小さき者たちの生活誌小さき者たちの生活誌

第17回

こえ

2019.08.30更新

いんばいになるか、死をえらぶか、といわれたら、死ぬんだった。うちは知らんだったとよ、売られるということが、どげなことか・・・・・・

(森崎和江『からゆきさん――異国に売られた少女たち』朝日文庫, 149頁)


 明治29年に天草の牛深に生まれたキミは、5~6歳で「因業小屋」と呼ばれる見世物興行師の養女になった。ろくろ首などいろんなことをさせられた。養子という名目で芸人や娼妓として売られるのは明治以前からの「口べらし」の風習だった。小屋に売られた病人は「死体」として見世物にされた。

 キミは、明治末年、16歳で朝鮮人ブローカーのもとに養女に出され、貨物船に乗せられた。船員相手に「おショウバイ」すると、食べ物がもらえた。門司で6人の少女が乗り込んできた。みなやつれていた。12歳から15歳までの貧しい百姓の娘たちだった。12歳の子は船上で息を引きとった。貨物船は、8日かけて朝鮮半島南端の港に着いた。

 「からゆき」は、明治から昭和初頭まで九州の西部や北部で使われていた言葉だ。はじめは貧しい男女が海外に出稼ぎにいくことを指していた。やがて海外の娼楼に売られた女性たちを意味するようになった。

 植民地朝鮮で生まれ育った引揚者の森崎和江は、キミの養女である友人の綾さんに「からゆき」のことを聞かされた。冒頭の言葉は、キミが綾さんに漏らした言葉だ。

 綾さん自身も「からゆき」の娘として朝鮮半島で生まれた。3歳で清国との国境の町で実母を亡くし、朝鮮人農家に預けられて育った。6年生になり、同じ娼家で実母の世話をしていたキミに「インバイになるか、養女として女学校に行って親を養うか」と迫られ、養女になった。

 熊本県の天草諸島は、北は有明海、東は不知火海、南西は東シナ海の天草灘に囲まれている。耕作地が少ない割に人口が多く、対岸の島原とともに「からゆき」が多かった地域だ。

 森崎は明治末10年間の新聞記事から海外の娼楼に赴く「密航婦」の出身地を集計している。長崎県の119人に次いで熊本県が96人。その2県だけで全体の3分の1を占めた。熊本の96人のほぼ全員が天草出身だった。

 天草では、江戸時代も明治以降も他地域でみられた堕胎や子殺しなどの「間引き」がなかった。古くからキリシタンの地だったからだと考えられている。

 1637~38年の島原の乱では、天草からも多数の戦死者が出て、人口が激減した。それを補うため、各地の天領や九州諸藩に強制移民が割り当てられ、多くの移民が流入した。幕府直轄の天領となった天草は流罪地に指定され、江戸から多くの流人も送り込まれた。
 
 50年あまりで、人口は10倍以上に膨れあがった。幕末にかけても人口は増えつづけ、耕作地の少ない貧窮した村からは長崎などへの出稼ぎが増えた。天草は、多くの流民たちが集まり、また外へと流れ出て行く土地だったのだ。のちに日窒の工場ができた水俣にもたくさん移り住んだ。

 植民地朝鮮では、半島を縦断する朝鮮鉄道の敷設が進んでいた。鉄道の敷設権は日本人の手に渡り、広大な土地も日本人のものになった。キミたちがいた娼楼は、そんな鉄道工事の最前線の飯場にあった。

 少女たちのいた温床(オンドル)小屋は、日本人工夫を相手にする部屋と朝鮮人工夫を相手にする部屋、梅毒で商売できなくなった少女たちのいる部屋の3つに区切られた。どの部屋にも20歳を過ぎた者はいなかった。みな20歳になる前に亡くなっていたのだ。

 少女たちが死ぬと、「養父」は内地に向かった。山口や門司などに誘拐者の拠点があるようだった。あるとき一度に29人の少女が死ぬこともあった。だがすぐに「補充」された。

 朝鮮の男たちを相手に商売をすることは、別の意味で過酷な経験だった。4、5人でキミを朝まで買いきって、酒を飲ませた。取り囲んで座を立たせなかった。性欲をみたすためではなかった。綾は言う。


キミは16歳で朝鮮人の客をとっていて、何がつらいといっても、4、5人の客のなかで堪えきれずにおしっこを洩らすのを、笑って眺められることだったのね。朝鮮人が日本人の女を買うために家を売ってやってくる。洩らしてしまうまで買いつづけて立たせてくれないのよ。あたしは朝鮮人に育ててもらったし、とってもやさしくて、好きな人たちだから朝鮮人を非難するようなこと、言いたくない。これはね、日本人がそう追い込ませたのだとしか言いようがないわ。(147-148頁)

 
 戦後、日本に戻ったキミは老いてなお、尿意をもよおすときに、身を震わせて狂ったようになって朝鮮語でののしりだした。綾さんは一緒に泣くことしかできなかった。

 そんな耐えがたい日々も、絶望だけではなかった。天草の女性たちは、快闊な者が多かった。森崎は、鴨緑江沿岸工事が行なわれていた1914(大正3)年ごろの様子を書いている。


ある夏の日、工事関係者が、はるかむこう岸の清国領まで鴨緑江を泳ぎわたる競争をした。豊かな水が流れている。男たちが飛びこんだ。女たちも飛びこんだ。・・・朝鮮人が近くの村からおおぜい集まって応援した。むこう岸まで泳ぎわたった女は、みな天草女であった。おキミは、ほかからきた人たちは途中でみんな泳ぎをやめた、と誇らしく話す。(150頁)


 世間では「密航婦」や「醜業婦」と蔑まれ、のちに戦地の「慰安婦」も意味するようになった「からゆきさん」。この言葉について、森崎は訪ね歩いた天草の風土やそこで出会った女性たちの姿を思い浮かべながら、次のようにつづる。


わたしはできるならば、村の人びとの思いにちかづきながら、そのことばにさわっていたいと思う。そして「からゆき」が村の人びとにとってなんであり、またわたしにとってなんであるのかをたどっておきたい。(24頁)


 従軍慰安婦のことが国と国との対立の構図で語られるとき、忘れられ、なかったことにされる声がある。いまは、その小さき者たちの声に耳を傾けよう。

 私の祖母も天草に生まれた。少女たちは、私の祖母であり母であり、娘だったかもしれない。私自身が、工夫や兵士だったかもしれない。夏が終わる。少女のかたわらに腰かけた自分の姿を想像する。

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参考文献
森克己『人身売買―海外出稼ぎ女―』(至文堂、1959)

松村 圭一郎

松村 圭一郎
(まつむら・けいいちろう)

1975年、熊本生まれ。岡山大学准教授。専門は文化人類学。エチオピアの農村や中東の都市でフィールドワークを続け、富の所有や分配、貧困と開発援助、海外出稼ぎなどについて研究。著書に『所有と分配の人類学』(世界思想社)、『文化人類学 ブックガイドシリーズ基本の30冊』(人文書院)、『うしろめたさの人類学』(ミシマ社)がある。

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