小さき者たちの生活誌小さき者たちの生活誌

第7回

うえとした

2018.10.23更新

わたしたちが感心したのは、年寄たちの居眠りの上手なことです。椅子に座って腕組みしたまま眠ってる。ちょっと見れば何か考えとるようにしか見えんもん。わたしたちは、うつ伏せにならんと、寝きらんもんなぁ。組長になれば、もう狸です。何かあって、組長の所に走って行くでしょう。すぐ返事をしないときは、寝てるときです。

(岡本達明・松崎次夫編1990『聞書水俣民衆史4 合成化学工場と職工』草風館、69頁)

 大正15年、水俣にアンモニア合成工場が建設される。もともと百姓として暮らし、ほとんど文字も読めなかった人びとが工場労働に従事しはじめる。水俣のなかに「工場」というあらたな生活世界があらわれた。上の言葉は、昭和10年に合成工場で働きはじめた男性の語りから。 

 明治末に水俣につくられた石灰窒素肥料工場の仕事は単純な肉体労働で、労働者たちはみな牛馬同然に扱われていた。ところが最新の技術を導入したアンモニア合成工場ではそうはいかなかった。秘密工場だったこともあり、ほとんどの職工には装置や技術のことは教えられなかったが、一部の幹部職工には特別な教育が施され、優秀な者は「係員」となった。少数の大学や高専卒の技術者たちも採用され、技術開発に明け暮れた。工場のなかに歴然とした上下関係が生まれた。

 

年寄たちは、上の者に卑屈だった。上の者のいうことは御無理ごもっとも、何でもおっしゃる通り。何をせろといわれれば、ハイてやる。その頃は、上の者に口答えでもすれば、お前は明日から出て来るな、という空気だったですもん。職工は馬鹿にならんといけなかった。・・・上の者が見とる所じゃ一生懸命やる。やるふりをするのか知らんが、やる。上の者が居らん所なら、なるたけ楽をしようというふうだった。また、半農半工で家で百姓しとるという人は、そうでもしなければ身体がきついですもんなぁ。(70頁)

 現場の職工たちの労働環境は過酷だった。とくに昭和に入って工業化が進められたアセトアルデヒドをつくる酢酸工場は「地獄」と言われていた。触媒の酸化水銀から金属水銀が生まれ、工場排水で流されるようになった。

わしは、「裸で仕事できればねぇ」と思っとりました。作業着が硫酸でやられて、すぐボロボロになるんです。それ、会社は、作業着を支給してくれんとですけん。わが手出しで買わんばいかんとですけん。わしは、酢酸〔工場〕に入って、町の衣料店から作業着を掛けで買うた。上着が1円20銭、ズボンが85銭でした。ところが、運転に入ったら、たった1日でボロボロですよ。出たり、出なかったりで、1日90銭の日給も、ろくにもらわんのにですね。(93頁)

精溜塔をはぐってみると、格段プレートに金属水銀が、何十キログラムて溜まっとるんです。プレートを、チェーンブロックで吊り上げて、水銀回収作業をしてきて、控所で飯を食うでしょう。髪の毛をちょっと触ると、弁当箱の中に水銀が、パラパラ落ちてきよった。・・・作業日誌を書く机が、現場にあるでしょう。板の隙間には、金属水銀がビッシリ詰まっとる。インク壺の箱の中にもいっぱい入っとるというふうだった。(106-107頁)

 不況の就職難の時代に、若い者が次々と辞めていった。血を吐いたり、胸をやられたりして病気になる者が後を絶たなかった。急死する若者もいた。それでも「会社」は生産拡大を急いだ。労働者の代わりはいくらでもいた。1927(昭和2)年には、朝鮮半島北部の興南に水俣で開発された合成技術をもとに、巨大工場の建設がはじまった。「興南工場の赤字も、水俣の酢酸で負担しとるんだ。だから君たちは、一生懸命やって、生産能率をあげにゃいかんのだ」。労働者たちはそうはっぱをかけられていた。

死ぬ危険があるということは、第一条件で会社がいうとるんですからな。機械買うより、設備をよくするより、人間殺した方が安い。人間が死んでも、屁とも思っとりゃせんですよ。兵隊に取るには、一銭五厘の葉書代がいる。会社は、その葉書代もいらなかった。死んだ代わりは、募集しさえすりゃ、「私をどうぞ入れて下さい」て何百人て来る。「給料は、いくらでもよございます」という時代ですからな。(112-113頁)

 職工から労働条件を改善してくれと要求することなど不可能だった。「貴様ッ、命をはめて〔かけて〕やるといったじゃないか。このくらい何かッ!」と言われれば、どうすることもできなかった。下っ端の職工たちは誰もが、つねに死の危険を感じながら働いていた。一方、地位のある者たちには「特権」があった。水俣の工場には、工場長の下に課長と主任、各係の係長がいて、その下に係員と組長がいた。とくに係長には、昇給の査定権はもちろん、職工の採用や罷免の権利すらあった。

