第37回 チェンマイで瞑想する
2004年8月23日、ぼくらはマレーシアをあとにした。
国境の手前でバスを降りて、歩いて出国審査場へ入る。そして出国審査を終えると、国境をなす川に架かる橋を渡る。いよいよタイだ。
橋には車がびっしりと渋滞し、ぼくらは横の歩道を、バックパックを背負って歩いて渡った。橋の上から川を眺めると、チョコレート色に濁ったその川は、子どもでも泳いで渡れそうなほど細く、両側にある家々も、ともにトタン屋根の似たようなつくりで、対岸が互いに別の国という感じは全くしない。
マレーシア・タイの国境。右岸がタイ、左岸がマレーシア |
しかし、前に迫ってくるタイ側の看板には、全く読めないタイ語が書かれ、後ろに遠ざかるマレーシア側の看板には、見慣れたアルファベットのマレー語。明らかにここには大きな断絶がある。それが国境なんだと、改めて思う。
タイはきっとマレーシアよりエキサイティングに違いないと想像しながら橋の上で写真を撮っていると、前方には、大きなバックパックに身体が隠れたモトコが、真っ黒に焼けた肌を輝かせながらふらふらと歩いている。ぼくは写真を撮り終えると、いつもながら彼女のあとを小走りに走って追いかけて、タイへと入っていった。
マレーシアとの国境(border)からタイへ。ハジャイ(Hat Yai)、バンコク(Bangkok)を経て、一気にチェンマイ(Chiang Mai)まで北上した。 |
そのころ、この国境付近ではイスラムの過激派によるテロが相次ぎ、緊張が高まっていた。ぼくもモトコもビビり気味で、この一帯からずらかるように国境からすぐに電車に乗って少し北のハジャイという町まで移動した。ハジャイに着く直前まで、途中駅には大きな銃を持った警官の姿が多数あったが、ハジャイまで来るとその物々しさも影を潜める。そして比較的きれいな宿に無駄に3泊したあと、一気に首都バンコクまで北上し、さらにその10日ほどのち、タイ北部の中心都市チェンマイまで行ってしまうことに決めたのだった。
チェンマイまでは恐ろしく安いバスが見つかった。広く快適な夜行バスなのに、60B(バーツ)、すなわち150円程度。しかもなぜかチェンマイでのホテル一泊付きというのだ。まさかと思っていたのだが、早朝チェンマイに着くと、「ここに無料で一泊できるよ」と運転手。案内されたホテルは、安宿にしては大きく、中には薄暗いけどプールもあるようなところだった。
でもさすがにこの値段だ、部屋はひどいに違いないと想像していると、それが案外そうでもなかった。「パラダイスホテル」という名前ほどの浮かれっぷりはないものの、熱いシャワーも出てなかなか快適。まったくこの安さはいったいどういうことなのだろうと、わけがわからなくなりながら、夜行バスの疲れで意識が朦朧として、ベッドにもぐりこんだのであった。
そんな不思議なスタートを迎えたチェンマイは、ぼくらにとってこれまでになく長逗留する街となった。
チェンマイは、タイ北部の中心都市とはいえ、バンコクに比べるとずっと小さい。昔の王朝が残した赤レンガの城壁に囲まれた部分は端から端まで歩ける程度の距離しかないし、その外側に広がる領域も決して広くはない。
しかし街なかはどこも旅行者でいっぱいで、タイ人も外国人も大いに賑やかに盛り上がっている。
狭い通りには物売りが歩き、バイクがぶるぶると音を立てて走り抜ける。アジアらしい雑然とした熱気に満ち、しかし人々の表情にはどこか力の抜けた穏やかさがある。
そしてそのように賑わう通りには、旅行者用にいくつものカフェや食堂、そして安宿が点在し、旅行者相手の客引きが次々に声をかけてくるのだ。
パラダイスホテルでの無料一泊のあとは、他の安宿に移ることにしたのだが、その安宿の多さにぼくは閉口した。というのもモトコが、通りがかる宿のほとんどすべてを中まで見て、宿泊地の最適化を図ろうとするからであった。
ぼくは基本的に、宿はどこでもよかったし、そこそこいいところがあれば「おお、ここいいね」と気に入ってしまうが、モトコは常によりよいところを探したがる。まだここよりいいところがあるかもしれへん、と。
