第16回
あいまみえる
2019.07.26更新
だいたい昔からのくらし方が、働いて財産ばためてどげんこげんちことがなかったですたい。おるが(私の)じゃ、わるが(あなたの)じゃっちことがなかもんじゃっで「ありがとう」ちことばがなかそうです。やったりもろたりじゃなくて、あるもんば要るしこ(要るだけ)みんなで分くっとでしょうな。・・・子どんもな、他人の子を何人と養うとるですよ。自分と他人という区別をあまりせんと。ゆとりのある者は、なか者ば助くっとは当り前ち考えたいな。(久保田好生ほか編『川本輝夫 水俣病誌』世織書房、2006、364頁)
1975年、4年にわたり水俣病患者を撮りつづけてアメリカに戻った写真家ユージン・スミスの妻アイリーンから、原田正純のもとに1本の電話があった。「カナダで水俣病が出ている」。オンタリオ州のドライデン製紙工場が川に流した排水中の水銀の影響で、下流に住む先住民オジブエの居留地で被害が出ていた。
アイリーンは、先住民代表団の水俣訪問を提案した。患者や支援組織は、すぐにカンパを募り、1975年7月、一行の訪日が実現した。3ヵ月後には、川本輝夫ら患者3人と原田や土本典昭らがカナダを訪れた。冒頭の言葉は、カナダ訪問から戻った川本の帰国報告の言葉から。
「私たちは自然とともに生きてきました」。日本訪問団のトム・キージックが記者会見で最初に発した言葉が川本の心を打った。
このたったひと言の言葉のなかに、貴方達インディアンが、如何に自然を愛しみ自然を友とし師として、心豊かな暮しを営んできていたのか私には了解できたような気がしました。私はやっとの想いで、次のような言葉でしか答えることができませんでした。「カナダ・インディアンの人々の現在の状況は、水俣の過去であり現在である。彼等にもたらした不幸を未然に防ぎ得なかったことを、人間として人類として恥じ入る」(355頁)
川本は、このとき「あなた方の悲劇はわれわれにも責任があります」と言い切った。水俣病のことをもっと早く世界に伝えられていれば、さらなる悲劇は防げたかもしれない。そんな想いからだ。トムは、初対面のときから川本に敬慕の念を抱いた。3ヵ月後に生まれた自分の息子に「テルオ」と名づけた。
水俣でも、カナダでも、もっとも素朴で弱き者たちの生活が脅かされた。はじめて先住民居留地グラッシー・ナローズを訪れた川本は、木々が紅葉し、空気が澄んでいて夜は満天の星空が広がる自然に感動を覚えた。湖の周りを丘が囲み、岬がのびる。まるで自分が暮らす水俣の茂道のようだった。
先住民の自然との向き合い方に、川本はかつての水俣の漁民の心と通じるものを感じとっていた。冒頭の言葉につづいて、興奮ぎみにこう述べている。
猟にしてもそもそも動物(アニマル)ちことばはなかち。そげん分くっとは失礼じゃ、われわれ人間と同じ立場じゃちいうとで。自分たちが生くっとに必要なしこ神さんから貰うわけやっで、ムース(ヘラジカ)なら、ノド仏ばとって木の幹にさらす、狐とるなら、そん爪を東西南北に分けて土に埋めて、神さんに報告して感謝するそうです。動物によってそれぞれ違うた報告の仕方ちゅうか儀式があっと。だいたい「殺す」ちゅうことばがなかそうですもんなあ。(364頁)
しかし、先住民の生活はすでに激変していた。白人が酒を持ち込み、先住民に鉄砲を買わせ、高価な交易品だった毛皮をとるために、バッファローを獲りつくした。土地を奪われ猟も制限された先住民は、水銀汚染によって川や湖で魚を獲ることもできなくなった。昔ながらの暮しは破綻へと追い込まれた。
そげん良か所じゃばってん、今ん暮らしゃひどかっですよ。トムらは12年前に古い居留地から追われてここに来たわけですばってん、それまじゃ(それまでは)、畑をつくって漁業も猟もして、ちゃんと自給自足をしとった。そるが、良か家と生活費ばやるけんといわれて来てみれば、1万ドルの家というのが、日本でいうなら20万か30万位のひどか家で、猟も決められた場所でしか、しはならん(してはいけない)。しかも鉄砲使うてもならん。土地も白人におっとられて自分たちのものじゃなかわけたいな。(361頁)
1960年に立ち退きを迫られたのは、あらたなダムと道路を建設するためだった。移り住んだ居留地も、1970年に水銀汚染があきらかになり、生活の糧を得る漁業ができなくなった。スポーツフィッシングのガイドを務めていた先住民も仕事を失った。1970年以前は5%だった生活扶助世帯が80%以上に急増した。
