ぼけと利他 村瀨孝生と伊藤亜紗の往復書簡

第7回

手間ひまかけてつくる記憶(村瀨孝生)

2020.12.07更新

 「髪は抜けはじめて分かる長~い友達」。ずいぶん古いCMのフレーズが聞こえてきそうです。お手紙ありがとうございました。ふむふむ、ふむふむ、次の文章、次の文章と、探検するように読み進みました。「熟れ」と「毛」のお話しは脱帽を飛び越えて脱毛の心境です。よりあいのケース会議に参加していただきたいと思いました。

 唐突ですが、クイズです。まったく同等の介護を必要とするお年寄がふたりいます。ひとつだけ違いがありました。それは髪の毛の量です。ひとりはフサフサとした頭。ひとりは禿げた頭。さて、どちらの要介護度が高いでしょうか?

 ちょっと簡単でしたね。答えはフサフサ頭の人です。お手紙にもありましたが、「毛」は手がかかるからです。コンピューターによる要介護認定のロジックには介護=手間という考えがあります。手間に要する時間を算出して要介護度を判定します。
 禿げた人は毛のない分、手間がかからないという理屈で給付が少なくなる可能性がある。予防を柱とする介護保険は「年齢を重ねても手間のかからない存在でいましょう」と謳います。制度の目的からすれば、禿げた人のほうが歓迎されます。笑い話のようで、笑えない話ですね。実際は、「毛」の量を理由に要介護度が低くなることはありませんが、ロジック的にはそうなっているというお話です。
 
 効率を重んじる経済のロジックで考えると手間のかかる存在は歓迎されません。その昔、特養では「特養カット」というヘアスタイルが大流行しておりました。後頭部は刈り上げられ、前髪は気持ち程度の長さが残ります。遠目で見るとラグビー選手のようでした。どの人も同じ髪型。お婆さんがお爺さんに見えました。それは手間を惜しむ社会の象徴です。おそらく、そのことに慣れきることで現場は非人間的な効率を重んじる社会に手を貸していたのです。「毛」の扱いひとつでその国の介護意識が見て取れるのかもしれませんね。

 火星模擬実験に登場する女性を安定に導いたのは、手間ひまかけて長い黒髪をケアする習慣だったというお話はとても腑に落ちます。時間と空間のとらえ方と記憶のあり方が変容するお年寄りにとって、習慣は生活に安定をもたらします。習慣には概念による判断や時系列的な記憶に依らなくても生活を営ませる力があります。

 老々介護のお宅がありました。ぼけの深まりつつある妻を夫が介護していました。よく夫婦喧嘩をしていました。「夫が私のことを「狂うた、狂うた」と言うとよ。歯がいかけん、言い返すたい。わたしゃ、狂うちゃおらん。ぼけとると」。集いの場では、お婆さんの愚痴を何度も聞いたものです。

 お婆さんは今日が何日か分かりません。よってカレンダーは役に立ちません。よりあいに通う日がいつなのか見当のつかないお婆さんは、電話をかけて確認するのです。「今日は迎えに来るとじゃろか?」。「はい、行きますよ」。数分後、「今日は迎えに来るとじゃろか?」「はい、行きますよ」。電話したことを憶えていられないので、繰り返し電話するのです。
 そのやり取りを傍で聞く夫はイライラしてきます。よりあいへの気兼ねもあって「おまえ、さっきから、何回電話しよるとか! いい加減にせい!」と怒鳴る。受話器越しに聞こえるほどでした。

 お婆さんは慌てて電話を切るのですが、10分もしないうちに「今日は迎えにくるとかいな?」と電話がありました。いつもと違う雰囲気に「どこから、かけよると?」と尋ねると「ああ、公衆電話からたい」と答えます。夫の目を逃れて電話するのです。
 まあ、これはお婆さんと僕たちによる朝のルーティーンでもありました。電話のない時は落ち着いている。電話がある日はその回数と間隔でお婆さんの状況がうかがい知れました。

