第12回
対馬のよりあい(伊藤亜紗)
2021.03.05更新
お年寄りの体には、言葉が長く滞在しない。だからこそ、よりあいという場では、言葉が特定の誰かの所有物にならず、誰でも入り込める余白をともなって漂い、他者の記憶や妄想までもが公共財化していく。もうめちゃくちゃ面白いですね。「公共とは何なのか」の本質を見た気がしました。
さいきいんよく「もれる」について考えています。来週、歴史学者の藤原辰史さんとお話する予定があって、そのイベントのタイトルが「『ふれる、もれる』社会をどうつくる?」なんです(すてきなタイトルですよね)。よりあいのお年寄りたちは、まさにもれまくっているわけですよね。もれてくるものが別の人のうつわに流れ込み、すぐにそれもまたもれて別のうつわを潤し・・・社会らしきものは、そうやってできあがるのかもしれません。わたしは利他はうつわだと思っていたのですが、むしろMさんの頭のように、穴のあいたうつわでないとだめですね。
村瀨さんのお手紙を読んで、村瀨さんたちの施設の名前がそもそも「よりあい」であることに、今更ながら思い至りました。よりあいって会合のことですから、公共の場ですよね。村瀨さんたちの活動は、伝照寺というお寺のお茶室から始まったとうかがっています。これは「老人ホーム=家」の保護されたプライベート空間のイメージとはだいぶ違いますね。
「お寺の集まりに行きましょう」と言うと、外出をいやがるお年寄りも来てくれた、と書かれています(下村恵美子『宅老所よりありの仕事 生と死をつなぐケア』)。ぼけの深まったお年寄りが行きたいと思った「よりあい」って、もともとどんな場だったんだろう。気になって、宮本常一の『忘れられた日本人』(一九六〇)を開いてみました。
開いてみてびっくりしました。宮本が記述する七〇年以上前のよりあいの姿が、村瀨さんの描き出す宅老所よりあいの風景と、重なって見えたからです。
宮本が記述しているのは、対馬の西海岸にある伊奈の村のよりあいです。昔はクジラがとれたところだそうです。
宮本は伊奈の村に帳箱に入った古文書があることを知り、それを貸して欲しいと村の老人に相談します。ところが老人に、「そのような大事なことはよりあいで話し合わなければいけない」と言われる。そこから、どんどんよりあいの時間に巻き込まれていきます。
その日はたまたまよりあいが開かれていたので、宮本は参加者のひとり(老人の息子)に帳箱を託して、結果を待ちます。ところが昼をすぎても、息子はさっぱり帰ってこない。宮本はやきもきします。あちこち旅をしながら調査をしていたので、時間を有効に使いたいのです。しびれを切らして、よりあいが開かれているというお宮に自ら出かけていきます。
お宮に着くと、板間に20名ほどの村人が、外の樹の下にも3人5人と集まって話しています。雑談をしているように見えますが、こんな状態がもう二日も続いているらしい。「この人たちにとっては夜もなく昼もない。ゆうべも暁方近くまではなしあっていたそうであるが、眠たくなり、いうことがなくなればかえっていいのである」(宮本常一『忘れられた日本人』岩波文庫、1984、kindle位置No.84)。
聞けば、宮本が気にかけている古文書の話も朝に一度議題に出されたと言います。でも結論が出ないまま今はもう午後三時。議論が紛糾してまとまらないのではありません。区長が議題をあげても、みんなすぐに違う話題に移ってしまうのです。つまり、話がとぶのです。
区長から切り出すと「いままで貸し出したことは一度もないし、村の大事な証拠書類だからみんなでよく話しあおう」ということになって、話題は他の協議事項にうつった。(宮本常一『忘れられた日本人』位置No.89)
「みんなでよく話しあおう」という意志と、「他の協議事項にうつった」という行為のギャップに、思わず吹いてしまいそうになります。まるで肩透かしです。現代風に言えば、「スルー」されています。
じゃあ古文書のことは忘れられたのか。どうもそうでもないのです。むしろ本当に、「よく話し合う」ためには、「話をうつす」必要があるのではないか、とさえ思えてくるのです。
しばらくすると、ある老人が、「旧家に伝わる御判物を貸したところ、返してもらえなかった」という話を始めたと宮本は記しています。
そのうち昔のことをよく知っている老人が、「昔この村一番の旧家であり身分も高い給人(郷士)の家の主人が死んで、その子のまだ幼いのがあとをついだ。するとその親戚にあたる老人が来て、旧家に伝わる御判物を見せてくれといって持っていった。そしてどのように返してくれとたのんでも老人はかえさず、やがて自分の家を村一番の旧家のようにしてしまった」という話をした。それについて、それと関連あるような話がみんなの間にひとわたりせられてそのまま話題は他にうつった。しばらくしてからまた、古文書の話になり、「村の帳箱の中に古い書き付けがはいっているという話はきいていたが、われわれは中味を見たのは今が初めであり、この書き付けがあるのでよいことをしたという話もきかない。そういうものを他人に見せて役に立つものなら見せてはどうだろう」というものがあった。するとまたひとしきり、家にしまってあるものを見る眼のある人に見せたらたいへんよいことがあったといういろいろの世間話がつづいてまた別の話になった。(位置No.91-101)
