ぼけと利他 村瀨孝生と伊藤亜紗の往復書簡

第19回

お迎えを待つ(村瀨孝生)

2021.07.04更新

 オンラインの対談から1年が経つのですね。それから始まった往復書簡を「お手紙」と呼んで下さることが、とても新鮮でした。ちょっと待ち侘びる感覚がありました。僕の日常において、その感覚が少なくなっていることにも改めて気が付きました。
 昔、駅には「伝言板」という黒板がありました。待ち合わせの時刻が過ぎても予定の電車から降りてこない。待つか、それとも伝言を書き残して立ち去るか。イライラしたり、心配したりと、心を乱しながら待ち侘びている人が多かったことでしょう。その当時の駅は「躊躇いと待ちの溜まり場」そのものだったでしょうね。
 今は携帯電話があるので、そんなこともありません。すぐに、つながるので、どうなっているのか分からない状況にヤキモキしないで済みます。けれど、その即時的なところに厄介さも感じます。怒り心頭とはよく言いますが、直情に任せて電話やSNSに投稿してしまうと、取り返しのつかない事態に及ぶこともあります。一晩眠って体を休ませれば腹の虫も収まることだってあるのですが・・・。どうにもならない状況に身を委ねて成るに任せることが難しくなりました。

「待つ」ことは「つながり続ける」ことへの表明でもありますね。
 あるお爺さんのことを思い出します。たまごボーロと酒しか口にしない人でした。あまりの偏りに「栄養のバランスが悪いんじゃないか」と関わる人たちが心配します。ヘルパーさんを派遣して食事を作るのですが、箸をつけようとしません。それどころか、せっかく作った「ごはん」を皿ごとひっくり返してしまいます。明らかな抗いの狼煙です。
 そんな調子ですから、そうそうにヘルパー派遣を中止して「入院を促そう」という話に傾きました。たしかに生活は不健康に見えます。けれど、入院はちょっと勇み足です。あんなに酒を呑むのに肝臓に悪い所見が見当たらないと医者が驚くのですから。
 とりあえず、たまごボーロを200粒も採れば一食あたりのカロリーに申し分ありません。その食生活に任せながら、とにかく、今はヘルパーさんが「ごはん」を作り続けることが必要であると思えました。作り続けてさえいれば、食べることを選択する日がやってくる気がしたのです。
 ヘルパーさんの作った「ごはん」があるからこそ、お爺さんは「食べない」という選択ができました。それは、お爺さんが人とつながっている証でもあります。断られるために食事を作ることにしました。
 やがて、ほんの少しだけヘルパーさんの「ごはん」に手を付ける日がやって来ましたが、たまごボーロが主たる食事であることに変わりはありませんでした。大きな変化は違う形で現れます。同様に断られ続けていたデイサービスに「行ってやってもいい」と言い出したのです。
 伊藤さんの言葉を借りれば、ヘルパーさんの「数打ちゃ当たる」戦法が時間をかけて、お爺さんの「気」を変えたのです。躊躇いと待ちの溜まる坩堝で生まれた出来事ですね。「待ち」とは「稼働しない時間」に付き合うことでもあり、ヘルパーさんは「嫌」を溜め込むコンポストだったのですね。

 立ち上がるまで待つ。歩き出すまで待つ。食べ終わるまで待つ。ウンコが出るのを待つ。目覚めるまで待つ。あの世からのお迎えを待つ。老いの世界はまさに、「待つ」のオンパレードです。
 深い老いを迎えたお年寄りの「歩くか、歩くまいか」は、当事者の意思による選択というより、「それは体に聞いてくれ」といった具合に、成るに身を任せている感があります。あるお婆さんに「歩けますか?」と聞くと、「はぁ?」という顔をして自分の足に「歩きますか?」と聞いていました。お婆さんも体が動き出すのを待っている。

