ぼけと利他 村瀨孝生と伊藤亜紗の往復書簡

第22回

ほんとうの姿かたち(伊藤亜紗)

2021.08.24更新

 笑い話みたいな話ですが、西島玲那さんによると、盲導犬セラフが生前いちばん嫌がっていた言葉は「犬みたい」だったそうです。二人でひとつのような世界に生きていて、「主導権は玲那さんというよりちょっとセラフ寄り」だったそうなので、きちんとしたプライドもあった。そこらへんのペット犬とはちがう、いやいや自分は人間だ、とどこかで思っていたかもしれません。だから、セラフが困ったことをしたときに「えー、そんなことすると犬みたいだよ」と玲那さんが言うと、セラフは嫌がっているように玲那さんには見えた。それは、彼が日々気を配っているもの、彼が感じようとしているものがつくりあげた、目には見えない彼のほんとうの姿かたちですね。
「当事者が直面しているのは、「正」「誤」でも「正常」「異常」でもない、「わたし」が生き生きと感じていること」という村瀨さんの言葉に深く感銘を受けました。私が体についての研究をしている理由も、まさにそこにあるのだと思います。
 体というとリアルの代表みたいに言われることが多いのですが、その実態は、内臓や筋肉といった物理的な存在を基盤にしつつも、それを超え出るような「わからなさ」の領域、つまり幻のような広がりを持っています。交通事故で入院した村瀨さんが、ベッド柵にぶらさがっている尿の入った袋を、まぎれもなく自分の膀胱だと感じている。ポリウレタンの袋が同時に膀胱でもありうる、という驚きが、驚きではなく当然の事実に思えるくらいまでその人になりたいというという思いでいつも研究している気がします。それは、物理的にはとらえることのできない幻だけど、その人にとってはほんとうの姿かたちです。
 そのことが分かりやすいのは、たとえば幻肢です。怪我や病気で切断して物理的には存在しないはずの身体部位、あるいは物理的には存在していても麻痺して何も感じないはずの部位が、本人にとっては確かに「ある」と感じられる。幻肢は、自分の体のなかにしまっておくことができたり、逆に床をつきぬけて床下をさぐることができたりと、生身の体以上の奔放さをもって、本人にあらたな感覚をもたらします。目の前で誰かが手すりをさわると、自分の幻肢が触られていると感じることもあるようです。
 ケアするというのは、物理的な体に関わりながら、その人のほんとうの姿かたちのための居場所をつくることなのかもしれない、村瀨さんのお手紙を読んでいて思いました。もちろんそこには、幻肢が痛いと当事者が言ってもその腕をさすることができないように、もどかしさとずれが常に含まれているのだと思います。そうだとしても、その姿かたちが、単なる観念的なものでは終わらずに、何らかの感覚を通して存在感を放ち、それが当事者とケアする人をつなぐというのが面白いなと思います。