御判物とは、幕府が大名に領地を与える際に使われる文書のことだそうですから、これは大ごとです。土地の権利書が盗まれたようなものです。
おもしろいのは、それにつられてみんなも、「それと関連あるような話」をひとわたりしていることです。どんな話が飛び出したのでしょうか。「親父が八っつあんに鍬を貸したのに俺の代になっても返ってこない」。「それならうちも提灯を貸したままだ」。まずはそんな、貸し借りをめぐる災難の話でしょうか。あるいは、その旧家に関して「嫁が病気がちなのはバチが当たったのにちがいない」のような因果応報の話をしたかもしれません。
宮本によれば、そうこうしているうちに話はまたそれていくのですが、自然と関連があるような話にもどっていくんですよね。いや、もどったように感じるだけなのかな。いずれにしても、もどってきたときには、なぜかさっきとは逆向きのエピソードばかりになっていたりもする。つまり、さっきは古文書を見せることに対して慎重になることを促すようなエピソードばかりだったのに対し、こんどはむしろ「見る眼のある人に見せたらたいへんよいことがあったといういろいろな世間話」が続いたりするのです。
ここでとても大事なのは、つぎつぎと出てくる世間話に対して、賛成や反対といった「判断」をしていないことですね。要するに「ぼ〜っ」とさせておく。宮本もそのことに注目しています。「話の中にも冷却の時間をおいて、反対の意見が出れば出たで、しばらくそのままにしておき、そのうち賛成意見がでると、また出たままにしておき、それについてみんなが考えあい、最後に最高責任者に決をとらせるのである」(位置196-201)。
前回の村瀨さんのお手紙で「ぼ〜っとすることで感覚が開き、いろいろなものと共に在ることができる」というお話がありました。対馬のよりあいも、まさにそうなんだと思います。
狭い村社会で、「〇〇に関しては△△するのが筋だ!」なんて理詰めでやっていったら、絶対にしこりが残ります。「あいつは俺の意見に反論したけど、うちの爺さんがあいつの曾祖父さんにしてやった恩を忘れたのか」なんてことになりかねない。
だから理屈ではなく具体例で話したほうがいい。そして、話を着地させずに、ぼ〜っとさせておいたほうがいい。宮本はそれを「話に花が咲く」と表現しています。
話といっても理屈をいうのではない。一つの事柄について自分の知っているかぎりの関係ある事例をあげていくのである。話に花が咲くというのはこういう事なのであろう。(kindle位置No. 128)
でも、どうでしょう。「花」というのでは、根をはりすぎているような気もします。よりあいでの会話は、次から次へと調子良くつながっていくというよりも、自己完結的で、手応えを求めないような、独り言的な公共性だったのではないでしょうか。
もし「話」というものが目に見えたなら、よりあいが開かれていた空間には、ふわふわ漂うシャボン玉みたいなものがいっぱい浮かんでいたんじゃないか、という気がします。たまたま目の前に来たシャボン玉に触発された人が、自分の知っているエピソードをもらす。まわりが聞いたのか聞かなかったのかもよくわからないまま、シャボン玉は別の方向に飛んで行き、たがいにくっついたり、割れたりする。シャボン玉が視界をじゃますることもありそうです。
フレーミングされないまま、宙に漂う話。誰のものでもないからこそ、各々が、その余白に自分の知っているエピソードを追加できるようになる。対馬のよりあいに来ていた人は必ずしもお年寄りではなく、またぼけでもなかったはずですが、そこには福岡のよりあいに通じる、話を公共財化する無意識の仕掛けがあったようにも思えてきます。
よりあいは中世・近世の昔から行われていた相談の方法ですが、もっと近代的な集まりのなかにも、実はあれやこれやの「ぼ〜っとする仕掛け」があるのかもしれません。
実は二年ほど前に、会議の調査をしていたことがあります。コロナのせいで中断してしまって、まだ再開できていないのですが、ある出版社の方にお願いして、月刊誌の編集会議を見学させてもらっていました。