もちろん、同じ値段ならできる限りきれいな方がいいというのは確かなのだが、彼女は納得できる宿を見つけても、無数にある宿の部屋をできる限りチェックして、さらに上を目指すのである。不動産屋ばりのモトコのその執念は、チェンマイの滞在が長くなりそうだったからなのでもあるが、しかし、暑い中での宿探しは、ぼくにとっては実に面倒くさかった。
歩いていて宿が見えると、ぼくは「やばい・・・」と思い、モトコが思考を巡らす前に通過することを目指すが、彼女が気付かぬはずがない。
「あ、ここにも宿あるでー。ちょっと見てみようさ」とこっちを向く。気付かれたことに落胆しながら、ぼくが「えー、もういいよ」と返すと、モトコはさらに
「ここ、すごくいいかもしれへんやんか」
と畳み掛ける。そしてぼくは仕方なく、モトコともに中を見に行く。
しかし見に入るのはどこも一泊数百円の安宿だ、「すごくいい」ということはなかなかない。最終的に落ち着いた「モトコ的最適宿」も、彼女は「トイレが臭い」と言って、それほど満足していたわけではないのであった。
結局、数日のうちにめぼしい宿はほとんどチェックしてしまったが、そうして歩き回っているうちに自然とチェンマイの街の構造もわかってきた。おいしくて安い焼き飯はここ、居心地のよいカフェはあそこ、NHKの見られる食堂はあの通りにあるぞ、といった具合に。
さて、宿の品定めに余念がないモトコを横目に、ぼくはチェンマイでどうしても連載の次のネタを探す必要があった。隔月の、しかも1ページだけの短い人物記事なのであるが、慣れない自分はいつも、次の対象はどうしようか、いい人が見つかるかな、大丈夫かな・・・、とおろおろしていた。このころには連載も6回を終え、少しはリズムもできつつあったが、締め切りの1カ月ぐらい前からいつもそわそわしてしまうのだ。
そして、ネタ探しも兼ねてバイクを借りて二人乗りで市内をうろちょろしていると、おお、これだ、という話題が見つかった。
町の少し外側の山中にあるワット・プラタート・ドイ・ステープという寺に行ってみると、そこに一人の若いカナダ人僧侶がいたのである。同世代の白人男性が、タイ仏教の僧侶となって山中の寺で静かに修行しながら暮らしているということにぼくは興味をそそられた。よし次は彼のことを書こう、と思った。
チェンマイの僧侶たち |
タイの町では、橙色のローブを着た僧侶の姿がよく目につく。特にチェンマイは、まるで京都のように寺院が数多く点在し、仏教的空気が色濃く漂っていた。ある寺院に入り若いタイ人の僧侶と話をすると、夕食は摂ってはいけないという教えのもとで彼らが生きていることを知り、単純にぼくは驚いた。すでに職業のひとつというイメージのある日本の僧侶に対して、タイでは僧侶であることがよりその人の生き様に強く密着しているように感じられた。
幸いだったのは、カナダ人僧侶がいるドイ・ステープでは、泊り込んでのメディテーション(瞑想)の体験修行ができることだった。ぼくはモトコとともに、それに参加することをすぐに決めた。モトコもまたメディテーション自体に興味をそそられていた。
瞑想など全く縁のなかった自分であるが、突然の展開に一度街なかに戻って準備を整えた。着用が求められる真っ白な服を買いに行き、そして修行前の最後の晩飯には日本食を食べに行った。
そうして心の準備も整えながら、ぼくは大学時代のある日の体験を思い出していた。一度鎌倉の円覚寺で一日泊りがけの座禅体験をしたことがあったのだ。翌日から始まるメディテーション修行のことを考えると、円覚寺での出来事がいろいろと頭の中で蘇ってきた。
・・・・・・大学時代、どうして円覚寺で座禅をしようと思ったのか。その理由は覚えていないが、とにかくぼくは、円覚寺で土曜日に座禅ができることを知ると、いきなり赴いた。
目的の建物の前に行くと、入り口で坊さんらしき人がいきなりこんなことを言う。
「ここの座禅は厳しい。こないだ、体験しにきた若者は夜中に逃げ出したよ。そんないい加減な気持ちなら参加は遠慮してほしい」
