小さき者たちの生活誌小さき者たちの生活誌

第4回

まじわる

2018.07.10更新

親父が寝ている姿というのはろくろく見てないんです。俺が小便で目を覚ますような時に見るといつも起きている。そして囲炉裏端に座ってじっと考えている。いつも考えているんです。あした、あさってのことは言うに及ばず、十年先、いや、もしかしたらもっと先のことまで考えっとですよ。囲炉裏端でそうやって、毎日のように。(緒方正人、構成:辻信一『常世の舟を漕ぎて』世織書房、11-12頁)

 前回紹介した緒方正人の語りを文化人類学者の辻信一がまとめた本から。漁師である父親、福松の姿がひときわ印象深い。口数は少ないが、言葉を口にすれば「意味がいっぱい詰まっている」。咳払いひとつで、みながしーんと黙る。18人にいた子どもの末っ子だった幼い緒方も、その威厳のある言葉には魂があったと感じていた。

 福松は、漁に行くことを「たましいくらべ」と言った。ボラがたくさん飛んでいても、とれなかったら、「今日はイヲ〔魚〕に魂負けした」と。囲炉裏端に座り、海を見ながら、魚の世界と波長をどうやって合わせるか、考えるのではなく、じっと「読み解きをしていた」。

囲炉裏に向かう親父は、目の前に何かをイメージしていたようなんです。考えるというよりは、感じとる。これはまだ我々にも少しは残っているんです。考えてイヲをとるということも、それはできる。でもそれとは別に「感じる」ということが確かにあるんですね。この力が明治の人たちには特に強かったと思う。(15-16頁)

 網を破ることを網が「けがした」、舟に水がたまることを「垢がたまった」と言った。漁の道具を命をもった生き物のようにとらえていたのだ。時代が変わると、その「魂」が抜けていく。読み解くのではなく、機械を使って無理に魚をとろうとする。潮の満ち引きも、その場所ごとに複雑な潮の動きを読み解いていたのが、新聞や潮見表に頼るようになる。

 小学校に入ってすぐ母を亡くした福松は、二年生で小学校をやめ、8歳で働きに出た。金になるからと朝鮮半島まで櫓を漕ぎ、帆をかけて、星で方向を見定めながら漁にいったこともあった。人一倍、仕事には厳しかった。そして誰にも負けなかった。

 毎年、漁協で一番多くの漁獲のあった福松は、苦労して網元にまでなった。多いときは30~40人の網子が働きに来ていた。奉公人として住み込む者もいた。なかには知的障害をもつ者も、在日朝鮮人もいた。そんな人たちが仲間にからかわれたりすると、烈火のごとく怒り、いじめられないよう気を配った。それで、よそでは働けない人も集まってきた。

 そんな父親が、あるとき急に元気をなくす。1959(昭和34)年9月、片方の草履が脱げたまま庭を歩きながら、つぶやいた。「どげんわけか、気分の悪か」。手が痺れ、歩くときもふらついた。近所でも最初の「発病」だった。わずか2ヵ月後、福松は死去する。同じ年に生まれた兄の娘も胎児性の水俣病だった。両親も含め、兄姉の8人が水俣病の認定を受けた。

 緒方自身は、1985(昭和60)年、水俣病の運動から離れ、9月に認定申請患者協議会の会長を辞めた直後から、「狂い」はじめる(第3回、参照)。12月、認定申請をとり下げるために、熊本県庁に一人で向かった。3、4人で対応した職員に「取り下げ書」を手渡した。内容は「お前たちには愛想が尽きて、もうおのれ自身で認定するしかないと悟った」というもの。

 1、2時間、話をするうちに打ち解けはじめた。「あんたたち、俺が水俣病患者だと思うか?」と訊くと、「思います」と答える。みんなで笑ってしまう。

あのときは痛快だったなあ。お前たちを越えたぞ、という気持ちだった。向こうにしてみれば、俺がとり下げたことは都合のいいことにもみえたはずなんですが、「勝った」という感じではなかった。むしろ彼らの顔には、今まで見せたことのない限界の表情が現れていた。それも、役人としてではなく、個人としての限界の表情。・・・俺が、水俣病患者という集団の一員ではなくて、「緒方正人」という個に戻ってしまっていたものだから、相手は役人面をすることもできなくて、自分の個としての顔ってどんなだったかな、と探しているような感じでした。(124-5頁)

 翌年、チッソに向けて「問いかけの書」を出した。いちおう返事らしきものが返ってきたが、返事になっていなかった。そして彼自身もほとんど目にしたことのなかった「木の舟」をつくり、それを漕いでチッソに行き、身を晒そうと考えた。化学工場であるチッソがつくりだすプラスチックではだめだった。

 1987(昭和62)年5月。運よく見つかった船大工に依頼した舟ができあがり、舟下ろしの祝いをした。名前は決めていた。石牟礼道子に舟の名を書いてもらった。そのときの様子を本書に序文を寄せた石牟礼は次のようにつづる。

