ぼけと利他 村瀨孝生と伊藤亜紗の往復書簡

第5回

ヤドリギと鳥(村瀨孝生)

2020.11.03更新

 独り暮らしの母の家に野良猫が姿を見せるようになりました。母はその毛色から「クロ」と名付けます。小さな茶わんを用意して餌をやり始めました。食べたくてしょうがない感じですが、用心深く警戒しています。決して近寄ろうとしませんでした。村瀨家では「クロ」の性別で盛り上がります。僕は「雌」、妹は「雄」、母は「知らん」に賭けました。

 僕は「あの毛並みの感触を味わいたい」という衝動に駆られます。勝手に付けた名前に親愛の情を込めて呼びながら、「クロ」に近づくのですが一瞬のうちに姿を消すのでした。
 あのとき「クロ」は僕をどのように認識したのでしょうか。人間という異種が、「クロ、クロ」と声を上げ猛烈な関心を寄せて自分に近づいてくる。そもそも、名前という概念が共有されていないのですから、「クロ」と呼ぶ声は僕の鳴声として了解されたかもしれません。
 「クロ」に少しずつ変化が見えてきました。いつでも逃げられる態勢をとりつつも、そこに踏みとどまろうとする我慢的な行動がみられるようになったのです。餌だけが目的ならば、人間がいなくなってから食べることもできるはずです。信頼のひとかけらも感じられないのに踏みとどまろうとするのはなぜだろう。不思議でなりませんでした。
 ふと思ったのです。僕には「クロ」の艶やかな毛並みとしなやかな筋肉に触れたい衝動がある。「クロ」は差し出される指に撫でられ喉をゴロゴロさせたい衝動(習性)に駆られているのではないかと。ここでも僕の過剰な「思える」が立ち上がっていますね(笑)

 伊藤さんのお母さんとモルモットの「飼いならし」「飼いならされ」に驚きました。実に痛快です。お母さんはモルモットを「飼う」のではなく、異種の生き物と「どのように暮らせるのだろうか」と戸惑いながら接しておられたのでしょうね。モルモットも偶然に連れてこられたのですが、伊藤家を棲家とすることを自分で決めた感があります。戸惑いながらも。

 異種であれ同種であれ、初めて出会い、一緒にいることって不思議なことですよね。お年寄と僕たちの出会いは、介護保険の契約から始まることがほとんどです。けれども、ぼけや認知症を理由に蚊帳の外となり、当事者抜きの利用が決まりがちです。ですから、サービスを利用する当人にその動機がない。よって「どうしたら出会うことができ、一緒にいることができるのか」という難関が互いに待ち受けています。

 デイサービスに行かないお婆さんがいました。ご家族は在宅介護を継続する上でも、介護保険サービスを使わざるを得ませんでした。ご家族はいくつかの事業所と契約を交わしてきたのですが、お婆さんは車に乗るどころか玄関先すら顔を出しません。結果的にどの介護事業所からも利用を断られてしまいます。家族とケアマネージャーは「どうしたものか」と頭を痛めていました。

 お婆さんには日課がありました。バスに乗って駅に出かけます。構内に併設されたモールでウィンドウショッピングをします。一回りし終えると、またバスに乗って市内で一番賑わう繁華街に移動します。デパ地下で有名店の試食巡りをするのでした。デイサービスに行く暇などないのです。
 お婆さんの土俵は駅モールとデパ地下です。いきなり「デイサービスという土俵に上がりませんか」と言われても「はい、はい」とはいきません。そこで、僕たちはお婆さんの土俵に上がらせてもらうことにしたのです。
 一緒にいるというより、付いて行くことから始まります。まずはバスに乗りお婆さんの隣に座る。車内ではお婆さんの習慣や癖のようなものに出くわします。「フワフワした白髪」と「脂肪に包まれた腹部」に強い関心がありました。太ったサラリーマンが傍にいるとそのお腹を楽しそうに撫でる。フワフワ白髪のご婦人が前の座席にいるとニコニコして触る。触られる人もそれぞれで、あからさまに嫌がる人、驚きながらも身を任す人。職員は「すみません。ちょっと事情があって」とお婆さんの代わりに謝ります。ピンク色が好きでその服を着ている人にも触れたいのです。
 デパ地下での試食巡りでもお店の対応は様々です。そそくさと試食を隠す店員さん。「あっ、来た」という表情の後、見なかったように振る舞う店員さん。

 お婆さんの好みも分かってきました。まず輸入食品店カルディの「試飲コーヒー」で喉を潤す。岩崎本舗の「角煮饅頭」は大のお気に入り。名月堂の「博多通りもん」(これも饅頭)をスルーする日はありません。そして、一番のお目当ては「チョコモナカジャンボ」。それはちゃんと買って食べるのですが、時折、お金を支払い購入するという概念から遠ざかり、その場で食べてしまうことも。そのときは、職員が事情を話してお支払いを済ませます。
 疲れるときに座る場所も決まっています。休憩タイムには「かりんとう」とペットボトルのお茶をハンドバッグから取り出して飲み食べします。自分で用意して持ってくるのです。休んでいると、「あら、あなたよく見る顔ね」と声をかけてくるご婦人も少なくありません。お婆さんも嫌ではないようで、話はしないのに自分から近寄っていくこともあります。特にベビーカーが通ると前のめりで覗き込みます。お母さん方も驚いたり、戸惑いながら喜んだり。付き合う職員は言います。「コミュニティを感じるんですよね」と。

