会の中に潜む怪しげな世界をスパイスのように際立たせていた。カードゲーム詐欺にあったナオミさんは、かわいそうなことに、2カ月ほどの予定だった旅を結局2週間に短縮せざるを得なくなったようだ。しかもびっくりしたのは、彼女が詐欺に遭った同じ日に、同じ宿のベルギー人が全く同じ手口で、同じく30万円相当の金を失っていたことだ。全く、都会というのは油断も隙もあったんもんじゃない。

いずれにしてもぼくらは、そんな都会のど真ん中へよく足を運んだ。ぼくは、毎日のようにスターバックスなどのカフェに行っては仕上げるべき原稿に取り組み、モトコはその間、ショッピングセンターを冷やかして歩く時間を楽しんだ。

たとえば、ツインタワーのそばのKLCC(クアラルンプール・シティセンター)の、エアコンの効いた快適空間に入って、

「じゃ、おれこのカフェにいるね」

と言ってモトコと別れる。そしてコーヒーを買って現地の人と一緒に席に着くと、いつも不思議な気分に捉われた。自分はいま旅の中にいる。でも同時に、それを仕事にしようとしている。稼いだ金額的に言えば、全く「これが仕事です」と堂々と言えるレベルではなかったけれど、少なくとも、カフェで原稿を書いているその瞬間は、自分が目指すべきものに向かって、ちょっとは前進しているはずだ、という実感があった。

このときたしかぼくはまだ、旅に出てから自分が書いたものが実際に載っている雑誌の現物を見たことがなかった。だから、いまこうやってクアラルンプールのカフェで、ノートパソコンを開いてパカパカと打っている文字が、紙に印刷されていろんな人の眼に触れる、ということが信じられないような気持ちだった。
なんだか不思議な時代だな、とぼくは時折思いながら、原稿に頭を悩ませ、外に立ち並ぶビルを眺め、近くでコーヒーを買うマレーシア人の姿を見つめた。

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原稿を書いていたカフェの窓から見たクアラルンプール

そんな都会的な風景の中で過ごし始めたこの頃、ぼくは28歳の誕生日を迎えた。そしてせっかくこんなところにいるのだから都会的でリッチなディナーで豪勢に行こう、ということになり、ぼくらはマリオットホテルのレストランに向かった。久々にリッチに行くべ、と、豪奢に輝く建物の中に、意気揚々と乗り込んだ。が、そこで待っていたのは、すっかり忘れていた、都会のルールだった。

「お客様、申し訳ありませんが、ビーチサンダルではご入店いただけないんです」

おっとっと――僻地を旅中の装いそのままだったぼくは、丁寧に、しかし断固として入店を断られた。自分はすっかり都会に馴染んだ気持ちになっていたが、周りから見ると全然溶け込めていないことを自覚させられた瞬間だった。

翌日スニーカーを履いて再訪し、マリオットは攻略したが、もちろんそんなリッチな夜は、その日だけ。あとは毎日、チャイナタウンやマーケットの安食堂の日々が続く。が、マレーシアは、さすがに文化の入り混じった世界で、マレー料理、中華料理、インド料理といろんな種類が手ごろな値段で食べられるのはうれしかった。

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フードコートのご飯。100~200円程度でいろいろ食べられる

よく食べたのは、フードコート的なところの、何種類かおかずを選んでご飯にかける、というタイプの食事。何料理なのかはよくわからないけれど、とにかく量も多く、味もしっかりしていて、ぼくなんかはこれで大満足できてしまう。野菜料理を2品、肉料理を1品、それにご飯とかそんな感じで、たしか1食100円とか200円程度だった。モトコも案外気に入っていたはずである。
 
さて、仕事を進めて、買い物をして、うまいものを食べて――ということ以外に、この大都会ではやっておくべきことがいくつかあった。その一つが、マラリアの薬を見つけることだった。

マラリアは、オーストラリアを出て東ティモールに入ったころから、いつも多少なりとも気にかかっていた。蚊を媒介として伝染するこの病気は、極めてシリアスで決して侮れない。持っていたガイドブック「ロンリープラネット」にも、こう書いてある。

