第39回 完璧な自由を求めて
何日も夜の時間を誰とも話さずひとりで過ごすのは久々だった。静まりかえった部屋の中でひとりになってみると、自分がいつもはふたりで旅をしているんだ、ということを改めて実感させられる。
ひとりだったらどんな旅になっていただろうか、と想像してみる。
バンバリーには行っていなかっただろうし、そしたらラマレラに行くこともなかったかもしれない。すでに中国に着いていたかもしれないし、いや、そもそも一年も旅が続いていなかったかもしれない。
いずれにしても、ひとりだったら全く違う旅になっていたはずだ。そしてその一方、ひとりだったらこの修行の日々はもう少し楽だったかもしれないとも思うのだ。話し相手が身近にいるのに話せないと思うからなんだか妙に苦行な気がしてくるからだ。こういう修行はやはりひとりでやるべきなのだ。
夜の道場 |
しかしそれにしても、こんな生活を期限なく続けている僧侶たちはすごい。自分は何日だけと思うから頑張れるようなもので、一生この生活を続けるというのは全く次元が異なる。そういえば、チェンマイの他の寺院で会った僧侶がこんなことを教えてくれた。
「タイ仏教では、守るべき戒律が複数あるんです」
その戒律は、一般人と僧侶で分かれていて、一般人が守るべきものは次の5条。
1.生きものは殺してはならない
2.盗んではいけない
3.ひとつの愛を貫くこと
4.嘘をつかない、汚い言葉を口にしない
5.酒を飲まない
酒を飲まない、というのを除けば、これはまあそれほど大変なことではない。
20歳未満の修行僧は、これが10条ある。そのうちの5つは、上の5つ。ただし、3つ目だけは「ひとつの愛を貫くこと」ではなく「女性に触れてはならない」と、格段に厳しくなる。そしてその上に次の5つが加わって10条となるのだ。
6.夕食を食べてはならない
7.歌や踊りをたしなんではならない
8.香水をつけてはならない
9.金銀を身につけてはならない
10.ぜいたくはしてはならない、高いベッドに寝てはならない
そして、20歳を超えた僧侶たちは、さらにいろいろ、なんと227条もあるという。上の10条に加え、僧侶だけのものが200条以上あるのだ。
この生活を数日疑似体験しただけで、タイで僧侶として生きることの厳しさを、少しは垣間見ることができた。これは日本で坊さんになるのとは全く違う次元の覚悟が必要なように思う。しかしその一方で、僧侶は公共の交通機関には無料で乗れたり、また一般の人も僧侶によく喜捨する。タイの社会が僧侶たちに対してしっかりと敬意を払っているのが見て取れる。
ちなみに、一般人も守らなければならない「生きものは殺してはならない」という戒律は、肉を食べてもいいことはどう両立するのかとカナダ人僧侶のプラ・ノアに聞いてみると、
「自分で殺さなければいいんだよ。だから市場に売っている肉だったら食べてもいい」
とのこと。若干、腑に落ちないものを感じたが、その辺がタイっぽいファジーさなのかな、と勝手に解釈した。
そんなことをいろいろと考えながらぼくは、自分たちを指導してくれるカナダ人僧侶プラ・ノアが、どうしてこのような生活をしにはるばるカナダからタイへやってきたのかが、ますます気になってきた。
そして4日目も同じように、起きて座って歩いて食べて読んでフリーセルして寝る、と字面だけ見ると楽しげで怠慢な休日のような、しかしハードな一日をなんとか乗り切ると、いよいよぼくらが決めた最終日がやってきた。
その5日目。帰ることを決めていたので、ぼくは朝からルンルン気分だった。まるで高校時代のバスケ部合宿の最終日を彷彿とさせる。そしてその昼、プラ・ノアに会って、今日で修行を終えます、という旨を告げると彼は
「もう少し頑張ってみないか、もう少ししたら何か変化があるはずだから」
と熱心にぼくらに訴えた。そして、さらにこう聞いてくる。
「光が見えることはなかったか?」
考えてみると、もしかしたらこれのことかな、という瞬間がないこともなかった。
光が見えたかどうかはわからないけれど、座ってメディテーションを続けていたときに、
何かふと、違った感覚なったような気がしたことはあった――そう話すと、プラ・ノアは、それだよ、という顔をしてさらに言った。
「もう少しだよ。もう何日かやれば、それがもっとはっきりとしたものになるはずだよ」
と。そういわれて、マジですか、と少し心躍るものがあったのは確かだ。
が、しかし、このときにはすでにぼくの集中力は切れていた。この日、帰ることはすでにモトコとともに決めていて、その気持ちは変えようがなかった。たとえ、その光のようなものが何か特別なものであったとしても、自分にはそれを確認するだけの忍耐力がすでに残っていなかった。爆発寸前だったモトコも、ここに来てからむしろスナック菓子消費量が増え、すでに帰る気満々だった。
その気持ちをプラ・ノアに正直に告げた。すると彼は、少し残念そうにしながらも快く理解を示してくれた。
そしてそれからぼくは、今度は自分の目的を果たすべく彼に尋ねた。
「できればあなたのことを記事にしたいのだけれど、話を聞かせてくれないか」
と。それもプラ・ノアは快諾してくれた。
この4、5日の間、プラ・ノアの生活の疑似体験をしながら、毎日彼と面談しているうちに、彼はぐっと自分にとって身近な存在になりつつあった。
