ぼけと利他 村瀨孝生と伊藤亜紗の往復書簡

第11回

開かれた感覚(村瀨孝生)

2021.02.18更新

 「ビジネス書ゲーム」で遊んでいた伊藤さん。お手紙ありがとうございます。言葉に自分の体を貸し与えて遊ぶ。なるほど、言葉と体が乖離しない文章の秘密は子ども時代にあったのか。伊藤さんは「住まうべき体を探し求める言葉」をケアしながら大人になったのですね。それを今も続けていますね。

 僕が子どもの頃は川に魅了されていました。水辺にはさまざまな表情があり、体を投げ出して遊ぶ楽しさに溢れていました。同時に底の見えない淀みには引き込まれそうな恐ろしさがありました。水藻の奥深くにキラリと光る魚鱗を見たときのドキドキは妖怪を見たときと同じ興奮です(妖怪を見たことはありませんが・・・)。

 「言葉は住まうべき体を探している」。とても印象的でした。老いが深まると体に住まう言葉たちのケアができなくなるのかな。ケアを受けられない言葉は老いた体からひとつ、またひとつと消え去るのかもしれませんね。というより、体に宿らなくなるのかもしれません。いや、体の深部に宿り続ける言葉と立ち去る言葉に分かれる。立ち去ったり、出戻ったりを繰り返しながら。
 
 あるお婆さんは「好き」という、たった2文字の言葉が出てこなくて悶々としていました。何とか絞り出した言葉が「好意で満腹」です。ひらがなにすると4倍の8文字と増え、単語から文になりました。「好意で満腹」。なんかいいでしょ。特に「満腹」がいい。言葉と体に一体感がありますね。「好き」という表現とは違った味わいがあります。お婆さんの「思い」に応えて消えゆく言葉が集結したと思うと、ちょっとひとしおな感じがします。

 ぼけを抱えたお年寄り(老いの深いお年寄り)たちの集いに興味を惹かれます。言葉があまり主役とならない「場」でもあります。たまに、お年寄り同士で会話しているときに遭遇します。
 10名ほど集う中で、Kさん94歳女性、Mさん85歳男性、Sさん92歳女性の3名が数分ほどの会話をしました。みなさん老いが深く、ぼけを抱えています。お昼ご飯を食べ終えて、何をするわけでもなくのんびりと過ごしていた時のことです。Kさんが唐突に口を開きました。

Kさん 「わたしゃ、ずいぶんと前から気になっとったんですがねぇ、あなたの、その穴はなんですか」。
Mさん 「ああ、これですか。まず、綿を詰めます。そして、種を埋めます」。
     
Kさん 「そうですか」。
Mさん 「そして、水をやります」。
     

Sさん 「わたしゃ、前々からあの緑がよかと思いよった」。
     
Sさん 「やっぱり、緑はよか」。
     

Kさん 「ああ、そうですか」。

 Kさんが気にしているのは、Mさんの頭にある穴のようなものでした。それは硬膜下血腫の手術痕です。陥没しており穴に見えます。Mさんの髪型は磯野波平と同じですから、よく目立つのです。
 Kさんは突然その「穴」は何かと尋ねます。共に過ごすようになって2~3年以上経っていました。Mさんの頭にある「穴」に関心のあったことが意外な発見でした。

 Mさんは「ああ、これですか・・・」と「穴」について語りだします。手術痕である穴に綿を詰め種を埋めるというものでした。おそらくMさんは「別の穴」の使用法を説明しているのです。Kさんが気になっている「穴」とは、全く違う「穴」を奇想し即答できるMさんの瞬発力に驚かされると同時に、いったい何の「穴」を語っているのか想像が駆り立てられます。

 さらに驚くべきことはMさんの答えに「ああ、そうですか」とKさんは納得してしまうことでした。頭の「穴」に「綿を詰め種を埋める」などあり得ない話を実にあっさりと了解してしまいます。KさんはMさんの話を本当に信じたのでしょうか、それとも、ヘンテコな回答を真面目に話すMさんに気兼ねをしたのか、定かではありません。

 さらにMさんは水をやって種を育てると言います。これに対してKさんの返事はありません。MさんにもKさんの返事を待つ様子もなく沈黙します。頭に花を咲かせたMさんを想像してしまい笑いを抑えきれませんでした。

 Sさんは沈黙を味わうように「わたしゃ、前々からあの緑がよかと思いよった」と言います。「前々から」のフレーズはKさんが話を切り出した時と同じしゃべり口調です。
 目に映えた庭の若葉を「緑がよか」と誉めます。初夏の新芽がとても美しかったのです。Sさんの座る椅子は茶の間の奥にありますが、そこからは庭が望めます。
「緑がよか」という話はMさんの「穴に埋める種」から連想されているようにも思えます。Sさんは自分の感想に浸る感じで「やっぱり、緑がよか」と繰り返します。

