第35回 ボルネオ島のラフレシア
ブルネイから南西に向かい、コタキナバルがあったサバ州とは逆側のマレーシア、サラワク州に入った。マレーシアに戻ると、やはり活気が感じられる。インドネシアのように、人と人がこすれあい、汗がしたたり落ちる音が聞こえそうな「ザ・アジア」的雰囲気はないけれど、それでもマレーシアに来ると、ブルネイがいかにひっそりとしていたかを改めて思わされる。
そして、サラワク州もやはりちゃんと観光を産業として根付かせているらしい様子に、ついついブルネイの未来が心配になるのであった。
というのは、ブルネイは当時すでに、もういつまでも石油が出続けるわけではないといわれていて、石油がなくなる前に何か産業をおこさないといけない、もう、マイケル・ジャクソン招いてる場合じゃねーべ、という空気が漂いはじめているらしかったからだ。
だからブルネイも、ボルネオ島という観光資源豊かな環境を活かして、観光業に力を入れ始めなければならないはずだった。しかし、ブルネイの観光案内所的なところを思い出すと、なかなかどうして厳しそうな状況なのだ。
ジャングルなど、手持ちの観光資源はお隣マレーシアとほとんど同じ。その上、マレーシアの方が長年の経験からもちろんノウハウも設備も整っている。しかも具合の悪いことに、何をするにもブルネイの方が、国がリッチな分だけ値段が高いのである。その上、やはり職員のやる気がいまいち感じられないのであった。
大丈夫だろうか、ブルネイよ・・・と、イケメン国王の凛々しい顔を思い出し、大金持ち国家の行く末を若干心配しながら、ぼくらはサラワク州を南下していった。
が、他人の心配をしつつも、じつはこのころ、自分たちの旅にも若干の心配要素が出始めていた。ブルネイのまったりムードが乗り移ったわけではないのだけれど、どうもやる気が出ないのである。旅の疲れが、激しくたまってきていたのだ。
バンバリーを緑のバンでぶるるーんと出発してからこのときで5カ月少々。「遊牧」ライフを志し中国へ向かう身としては、決して長い移動期間ではないはずだが、ふたりともすでにスタミナ切れを感じていた。この熱帯エリアでの連日のバス移動の日々は、思っていた以上に体力を奪っていった。そのため毎日は、移動してグッタリ、泊まってダラリの連続。その繰り返しに気持ち的にもどうも盛り上がれずにいたのだ。
その原因を疲労以外にも求めるとすれば、ぼくらにとってマレーシア(とブルネイ)がいまいちエキサイティングではなかった、ということもある。
マレーシアはインドネシアや東ティモールに比べてインフラも非常に整っているし、旅もしやすい。だから、疲れたといって流れに身を任せてるだけでも旅は難なくできてしまう。なんとなく、じゃ、次はここね、はい、次はあそこね、とだけ決めておけば、バスが来るし、着いたらそこに宿がある。しかしだからこそ、予想外のことが起こらず、なかなかぐっと印象に残る出来事に出合えないのである。
とはいえ、それもやはりぼくらの問題であることにはちがいない。もっと刺激的な世界が見たいのであれば、自らどんどん奥地へと入っていけばよかったのだ。密林に覆われたボルネオ島には、ディープな世界がいくらでも待っているはずである。展開に乏しいことを島や国のせいにしてはいけなかった。結局は、ぼくらがただ、エネルギッシュに行動できなかったことが問題なのだ。旅が長期になるというのはこういうことなんだろう、というのがこのころ少しずつわかってきた。
ちなみに、特に疲れていたのは、モトコよりぼくの方だった。どうもぐったりとして、すぐに「ちょっとカフェ行こうか・・・」などとなってしまう。そして、モトコが「ねー、どうすんの?」などと言い、「まあまあまあ、とりあえず軽くまったり・・・」などとやっているうちに、「あ、もう今日バスないや・・・、仕方ねーな、もう一泊」という展開になってしまうのだ。
こうして紀行文をしたためると、当然とも言えるがどうしても充実していた日々の話が中心になる。が、実際には、旅の8割ぐらいの時間はなんだかわけのわからない、ダラダラしてるだけの時間だったような気がする。そして長期の旅になればなるほど、そのダラダラ率は上がっていく――と、少なくとも自分たちの経験からは思うのである。
いずれにしても、そんな気分を抱えながらブルネイからマレーシアに再入国。国境前後で、なんだかわからないけど3回ほどバスを乗り換えさせられ、入国審査などもあって、時間をくってしまったが、とりあえず、国境からほど近いミリという町に一泊したあと、夜行バスで一気に、サラワク州最大の町クチンまで行くことにした。
ブルネイ(Brunei)→ミリ(Miri)→クチン(Kuching)→クアラルンプール(Kuala Lumpur)→コタバル(Kota Baru)→ペリヘンティアン島(Perhentian) |
クチン。ここはコタキナバルと並ぶボルネオ島の中心都市。年季の入った建物が点在し水辺の町であることはコタキナバルにやはり似ている。そしてここでとりあえず、目的の観光を果たしたら、いよいよボルネオもこれで最後になる。さて、その目的とは――ラフレシアを見ることだ。
ラフレシアとは、「世界最大」といわれる花である。厳密には2番目とされることもあるようだが、とにかく直径が1メートル近くなることもある、花の親玉のようなやつである。