彼の透き通った小さな声には、いつも熱がこもっている。なんとか少しでもブッダの教えを、瞑想の力を理解してほしい、そして苦しみから解き放たれてほしい。そんな気持ちが感じられ、メディテーションをしながら、ぼくの頭にはいつも彼の声が響いていた。仏教の世界を垣間見にくる旅人たちを、彼はとても真剣に指導していた。
プラ・ノア |
いまはオレンジ色のローブを着て、頭を剃り、ひとりの僧侶として生きているが、彼にとって、自分自身がそのときのぼくたちの立場であったのはそう遠い昔のことではないのだ。
「ぼく自身、5年前は、旅人のひとりだったんだ」
それがいま、僧侶として旅人に接する立場になった。
「昨晩は一睡もせずにメディテーションをしていたんだ。3日前もそうだったよ。夜寝ない人というのは、次のどれかに限られる――女のことを考える男、男を狙う女、金や宝物のことを考える人、盗人。そして、あとは、涅槃を目指す僧侶だよ」
そう自分のことを話してくれるプラ・ノアは、すでにぼくの師ではなく、ひとりの同世代の西洋人だった。同じく旅をしながらも、しかし自分とは全く異なる道を選んだ彼の言葉に、ぼくは引き込まれていった。
――幼い頃から、「神」を意識していた、と彼は言った。5歳ごろに見た「悪夢」が今でも忘れられない。
「兄が父親を殺すんだ。今でも兄が刺す場面がちゃんと思い浮かぶ。そしてその夢から覚めたとき、結局はみんな死ななきゃならないんだ、ということに突然気がついた」
学校へ行くのは、仕事をするのは、なんのためか。結局はすべて死ぬためなんじゃないのか。そう思ったとき、どうにかしてそんな流れの中から飛び出したくなった。
学校をやめ、酒や薬物におぼれて過ごした。その日々は楽しくもあったが、ひどくけだるく、いつもどこかで別なものを求めていた。
「そして16歳のときに、道教についての本と出合ったんだ。数ページで心を動かされたよ」
そうして中国へ憧れを持つようになったが、彼にとってその教えが道教であるかどうかは特に重要ではなかったのかもしれない。というのも、彼は本を読んだのちには、いつかダライ・ラマに会いに行くのだ、と友だちに言っていたというのだから。
いずれにしてもそうして、宗教の世界に眼を向けていった彼にとって、タイを旅したことがその後の人生を変えることになった。2カ月間何もせずに、ただ酒を飲んでダラダラするだけの日々をタイで過ごした。そのあとに中国に行こうと、飛行機のチケットまで買ったのだが、その前に立ち寄った寺院で体験した1カ月間のメディテーション修行によって、彼の生き方は決まった。彼は強烈に、タイ仏教の世界に惹かれていったのだ。
そしてそれから、幸せを感じながら2年間の修行に励んだ。その後、迷うことなく彼はタイで仏僧として生きる道を選んだのだ。
「初めてこのローブを着ようとしたとき、それは私の体に飛びついてきたんだ。まさにこれは自分の天職なんだと思ったよ」
それから3年が経った。そしてプラ・ノアはこのとき25歳になっていた。
彼はプラ(僧)を「完璧な職業」だと表現した。誰も傷つけず、誰とも争う必要がない職業は、これ以外にないはずだと彼は信じている。
カナダに戻ったときも彼は自分の生活を貫き、食料の施しを受けようと民家を訪ねたが、警察を呼ばれてしまい、やってきた警察に「ダイジョーブか?」と言われたことがあった。また彼には常に、守るべき227もの厳しい戒律がある。それはぼくらから見たら、全く容易なことではない。
にもかかわらず、今の生活の最大の喜びは何か、と聞くと、プラ・ノアはこう言った。
「自由だ」
と。
「僧侶になってぼくは、すべてから自由になり、何も心配することがなくなったんだ」全くためらうことなく彼はそう言ったのだ。
一点の迷いもないようにそう言う彼に、ぼくは若干の羨望すらおぼえた。しかし一方で、その彼の言葉にどこか引っかかるところもあった。人は本当にすべての苦や欲から「自由」になどなれるものなのか、と。
だが彼自身にもその答えはわかっていない。その答えが得られていないからこそ、ときに夜を徹して瞑想に励み「涅槃」を目指すのに違いない。
「この生き方こそが自分らしいんだろうな。だから、このローブを脱ぐことは決してないと思う」
彼の話を聞き終えると、ぼくらは荷物を片付けて、満たされた気持ちをお布施としておいて山を降りた。
ぼくは自分自身の生き方に対して、プラ・ノアのような確信を持ってはいなかった。いつどうなるかわからない、半年先どこで何をやっているかもわからない、というような状態だった。そして、だからこそ、プラ・ノアにもきっと、さらなる内奥の叫びがあるような気がして、それを聞いてみたかったという思いにも駆られた。しかしぼくはそこまで聞きだすことができなかった。
その夜はもちろん、チェンマイの町で豪華な夕食を喜び勇んで食べに行った。豪華な、といっても、行きつけの安い食堂で、パッタイ(焼そば)やソムタム(パパイヤサラダ)に加えて何品か料理を多く頼み、そしてビールを「ぷっはー! うめー!」と飲み干した程度であるのだが、それはそれは優雅なディナーに思えた。すべてがいつも以上にありがたく思えた。
そうしてこの夜、食べる喜びをいつも以上に感じながら、思った。こうして、あらゆることに喜びを感じられるようになることが、プラ・ノアの言う「自由になること」なのかもしれないな、と。