 今度は夫がよりあいに電話をかけてきました。「すっまっしぇん、内(妻)のはおるでしょうか。ちょっと呼び出してもらえんでしょうか」。お婆さんは「あら、あら、何事やろか」と電話に出ます。「なんね、眼鏡ね。洗面所に行ってみんしゃい」。夫は眼鏡の行方を見失ったのです。妻の言う通り洗面所にありました。
 不思議でした。お婆さんが今朝の記憶をたどり、置き忘れた眼鏡を探し当てたとは考えられません。それは習慣のなせる業だと思いました。「長年連れ添った夫婦にとって大切なのは愛情よりも習慣やね」とみんなで笑いました。

 ある日のことです。「大学病院の先生がよりあいに行けば、認知症が治ると言うから内んとを通わせたとですが一向に治りまっしぇん。本日をもって利用を止めます。」と夫が電話してきました。妻がよりあいに通う習慣を失うとよろしくない。翌朝、相談するためにお家に伺いました。
 すると、夫は「お~い、迎えが来たぞ!」と妻を送り出そうとするのです。お婆さんはいつものようによりあいに通うことができました。夫は習慣に乗っ取られているようでした。利用を止めたいという考えとは裏腹に、うっかり妻を送り出す。
 その後も、思い出したように「利用中止」の電話をかけてくるのですが、翌朝、迎えに行くと、いつものように送り出してしまいます。しばらくのあいだ繰り返されました。

 習慣とは変なものですね。いつもと同じという安定を生むと同時に、変わりたくても変われないというジレンマも孕みます。僕たちは変わるべき時に変われないと途方に暮れてしまいます。
 失恋や失敗、いつものやり方が通用しない。いままでの「わたし」にサヨナラしたい。そんなとき人は「毛」を切ることがあります。「毛」は変身を手助けしてくれます。すぐに内実が変わるわけではありませんが、気分は変わります。「毛」は習慣をつくると同時に習慣を変えるきっかけにもなりますね。「毛」とケアの関係には深いものがありそうです。

 園芸家のアダムとデパ地下巡りのお婆さんをだぶらせる伊藤さんのお話しに嬉しくなりました。お婆さんは駅モールとデパ地下の手入れに出かけていた。せっせと。そのことが、お婆さんの日常を支え、お婆さんの中にある「わたしらしさ」を支えていた。と思えます。
 伊藤さんの想像に刺激され、僕も想像を深めたいと思いました。
 習慣はひとつの記憶だと思うことがあります。手間ひまかけてつくる記憶です。繰り返し、繰り返されることでつくられる習慣が体に記憶を生じさせ、日常をオートマチックにサポートしてくれます。それは、体に「わたし」が乗っ取られつつ、「わたし」が体に執着していくきっかけにもなる。
 繰り返されてきた行為の蓄積は「わたしらしさ」をつくる。蓄積された時間のどこを切っても「その時のわたし」がいて、体の中には「すべての世代のわたし」がイキイキと生きている。年輪のように。僕たちは多世代人格なのかもしれません。
 「妹が生まれてお兄ちゃんになった」。「脇の下とオチンチンに毛が生えた」。「家庭を持った」。「「わたし」を支えたフサフサの毛も緑の黒髪も薄くなってきた」。僕たちは社会の求めや生理が変容するたびに、これまでの習慣に新しい行為を「熟れ」させながら「わたし」をバージョンアップしているように思います。お婆さんは変容する「体」と「わたし」に対して途方に暮れていたのではないか。デパ地下で楽しんでいたかつての「わたし」に会いに行き、今の「わたし」をケアしていたのかな。
 お婆さんが思わず手を伸ばしてしまうものに脂肪(弛み)と白髪がありました。脂肪は筋肉のように重力に抗うことができず、力なく垂れ下がります。重力に抗えない存在という点では老いと弛む脂肪はちょっと似ている。
 油分を失い硬さを増し、白くなっていく髪は老いた「わたし」を実感させます。お婆さんは自分の中に育つ「老い」と向き合うと同時に、他者にある老いをケアせずにはいられなかったのかな。

