ぼけと利他 村瀨孝生と伊藤亜紗の往復書簡

第15回

感覚と行為の打ち合わせ(村瀨孝生)

2021.04.28更新

 「利他学会議」。まさに体育会系合宿でしたね。あの二日間におよぶ合宿に九州の地から参加させていただきました。東京に行かなくても、その場に居なくても「打ち合わせ」の臨場感を感じることができるなんて驚きです。どの分科会も興味深々でした。夜にあったエクスカーションは不思議な感覚に包まれながら、いろいろ考えさせられました。
 改めて考えると、介護って、ず~っとチューニングばかりしている感じがします。電波の入りづらい場所で耳を澄ましながら周波数を合わせる。様々な雑音に紛れて聞こえてくる複数の声や入り乱れるメロディーの中からお目当てを捉えるためにダイヤルを回す。

 僕には日課があります。出勤するとアイ子さんという深いぼけを抱えたお婆さんの横に座ります。「おはようございます」と挨拶しながら顔を覗き込みます。目が合うとコンタクトを取ってくれるのですがちょっと変わっています。
 口からサインのようなものが送られてきます。僕も真似をしてみます。アイ子さんが口をとがらせると僕もとがらせる。アイ子さんが口角を上げれば僕も上げる。ふたりで忙しく口を動かし合います。
 そんなことをやっていると、徐々にアイ子さんの気分が上向きになっていくのが伝わってきます。「うわ~」とか「あら~」、「そうそう」と文脈にならない言葉が飛び出し始めます。顔もほころんでくるので、僕もアイ子さんと繋がった気分になります。
 お互いに真似しあいこしているとチューニングが早く合ってくる。それは、アイ子さんに限らず、他のお年寄りでもよくあることのように感じます。伊藤さんが言うように「言葉よりも体のほうがうっかりしている」から関係が生まれやすいのかもしれません。

 よりあいに就職した新人さんは経験者であろうとなかろうと「何もしないでお年寄りと一緒にいる」という時間を設けるようにしています。「何もしない」とは「介護しない」ということなんです。介護施設に就職して介護しないなんて「そんな馬鹿な」と思われるかもしれません。新人さんの中には混乱する人が少なくありません。
 よりあいに就職して18年になる大ベテランがいます。彼女は新人のとき、混乱した職員のひとりです。何もしないでお年寄りと一緒にいるだけで「お金をもらっていいのだろうか?」「私は介護員として信用されていないのだろうか」と様々な思いがよぎったと言います。当時、利用者であるキヌヨさんが彼女のことで僕に相談があると言ってきました。
 「最近、若い女の子がここに来たろうが。あの人はノイローゼね?」と聞いてきたのです。あの人とは彼女のことでした。「え~っと」僕は答えに窮しました。返事を待つことなく「ノイローゼは気を遣おうが。どげんして、声掛けたらよかろうか。まだ、若いのに、こげなところに来ないかんとは気の毒~して」と言いました。キヌヨさんは新人さんをノイローゼと勝手に診断していました。そして、同じ利用者と思っていたのです。

 キヌヨさんの現状認識には興味深いものがあります。よりあいは、ぼけのある老人たちの集まる特殊なところと了解している。インフルエンザのワクチンを打つために必要な問診票には既往歴を記入するところがあるのですが、キヌヨさんは「私はここに認知症ち、書かんといかんとかいな?」と質問する人ですから。
 それでいて、新人さんのことを職員だとは思ってもいない。「ノイローゼの為に通わざるを得なかった利用者」と思い込んでいる。気の毒な新人さんをどうのように自分たちの仲間に迎え入れたらよいものかと考えあぐねていました。
 キヌヨさんは悶々として曇りがちな顔をした新人さんにピントを合わせていました。ところが新人さんは「私のすべき介護」にピントを合わせています。これは、介護現場によくあることだと思います。どのような既往歴があって、どんな機能障害を抱え、どうしたら適切な介助ができるのかで頭がいっぱいなんです。また、新人さんはいち早くケアチームの一員にならなければと焦ります。よって、先輩職員の動きに目が釘付けになる。キヌヨさんのまなざしに目線が合いません。お年寄りが居場所をつくり、招き入れようとしていることに気付いていないようでした。

 往々にして僕たちはお年寄りからケアされていることに気が付くことなく、お年寄りをケアし始めるのです。お年寄りと感覚を合わせながら、存在に触れていくような環境が必要だと考えました。
 お手紙を読んで「何もしない(介護しない)で一緒にいる」とはチューニングのひとつだなぁと思いました。「動きに人格が宿ると声になる」とお手紙にあったのですが、なるほどと思いました。声のトーンやリズム、緊張して座る背中、髪をなでるときの仕草、話すときの目や手の動き、驚いた時の表情、笑い声にある波動。自分でも気がつかないうちに体の動きが「わたしという人間」を丸出しにしています。一緒にいるだけで体と体は、それぞれにある特徴や癖を拾い合っていて、迎え入れたり、拒絶したりしている。そんな時間を重ねていけば、焦らずともチューニングはされていく。一緒にいるだけで同調する。ズレを保ちながらでも同調する。それが人間の体なんじゃないかと感じます。

