ぼけと利他 村瀨孝生と伊藤亜紗の往復書簡

第23回

タマシイのマジ(村瀨孝生)

2021.09.09更新

 「犬みたい」と呼ばれることが嫌いだったセラフ。そうか。もしかしたらセラフは人間/犬といった種を超えていたかもしれませんね。玲那さんもまた同様に。ふたりの魂が繋がっていた、といえばよいのでしょうか。
 う~ん、魂と書いて少し後悔しています。魂の存在については鵺と同じくらい「わからなさ」の領域にあります。魂なるものを語ることは、まだ僕にはできません。けれど、西島玲那さんとセラフの関係に魂を感じてしまいました。ですから、僕の実感から考える「魂」を「タマシイ」と呼んで書き進めたいと思います。

 タマシイについて考えてしまう時があります。それは、関わりの深い人が息を引き取る瞬間に接したときです。体から血の気が引いていくと同時に「何か」が、す~っと抜けていくように感じてしまいます。抜けていく「何か」を五感でしっかりと捉えているわけではありません。見えないし、匂わない、音もなく、味もない。肌ざわりもしかり。ホラー映画を愛好する僕の観念が「何かが抜けていく」ように見せているのかもしれません。やはり、血の気が引くことで、体が淡いピンクから薄いブルーへと変わるさまを捉えた視覚が既存の観念に呼びかけたと考える方が時勢に合います。
 けれど、その人の体が死ぬと「ああ、もうここには居ないんだなぁ」と感じます。にもかかわらず、生きている体が実在しているときよりも身近に感じることがある。その人が僕の記憶の中で生きているからでしょうか。

 「彼が日々気を配っているもの、彼が感じようとしているものがつくりあげた、目には見えない彼のほんとうの姿かたちですね」。セラフに触れた伊藤さんの言葉でタマシイとはそういうものだと思いました。
 「日々気を配っているもの、感じようとしているもの」が体という「うつわ」に溜め込まれていく。その堆積物がタマシイなのかもしれません。タマシイを観念上のものと決め込まず、血や神経とは違う手段で体と通う、生ものとしてのタマシイがあると思いたくなりました。伊藤さんの言葉を借りるなら「観念的なものでは終わらずに、何らかの感覚を通して存在感を放ち、それが当事者とケアする人をつなぐもの」のひとつにタマシイがあると。幻肢には「血肉のかようタマシイ」が関係しているのかも。

 お手紙の15回に登場したミチコさんを憶えていますか。脱肛があって、リネン室からオムツを大量に持ち出したり、汚れたオムツをベッド柵に掛けたり、深夜に放送休止中のテレビをつけっぱなしにするミチコさんです。伊藤さんはミチコさんの部屋を想像してSF的光景と書いていました。僕はミチコさんの行為を30年後に閃くように了解した、と記しました。たしかにそうなのですが、その閃きを招いてくれたお婆さんがいたのです。
 そのお婆さんは家族と暮らしていました。オシッコで濡れたリハビリパンツを捨てずに、ベッド柵に掛けて乾かそうとします。「部屋は臭いし不潔になる。捨てようとすると怒るので困っています。どうしたら止めさせられるでしょうか」とお嫁さんから相談を受けていました。
 その数日後のことです。「汚れたオムツをベッド柵に掛ける」。「深夜に放送休止中のテレビをつける」。あの部屋の光景が鮮明に広がったのでした。ミチコさんの受け入れ難い行動には「テレビの光でオムツを乾かす」という彼女なりの理由があったことに気が付くのです。と同時に、リハビリパンツを乾かすお婆さんへの対応が浮かんできます。お婆さんがベッド柵に干している汚れたリハビリパンツを清潔なリハビリパンツにすり替えるという案です。お婆さんの目を盗んで行うことで、この作戦は実に上手くいきました。
 リハビリパンツのお婆さんがミチコさんの行為を解き明かし、ミチコさんがリハビリパンツのお婆さんへの対応を示してくれた。それは、今は亡きミチコさんの願いであったように思いました。僕の体を媒介にミチコさんとリハビリパンツのお婆さんが会話した感じです。「私」という主体がつくり出したかのように見える閃きや考えは、「わたし」の体に堆積したものたちが、機会を得てそのつど立ち上がっているのだと思えてなりません。

 何が言いたいのかというと、「彼が日々気を配っているもの、彼が感じようとしているものがつくりあげた、目には見えない彼のほんとうの姿かたちですね」という伊藤さんの言葉へと還りつくのです。おそらく介護する体にはこれまで関わってきたお年寄りたちの「日々気を配っているもの、感じようとしているものがつくりあげた、目には見えないほんとうの姿かたち」が堆積しているのではないでしょうか。このような営みは介護する体に限らず、すべての生活する体に生じていると思います。