 お恥ずかしいのですが、カレル・チャペックに倣い空想も広げてみました。お婆さんを園芸家となったアダムに見立てて。

 アダムは夢中になって縁どり花壇をつくりつづけました。つくり惚けてしまい自分がどれだけ年を取ったのか分かりません。けれど、アダムにとってそんなことはどうでもよいのです。だってここにはりっぱな黒土がある。

 すると、どこからか声がします。

 「ここは素敵なところだね。焚き火は燃え盛り、暗闇もない。手間ひまかけなくても美味しい食物や素敵な物がすぐに手に入る。ワクワクするし、退屈しない。僕もここが大好きさ。けれど、少し火が強すぎないかい? そのせいか時間の流れも速まっている。見てごらん、君の足はヨボヨボだよ。ここにとどまり続けるなら、もっと鍛えなきゃ。ほかにも面白いところがあるよ。君も来てみないかい」。その声は誘惑に満ちていました。

 慌てたように違う声が言いました。
「こここそが、あなたにとって、もっとも「わたしらしさ」を感じるところなのです。好きなものを選んで食べ、自分によく似合うものを着飾っていたあなたが、あなたの思う「わたし」なのです。ここを離れたあなたは「わたしらしさ」を見失うことでしょう。とどまり続けることが、「わたし」を保ち続ける唯一の方法なのです。そして、知恵の実を食べ忘れた(食べたことを忘れた)あなたの存在がここを豊かにするのです。それがあなたに与えられた役割なのです」。その声には正しさが漂います。

 誘惑する声はひそひそと言いました。
 「君も薄々気が付いているだろう。ここの黒土が変わりつつあることを。強まる火勢と速まる時間に慣れた者しか受けつけない土壌に変わりつつある。こことは違う黒土があるよ。その土に育まれた果実はしっかりと熟していくんだ。それを食べ続けると凄いことが起こる。ともかく、とっても美味しいから食べにおいでよ。そして、一緒に遊ぼう」。

 アダムはその黒土に触ってみたい衝動に駆られます。そして、よく熟れた果実を味わいたいと思いました。

 誘惑する声の言う通り、それは見事な黒土です。触ると温みが伝わってきます。そして黒土が育む果実の美味しいことといったら。食べ続けていると不思議なことが起こりました。アダムのお尻の穴からりっぱな黒土がモコモコと漏れ出るではありませんか。
 「僕にも黒土がつくれるんだ!」。アダムは歓喜の声をあげます。食べては黒土をつくる。食べては黒土をつくる。それはとても気分がいい。我を忘れる気持ちよさです。気が付くとアダムは見事な黒土になっていました。

 「アダムよ、どこだ?」

 土になったアダムを見つけた神様は叫びます。

 「おお、アダムよ、おまえがエデンの園だったのか!」。

 おしまい。

 妄想に満ちたお手紙になりました。ご笑納いただければ幸いです。早いもので1年が終わりますね。ZOOMとお手紙、それぞれに味がありますが、リアルにお会いして話をしたい気分です。発酵食品をつまみながら。

村瀨 孝生/伊藤 亜紗

村瀨 孝生/伊藤 亜紗
(むらせ・たかお/いとう・あさ)

村瀨 孝生

1964年、福岡県飯塚市生まれ。東北福祉大学を卒業後、特別養護老人ホームに生活指導員として勤務。1996年から、「第2宅老所よりあい」所長を務める。2015年4月より特別養護老人ホーム「よりあいの森」施設長。著書に『ぼけてもいいよ』(西日本新聞社)、『看取りケアの作法』(雲母書房)、『おばあちゃんが、ぼけた。』(新曜社)など多数。

伊藤 亜紗

東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター、リベラルアーツ研究教育院准教授。マサチューセッツ工科大学(MIT)客員研究員。専門は美学、現代アート。もともと生物学者を目指していたが、大学3年次より文転。東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了(文学博士)。主な著作に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)など多数。

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