 期待して待つ。首を洗って待つ。待ち焦がれる。待つにもいろいろあるのですが、やはり、「お迎えを待つ」は僕にとって特別です。その瞬間に間に合うように、なぜかしら努めます。
 息を引き取る瞬間を見届けようとするのはなぜだろうかと、自問する時があります。逝く人から「その瞬間に立ち会ってくれ」と頼まれたことはありません。生きているあなたに、もう二度と会えないからでしょうか。
 ひと昔前のことです。あるお婆さんにお迎えが来たのですが、予見できませんでした。というか、当初の予見がすっかり外れてしまい、見当がつかなくなっていました。冬眠するかのような体の穏やかさに、死への着地を感じ取れなくなっていたのです。
 思い切って休みを取ったその日に、お婆さんの様子が変わりました。「ちょっと、呼吸が・・・今から動画を送りますね」と職員。携帯電話の画面には喘ぐお婆さん。そんな形で、お年寄りの呼吸を観るなんて初めてのことです。雰囲気は伝わるのですが、モニター越しだとよく分からない。

 指先は「ふち」なんですね。お手紙を読んでいると、看取りは互いの体の「ふち」を合わせて行っているんだなぁと思いました。指が熱いと感じたら、その時点で熱いんです。そこに、思考の余地はありません。熱すぎたらクーリングして、冷たすぎれば温める。呼吸がゼイゼイすれば、ゼイゼイしない体の向きを見つける。体の反応に体が応えて動く局面があります。死に逝く体の「ふち」を触る指先は内部の躍動に耳を澄まします。

 天寿を迎える体は弱々しくありません。それは、僕の感覚的な理解です。
 体内に残される限られた水分が隅々に行き渡るように、細胞や臓器は協力し合う。オシッコやウンコ、すべての老廃物を滞らせながら腸は水分を再吸収する。ゆっくり、まったりと活動しつつ、心臓と肺は忙しくなる。粘度の高い血液を循環させるために心臓は圧を上げ鼓動を早める。息苦しそうな細胞たちと臓器に応えて、肺は一生懸命に拡張し収縮する。高回転の熱気と滞りの冷気に包まれた体にある連携と連動は体史上絶好調を迎える。
 
 指先の「ふち」で、死に逝く体の「ふち」を触る。そこから伝わってくるものは、「カサカサ、シットリ、ピタピタ、サラサラ」。「ヒンヤリ、ポカポカ、ジリジリ、カンカン」。「トク、トク」。「ドク、ドク」。「ドックン、トク、トク」、「スヤスヤ、ヒーヒー、スース―、パクパク」だったり、します。
 それは、強かったり、弱かったり。ゆっくりだったり、速かったり。浅かったり、深かったり。動いているのに触れなかったり。体はとても穏やかに躍動していて、そこにある恒常性を邪魔しない方がよいと思えてきます。
 いよいよ最期になると「教えてもらう」ために触ることは控えめになって、生理的に快適であるためだけに触り続けます。「ジトジトがサラサラ」になり「ゼコゼコはスヤスヤ」となるように。
 お迎えを待つときに、僕たちが気を付けることは「阻害しない」ことです。老衰で死ぬことは極めて自然の成り行きです。僕たちが特別なことをしなくても、それは自ずと成る。コンポストの中のクズたちが土に還るように。
 そうやって、お迎えを待っていると時間がゆっくり流れ始め、空間に粘りが出てきて、まったりする。ともに生きることは躊躇いと待ちの連続です。看取りはそのひとつに終止符が打たれる場です。そこに生じる「労い」のようなものから「つながり」はさらに深くなるように思えます。それは死者が生者に残す「縁」かもしれません。

 お迎えの時を肌で感じると、潮の満ち引きの時間を調べることがあります。当たったり、外れたりします。夜更けから朝にかけて息を引き取る人が多く、昼の日中に亡くなった人の記憶はありません。天気と関係があるのでしょうか。
「天気に影響を受けた自分の体調の変化は、天気の症状であって自分の症状ではないのではないか?」という伊藤さんの自問自答はすごく面白いです。さらに「天気は圧倒的に未来志向であるように思います。みんなが気にしているのは、1時間後、3日後、1ヶ月後の天気であって、1週間前や3ヶ月前の天気ではない。」と、お手紙にありました。
 確かに、天気に対する僕たちの志向は「未来」にばかり向いていますね。人間には「より、もっと」という癖があって、大量の生産と消費を高回転させる現在のシステムが、その癖に拍車をかけている感じもします。