 少し間を開けて、沈黙していたKさんが「ああ、そうですか」とSさんの話に絡んできました。Mさんに目をやるとつぶらな瞳をぱちくりとさせて辺りを見回しています。会話に参加している様子ですが発言はありませんでした。
 わずか数分の出来事です。淡々としており、静かに始まり静かに終わります。職員たちが業務に追われバタバタしていると気がつかないでしょう。

 Kさんが切り出した「穴」の疑問から、MさんはMさんにしか分からない「穴」の話をする。Kさんの口調からSさんの「前々から思っていたこと」が引き出され、Mさんの「種を埋め水をやる」という話に導かれて「緑の美しさ」を語る。「連想ゲーム」のような会話です。
 伊藤さんとご主人の会話は逸脱を繰り返し2つのトピックを生みだしながらも、第1のトピックである「アーリントンの魚屋」の話に着地しています。お年寄りの会話は着地している感じがしません。1つのトピックをそれぞれにある「わたしの世界」に回収します。お互いに回収し合っているので話が嚙み合わなくても誰もそのことに気が付いていない感じです。やはり、ぼけを抱えたお年寄りは他者の話を自分にある旧知のシチュエーションに回収してしまう力が強いと思えます(伊藤さんが出会った、京都にお住いの元校長先生のように)。
 また、言葉が体に長く滞在しない趣があって、話の擦り合わせが難しいことも、会話が着地しなくても気にならない一因に思えます。そのような会話で成り立つ場の雰囲気は、誰にでも居場所がある感じがします。ただ、ぼけの浅い人(老いの浅い人)がいらっしゃると話は違います。人によりですが、話の矛盾を突いたり、バカにしたりと場が荒れることがあります。

 繰り返し同じ話をし続けたシゲさんと、その同じ話を繰り返し聞き続けたユキさんに起きた現象もちょっと変わった回収の在り方でした。ともに90代です。
 シゲさんは神経が障るのか肩から腕にかけて痛みが走ります。そのたびに「横断歩道を渡っていると信号無視した車がわたしを跳ね飛ばしたとでしゅ。車はそのまま逃げたとでしゅ」と言います。痛むたびに繰りかえされるこの話を耳にタコができるほど聞かされました。

 ユキさんはそのひとりです。ある日のこと。ユキさんの手に青痣がありました。「どうしたんですか」と尋ねました。ユキさんは自分の手を見て青痣の存在に今気が付いた、といった顔をします。
 にもかかわらず「これね、横断歩道を渡っていたら車が飛び込んできて跳ね飛ばされたとよ。倒れたところに学生が歩いてきて革靴で踏みつけられたとよ」と説明しました。それで、こんな青痣ができたと言うのです。
 シチュエーションはシゲさんの話とほぼ同じ。革靴で学生に踏みつけられたという新たな話が加わりました。この話は架空のお話ですが、面白いことにシゲさんの話も架空のお話だったのです。

 ユキさんはシゲさんの話を回収することで身に覚えのない青痣に居場所を創りました。そうすることでユキさんも安心している感がある。シゲさんの判で押したように繰り返される妄想? にユキさんが乗っかる。ふたりで妄想? を共有しているのですが、お互いそのことに気が付いていない。シゲさんは「あら、あなたも」と同情する。
 かくいう僕もユキさんの話を聞きながら実在する交差点が目に浮かび「あー、あそこの横断歩道か」と納得しかけました。こうなるとユキさんの話を僕が回収したのか、されたのか混乱します。ユキさんの話にある余白に僕が新たな話を書き込んでしまった感じです。
 一緒いるという「場」において生まれる「しゃべりや語り」、「他者の記憶や妄想?」までもが「公共財」のようになり、個々がそれを都合よく利用することで居場所がつくられるようにも思えました。その縦横無尽さに舌を巻きます。

 会話は言葉によって成り立ちますが、言葉は声に乗らないと伝わりません。声といっても色々あると思うのですが、その1つに「肉声」があります。
 コロナ禍にあって、よりあいの森では歯科診療の方法が変わりました。密にならない大広間でひとりずつ治療が行われます。広間は僕のいる事務所と隣り合わせです。ですから、治療の現場の様子が音となって伝わってきます。

 ぼけを抱えたお年寄りに共通していることは治療に対する抗いです。まず「嫌ァ~ッ」という悲鳴。実に個性的な「嫌」が聞こえてきます。言葉が出辛い人も、深いぼけを抱えた人でも「嫌」の使い方を間違える人がいません。「嫌ァ~ッ」は「肉声」なんですね。「いま・ここ」をとらえる言葉の中で強烈な力があります。
 同じく「美味しい・不味い」「美しい」「暑い・寒い」「温い・冷たい」「臭い・いい匂い」「痛い、気持ちいい」など「いま・ここ」を捉える言葉はたくさんあります。僕の実感ですが、これらの言葉は老いが深まっても体に宿り続けています。
 「美しい」「美味しい」「温い」「いい匂い」「気持ちいい」といった「快」は体がしっかりと味わうのか、あまり言葉になりません。それに比べ「不快」は言葉となってすぐに表れます。「嫌」はその代表です。「痛い!」「不味い!」「臭い!」「暑い!(寒い!)」「冷たい!(熱い!)」といった不快感をまとう職員の肉声を聞いたお年寄りは「笑う」ことが多いのです。「不快」は「快」よりも共感を誘うようです。