海の上の溶けないゴミとしての船、とは言っても、その船でなければ現実の漁は成り立たなくなっているのだろうが、強化プラスチック船より効率の低い木の舟をわざわざつくるという気持は痛いほどわかった。木の舟に乗らなければ、たどりつけない所があるというわけだろう。
「常世の舟、ち、書いてもらえんですか」
ああそこへゆきたいのかと納得した。一族全て、死神たちの世界に引きづりこまれて来た人なのである。(iii頁)

 舟下しの祝いに招かれ、舟に乗るように声をかけられた石牟礼は、ためらいながらも舟に乗り込む。

舳先が潮に漬かると、黄金色の糸が四方にぱっと散るように、波がゆれて広がった。海にさし出た丘の、椎の群落が、重厚な光芒を四方に放っていた。常世とはいったいどこだろう。よりよい世界への、甦えりのイメージが永遠に漂っている所、草木のあかりに灯し出されて、ほの明るいような死のあるところ。大丈夫、正人さんはそこから帰ってくる。(iii-iv頁)

 12月、チッソから直線距離で10キロあまり離れた芦北町女島の自宅前から、緒方は船を漕ぎ出す。ほどよい東風(こち)にのってたどり着いたのは、灰色の工場群と煙突が立ち並ぶ水俣の町。舟をつけた丸島漁港は水銀ヘドロの浚渫工事の最中だった。用意しておいたリヤカーに七輪やムシロ、焼酎をのせて、チッソの正門に向かう。

 「こんちは。女島の緒方ですが、水俣病んこつで門前に座りますけん」と守衛所に挨拶する。慌てて課長だとか部長だとかが出てきて中に入るよう促す。緒方は「何も心配せんでよかけん」と答えて、用意したムシロに黒と赤の塗料で、「チッソの衆よ」、「被害民の衆よ」、「世の衆よ」と呼びかけの文章をつづった。父親、福松の写真を前に置いて。

 巡回中の50歳くらいの警官が来た。「何も要求しとらんですたい」というと、びっくりした顔をする。30分ほど話し込んだ。ムシロの字をしっかり読んだ彼から、帰り際に「頑張ってください」と声を掛けられ、今度は逮捕覚悟だった緒方がおどろく。

 七輪で魚を焼きはじめると、最初に来たのは一匹の猫。魚をあげると、1時間くらいじっとそばに座っていた。「あれが仁義のきり方っていうもんでしょうね」。孤独な闘いをしていた緒方は、涙が出るほどうれしかった。

 そうやって何度か通ううちに、いろんな人が来るようになった。小学校帰りの子どもたちも来て、誰よりも真剣に呼びかけ文を読んでくれた。はっと気づかされて、さっそく白い布に「子どもたちへ」というメッセージを書いた。

 チッソの職員が挨拶をしてくれることもあった。でもそんな人でも、同僚と一緒に出てくると、よそよそしい態度に変わった。そんな彼らの姿を緒方はじっと観察する。「あしなか」という昔の草履をつくっていると、「私に作ってください」と言ってくる人もいた。「おっどんが若か頃はこんあしなかばっかりじゃったがなあ」と懐かしそうに声をかけてきたり、「ここん、かかとんところはな、こげんして」と助言したりする年配の人もいた。

 緒方は、チッソに通いつづけた。交通妨害するわけでも、拡声器でわめくわけでもない。門の前で魚を焼いて焼酎を飲み、「あんたも飲んでいかんね」と声をかける。「そげんこつして、何なっとな」などとも言われた。でも、緒方には何をどうしようという気持ちはなかった。ただ朝から夕方までチッソの前でひたすらその身を晒した。

 翌年5月に「もう終わりにする」とチッソに伝えると、職員はほっとした表情で「正直言って、非常に困りました」と言った。集団交渉なら企業としてどう対応すればいいか、定まっている。でも緒方は、その企業vs患者団体という構図を崩した。ひとりの人間として対面することを選んだ。企業の歯車としての対応にしか慣れていなかった職員たちは、個人として交流せざるをえない舞台に引きずり出され、困惑したのだ。

 ぼくらはよく物事を善と悪、敵と味方に分け、自分を正義のほうにおいて語ろうとする。緒方は、運動のなかで、その思考や態度の限界に気づいていた。そしてひとりの人間としての交わりを回復しようと身を晒す道を選んだ。緒方の姿を目にした者は、やがて自分が頑なに守ろうとしているものの空虚さに、そこから一歩ふみだせば、所詮、みな弱き存在でしかないことに、気づかされるのだ。

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松村 圭一郎

松村 圭一郎
(まつむら・けいいちろう)

1975年、熊本生まれ。岡山大学准教授。専門は文化人類学。エチオピアの農村や中東の都市でフィールドワークを続け、富の所有や分配、貧困と開発援助、海外出稼ぎなどについて研究。著書に『所有と分配の人類学』(世界思想社)、『文化人類学 ブックガイドシリーズ基本の30冊』(人文書院)、『うしろめたさの人類学』(ミシマ社)がある。朝日新聞にて「松村圭一郎のフィールド手帳」を連載中(毎週火曜日掲載)。

この記事のバックナンバー

07月10日
第4回 まじわる 松村 圭一郎
06月18日
第3回 いのち 松村 圭一郎
05月11日
第2回 おそれる 松村 圭一郎
04月16日
第1回 はたらく 松村 圭一郎

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