 その営みは体だけでなく「場」にも生じています。
 妄想力の強いお婆さんがいました。気迫があるのです。ある男性職員の子どもを身籠ってしまいました。もちろん事実ではないのですが、なぜかしら実感してしまった。「子どもは自分で育てます。けれど、ひとつだけ願いを聞いて欲しい。あなたの子であることを認めて欲しい」と強く訴えたそうです。後ずさりしてしまいそうな迫力で。医療言語で説明すれば「妄想」となりますが、生活者の言葉で表現するなら「半端なく自分を信じる力が揺るぎない」となります。
 そのお婆さんが、短期入所を終えて自宅に帰る時のことでした。帰り際に「さよなら」の挨拶をしました。永久の別れとしての「さよなら」です。もう二度と、みなさんに会えないと。お婆さんを自宅までお送りする予定だった職員は、お婆さんの念のこもった「さよなら」に感化され始めます。「お願いだから、そんなこと言わないで」と号泣しました。それはまさに、取り乱すほどの泣き方です。車の運転ができないのでは、と周りが心配しました。ピンチヒッターとして事務員がお婆さんをお送りする羽目となります。
 「どうして、号泣しちゃったの」と尋ねました。「お婆さんが、本当にさよならを言うから・・・でも、よくわかりません」とのこと。お婆さんの「本当のさよなら」が職員にとって「本当」になってしまったようでした。お婆さんの本気(マジ)に、職員も本気(マジ)になったのです。お婆さんのタマシイがマジに「さよなら」を叫び、職員のタマシイがマジに受け止めて泣き乱れた。

 このようなことは計算してできることではありません。ケアする、されるといった関係の外に関係が生まれた瞬間です。そこには計画も専門性もない。僕が注視したいのは計画や科学的根拠に基づく専門性を否定して最初から手放すことではありません。介護職によすがとされた介護計画や専門性を意図せず手放してしまう時間が生じてしまうことです。大なり小なり、どの介護現場にもお年寄りと職員が織りなすタマシイのマジは日々生まれています。
 けれど、それらのマジは自然に堆積してはくれません。計画や科学の求める再現性が、介護現場に「偶然にも生じるものたち」を弾き飛ばしてしまうからです。弾き出されたものたちが溜まり込める余白を「場」に用意する必要があります。その余白は個と個のマジな関係を反映するマジ集団をもつくり出すはずなのです。
 「彼が日々気を配っているもの、彼が感じようとしているものがつくりあげた、目には見えない彼のほんとうの姿かたち」が介護する体に堆積するように、介護する場にも堆積する。その堆積物は「介護する、される場」を「生活の場」へと導いてくれると思います。

 介護していると「私」と「居場所」について考えさせられます。お年寄りの「できなくなる体」と僕の「まだ、できる体」。ふたつの体がシンクロしてひとつの生活行為を成立させます。「息が合わない」。「気が合わない」。「相性が合わない」。「今じゃない」。「ここじゃない」。両者に生じる「合わない」という様々な「抗い」を鎮めるために、感覚合わせに精を出し、互いに潮時を捉える努力をします。その営みは「ふたつの体」を「ふたりのわたし」にするように思うのです。
 「ふたりのわたし」にとってシンクロは時間と空間の共有なのですが、ふたつの体に「在る私」(自意識とおぼしきもの)は拘束されたと感じてしまいます。その拘束から自由を得ようとするならば、ふたつの体(生身)を軸に時間と空間の在り方を再構築する必要があります。そこに手まひまかけることが「私たちの世界」を再構築へと導いてくれると思います。
 僕にとっての生活とは「私」が「ふたりのわたし」となり、やがて「わたしたち」となる「場」のことです。それは、居場所になるのだと思います。

 一度もあったことのないさえさんに「服が似合っていると思える」という話しはとても興味深いです。OriHimeを介して行ってきた「やり取り」がさえさんの存在を実体化しました。さらに、服はさえさんの存在をより実像化します。OriHimeと一体化したさえさんは他者と場を共有することもできる。時にはNIN_NINに乗って、さえさんの感触を他者に与えています。
 存在について、タマシイと同じくらい考えさせられました。利他学会議で行われたエクスカーションで、さえさんがOriHimeに入って座っていましたね。エクスカーションが終わり、さえさんがOriHimeから降りると言えばいいのでしょうか、いなくなったとき、OriHimeがくったりとうなだれます。
 あの時のOriHimeの感じは、お年寄りが息を引き取る瞬間と似ているなぁと思いました。というか、そのものでした。さえさんの存在がOriHimeに命を与えている、さえさんの存在自体がタマシイである。そう信じてもよいと思えた光景です。OriHimeからさえさんが立ち去ったとき、あの場にさえさんが確かにいたと、九州にいる、場を共有しない僕が強く感じていました。
 僕たちの体もまた、OriHimeと同じ「うつわ」なのかもしれません。ばけもさんの「ランピィ」も。その人の「ほんとうの姿かたち」に居場所を与える「うつわ」だと思いました。