 以前、とある記事にも書いたことがあるのですが(注1)、この「姿かたち」に関連して、ファッションの力にハッとさせられたことがあります。ファッションというと自分を着飾るものというイメージがありますが、その根源にあるのは、むしろほんとうの体になることなのではないか。ファッションにも、物理的な体を超えてその人の姿かたちに居場所を与える力があるように思います。
 そう思ったのは、分身ロボット OriHime に服を着せているときでした。OriHime はロボットといっても中にAIや高度なプログラミングが搭載されているわけではなくて、遠隔で人が操作するラジコンのようなマシンです。操作する人はパイロットと呼ばれ、額についたカメラで周囲の様子を見ることができるほか、マイクとスピーカーを使って声で会話することもできます。外出が困難な人がカフェ等で仕事をしたり遠方に観光にでかけたりするときの、代わりの体になってくれます。
 私が借りている OriHime に一番頻繁に入ってくれるのは、私にこの世界の面白さを教えてくれたさえさんです。そのさえさんが、季節ごとに、OriHime 用の服を送ってくれる。人前に出るときのネイビーの勝負服や、肩に蝶々のレースがついたワンピース、麻の葉模様の浴衣まであります。麦わら帽子やマフラー、カバンなどの小物類も充実しています。
 不思議なのは、服を着せると、「似合う」という言葉を使いたくなることです。服が届くとさっそく OriHime に着せて、さえさんに「よくお似合いですよ」などとメッセージをしてしまったりする。その「似合う」は「OriHime に似合う」じゃなくて、「さえさんに似合う」なんですよね。いや、厳密には、わたしはさえさんには一度も会ったことがないので、そういうワンピースや浴衣が実際にさえさんに似合うのかどうかはよく分からないのですが・・・。
 つまり、それは「さえさんの物理的な体に似合う」じゃなくて「さえさんの姿かたちに似合う」なんですよね。OriHime を通して、私たちは OriHime というマシンとも、物理的な人間とはちがう、その人の幻の姿かたちと対話しているような気がします。それは、その人とのやりとりの歴史が作り出す、その人の像のようなものです。その人が何をどのように感じ、それをどのような言葉や声色で表現するのか、といった情報をもとに、「感じ方のパターン」のようなものとして、その人の像を作り上げているのだと思います。
 以前、writtenafterwards というブランドのデザイナーである山縣良和さんが、「服とは人間像をつくるものだ」と教えてくれました。確かに服を着ることによって、その人の中から何かが引き出されてきますよね。何かに形が与えられる。服を作ったり着せたりする作業は、物理的な体を触りながら目指すのは体そのものではないんだ、と知りました。
 ちなみに昨日は、OriHime ではなく NIN_NIN という機体を使ってさえさんと実験をしました。NIN_NIN は忍者の形をした、肩乗りタイプの黒くて小さな分身ロボットです。たとえていうなら、鬼太郎と目玉の親父の関係でしょうか。OriHime と同じように画像と声でコミュニケーションでき、首を動かしてまわりを見回すことができます。
 昨日は全盲の知人の肩に NIN_NIN を乗せて、そこにさえさんが入り、みんなでセブンイレブンにお菓子を買いに行きました。雨降りでしたが、とっても楽しかったです。全盲の知人は、そのあいだずっとニヤけていました。NIN_NIN が首をふるたびに頭部が頬にあたってくすぐったく、さらにはさえさんの声が耳元で聞こえるので、二人だけの親密な世界に入り込んでいるような安心感があったのだそうです。