 とにかく付いて行くことを続けているとお婆さんに変化が見えてきます。職員が歩き遅れると待ってくれる。試食の時は職員の分も取って渡してくれる。お婆さんの「かりんとう」を分けてくれる。お婆さんが話すことはめったにありません。言葉による会話で時を過ごすことはほぼないのですが、振る舞いと表情で気持ちが伝わってくる。
 ある時、強烈な尿意を感じてしまった職員が運を天に任せる気持ちで「私がトイレから戻ってくるまで、ここで待ってくれますか」と必死にお願いしたそうです。お婆さんに返事はありません。待ってくれる確証などどこにもない。最悪、いなくなってしまうこともあり得ました。「村瀨さん! どうなったと思います? お婆さんが待ってくれたんですよ!」と職員は興奮して話します。その嬉しそうな顔。
 実は行動を共にする職員も変化がありました。僕的にはここにツボがあります。「お婆さんのウィンドウショッピングとデパ地下巡りに付き合うこと」。僕からそう指示されたとき若い女性職員は「嫌だなぁ」と感じていたそうです。何が起こるか分からないし、自分一人で対処しなければなりません。不安だったそうです(僕は彼女に二つのことを提案していました。一緒に行くことができたら、最低週3回は同行するように努力する。最初からチームで対応しないで「あなた」が付き合うこと)。
 ドキドキしながら「嫌だなぁ」を感じていたはずの彼女が少しずつ楽しみを見つけ出します。それは、お婆さんとの関係の外にありました。モールやデパ地下は憧れの商品や美味しそうな食べ物に満ちています。お婆さんと歩きながら「あの服、素敵だなぁ」「あっ、美味しそうなケーキ! 今度の休みは買いに来よう!」と感じ始めるのです。お婆さんばかりを観ていた視線が、お婆さんの見ている風景へと移り、自分の生活に浸食してくる。お婆さんの土俵が彼女の土俵になりつつある。
そうなるとお婆さんが変化する。彼女の誘いに応じて、見も知らぬよりあいにやって来るようになりました。お婆さんとの間に信頼関係がつくれたと思いたいところですが、そのような理解ではしっくりしません。そこには「なれ」のプロセスがあるように思えます。「なれる」ということは「感じなくなる」ことを孕みます。お婆さんと彼女は一緒にいるうちに、お互いの存在を感じない瞬間を感じ始めていたのではないか。ケアから解放される時間が両者に生じていたように感じます。
 デパ地下からよりあいへ場が移ることができたのは、お互いの存在(体)を居場所にしていたからではないかと思えます。それも一緒にいることがなせる業でしょう。僕たちの立場からすると、お婆さんがよりあいに来ることができるまで「待っている」のですが、お婆さんはデパ地下で職員という鳥を「待っていた」のかもしれませんね。ヤドリギのように。
 モルモットと伊藤家の関係を改めて考えると、お母さんは「飼う」ことでモルモットに拘束されたくなかったのかなぁと。「飼いならし合う」「ケアし合う」は「拘束し合う」ことでもあります。「わたし」「わたしたち」が自由であるためにゲージを開けるという手段に出た。のかな。一緒にいるけど自由を感じる。そう思うとやはり痛快です。

 もうひとつ、ツボがあります。
 「お婆さんはどのくらいの期間でよりあいに来られるようになった?」。改めて彼女に聞いてみました。「え~っと、そろそろセーターがいるかなと感じた頃だから秋の深まるころかな・・・桜の咲く前にはもうよりあいに来ていたと思うので・・・ふたつの季節をまたいだぐらいと思います」。「つまり、6か月かからなかったのかな」。「はい、秋の初めから春が来る前です」。思考が身体から始まっている感じです(笑)。これは伊藤さんのいう「共進化」かもしれません。
 「共進化」という伊藤さんの視点もまた、痛快感満載ですね。先日、母が床を拭いていました。よく見ると自分の履いていたパンツを脱いで雑巾代わりにしているのです。お尻丸出しで。「まさかパンツで拭きよるとじゃなかろうね」。怪訝な僕に「もっと、おおらかになれ!」と言い返します。母はパンツから雑巾の可能性を引き出していたのですね。
 伊藤家とモルモット。ヤドリギと鳥。オオカミと人。母とパンツ、そして僕。伊藤さんのお便りを楽しみにお待ちしています。

村瀨 孝生

村瀨 孝生
(むらせ・たかお)

1964年、福岡県飯塚市生まれ。東北福祉大学を卒業後、特別養護老人ホームに生活指導員として勤務。1996年から、「第2宅老所よりあい」所長を務める。2015年4月より特別養護老人ホーム「よりあいの森」施設長。著書に『ぼけてもいいよ』(西日本新聞社)、『看取りケアの作法』(雲母書房)、『おばあちゃんが、ぼけた。』(新曜社)など多数。

伊藤 亜紗

伊藤 亜紗
(いとう・あさ)

東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター、リベラルアーツ研究教育院准教授。マサチューセッツ工科大学(MIT)客員研究員。専門は美学、現代アート。もともと生物学者を目指していたが、大学3年次より文転。東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了(文学博士)。主な著作に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)など多数。

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