ぼけと利他 村瀨孝生と伊藤亜紗の往復書簡

第10回

どこまででもいける、いま・ここ(伊藤亜紗)

2021.02.05更新

 賑やかで楽しいお返事をありがとうございます。村瀨さんなかには、ものすごくたくさんの声がありますね。お腹に聴診器を当てたら、謎めいた声があちこちから聞こえてきそう。こうやって文通をさせていただきながら、私は村瀨さんのなかのお爺さんやお婆さんともお話しをさせていただいているんだなあ、と思いました。

 居場所としてのしゃべり。この場合の「居場所」とは、自分をケアしようとするお年寄りにとっての居場所であると同時に、住まうべき体を探し求める言葉にとっての居場所でもありますね。
「こうのいのねのそのにきがいたい」
「まんがんがんじー」
「かいさんしましょう、そうしましょう」
 わたしの中にも来てくれないかな、と思います。早くこれらの言葉を体の中に飼いたいです。いや、むしろ飼われるのかな?

 兄弟がいなかったので、子供の頃はいろいろな一人遊びを開発していました。そのひとつが、「ビジネス書ゲーム」。まず、近所の本屋さんに入って、ビジネス書コーナーで本をパラパラと立ち読みします。すると、いろんな人生訓といいますか、パワフルな格言が踊っています。そのうちのいくつかを覚えておいて、その言葉に数日、自分を乗っ取らせるんです。

「敵の逃げ道を作ってから攻めよ」(豊臣秀吉)
「人生はクローズアップでみれば悲劇だが、ロングショットでみれば喜劇」(チャップリン)

 子供なので、ほとんど意味は分かっていません。格言には逆説的なものも多いので、「なんで?」と思うようなものもしばしば。
 でも、意味が分からないもの、信じられないものだからこそ、それに従うことがゲームになったんですよね。鬼ごっこをするときにわざと敵を逃げやすくしてみたり、自分の人生は映画なのだというつもりで給食を食べてみたり。英雄たちの言葉に自分の体を貸し与えて、退屈な自分をケアしていたのかもしれません。

 お年寄り同士のしゃべりの話、ぜひうかがってみたいです。
 前にもイベントでお話ししたかもしれませんが、私が最初にぼけの時間感覚や空間感覚に興味を持ったのも、お年寄りとおしゃべりしたことがきっかけでした。
 案内してもらって京都の施設を見学しました。あるお爺さんに出会い、「伊藤です、新横浜から新幹線に乗って来ました」と自己紹介しました。すると、そのお爺さんが、突然人事の話をし始めたんです。聞けばそのお爺さんは、もともと小学校の校長先生をされていた方だそう。どうやら私を新しく赴任してきた新人の教師だと思われたようなのです。
 いつも暮らしているところにいきなり知らない人があらわれたら、誰だってびっくりしますよね。でもそのおじいさんは、「横浜から来た」という情報を旧知のシチュエーションと即座に組み合わせて、納得可能な解釈を与えました。かなり外した変化球を投げてしまったのに、「外れてるじゃん」と無視することなく、カメレオンのように舌を伸ばしてするりとキャッチしてくれた。そんな感じがしました。
 前回のお手紙で、村瀨さんが「解像度の高い記憶が再生されるきっかけは、今の実感にあると思います」と書かれていました。「花の香、風の音、声のリズム、肌の感触、目に映える色たち。今をとらえる力においてもその強さは僕たちの想像を超えている」。本当にそうだなと思います。現在のさまざまな刺激に対して、むしろお年寄りのほうが無防備なほどオープンなのではないか、と感じることがあります。

 お年寄り同士、あるいはお年寄りとのおしゃべりでなくても、そもそも会話というのは不思議なものですよね。
 以前、子供と歩いていたとき、藪から棒に書初めの話を始めました。何かと思ったら、ワンブロック先にスーパー銭湯の看板が見えたんです。たぶん子供は、お風呂をあらわす巨大な楷書の「ゆ」を見て、お正月の宿題のことを思い出したのだと思います。
 会議のようにアジェンダが明確な場面での会話であれば、まだ流れが整理されています。でも食事中の雑談や、街を並んで歩く時のおしゃべりとなると、話はあちこちに飛ぶほうがむしろ自然です。
 ふだん自分たちがしている会話がどのくらい飛んでいるか確認したくて、数年前に夫との自宅での会話を書き出す作業をしてみました。ほんの10秒程度の会話です。