そして、そんなデカいボディを維持するのが大変なのか、実に短命で、咲いてもベストな状態は数日しか持たないという。しかもそんなにポンポン咲くわけではない。だから、これを観光資源とする地元の人たちも、それなりのシステムを作る必要があるわけである。
すなわち、ラフレシアが咲いたかどうかを日々確認する専門の職員がいて、彼らが毎日その国立公園を歩いてみて回る。そして新たに咲いたラフレシアを見つけたら、スパイのようにすぐにクチンに連絡を入れるのだ。
「ヘイ、ボス、ひとつ新たなのが咲きましたぜ。連中をよこしてください」
するとクチンの本部から連絡をもらった安宿の主が、ぼくらに言うのだ。
「よっしゃー、お前ら、行って来い! 新たなのが咲いたらしいぞ~っ」
そうして、ぼくら旅行者が徒党を組んで、国立公園へと突っ走るわけである(実際ぼくらがクチンに着いたときには、すでに数日前に咲いたことがわかっていたのだけれど)。
ラフレシア。花としてのかわいらしさはほとんどなく、ただド迫力。見た目に反して(?)触ると柔らかかった記憶。 |
国立公園に着いて、ガイドを頼んで、ラフレシアの咲いている場所まで連れていってもらうと、それは確かに見たこともない異様な姿の巨大な花だった。
濃い真っ赤なボディは、5枚の大きな丸い花びらと、真ん中にぽっかりと開いた大きな穴から成っている。小さければかわいらしい(でも少し古ぼけた)ブローチのような感じだが、その直径がなんと60センチ以上もあるのだ。そして中央の穴から中を覗くと、中では多数の赤い突起のようなものが、「さあエモノたちよ、いらっしゃ~い」とでもいう風に、待っている。
「これ、手を入れたら、パクリと食われちゃうんじゃないか?」そんな気持ちすら抱かせる。
花が突然口を閉じて、突起がクネクネ動き出し、人間の腕をむしゃむしゃ食べるなどということがあるはずはないのだが、それでも若干躊躇しながら手を入れてみる。すると、だらりと咲いたラフレシアくんは、口をポカンと大きく開けたまま、表情ひとつ変えないではないか。中の突起も微動だにしない。やはり、花なのだ。ほっとした。
ひとりで寂しげ。「困ったな」という顔に見えなくもない。 |
ぼくらは、ラフレシアを2つみることができたが、どちらも開花4日目で、すでに疲労困憊な様子でグッタリしていた。4日にしてもう、完全に老年期なのだ。皮膚もところどころ裂けて、破れかぶれになっていた。なんともはかないやつである。
そこそこ眺め、記念撮影的に花のそばで「イェイ」と笑って写真を撮ると、ラフレシア見学は終了する。別れを告げ、茂みの中を遠ざかった。
そしてふと遠くから振り返ってその花の姿を眺めると、なんだか寂しげに見えた。縦にシュッシュッと伸びる細い木々の根元に、ひとつだけ巨大な真っ赤な花がドテッと腰を落ち着けている姿はなんとも場違いな感じがした。
「おーい、置いてかないでくれよー」
そんな叫びが聞こえてきそうなその花の姿を眼に焼き付けて、森をあとにした。
ラフレシア見学を終えたら、あとは国立公園の宿泊地でまったりオリンピック観戦。きわめて怠惰なスケジュール。 |
ラフレシア見学を済ますと、いよいよボルネオ島の日々も終わりだ。もうさっさと北を目指そう。エキサイティングなタイへ行こう。このころそんな気分になっていた。
クチンからは再び激安航空会社AirAsiaに乗って、マレー半島へ。いったんクアラルンプールへと飛んで、本当はそこから陸路で北上すればよかったのだが、飛んだついでにもうちょっと飛んじゃおうということで、クアラルンプールの空港で寝袋を広げて一泊して、その足で一気にタイの国境近く、マレーシアの北端のコタバルまで飛んだ。そしてコタバルからは、今度はボートに乗って、ペリヘンティアン島という、バックパッカーでも楽しめる手ごろなリゾート地へと足を延ばす。
イスラム教の国マレーシアでは、頭にスカーフを巻いている女性が多い社会であり、特に北部は、よりイスラム度がアップして、ほとんどの女性が髪の毛を隠している印象だったのに、この島では、なんとトップレスで「ヤッホー!」と泳いでいる西洋人女性などもいる、そんな場所なのだ。
コタバル。ここに来て、頭に布を巻いた女性の姿がぐっと増えたように感じた。 |
ここでも相変わらずのしょぼ宿生活だったが、海を愛で、潜って魚たちと戯れる。そして陸に上がれば、ビール片手にアテネオリンピック観戦だ(そういえば、大活躍したイアン・ソープは、いま何やってるんだろう・・・)。
そうしてなんとかエネルギー補給を試み、重くなってしまったフットワークを再び軽やかにして、ぼくらはいよいよタイに向かった。
きっとタイには、いろんなことが待っている――そんな気がして、再び気分は少しずつ盛り上がっていった。
こんにちは! 近藤雄生です。
いつも『遊牧夫婦』を読んでいただきありがとうございます!
おかげさまで、ついに書籍版が完成し、いよいよ発売になります。とっても素敵な本に仕上がり、すごくうれしく思っています。一冊の本にするに当たっていろいろと手を加え、書籍版のみのエピソードもたくさん入っていますので、連載を読んでいただいている方もよかったら是非書籍版も手にとっていただけるとうれしいです! きっと楽しんでもらえるのではないかと思っています。
では、今後ともよろしくお願い致します!
いつも読んでいただいて心より感謝しています!