 OriHime、「ランピィ」、私の体。すべて有限ですね。中でも、私の体は乗り換えがききません。もしかすると、OriHimeや「ランピィ」にも乗り換えでは済まないような関係性が「私」と生まれる可能性もあります。
 その乗り換え不能な体と自意識のズレが認知症に関わっていると考えています。あるお婆さんとショッピングセンターに遊びに行ったときのことです。全身が映りこむ鏡面式の柱に立ちすくんでしまいました。「こ、これは、わたしね!?」と大きな声を上げます。自分に見えなかったようです。私の描く自己像と「わたしの姿かたち」が一致しなかったのでしょう。
 最近、このお年寄りの気持ちがよく分かるようになりました。ときどき、Zoomに映り出す自分の顔を見て驚くことがあります。僕は僕が思う以上に老けています。鏡で見る顔より、かなり老けて見える。自分の顔を鏡で見たいときは、私に「見る」という構えがあります。なので、自分の見たい顔に脳が補正してくれているのでしょう。Zoomだとそうはいかないようです。さらにLINEのビデオ電話は老け顔にエッジを立ててきます。
 わたしの変容に私が気が付かない。ご老体にある「わたしの存在」に私がどうつきあうか、それが僕自身の大きな課題となりつつあります。

村瀨 孝生/伊藤 亜紗

村瀨 孝生/伊藤 亜紗
(むらせ・たかお/いとう・あさ)

村瀨 孝生

1964年、福岡県飯塚市生まれ。東北福祉大学を卒業後、特別養護老人ホームに生活指導員として勤務。1996年から、「第2宅老所よりあい」所長を務める。2015年4月より特別養護老人ホーム「よりあいの森」施設長。著書に『ぼけてもいいよ』(西日本新聞社)、『看取りケアの作法』(雲母書房)、『おばあちゃんが、ぼけた。』(新曜社)など多数。

伊藤 亜紗

東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター、リベラルアーツ研究教育院准教授。マサチューセッツ工科大学(MIT)客員研究員。専門は美学、現代アート。もともと生物学者を目指していたが、大学3年次より文転。東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了(文学博士)。主な著作に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)など多数。

編集部からのお知らせ

村瀨孝生さんと文化人類学者の松村圭一郎さんによるイベントを開催します。

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『くらしのアナキズム』(ミシマ社、2021年9月発売)の刊行を記念して、文化人類学者の松村圭一郎さんと、村瀨孝生さんによる対談イベントを開催いたします。

『くらしのアナキズム』において著者の松村さんは、「生活者」が持つ潜在的な力に光を当て、アナキズムは生活者としてよりよく生きるひとつの手段であると綴られています。

❇︎ ❇︎ ❇︎
この本で考える「アナキズム」は達成すべき目標ではない。むしろ、この無力で無能な国家のもとで、どのように自分たちの手で生活を立てなおし、下から「公共」をつくりなおしていくか。「くらし」と「アナキズム」を結びつけることは、その知恵を手にするための出発点だ。――「はじめに」より
❇︎ ❇︎ ❇︎

そんな松村さんは「村瀬さんこそ、くらしのアナキストではないか」と語られます。
村瀬さんは、ミシマ社のウェブマガジンにて、伊藤亜紗さんと「ぼけと利他」という往復書簡連載を執筆くださっており、そこでは、国の基準や、施設側の効率を押しつけるのではなく、認知症でぼけの深まるお年寄りたちに教えられるようにして、老いて死にゆく人間の生理に接する日々の思索が綴られています。身の回りに生じる出来事や問題に対し、自分たちで考え、取り組む村瀬さんの活動は、松村さんが目指す「くらしのアナキズム」にも共鳴しているように思います。

大きな国家に対して、弱い存在である「生活者」に可能性を見出す松村さんと、社会的には弱者とされる「高齢者」に寄り添いつづける村瀬さん。それぞれが向き合うものの先に、今の社会であたりまえとされている「正しさ」や「ルール」や「システム」を揺さぶることのできる可能性が秘められているのではないか?

合理化された社会では否定されがちな「老い」や「高齢者」に対する見方をひっくり返す、お二人の対話をお楽しみに。ぜひご参加ください。

詳細・お申し込みはこちら

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