2105-1.jpg

 たぶんこれだけ見ても、何の話だかさっぱり分からないと思います。我ながらよくこれで成り立つなと思うくらい、噛み合っていません。でも本人たちは、これでちゃんと意味が通じたつもりでいる。
 もちろん夫婦だから、という事情もあると思います。夫婦であれば、いろいろなことが省略されます。けれども、夫婦でなくたって、まったく飛躍のない会話というのはおそらくないでしょう。だからこそ、後から振り返ったり、その状況から切り離したりしてしまうと、なんのことだかよく分からなくなる。「複雑」というべきか単に「雑」と言うべきか、そのくらいスカスカでアブストラクトなキャッチボールを私たちはしています。
先ほどの会話を、トピックごとに整理してみたものが(図2)です。

2105-2.jpg

 この図を見ると、私と夫はこのとき三つのトピックについて同時並行に話していたらしいことが分かります(図では、トピックごとに、発言を赤、緑、青で塗り分けています)。しかも、その三つのトピックは、相互にからまりあってもいました。そのため、ひとつの発言が複数のトピックにまたがっている場合もあります。
 第一のトピックは、「アーリントンに魚屋がある」(赤)。「アーリントン」とは、アメリカのボストンの郊外にある町のことです。私たちはこの会話の時点では東京に住んでいましたが、もうすぐ仕事の都合でアーリントンに引っ越すことになっていて、そのための準備をしていたのでした。
 結論からいえば、夫はただ「アーリントンに魚屋がある」ということを妻に伝えたかっただけでした。昼間のうちにネットで調べて情報を得たのでしょうか、アメリカに引っ越したら肉しか食べられないのではないかと恐れていた妻への朗報として、その事実を伝えるつもりでした。
 ところが2番目の妻の発言で、夫の目論見は狂いはじめます。「どのうち?東金?」。夫の「うちの近く」という発言を受けて、妻は「うち」がいったいどの家を指しているのか分からなくなりました。これが第二のトピックとして立ち上がります(緑)。
 妻からすれば、夫の発言はあまりに唐突でした。夕食後にソファに寝転がってテレビを見始めた夫。突然「うちの近く」と言われても、何の話だか分かりません。
「東金」とは、夫の実家がある千葉の町です。この会話がなされたのは1月で、年末に一家で東金に帰省したばかり。妻の脳裏には、この時点で「東京」「東金」「アーリントン」という三つの「うち」の候補がある状態でしたが、帰省から戻ったばかりというタイミングを考えて「東金?」と鎌をかけたのでした。
 驚くべきはその次、3番目の夫の発言です。妻の「東金?」を受けて、すぐに「いやいや、アーリントンだよ」と明確に否定していれば、夫はすぐに魚屋の話に行けたのです。ところが夫は、「いやいや」といったんは否定したものの、あろうことか「東金」の話を始めるのです。第三のトピックの登場です(青)。
 夫がここで思い出しているのは、東金の父のことです。父は毎年大晦日の夜になると、檀家になっている近所のお寺に出かけていって、除夜の鐘の手伝いをします。もう高齢ですが、毎年のこの習慣は欠かしません。
 お寺へは車で出かけます。それまでは紅白歌合戦を見ながらウトウトしていたのに、十一時近くなるとパッと目を覚まして身支度を整え、車の鍵をポケットに入れて寒い中出ていく。「もう引退したら」というのが夫の密かな意見なのですが、父にとってはやりがいがある仕事のようで、ずっと続いています。
 ところが妻はその思い出語りにつきあいません。まだ「うち」問題が解決していないからです。大晦日の父の話題にはのらずに、自分の質問に答えてくれるように、改めて夫にうながす。それが4番目の妻の発言「アーリントン?」です。その前の発言で東金説が「いやいや」と否定されているので、こんどは別の候補を出してきたのでした。
 すると夫はそこに、詰問するような調子を読み取ったようです。自分が妻の質問に答えずに大晦日の父の話をしたのは、おまえがそれを思い出させたからじゃないか。5番目「東金とか言うからさ」には反論の雰囲気があります。この発言は「うち」についてのトピックでもあり、かつ「大晦日の父」について話したことへの言い訳でもあるので、緑と青の両方の色で塗りました。
 夫の反論に押された妻。しかし言葉で「ごめんね」とは言いません。代わりに6番目の発言で「ほんとにそうだね」と同意します。ただしこれは、夫が大晦日の父の話をしてしまった原因は自分にある、という同意ではありません。そうではなくて、三つ前の夫の発言「ほんとよくあんなにすぐ車乗れるなと思って」に対して「たしかにあのお父さんの切り替えはすごい」と同意しているのです。
 つまり、夫の反論に対して、放置してしまった夫の発言を今になって受け止めるという形で、フォローしているのです。3回ウラに投げられたボールを4回ウラになってから打つ・・・そんな感じでしょうか。
 受け止められたと感じて溜飲を下げた夫は、7番目の発言でようやく本題に入ります。「簡単に言うと魚屋があるんだよ」。「簡単に言うと」という一言が、なんだか涙ぐましく感じられます。逸脱につぐ逸脱で、二つの余計なトピックを生み出したものの、逸脱もまた回収されないと成仏できないんですね。
 でも読み返すとやはり不思議なのは、「うち」が「アーリントン」のことであるという答え合わせが一度もなされていないことです。夫が5番目の発言で、その前の「アーリントン?」を否定しなかったことが、暗黙のうちに「YES」を言った・言われたと解釈されたのでしょう。ひとつの発言のなかで、言っていないこともまたメッセージになっています。