 そもそも、天気は「いま、ここ」ですよね。太陽の光を受けて、大地は熱気を、森は冷気を、海は水蒸気を生み、風と雲と雨を育てる。風と雲と雨は成長しながら大地と森と海を耕す。生き物たちも分解エネルギーを大いに発して、その営みに乗っかります。
 太陽と地球、そこに住まう生き物や物質、宇宙にあるすべての営みが同時に絡み合った集大成が天気に生る。天気自体は「いま、ここ」に生っていて、「変化する波」であり「溜る」ことのない瞬間の連続であるように思えます。
 人間生活との関係から考えると、天気は個々の体に「快」「不快」を与えるだけでなく、命の与奪に深く関わります。それは、家族や一族の歴史を変え、共同体を繁栄させる一方で壊滅させたりもする。天気とその痕跡には人の情念が深く溜め込まれているようにも感じます。天気にある複雑怪奇さに人は祈らざるを得なかったと思います。
 干ばつの厳しい国や地域にある雨乞いには、「人の気」を体ごと届けて「天の気」を変えようとする本気があります。無鉄砲な謙虚さと情動的な不遜に感動すら覚えます。

 ともかく、生き物にとって、ご機嫌な天気は活動を好調にしますし、荒ぶる天気は絶好の骨休めになります。虫たちは雨に打たれてまで働きませんし、強烈な日差しに射られれば葉陰に隠れます。寒さには冬眠して春を待ちます。
 ご機嫌な天気も荒ぶる天気にも「ケア」の側面があると思うのですが、人間社会はその「ケア」から遠ざかった感があります。天気に左右されることなく大量に生産することを計画し、着実に納期が守られ、大量に消費して経済を潤すという真面目で独りよがりのシステムは、判で押したような安定ぶりを人に求めます。天気と共にあった農林水産業も今やこのシステムで稼働する無理が余儀なくされているように思います。
 滞りなく生産するために「待ち」を過剰に無くしてしまうと、自ら回転させた回し車のスピードについていけず弾き出されるハツカネズミのような状況を作り出すのではないでしょうか。天気はその活動に「待った」をかけてくれるはずです。新型コロナウイルスがそうだったように。

 頭の作った計画を生身が投げ出す。「天の気」に「人の気」を合わせてみたり、外してみたりする。そうやって「いま、ここ」へタイミングを合わせることに生理的な「快」があるはず。よりあいでは、計画(仕込み)はするけれど納期を設けない、道具を駆使しても「生身の限界」を補完しない、食事や排泄、入浴といったケアを「当番制」にして職員を充てない、をできるだけ仕組みながら生活の場をつくってきました。そのために気を付けたことは「引き際の見極め」でした。「潮時」のあることを集団で知るのです。

 僕個人としては「虫のように働きたい」と願う今日この頃です。伊藤さんは天気に合わせて骨休めしていますか? それでは、また。

村瀨 孝生/伊藤 亜紗

村瀨 孝生/伊藤 亜紗
(むらせ・たかお/いとう・あさ)

村瀨 孝生

1964年、福岡県飯塚市生まれ。東北福祉大学を卒業後、特別養護老人ホームに生活指導員として勤務。1996年から、「第2宅老所よりあい」所長を務める。2015年4月より特別養護老人ホーム「よりあいの森」施設長。著書に『ぼけてもいいよ』(西日本新聞社)、『看取りケアの作法』(雲母書房)、『おばあちゃんが、ぼけた。』(新曜社)など多数。

伊藤 亜紗

東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター、リベラルアーツ研究教育院准教授。マサチューセッツ工科大学(MIT)客員研究員。専門は美学、現代アート。もともと生物学者を目指していたが、大学3年次より文転。東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了(文学博士)。主な著作に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)など多数。

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