 「嫌ァ~ッ」も「ギャァァァァ~ッ」といった絶叫に変化すると、その力は猛烈です。姿は見えなくても、聞いている僕が不穏になります。過度に浸食されると耐えられなくなる。肉声は強い共振を生むようです。コンゴの農耕民族ボンガンド族の「一緒にいなくても、一緒にいる」といった共在感覚の世界と共通する面があるのかもしれません。

 声を捉えるのは耳ですが、その感覚の開かれ方には奥深さがあります。深いぼけや老いにあるお年寄りは「聞く」というよりは、「聞こえている」という状態になりやすいのではないでしょうか。「見る」も同様に「見えている」。感覚がそのような形で開かれやすくなる。その感覚が主役となる「場」が生まれ、個々が影響を受け合っているのではないか。

 よりあいでは全介助の人が居眠りをしていても、個室ではなくソファーなどで横になり、一緒にいることが多いのです。見学者が質問しました。「この方は全介助の人ですよね。いつも眠っていることが多いと伺ったのですが、なぜ、自分の部屋で寝ていないのですか。会話もほぼできない人がどうしてみんなと一緒にすごしているのですか」と。
 職員は「個室に独りでい続けると萎んじゃう感じがします。みんなで一緒にいるときはご飯の食べ方が違うんです。食が進むんですよね」と答えました。一緒にいることは人の食欲と関連するように思えます。生きるに直結する共在感覚? なのかなぁ。
 眠っていても、おしゃべりができなくても感覚は他者に開かれているのだと思います。「見えている」「聞こえている」「匂っている」「風が触る」「光に照らされる」「温みに包まれる」という感覚で交流が織りなされることってあるんじゃないか。交感し合っているというか。

 実際、僕たちにもそのような開かれた感覚があります。夜勤中、仮眠をとっていたとき、ふと、ご飯の炊けるような匂いがして飛び起きました。ご飯など炊いていなかったからです。匂いの元をたどると104歳のお婆さんの部屋からでした。オシッコがオムツに出たのです。出来立てほやほやのオシッコ。
 おそらく、覚醒した状態ではこの匂いを感じることができなかったでしょう。目と頭の回路が少し閉じた状態で他の感覚が開かれていたからこそと思えます。このように鼻、耳、肌の開かれた感覚に導かれることは少なくありません。それは確実に「いま・ここ」をとらえています。
 その感覚が養われる環境が介護にはあります。よりあいの森の居室にはナースコールが装備されているのですが、それを活用できる人は26名中3名です。ヤバイ匂い。壁を叩いて尿意を伝える音。壁紙をはぐ音。歯ぎしりの孕む不穏な空気。猫のように音もたてず歩く気配。ぼけの荒ぶる予兆。見えないお年寄りたちに鼻、耳、肌が関心を寄せるようになる。それらの営みは第6感をもたらすことがある。

 人間集団の帰属にとどまらず、開かれた感覚はあらゆるものと接触し、それらと場を共にしている。水面下では、さまざまなトピックが奇想され、顔を出したり、出さなかったり、共有したり、されなかったりしている。そこには、ある種の共在感覚があるのかもしれません。

 僕たちがそれを感じるには「ぼ~っ」とすることが鍵だと考えています。お年寄りと「ぼ~っ」とする。リハビリする時間よりも「ぼ~っ」とする時間を得ることに力をいれているといっても過言ではありません。

 伊藤さんは「ぼ~っ」とする時間はありますか?

村瀨 孝生

村瀨 孝生
(むらせ・たかお)

1964年、福岡県飯塚市生まれ。東北福祉大学を卒業後、特別養護老人ホームに生活指導員として勤務。1996年から、「第2宅老所よりあい」所長を務める。2015年4月より特別養護老人ホーム「よりあいの森」施設長。著書に『ぼけてもいいよ』(西日本新聞社)、『看取りケアの作法』(雲母書房)、『おばあちゃんが、ぼけた。』(新曜社)など多数。

伊藤 亜紗

伊藤 亜紗
(いとう・あさ)

東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター、リベラルアーツ研究教育院准教授。マサチューセッツ工科大学(MIT)客員研究員。専門は美学、現代アート。もともと生物学者を目指していたが、大学3年次より文転。東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了(文学博士)。主な著作に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)など多数。

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