工作係長はイガどんというあだ名でな、名前の通りイガみたいな奴でろくな奴じゃなかった。奥さんがな、「お父さん。お砂糖がなくなりましたよ。卵がもうありませんよ」ていう。翌日、昼休み前とか定時前とか、現場を回って歩く。工作には何百人て職人が居ったんじゃから、文句つけようと思えば、何かあるもんな。事務所に帰って組長を呼びつける。「〇〇は仕事中に煙草吸っとったぞ」「△△は時間前に手を洗っとったぞ」・・・組長からいわれた職人は、製缶の組長の所に飛んでいくもんな。この二人が工作の顔役で、査定係たい。話を聞いて、「うん、そりゃ砂糖1斤」「うん、そりゃ卵20ヶ」て決めてくれる。・・・いわれた通りの品物を持って、その晩係長の社宅にあやまりに行く。・・・イガどんは、職人が帰ってから、奥さんにいうわけ。「ほう、砂糖が歩いて来たよ。卵が歩いて来たよ」て。(223-224頁)

 「昔の係長ていや、天皇陛下、殿さんやった」。女性事務員に片っ端から手を出す係長もいた。係員以上の「社員」とそれ以下の「準社員」には、歴然とした格差があった。住む場所も、その子どもたちの様子も、まるで違った。

殿さんが腰元に手をつけるのと同じこと、係の女子はみんな自分のものと思うとったったい。また、水俣の人間があんまりヘイコラ、ヘイコラするもんだから、あ奴共のぼせ上がってしまったっじゃもんな。(235頁)

社員さんたちの住んでる陣内社宅といえば、特権階級の城郭やった。・・・わたしたちの弁当のおかずは漬け物ぐらい。・・・社宅の子の弁当は違うんです。まず弁当箱とおかず入れと二つある。おかず入れには、卵焼きが入っとるもんなぁ。「ホウッ」て隣の席から覗いて見よった。サンドイッチを持って来る子も居った。いまでこそ、パンといっても見向きもせんけど、あの頃わし共びっくりしよったですもんな。(236-237頁)

 明治になり、かつての身分制度は廃止されたが、また別の階級制がはじまっていた。そして、このあらたな上下関係は、そのまま植民地朝鮮に持ち込まれた。

朝鮮人とどうやって仕事するか上から指示があった。・・・「朝鮮人はぼろくそ使え。朝鮮人からなめられるな」といわれた。朝鮮人は人間として見るな、人間の内に入れちゃならんぞという指示じゃ、て私はすぐ思った。水俣の日雇のとき、野口社長が「職工は牛か馬と思って使え」といったという話を聞かされとったもんな。それと同じで、そういう腹で朝鮮人を使え、朝鮮人に情けをかけちゃだめということを、いわしたんだろうと思ったな。今度は自分が野口尊〔社長〕じゃ、てそう自分で確認したもんな。(同『聞書水俣民衆史5 植民地は天国だった』94頁)

 水俣から朝鮮半島の興南工場に移った日本人の職工たちは、最新式の社宅で暮らした。炊事は電熱器ばかり。トイレも水洗。冬もすべての社宅にスチームの暖房が入っていて浴衣で過ごせた。それが敗戦の日からすべて一変する。工場は接収され、日本人社員は豪華な社宅から追い出され、貧相な朝鮮人社宅へと移った。水道もなく、共同井戸。冬は氷が張った。共同のトイレは壺が一つ置かれただけだった。

 ソ連兵が入ってくると、さらに過酷な状況に陥った。日本人社員の妻たちは家族を守るために身を売った。男たちも朝鮮人農民の下で畑仕事や薪割りをし、ソ連軍の手伝いなど、なんでもした。子どもたちは残飯を集めて、生き延びた。

 人間が上と下に分断される。人間以下の扱いを受けて虐げられてきた者たちが、また別の者を人間ではないかのように虐げる。下の者は上の者を羨望の眼差しで見つめ、卑屈に従う。分断を可能にした暴力とカネに欲望を掻き立てられ、そのユートピアに魅惑される。近代の幕開けは、こうした流動的な支配関係が転がるように人びとを空虚な夢へと掻き立て、社会を駆動していったのだ。

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松村 圭一郎

松村 圭一郎
(まつむら・けいいちろう)

1975年、熊本生まれ。岡山大学准教授。専門は文化人類学。エチオピアの農村や中東の都市でフィールドワークを続け、富の所有や分配、貧困と開発援助、海外出稼ぎなどについて研究。著書に『所有と分配の人類学』(世界思想社)、『文化人類学 ブックガイドシリーズ基本の30冊』(人文書院)、『うしろめたさの人類学』(ミシマ社)がある。朝日新聞にて「松村圭一郎のフィールド手帳」を連載中(毎週火曜日掲載)。

編集部からのお知らせ

松村圭一郎&三島邦弘「人間の経済をとりもどす!」が開催されます!

松村圭一郎さんが「人間の経済 商業の経済」を寄稿くださっている『ミシマ社の雑誌 ちゃぶ台vol.4 「発酵×経済」号』の刊行記念イベントです。
ちゃぶ台編集長の三島と「人間の経済」について語り合って頂きます。

■日時:2018年11月7日(水)19:15~
■場所:京都府 恵文社一乗寺店 コテージ

詳細はこちら

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ミシマ社の雑誌 ちゃぶ台vol.4 「発酵×経済」号

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第6回 かかわる 松村 圭一郎
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第5回 うつろう 松村 圭一郎
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