遊びじゃねーぞ、といった雰囲気に少しビクビクしてしまったが、ここで帰るわけにはいかない。
参加の手続きを済ませると、座禅の方法を軽く教えてもらってから、大きなお堂の中で20人ぐらいに混じって、夕方5時から座り始める。思っていた以上に足の痛みに早くから襲われたが、そのままぶっ続けで9時まで座る。
すると終わりムードになったので、おお、これでやっと晩飯か、リラックス談笑タイムだな、などと想像していると、出てきたのはあられ数枚とお茶のみ。しかも、それを食べるに当たっての作法が座ってるときより厳しくて、そばの人のまねをしながらがんばったものの何度か怒鳴られる始末であった。
「姿勢を正せ! お茶は一気に飲め!」
お茶はかなり熱いのに。
そしてその後は「夜座」。今度は寺の境内の好きなところで好きなだけ座禅を組むのだ。これは自由参加だから寝たいやつは寝ていい、と一応言われるのだが、もちろんそれは建前で、ここでがっつりくつろいで快眠をむさぼるというわけにはいかない。
ベテランの一人に連れられ、敷地内の一角に座る。星の明かりに照らされ、木々の揺れる音を聞きながら座っていると、いつの間にか2時間が経っていた。そのころにはベテランそうなおじいさんたちもすでに戻っていったので、安心してお堂に戻り、他の修行者と一緒に畳に寝る。幅の広い一枚の重いマットのような布団を半分に折り曲げ、その間にサンドウィッチの具になった感じで、挟まるようにして眠るのだ。
明朝4時、だったと記憶している。目覚めの合図の銅鑼が鳴ると、なぜか「ドーン」と鳴るのと同時に多くの人が身体を持ち上げた。おお、みんなすでに起きてて鳴るのを待っていたに違いない、というタイミングに、あわてて自分も起きだすと、その5分後にはすでにみなで般若心経を読み始めた。それから少しずつ夜が明けていき、虫や風のそよぐ音を聞きながら3時間ほど座り続けた。そのとき初めて、心地よさに心が静まっていくのをぼくは感じた。
が、朝食が、また厳しい。何やら食事前のお経を唱えながら、米と沢庵と梅干といったものだけを淡々と食べる。食べ終わった梅干の種を口から出したら、こう怒鳴られた。
「まだ実が残ってるじゃないか!」
しぶしぶまた口に入れて静かにそれをなめながら周囲を見てみると、みなきちっと姿勢を正し、だまってもぐもぐと梅干の種をこれでもかとなめつくしていた。すでに食べ終わった人の種を見てみると、周囲に産毛のようなわずかな果肉さえなくなっているのには驚いた。梅干の種は、どこまでもツルツルになるのである。
そのあと掃除の時間となり、そして最後にお坊さんの説法となる。そのとき彼はこう言った。
「私はこれまで何十年も座ってきました。いつか足の痛みなども気にならなくなるかと思い続けながら。しかし、今なおやはり足は痛いんです。そしてその痛みを感じながら、自分が生きている、ということを実感するのです」
そんな内容だった。その言葉を聞いて、少し座禅を身近なものに感じながらも、うーーん、何十年やっても変わらないとなると・・・と、複雑な気持ちになったのを覚えている。
しかし、すべてが終わって解散となったとき、昨夜から何度もぼくを怒鳴りつけてきた年配の参加者が、全く別人のように穏やかで丁寧な様子でぼくにこう聞いてきた。
「近藤さん、どうでしたか。気持ちよかったですか」
そのときふっと、座禅という世界の清々しい魅力が体の中を通り抜け、またやってみてもいいかな、と思ったものだった――。
修行をしたドイ・ステープの中 |
そんな記憶を思い出しながら、2日後、ぼくらは再びドイ・ステープに戻った。無料なのにも関わらず、食事も部屋も与えられた。一人一部屋。ぼくの部屋は、境内の少しはずれの寂しげな場所にあった。
真っ白な修行着の着用、私語は一切禁止、食事は朝と昼だけで午後は何も食べてはいけない、本を読んだりしてもいけない・・・。寺の中での厳しい規則を前に、どうなることやらと思いつつ、カナダ人僧侶の取材を兼ねたメディテーションの日々が始まった。
