第19回
いのる
2019.12.04更新
みんな腹一杯食べた。食事のあいだ中、焼酎がくみかわされた。みなに飲ませる目的は、そうすれば踊りが始まるからであった。後に、ある女性がみなの口に直接酒をついでまわった。くじの新しい当選者にまず最初に酒がつがれ、いまの当選者の女主人には特別な酒がつがれた。みな、大いに酒を飲み、煙草を吸い、冗談をいいあった。最後に三味線がとびだし、踊りが始まった。いくつかの文句が笑いを誘ったが、もっとも面白いのはたいてい踊りそのものである。(ロバート・J・スミス/エラ・L・ウィスウェル『須恵村の女たち:暮らしの民俗誌』河村望・斎藤尚文訳、御茶の水書房、1987年、114頁)
不知火海に注ぎこむ日本三大急流のひとつ、球磨川の上流に、かつて「須恵村」という村があった(現あさぎり町)。そこで戦前の1935年から36年にかけて、アメリカの文化人類学者ジョン・エンブリーとその妻エラが1年間の住み込み調査をした。日本の農村における最初の本格的な人類学調査だ。
エラは10歳のときに父親の仕事の関係でロシアから日本に移り住み、9年ほど滞在していた。日本語が話せたので、夫の調査の通訳もつとめた。エラ自身も人類学の講義などを受けた経験があり、綿密な調査記録をつけていた。本書は、このエンブリー夫妻の調査ノートを日本研究者のロバート・スミスがまとめたものだ。とりわけ村の女性たちの生き生きとした姿を活写したエラの記録には、目を見張るものがある。
冒頭の言葉は、村の女性たちが集う「講銀」の宴席の一場面。須恵村の女性たちは、男性と同じく、まとまった現金を手に入れるための講を組織していた。講員が定期的に決まった額を払い、集めたお金をクジに当たった者が手にする仕組みだった。この講銀は、よその集落から嫁いできた女性たちの親交を深める役目も担っていた。
エラの記録のなかで印象的なのが、女性たちがよくお酒を飲み、煙草を吸い、唄や踊りを楽しんでいる姿だ。エラは当時を振り返って、次のように書いている。
大きな問題の一つは、つねに酒を飲むということであった。須恵では焼酎は、日本の他の地方のように甘藷や大麦からではなく、米を蒸留してつくるもので、ウォッカに似ているが、それは酒よりもはるかに強い。酒と同じように、それは熱くして出され、柄と呼ばれる、とても魅力的な瓶の長い注ぎ口から、小さな指ぬきの形をした杯に注がれる。人びとはこの小さな杯で何杯も飲みほす。・・・酒はあらゆる機会に出される。私が何人かの年とった女たちと連れだって、村の外の神社に参拝したときでさえ、私たちは冷たい弁当といっしょに焼酎を持っていき、みな千鳥足で帰ってきた。(39頁)
須恵村の女性たちのおおらかな姿に、現代の私たちがかつての日本の暮らしをいかに知らないか、痛感させられる。女たちは、男たちと同じように道端で用を足すし、ほとんどの農家では戸のない便所を使っていた。年配の女性はよく上半身裸で働いていて、人前でも恥ずかしがることもない。まだ100年もたっていない過去の日本人の姿だ。
お金を調達する講銀だけでなく、日常的にも女性たちはよく楽しみのために集まっていた。同じ年代の者たちが集う「同年講」もそのひとつだ。
昨夜、25歳から27歳までの女たちの同年の集まりがあった。そのうちの6人が早くやってきて、食事の支度をした。もてなし役の川辺さんが、お客全員のためのご飯を炊いた。どの集まりでも、彼女たちはくじを引く。そして、丸が書いてあるくじを引き当てたものは、次の集まりのとき、みなをもてなさなければならない。少女が三味線を弾くためにやってきて、彼女たちは一人5銭ずつ出し合って、それを少女に与えた。(118頁)
同年講の女性たちが連れだって巡礼に出ることもあった。参詣や巡礼などの祈りの旅は、女性たちが泊まりがけで村外に出ることが許される貴重な機会だった。宮崎の青島神社から帰ってきた一行は、人吉駅から村の神社まで世間話をしながら歩いて戻ってきた。無事に帰ったことを祝い、「神様を送り帰すため」に宴会が開かれた。
夫のなかの二人が客としてきていて、女たちに、旅行でさぞかしお疲れになったでしょうといいながら、焼酎をついでまわっていた。この種の宴会はいつもおこなわれた。というのも、神様は神社から家を訪れるためにわざわざ来たのであり、今度は、神様が無事に帰ることができるよう、家の神棚にお供物があげられるのである。(119頁)
かつて、二三夜(旧暦6月23日の夜)や二六夜(旧暦7月26日の夜)に、女性たちが特別の団子をつくって三日月に祈る集まりも催されていた。エラの滞在中に、途絶えていた月見の集まりが再結成された。参加者の女性は、晩の9時から拳(賭の遊び)をして過ごし、深夜2時ごろに月の昇るのがよく見える橋まで出かけていった。女性たちは、焼酎、菓子、飴などをもちより、欄干に蝋燭を立てて、盃にお神酒を注いだ。