「マラリアは生命にかかわる病気であることを忘れるな」

そして丁寧に1ページを割いて、どんな予防法が効くか、どの薬がいいか悪いか、罹ってしまったらどうすればいいか、が書かれている。

都会ではほとんど心配ないけれど、僻地では真剣に気をつけなければならなかった。だからぼくらも、ラマレラやスンバのような場所では、"DEET"という物質が入ったいかにも人畜有害そうな蚊よけの薬をペチャペチャと塗りまくり、その上夜はどこでも、携帯していた蚊帳を広げてその中で寝た。また、東ティモールで劣化サラミにモトコがやられたときも、すぐに病院に行こうと思ったのはマラリアの可能性がまず頭に思い浮かんだからでもあった。

そのマラリアの怖さをリアルに感じられるようになったのは、実際に罹った人を目の前で見たときだ。それは、同じくぼくらのような旅行者で、スペイン人のビクトルというナイスガイ。彼と初めて会ったのは、ラマレラでのことだった。

「あ、どうも、こんにちは。スペインから来たビクトルです」

日本語に訳せば、そんな礼儀正しい雰囲気が最適な好青年っぷりで、ビクトルはぼくらの前に現れた。黒目黒髪のハンサムな彼は、これまた黒目黒髪のにこやかな彼女・サンドラと一緒に旅をしていた。ぼくらのラマレラ滞在中、ラマレラにいた外国人はおそらくぼくら以外には、写真家の郷司さんと彼らだけで、だから、彼らともすぐに距離が縮まり、親しくいろいろと話す仲になった。

そしてその後、ラマレラを出て、ぼくらがスンバに向かう前にフローレス島で泊まった宿で、再びビクトルとサンドラと一緒になった。二人はもう旅の終盤で、あとはバリに飛んで、故郷スペインに帰るだけだったが、なんとそんなときに、ビクトルがマラリアに罹っているらしいことが発覚したのだった。
その晩、宿のラウンジでダラダラと過ごしていると、いつもは明るいサンドラが深刻な顔をしてやってきた。

「ビクトルが倒れてしまったの。泡をふいて、大変な状態になってるの・・・」

そう告げて、絶望的な様子で状況を話しながら、涙を流した。
ぼくはまず、あの爽やかなビクトルが「泡をふいている」という話に、いまいち想像がつかなくてたまげてしまったが、宿のインドネシア人スタッフは冷静に、高熱とその他の症状から、マラリアに間違いないと判断した。

マラリアはこの地域を旅する人の誰もが一番心配している病気であるため、恐れおののくサンドラの気持ちはとてもよくわかった。何しろ、罹ったら24時間以内に病院に行かないと、生死にかかわるともいうからだ。

が、その場でできることはほとんどなく(宿のスタッフからたしか薬はもらっていたけど)、とにかく、できるだけ早く大きな病院に行って適切な治療をしてもらうしかなかった。ここフローレス島にはそのような病院はないため、翌日、バリに飛んで病院に駆け込むことになった。もともと、ちょうどビクトルたちは翌日バリに向かう予定だったため、ラッキーだったとも言えるのだけど、しかし彼らには、また別の問題もあった。バリに着いたらすぐに救急車で病院まで行けるように手配しておこう、という親切な宿のスタッフに対して、サンドラはこう言うのだ。

「救急車は呼ばないで。私たちは保険に入ってないから、救急車のお金を払うことはできないと思うから」

シビアなバックパッカーの率直な感想だろう。でも、おいおい、さすがに命を優先しようぜ、と思わざるを得なかった。
ビクトルがマラリアに罹ったのが非常に不運に思えたのは、ラマレラにいたとき、こんなことがあったのとも関連している。