 ファッションでほんとうの姿かたちに居場所を与える、という意味では、その究極は、着ぐるみを来て完全に変身してしまうことなのかもしれません。
 ばけもさんという、けもの着ぐるみを着て活動している方にお話をうかがったことがあります(注2)。けもの着ぐるみとは、頭からつま先まですっぽり覆う動物の形をしたファースーツのことです。耳だけネコ、とか、しっぽだけ豹、とかではなく、全身がけものです。けもの着ぐるみを含めいろいろな形でけもの文化を愛好する人を「ケモナー」さんと言うそうです。
 ばけもさんは、「ランピィ」というシマハイイロギツネをモチーフにしたきれいな緑色の着ぐるみを着ています。お腹は真っ白で首から胸にかけて立派なふさふさの毛が生えていて、目と肉球はオレンジの実のようなあざやかな橙色。ふだんはサラリーマンですが、ケモナーイベントなどでは着ぐるみを来たランピィとして司会や運営を行っています。
 ばけもさんは「ファーソナ」という言葉を教えてくれました。心理学で、外向きの人格を表す「ペルソナ」という言葉がありますよね。「ファーソナ」とは、これに毛皮を意味する「ファー」をつけた造語で、ケモナーさんたちの世界ではよく使われる言葉だそう。ばけもさんにとっては、離島で群れずに暮らすちょっとひねくれたシマハイイロギツネが自分のファーソナになっています。
 だから、けもの着ぐるみの姿が、一見するとアニメやイラストの影響を感じさせるような、生身の動物とはちょっと違う姿をしていたとしても、ばけもさんのようなケモナーさんにとっては、それは「擬人化」じゃなくて「擬獣化」なんですよね。自分をケモノ化したものがランピィなんです。着ぐるみを着ると息もしづらいし、視界も悪いし、おまけに締め付けもあって苦しい。それなのに着ていると解放感がある、とばけもさんは言います。やむなく脱ぐとなると、引き剥がされるような感覚がある、と。
 面白いのは、着ぐるみを着ることによって、ばけもさんの身体感覚が変わっていることです。たとえば、ランピィは耳が上に生えているのですが、着ぐるみを着ると本当に上のほうから音が聞こえてくるような気がする。ばけもさん曰く、「音を聞く時になんかこの辺(頭の上の方)を使っているなっていう気がすごいする」。「抽象的に言うとなんか、むずむずするようなっていう感じですかね」。着ぐるみを着ることが、単なる役柄という意味での「演技」の枠を超えて、身体感覚的な実感をも書き換えているのが面白いな、と思います。
 耳が敏感になる背景としては、そもそも着ぐるみを着ると視覚情報があまり入ってこない、ということがあります。足元に子供が来たら、姿が見えないまま頭をなでたり背中をさすってあげなくちゃいけない感じになるそう。視野の真ん中がつながらない着ぐるみだと、写真をとるときにもカメラが見えないままポーズをとる必要があるそうです。そんな調子だから、次第に視覚に頼らない感じになっていく。
 触覚にも変化が起こります。着ぐるみを撫でられると、自分が撫でられているような感じがするのだそうです。お腹や背中など人間に対応する部位があるところを撫でられたときにそう感じるのは容易に納得できるのですが、ケモノ耳のような人間と違うところにある部位や、顎の下など動物ならではの撫でポイントを刺激されたときにも、やはり撫でられていると感じるそう。もはや、感覚的にランピィになっているのですよね。ばけもさんは「体が拡張している」と言います。
 ただし、この拡張も、着ぐるみを着てすぐに起こるわけではないそうです。どうやらそこには、時間をおいて「なじむ」ような過程があるようです。ばけもさんは言います。「だんだんだんだん一体化してくる、自分の体が拡張していく。拡張、もしくは変化していくっていうのがあって。その感覚が忘れられないから何度でも着ぐるみを着るみたいなところがあったりしますね」。

 体は奔放ですね。物理的な境界を超えて、違うものを一部に取り込んだり、逆に体の一部を切り離したりする。そうやってできあがる姿かたちには、側から見ると幻でしかなかったとしても、その人が自分の世界を構築するための拠り所になっています。
 体を通して姿かたちにアプローチする。この見方が正しいならば、あらためてケアという営みの奥深さと、身体をめぐる研究の鵺のような捉えがたさを覗き見た気分です。
 

(注1)「よくお似合いです 美学者 伊藤亜紗」『日本経済新聞』2021年5月30日

(注2)「ばけもさん」asaito(伊藤亜紗さんHP)2021年5月25日

村瀨 孝生/伊藤 亜紗

村瀨 孝生/伊藤 亜紗
(むらせ・たかお/いとう・あさ)

村瀨 孝生

1964年、福岡県飯塚市生まれ。東北福祉大学を卒業後、特別養護老人ホームに生活指導員として勤務。1996年から、「第2宅老所よりあい」所長を務める。2015年4月より特別養護老人ホーム「よりあいの森」施設長。著書に『ぼけてもいいよ』(西日本新聞社)、『看取りケアの作法』(雲母書房)、『おばあちゃんが、ぼけた。』(新曜社)など多数。

伊藤 亜紗

東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター、リベラルアーツ研究教育院准教授。マサチューセッツ工科大学(MIT)客員研究員。専門は美学、現代アート。もともと生物学者を目指していたが、大学3年次より文転。東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了(文学博士)。主な著作に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)など多数。

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