会議の調査なんてして楽しいの? と言われるのですが、会議って、自分がその中に入ってしまうとたいていは苦痛なのですが、外側から見ている分には、ものすごく楽しいのです。十名弱の人たちが額をつきあわせて、真剣に話している。専門用語や聞き慣れない固有名詞が私の耳にも断片的に聞こえてくるのですが、その意味するところはいまひとつ分かりません。でもしばらく聞いていると、断片が重なって、「こういう話かな」という像がなんとなく結ばれてくる。それは、平田オリザの「静かな演劇」を見ている感覚にかぎりなく近いものでした。
なかでも私が注目していたのは、毎回の会議を進行していた編集長の、独特の言葉づかいでした。よりあいとはちがい、あらかじめ決められた議事にしたがって進む一般的な会議の形式なのですが、その進行のさなか、ところどこで編集長がやおら語尾をのばし始めるんです。
「で、今日の3時から、それを5階でやる予定でーす」
最初は、なんか居心地がわるいなと思っていました。この「でーす」は、一見すると、同僚に向かって自分の予定を宣言しているようでもあります。でも呼びかけるのとは少しちがっていて、自分に向かって独り言を言っているような、忘れないようにリマインドしているだけにも聞こえる言い方なのです。会議机の、なんとも中途半端な位置に言葉が落ちたように感じました。
でもその居心地のわるさが、実は「ぼ〜っ」を作る仕掛けでした。編集長がそうやって語尾をのばすと、それまで黙っていた他のメンバーが次々と口を開きはじめるんです。「それなら××についてアピールしたほうがいいですよ」とか「△△さんに連絡しておいたらどうでしょうか」とか。編集長は、語尾を伸ばすことによって、トピックを公共財化していたのです。
そのときに見られる参加者たちの態度も面白いものでした。トピックはいったん公共財化してしまうと、どんどんそれていくんですよね。取材の話が割烹着の話になり、野口体操の話になり・・・まさに、「よく話し合あうためは話をうつす必要がある」ことを証明しているかのようでした。みんなでトピックをいったん見失う。このまどろむような時間を、編集長の「でーす」は呼び込んでいたのです。
介助され上手な人にも、ぼ〜っとした人が多いように思います。知人の西島玲那さんは、全盲なのですが、してほしいことをなるべく言わないんです。介助者と一緒に歩くと、「その人の中で『してあげたいこと』が一歩歩くごとに変わるのが面白い」と彼女は言います。「それが自分の「してほしいこと」のせいで隠れてしまうのがもったいない」と。障害や当事者というと、二言目には「ニーズ」という言葉が出てきますが、彼女はむしろニーズを曖昧にし続けることで、いろんな可能性を引き出しているんです。
先日も、盲導犬と初めて東京から新潟に旅行に行ったときのことを聞きました。驚いたことに、彼女は新潟についてからの予定を全く立てずに出かけているんです。かろうじてホテルはとってありましたが、観光先や食事場所は一切決めていない。まだスマホもない時代です。現地で調べるつもりもなく、本当に風まかせなんです。
たまたま出会った再雇用の香りがする新潟駅のおじさん(本人談)が教えてくれた行き先は、川沿いにある展望台でした。全盲の私に展望台? と彼女も一度は心の中ではツッコミを入れたのですが、ちゃんとタクシーにのって展望台に行くんですよね。
そうすると行った先の施設の人が、あわあわした風情で声をかけてくる。でもこの人が、彼女とかかわるうちにどんどん介助が上手になっていくんです。最初はとまどった様子だったのに、次第に展望台から見えるものを話してくれるまでになる。
ぼ〜っとしていることで、彼女はまわりの人の潜在的な力をどんどん引き出していくんです。
利他ってなんだろう、と思います。障害という観点で考えれば、彼女はサポートしてもらっている側、助けてもらっている側にはちがいありません。でも実際に起こっていることを見れば、むしろ彼女こそ利他的なんです。彼女と関わることで、自分にびっくりする人が多いのではないかと思います。
もちろん本人は「利他的に振る舞おう」などとは微塵も思っていません。ただただ目的を着地させず、ぼ〜っとしていることによって、関わる人に居場所を与えています。思えば、「『してあげたいこと』が一歩歩くごとに変わる」というのは、対馬のよりあいの会話が次々とそれていくのに似ていますね。利他と「ぼ〜っ」の関係が、ちょっとだけ見えてきたような気がします。
編集部からのお知らせ
本文中にも登場した、ちゃぶ台編集室「『ふれる、もれる』社会をどうつくる?」のアーカイブ動画を期間限定配信中です!
ちゃぶ台編集室「『ふれる、もれる』社会をどうつくる?」のアーカイブ動画を4/2(金)までの期間限定で配信中です。こちらの連載のこともお話にあがっていました。ぜひご視聴くださいませ。
参加者の方のご感想
学級委員長藤原さんの投げるまともなボールを天然伊藤さんがいちいち面白いところに返すので、驚きと愉しさと可笑しさに溢れていて、示唆に満ちた豊かな時間を頂きました。この対談を聴く前の自分には戻れない(笑)感じです。