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 図3は、この会話の三つのトピックの変化だけを抜き出したものです。三つの色が、切り離されたり、混じり合ったり、撚り合わされたりしながら、会話が進んでいることが分かります。
 あらためて、トピックとは不思議なものです。Aさんはaということについて話しているつもりでも、同じ言葉がBさんにとってはbについての話になりうる。それでも話が通じるんですよね。
 言語学者たちも、トピックの定義については非常に手を焼いているようです。「ここからここまで」と区切れるような単位があるわけではなく、また後から再現することが不可能。言語学の領域では、ひとまず、「トピックは流れである」と考えられているようです。流れであるかぎり、一部だけ取り出すと意味が変わってしまう。確かに「発言」は引用できるけど、「話題」は引用できないですよね。
 コミュニケーション論が専門の串田秀也は、トピックが、「その場にいた人にしか分からない」という「いま・ここ」への限定性をもつ一方で、言及される内容そのものは「いま・ここ」を超えてどこまでも広がりうるということに注目しています。確かにトピックの内容は、東京、東金、アーリントンと広がることが可能ですし、その気になれば宇宙の起源や原子の中身の話をすることだってできます。「どこまででもいける、いま・ここ」というのがトピックの本質なのです。
 串田は、ここに会話のもつ共在感覚を作り出す力を見出します。共在感覚とは、「いっしょにいる」という感覚。「物理的『いま、ここ』をいくらでも超えて行くことを可能にするトピックという現象を通じてこそ、私たちは『誰と誰がいつから一緒にいるのか』という共在感覚を強力に産出しているのではないだろうか」 。
「いっしょにいる」というと当たり前のような感じがしますが、文化によって、人によって、共在感覚には違いがあります。コンゴの農耕民族ボンガンド族であれば、壁の向こうにいる人に話かけるのがふつうですから、姿が見えない人とも「いっしょにいる」と感じています。私は息子が3歳くらいのころに、バタバタと階段を降りてきた彼に「2階にお母さんいなかったよ」と報告を受けて面食らったことがあります。
 串田は言います。「人間の共在感覚がこのように多様でありうるとすれば、私たちには、『誰と誰がいつからどのように一緒にいるのか』に関する感覚の齟齬が生じる可能性が、潜在的には常に存在するといえる」 。話が飛んだように感じるのは、この共在感覚のズレを感じるからなのではないか、と。
 果たしてお年寄りたちはどうなのでしょうか。違う時間感覚や空間感覚を持っているのだとすると、お年寄りは私たちとは違う共在感覚を持っている、ということになるのでしょうか。「ありがとうございます。お邪魔してもいいですか」と言う呼びかけに応じないマサエさんや、「今日は4人います」というお婆さんは、どんな共在感覚を持っているのかな。伸び縮みする「共在」なのかもしれない。とても気になります。

村瀨 孝生/伊藤 亜紗

村瀨 孝生/伊藤 亜紗
(むらせ・たかお/いとう・あさ)

村瀨 孝生

1964年、福岡県飯塚市生まれ。東北福祉大学を卒業後、特別養護老人ホームに生活指導員として勤務。1996年から、「第2宅老所よりあい」所長を務める。2015年4月より特別養護老人ホーム「よりあいの森」施設長。著書に『ぼけてもいいよ』(西日本新聞社)、『看取りケアの作法』(雲母書房)、『おばあちゃんが、ぼけた。』(新曜社)など多数。

伊藤 亜紗

東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター、リベラルアーツ研究教育院准教授。マサチューセッツ工科大学(MIT)客員研究員。専門は美学、現代アート。もともと生物学者を目指していたが、大学3年次より文転。東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了(文学博士)。主な著作に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)など多数。

編集部からのお知らせ

3/1(月)ちゃぶ台編集室 第2回――藤原辰史×伊藤亜紗対談 開催します!

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3月1日(月)19:00からの第2回では、藤原辰史さんと伊藤亜紗さんという、ポストコロナを考える際、必聴のお2人による対談を開催します。
「もれる」と「ふれる」。「分解と利他」のヒントはそこにある!?
お二人の思考の先端に触れる対話を、どうぞお楽しみに!!

詳しくはこちら

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