小さき者たちの生活誌小さき者たちの生活誌

第10回

うつしだす

2019.01.24更新

水俣病の原因のうち、有機水銀は小なる原因であり、チッソが流したということは中なる原因であるが、大なる原因ではない。水俣病事件発生のもっとも根本的な、大なる原因は"人を人と思わない状況"いいかえれば人間疎外、人権無視、差別といった言葉でいいあらわされる状況の存在である。(原田正純『水俣が映す世界』日本評論社、1989年、7頁)

 水俣病に関わりつづけた原田正純医師の著書から。原田は「これが、1960年から水俣病とつきあってきた私の結論である」と力強い言葉でつづる。原因企業のチッソも、監督指導する立場の行政も、人としての責任を果たそうとしなかった。その背景には「人を人と思わない」考え方の蔓延があった。

 水俣では「日窒(チッソ)あっての水俣」と言われつづけてきた。チッソが倒れれば、水俣が立ちゆかなくなる。そんな「神話」に多くの市民も縛られていた。

 しかし状況はむしろ逆だった。1950年代半ばから60年代にかけて、チッソの総投資額の9割は熊本県外に集中し、その6割を超える額が水俣工場が出す利益から充当されていた。水俣市も、工場の敷地を購入してチッソに提供したり、港の改修工事の費用を負担したりしていた。

 「会社の発展が、ひいては水俣市の発展・繁栄につながる」。こうした意識が根づくなかで、会社に楯つく者は市民に楯つく者であり、会社に不利益をもたらすものは水俣市民に対する反社会的行為だという風潮があった。

市民運動にかくれた水俣市の支配層は「明るい水俣」という名において脱水俣病を画策し、1971年には「患者さん、会社を粉砕して水俣に何が残るというのですか!」というビラを撒き、「患者のおかげで水俣市が駄目になる」というキャンペーンをはった。・・・たしかに、水俣病という病名のために水俣市民が不利益をうけ、差別が増長されたことも事実である。しかし、それは病名のせいではない。むしろ、真実を覆い隠し、患者を差別してきたことのシッペ返しである。・・・患者たちは水俣病の申請の手続きさえ知らされぬまま死んでいったのである。市報がはじめて水俣病認定申請手続きの方法を公報したのは、発生後15年もたった1971年のことであった。(13頁)

 原田は、日窒が当時の植民地だった朝鮮半島に総督府や軍部と一体になって工場を建設した歴史を振り返る。植民地支配は、まさに差別の構造の上に成り立っていた。

 第7回でもふれたように、朝鮮人工員と日本人社員とのあいだには歴然とした格差があった。水俣のなかでも、社員は工員を差別し、工員は農民や漁民を差別し、農民が漁民を差別する。原田は「差別されたものがさらにその足元に新しい差別をつくっていく差別の転嫁作用でもあった」と述べる。

 はじめて原田が水俣病の多発地帯に足をふみいれたのは、1961年のことだ。そのときの集落の様子が次のように描かれている。

家は傾き、畳やふすま、障子はみるかげもなく、家のなかはがらんとして家具もなく、貧困の極地であった。そのなかに患者は雨戸を閉じて、ひっそり隠れるように、息をひそめるように生きていたのである。・・・戦後15年経て、いまなおこのような生活があることがショックであった。(18頁)

 漁師が魚をとれなくなる。それはたちまち生活の困窮を意味した。家を訪ねると、彼らは診察を拒否した。「先生たちが調査すると、マスコミが騒ぐ。するとまた魚が売れなくなって漁民が迷惑する」というのだ。「もう、そっとしておいてください」と手を合わせんばかりに哀願する者もいた。原田は、その姿に「発病以来のすさまじい想いが秘められている」と感じる。

 行政から差別され、民衆のなかでも差別される。この「二重構造による圧力」のなかで、水俣病は「貧しい漁民の病」に矮小化された。発生地域はごく狭い海岸沿いの漁村に限定され、「これ以上患者を出すな」という権力と民衆の共同戦線が被害の放置と拡大を招いた。

 医学者でありながら、水俣の民衆史をひもとき、裁判のなかでいかに水俣病が表象されてきたかを丹念にたどり、九州の炭鉱事故や食品中毒事件、沖縄の海の環境汚染、世界の公害や水銀汚染の問題などを調べあげる。原田は、そこに弱き者に被害を集中させる差別の構造を見いだす。

 この30年前に出された本で問われている、まさに同じことが、いまもずっと繰り返されている。そのことに愕然としてしまう。被害者救済制度や裁判外の紛争解決機関など、制度や仕組みは整ってきたように見える。それでも、こうした問題を引き起こし、覆い隠し、小さき者たちに犠牲を強いる構造は変っていない。民衆のなかに分断が生まれ、問題が矮小化され、忘れ去られる。原田は、序章に次のように書いている。 

水俣病は鏡である。この鏡は、みる人によって深くも、浅くも、平板にも立体的にもみえる。そこに、社会のしくみや政治のありよう、そして、みずからの生きざままで、あらゆるものが残酷なまでに映しだされてしまう。そのことは、はじめての人たちにとっては強烈な衝撃となり、忘れ得ないものとなる。(3頁)

 水俣をとおして先人たちが我が身を映し出し、考え抜き、闘ってきた膨大な足跡は、そのままいま私たちがこの問いにどう向き合うべきかを指し示している。大きすぎる問いをまえに、だれもが途方に暮れてしまう。でも原田のような勇気ある人たちがいなかったら、患者たちはいまどうなっていたか。それを想像すると、その果敢な一歩の尊さを痛感させられる。

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松村 圭一郎

松村 圭一郎
(まつむら・けいいちろう)

1975年、熊本生まれ。岡山大学准教授。専門は文化人類学。エチオピアの農村や中東の都市でフィールドワークを続け、富の所有や分配、貧困と開発援助、海外出稼ぎなどについて研究。著書に『所有と分配の人類学』(世界思想社)、『文化人類学 ブックガイドシリーズ基本の30冊』(人文書院)、『うしろめたさの人類学』(ミシマ社)がある。

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『うしろめたさの人類学』松村圭一郎(ミシマ社)

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