みんな祈りの場所を決め、柏手を打って、「有難か、有難か、有難とうございました」と繰り返した。谷本さんは、「私はどう祈ってよかとか分らんばってん、姿ば現わし、私たちばこぎゃん喜ばせて下さったことんたいする、私たちの感謝の気持ちば、どうかお受け取り下さい」といった。月は高く昇り、雲の後から、そのまったく美しい姿を現わした。みんな息をのみ、ありがたいを繰り返した。(122頁)
女性たちは月を観賞したあと、稲荷神社に行って別れの酒を交し、家に帰った。日頃から朝は5時に起きて働くので、女性たちはそのまま床につくことはなかった。ジョンの日誌にも、女性たちが友人同士で楽しみながら、神社で祈る様子が記されている。
昼ごろ、北嶽神社の方から太鼓を打つ音が聞えたので、調べにでかけた。5人の女たちの集団――1人を除いてみな須恵村の女たち――が、食べたり、飲んだりして、浮れていた。彼女たちは、自分たちは「神様ば喜ばするため」に、太鼓を叩いて踊っているのだといっていた。(実際、彼女たちがいうには、それは、祈れば子供を授ける作物の女神である。)須恵村以外の女は、免田からきた騒々しい娘っ子で、仏像の手つきを真似して両手をあげて神社のまえに座っていた。他のものは、まわりの人が笑っているなかで、数珠を持ってその娘っ子を拝むような格好をしていた。(125頁)
女性たちの素朴な祈りの姿に胸を打たれる。宗教的な教義や形式ばった決まりごととはまったく無縁の、ともに楽しむことの延長に「祈り」があった。エラは、球磨川をはさんだ山の中腹にある谷水薬師への参詣にもついていき、その様子を描写している。
神社〔薬師堂〕に着いて、鈴を鳴らすものも、鳴らさないものもいた。なかの方では、蝋燭が三つの社のすべての正面で、まずともされ、お供物がなされた。(大きな、朱の漆の盃に注がれた御神酒か、小さな俵に入れられた米のどちらかであった。)彼女たちは、小銭を賽銭箱に入れ、柏手を打ち、なまんだと目を閉じて敬虔に繰り返した。・・・この後、それぞれは、薬師の正面にあるお椀のなかの特別な治療の水を少しとり、いくらかを飲み、いくらかを顔につけた。それから、彼女たちは、後ろの炭火鉢のそばに座り、煙草をふかした。御札を各一銭だして買うものもいたが、他のものは小銭とひきかえに、運勢が書かれた、折りたたんである紙を手にする。彼女たちは、この御みくじを読んでもらうために、家に持って帰らなければならなかった。(130頁)
女性たちは、帰り道に饅頭を買ってお茶を飲み、おおいに談笑し、煙草を吸った。そして、歩き出してすぐに別の店に立ち寄り、それぞれ4本のアイスキャンディーを食べ、よくわからないラジオの野球放送を聴きながら、居眠りをはじめた。免田の町で家族のための買物を済ませ、食堂で稲荷寿司を食べ、お茶を飲む。ある年配の女性は、自分でサイダーを買って飲んだ。
朝7時に村を出て、帰り着いたのは夕方の5時だった。女性たちが閉鎖的な村の環境から解放され、ゆっくり楽しく時間を過ごしている姿が目に浮かぶ。
栖山観音への参詣では、観音堂の前で、御神酒の瓶があけられ、村の店で買った缶詰や、持ち寄った栗、煎餅、飴、団子などを肴に宴会がはじまった。食物はすべて食べられ、焼酎はすべて飲みつくされた。噂話に花を咲かせ、おおいに唄う。みなでじっと観音様を見つめ、その手が32本あることを確かめる。なぜ八手観音と呼ばれるのか、議論が盛り上がった。
彼女たちは、観音様はご自分のおかげで、私たちがこんなに楽しい時を過ごしているのを見て、大変うれしいに違いない、と決めこんでいた。(141頁)
日本の隅々までこれだけ多くの大小様々な社寺がつくられてきた理由がわかる気がする。かつて、カミのために人が祈るのではなく、人が祈りを楽しむためにカミが必要とされたのかもしれない。日本の農村女性の祈りの風景は、カミを失った私たちのもうひとつの喪失を照らし出している。
編集部からのお知らせ
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『ミシマ社の雑誌 ちゃぶ台Vol.5 「宗教×政治」号』 ミシマ社編(ミシマ社)
「明日の朝、目が覚めて、日本という国がなくなっていたら、どうする?」(『はじめてのアナキズム』より)
生まれたときから、自然に空気のように存在する国家。
でも、本当にそれってあたりまえ? はじめてのアナキズムは、そんな問いからはじまります。
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