ビクトルとラマレラの道を一緒に歩いていたときのこと。彼は、露店で何かを買った際に、一人のおじいさんと話していた。見ていると、ビクトルはそのおじいさんに何か薬を渡していた。おじいさんは、それをもらうと、静かに顔をほころばせて、ビクトルに、お礼らしき言葉を言っていた。
そしてビクトルは、ぼくたちにこう言った。

「このおじいさん、マラリアに罹ってるんだって。ぼくたちは旅の残りも少ないし、ラマレラのあとは、もう帰るだけだから薬はもういらないんだ。このおじいさんに渡した方がきっと役に立つと思って」

一般に西洋人の旅行者は、マラリアに対しては日本人よりも慎重で、予防薬を飲んでいる人も多かった。予防薬は、マラリア危険地域に入る前、そして出たあともしばらく飲み続けなければならないというもので、お金も結構かかるし面倒なのだけど、ワイルドそうな西洋人に聞いても飲んでいる人は予想以上に多かった印象だ。

ただ予防薬は、どの薬にも侮れないレベルの副作用があるのが難点だった。副作用として吐き気や頭痛に襲われるだけでも嫌なのに、たとえばぼくたちの友人のイギリス人女性は、毎晩悪夢にうなされて参っていると言っていた。

「夜寝ていると、何かに襲われそうになって、『うわー、助けて~!』などと叫んで起きてしまうの。薬を飲みだしてからそうなって、もうやめたいんだけど、それでもマラリアになるよりはマシかな、って思って・・・」

という笑えない状況にもなりうるのだ。
ビクトルとサンドラも、たしか予防薬を飲んでいた。副作用がなかなか辛く早くやめてしまいたい、もう最後だし大丈夫だろう、と、そういう気持ちもあって薬を手放したのだろうと思う(飲んだからといって絶対感染しないというわけでもないからだ)。

そして、やっと薬から解放された! と思った数日後に、彼自身が発症してしまったのだ。もちろん、薬を渡してしまったから急に感染したというのではないだろうけど、なんだかそのことを思い出すと急にビクトルが不憫に思えてならなかった。

彼らはすぐにバリまで飛んで、おそらくタクシーに乗って病院に駆け込んだはずだが、その後ビクトルがどうなったのかは、ぼくらは知らない。が、いずれにしても、爽やかさを完全に失って憔悴しきったビクトルを見たとき、ぼくらは、マラリアは、マジでやばそうだ、と気持ちを新たにしたのだった。

ちなみにぼくらも、インドネシア滞在中、一応は薬を持っていた。"Malarone"という、効果大だけど、たしか10錠5000円ぐらいもする超高価なものである。これは、予防薬としてだけでなく、罹ってしまったときの応急処置的な治療薬としても使えるので、ぼくらは治療薬として持っていた。が、これはジャカルタで泊めてもらったドイツ人の一家から、「借りて」いたものだった。もしものときのために、と薬を渡され、使わなければ送り返すつもりだったのだ。

幸いインドネシアでは使う機会はなく、マレーシアに入ってからも持っていたが、ビクトルの悲惨な様子を目の当たりにしたことで、クアラルンプールにいる間にちゃんと自分たちのを買おうということになって、同じものを探していたのだ。

薬局に電話したりして探し回ったが、しかし、どうもクアラルンプールでは手に入れるのは難しいらしいということだった。確かに、大都会のクアラルンプールにいる分には、マラリアなど関係ないのだ。

そう気づくと、これから自分たちが向かおうとしている、ボルネオ島のジャングルなどが、クアラルンプールに住む人にとってはとても遠い別世界なんだろうな、ということを感じさせられた。
いずれにしても、クアラルンプールでは薬が買えないので、もうしばらく薬を借りたまま、オランウータンやゾウが暮らす、その島のジャングルに向かうことを決めた。

クアラルンプール最後の夜、ぼくは、メールで編集者から戻ってきた原稿の修正を行なった。修正し終えた原稿を9時半ごろ、ネットカフェに送信に行ってから、眠りについた。翌朝は5時に、空港へ向かうことになっていた。

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プロフィール

近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。
オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。
旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。
疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。

YUKI KONDO

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