 さらに、チューニングは亡くなった人との間でも起りうる。少なくとも僕にはそう思える出来事がありました。亡くなったミチコさんのことが不意に思い出されたのです。そして、「ああ、そうだったのか」と了解できたことがありました。
 ミチコさんは当時でいう問題老人でした。「不潔行為」と「盗癖」がその理由です。脱肛があって、自らオムツを当てていました。当時は紙パッドなどなく布製のオムツでした。ビニール製のオムツカバーで包み込んで使用します。
 ミチコさんはありったけの清潔な布オムツをリネン室から自室に持ち込んでしまいます。オシッコで汚れたものも手放しません。「不潔行為」=「汚れたおむつを手放さない」、「盗癖」=「リネン室から勝手に持って行く」という具合で問題化されます。
 オムツを取られないようにする。汚れたオムツを速やかに回収する。この二つを実行するために職員集団は一丸となります(水面下では武闘派とハト派に分かれています)が、ミチコさんの方が一枚も二枚も上手で狐と狸の化かし合いのようでした。
 ミチコさんはある行動を取り始めました。放送休止中のテレビをつけっぱなしにします。夜勤者が消しても、消しても、スイッチをオンにする。これも、問題行為として加わりました。それと、ベッドの柵に濡れたオムツをひっかけます。これも新たな「不潔行為」になりました。まだ、若かった僕はこれが痴呆(認知)症の周辺症状なんだと理解していました。 
 ミチコさんは転倒による骨折で動けなくなり「盗み」も「不潔行為」も行うことができなくなります。そのような形で問題行動が解消しました。やがて、問題老人扱いされていたことすら忘れられていきました。

 30年以上が経過したある日のことです。車を運転していると唐突に老人ホームの4人部屋の風景が目に浮かびました。ミチコさんの部屋です。深夜の暗闇に放送休止したテレビが光を放っています。手すりにはおしっこで濡れたおむつが掛けられている。
 そのとき「あ~、ミチコさんはテレビの光でおむつを乾かしていたんだなあ」とふと思いました。「放送休止のテレビをつける」こと。「手すりに汚れたオムツを掛けること」。そのふたつの行動につながりがあるとは思ってもいなかった。あれは問題行動というより、ミチコさんにとって生活の営みだったんだ。どうして分からなかったのだろう。
 あの時、「ミチコさんは不潔行為がある人だと思っていたけれど、実はとても清潔な人でオムツがたくさん欲しかったんだ」と。介護する僕たちがそのことを理解できなくてオムツ泥棒扱いしていたのだと。閃くように了解できました。
 なぜ、急にこんなことが起こったのかちょっと不思議でした。これも、僕の独りよがりかもしれません。けれど、そうとは思えない確信のようなものを感じるのです。
 ミチコさんとお別れして30年。たくさんのお年寄りと関わりました。その都度、いろんな体と感覚合わせをし、行為を共にしてきました。それは感覚と行為の打ち合わせのようなもので、その蓄積がある種のメソッドをつくりだし、理解につながったのではないか。砂連尾さんのお話からそのようなこと考えました。

 よりあいは開所から30年になります。
 昨年の春、ある女性が挨拶に来ました。当地区の社会福祉協議会に赴任してきた若い女性です。「お久しぶりです、マホです」。僕は誰だろうと戸惑いました。顔をじっくりと見つめると、見覚えのある感じが面影に宿っているのです。
 「もしかして、あのマホちゃん?!」と声を上げると「そうです。あのマホです」と呼応するように声を上げます。26年前に利用者だったノリコさんのお孫さんでした。出会ったときは幼子です。お父さんの転勤で遠方に引っ越して以来の再会でした。僕も歳を取るはずだとしみじみ思いました。一緒に地域活動をすることになるなんて感慨もひとしおです。ノリコさんの面影があるマホさんの顔。なんともいえない喜びが湧いてきます。これまで感じたことのない喜びでした。
 母をよりあいで看取った娘が、夫をよりあいで看取り、息子からよりあいで看取られる。そこに職員たちが立ち会い続ける。世代をまたいだ介護や看取りも始まっています。よりあいという場所は介護施設という機能集団を超えてきた感じがします。
 人と人の繋がりから利用が始まったり。ともに看取ることで関係がさらに深くなったり。死者が生者を繋げているのだなと。普段は気にも留めずにいますが、そこで暮らす人たち、働く人たちのなかに死者が宿っていると思えてきます。

 30年という、短いような長いような年月には、育み合い、培い合う関係というものがあるのですね。利用の在り方が直系化しながら傍系化していく。それは、空に向けて枝葉が伸び広がるように目に見えるものではありません。地下深くへ、真っすぐに伸長させながら横へ、横へと広がる根の営みのように思えました。ソロでデュオを踊るうちに見えない繋がりはトリオになり、カルテット、クインテットへと広がっていくのかもしれません。

村瀨 孝生/伊藤 亜紗

村瀨 孝生/伊藤 亜紗
(むらせ・たかお/いとう・あさ)

村瀨 孝生

1964年、福岡県飯塚市生まれ。東北福祉大学を卒業後、特別養護老人ホームに生活指導員として勤務。1996年から、「第2宅老所よりあい」所長を務める。2015年4月より特別養護老人ホーム「よりあいの森」施設長。著書に『ぼけてもいいよ』(西日本新聞社)、『看取りケアの作法』(雲母書房)、『おばあちゃんが、ぼけた。』(新曜社)など多数。

伊藤 亜紗

東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター、リベラルアーツ研究教育院准教授。マサチューセッツ工科大学(MIT)客員研究員。専門は美学、現代アート。もともと生物学者を目指していたが、大学3年次より文転。東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了(文学博士)。主な著作に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)など多数。

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