居留地を訪れた原田や川本らが目にしたのは、無気力な表情の先住民とアルコール中毒の蔓延だった。水銀の影響も疑われた。アルコールが関係するとみられる事故死や変死が相次ぎ、飲酒がらみの犯罪行為で逮捕される者も多かった。背景には白人警官の差別による偏見もあった。
1976年6月、川本と土本らはカナダを再訪する。バンクーバーでの国連ハビタット会議に出席し、トムとも再会を果たした。訪日後、トムは水銀被害を訴えて動き回ったことで、居留地住民から反感を買い、身の危険すら感じる状態にあった。カナダでも、生活手段を奪われた被害住民が対立させられていた。
会議のあと、川本と土本は、あらたに水銀汚染が判明したケベック州の先住民クリーの居留地をめぐって、40日間の水俣映画の上映ツアーを敢行した。先住民にとって大切な食料であるマスなどの魚を食べる危険性を訴える上映と講演の旅だった。
「水俣病がなければ、終生あいまみえることのなかったあなた方インディアンと私たち」。川本は講演でこう繰り返した。オジブエやクリーは、長年にわたって人類学者たちに豊かな民族誌資料を提供してきた先住民でもある。
国家の中心から離れた場所で小さき者たちが強いられた生活の崩壊は、世界中あちこちで同時多発的に起きた大きなうねりの一端だった。そのうねりの端っこで生まれた海を越える人びとのささやかな連帯に、いま私がつかむべきうねりの先端はどこなのかと、問い返される。
参考文献
朝日新聞西部本社編 2013『原田正純の遺言』岩波書店
土本典昭 2006「解説:映画で出会った川本輝夫との30年」久保田好生ほか編『川本輝夫 水俣病誌』世織書房, 743-769.
原田正純 1989『水俣が映す世界』日本評論社
編集部からのお知らせ
【7/28(日)】柴崎友香『待ち遠しい』刊行記念トーク&サイン会 【他人との関係―わかりあおうと近づくこと】@梅田 蔦屋書店に松村さんが出演されます!
芥川賞作家・柴崎友香さんの新刊『待ち遠しい』の刊行を記念して、トーク&サイン会を開催します。
ゲストには、『うしろめたさの人類学』(毎日出版文化賞)などの著作のある文化人類学者・松村圭一郎さんをお迎えします。
時間:19:00~21:00(開場18:30)
場所:梅田 蔦屋書店 店内 4thラウンジ
参加費:1,500円(税込)
【7/29(月)】文化人類学者 松村圭一郎 ×『広告』編集長 小野直紀 〜文化人類学は「ものの価値」を再構築できるか@青山ブックセンター本店
「いいものをつくる、とは何か?」を全体テーマに据え、この問いを思索する「視点のカタログ」として新しく生まれ変わる雑誌『広告』。そのリニューアル創刊を記念して、誌面にも登場している文化人類学者の松村圭一郎さんをゲストに迎えトークイベントを開催します。
リニューアル創刊号の特集である「価値」にちなんで、今回のトークテーマを「文化人類学は『価値』を再構築できるか」としました。
『うしろめたさの人類学』(ミシマ社)や『文化人類学の思考法』(世界思想社)などの著書・編著で知られる松村さんは、「すべての物事は再構築できる」という “構築人類学”を提唱しています。その根底には、自分のなかに生まれた違和感に蓋をせず、“あたりまえ”を疑い、問い直し続けるという姿勢があります。
ものが溢れるいまの時代に、価値あるものをどう生み出していけばいいのか。その手がかりを探るべく、クリエイティブディレクター/プロダクトデザイナーとして様々なものづくりに携わってきた『広告』編集長の小野直紀さんとともに「ものの価値とその再構築」について様々な角度から語り合います。
日程:2019年7月29日 (月)
時間 :19:00~20:30
開場 :18:30~
料金 :1,500円(税込)
松村圭一郎さんが編著を担当された『文化人類学の思考法』が好評発売中です!
『文化人類学の思考法』松村圭一郎 、中川理 、石井美保(世界思想社)
『うしろめたさの人類学』が毎日出版文化賞特別賞を受賞しました!
2017年10月に刊行された松村圭一郎さんの『うしろめたさの人類学』(ミシマ社)が第72回毎日出版文化賞特別賞を受賞しました。多くの方に読んでいただきたい一冊です。この機会にぜひ、お手にとってみてください。