第20回
おとことおんな
2020.01.30更新
食物、飲物がなくなると、新郎新婦はいなくなった。少したつと、台所で働いていた娘たちや女たちが入ってきて、われわれ残ったものといっしょに飲んだ。踊りはあからさまだった。佐藤夫人は、着物をはだけて、前の方をあらわにし、裾をたくしあげて、はげしく腰を動かした。すると、集まっていた大勢のものはそれを許容する笑い声をあげ、調子にあわせて手拍子をし、歌をうたった。鈴木さんは、私の高い鼻と、東京に妻〔エラ〕がいるさみしさとを、即興の歌にしてうたった。(ロバート・J・スミス/エラ・L・ウィスウェル『須恵村の女たち:暮らしの民俗誌』河村望・斎藤尚文訳、御茶の水書房、1987年、175頁)
須恵村の宴会は、ときに卑猥な踊りや冗談で盛り上がった。そのあからさまな姿には、正直、当惑してしまう。上の記述は、ジョン・エンブリーが記した婚礼のあとの宴会の様子だ。三味線のリズムにあわせて女性が股にはさんだ小さなほうきを上下させる。性交の真似ごとをして、性的な歌をうたう・・・。
エラやジョンも、女たちの楽しみの材料にされた。エラにアメリカではどう性交するのかと興味津々にたずねる。マツタケ狩りから帰ってきた女性が「こらは、あんたのもんより大きかよ」とジョンをからかい、きのこの歌をいろんな歌詞をつけてうたう。ジョンに酔った女性がもたれかかり、「奥さん、エンブリーさんとこればしてもよかですか」と叫ぶ。
彼らの日誌には、女たちの性へのあけすけな態度が率直に記されている。真面目な宗教行事のあとも、きまって酒が飲まれ、人びとははめをはずした。
午後の宴会の参加者は、・・・僧呂とその友人だけでなく、寺に寄進をした一般の人びとであった。夜になって客たちが家に帰ると、台所で働いていた女たちが、7時ごろから10時まで、自分たちの宴会をおこなっていた。谷本さんは、よそから来ていた僧呂に、かなりしつこく、しまいには彼が逃げだしてしまうまで、焼酎を飲ませた。寺の中央の部屋の仏像のまんまえで、彼女たちは酒を飲み、エロチックな踊りをし、どんちゃん騒ぎをした。その同じ場所で、その日のもっと早い時刻には、僧呂が、仏の慈悲を信じない人びとの運命についての悲しい話をして、女たちは涙をながし、そこで賽銭を投げ、祈りを捧げたのだった。(178頁)
女たちの「エロチックな踊り」はときに神々しいまでに艶やかだった。ジョンは、天岩戸に身を隠したアマテラスを誘い出すために、アメノウズメが胸を出し下半身をさらして踊った様を重ね合わせる。
髪の毛をふり乱して背中にたらしていたので、彼女はまるで、エロチックな踊りを踊る絵のなかの女神のようだった。その絵は、神々を笑わせようとして、また太陽の女神を彼女が隠れている洞窟から誘いだそうとしている女神の絵である。(188頁)
村人のなかにも、そうしたふるまいをよく思わない人もいる。町で育った学校の先生たちはとくに批判的だった。あたらしく着任した校長の奥さんは、焼酎を飲んだこともなく、村人が三味線に合わせて踊ることに眉をひそめ、驚きを隠せない様子だった。日本社会の性に対する意識が変化の途上にあって、都市部の教育を受けた層と農村部の女性たちとで大きな距離ができていることがうかがえる。
学校で乳幼児の予防接種が行われたあとも、徴兵された兵士の見送りや帰還兵の歓迎式のときも、医者や兵たちに酒がふるまわれた。戦場に赴く兵士と校長が演説をしているあいだ、女性たちは人びとに酒を注ぎつづけ、兵士が出発すると二次会のために兵士の生家に集まった。帰還した兵士を迎えるときは、女たちは軍服や消防服、外套など男性用の衣装に身を包み、口ひげやあごひげをつけ、杖をもって紳士のようにふるまうという奇妙な歓迎会が開かれた。
男の服を着たおばあさんのいく人かが、子供のように走りまわって、踊っていた。女たちは概して、自分が装った性に完全になりきって行動し、娘や女たちのみんなに言い寄っていた。娘たちは悲鳴を上げて、お尻をつねられるのを避けようと、道から田畑の方へとびだした。一人のおばあさんが若い女を、そして後には男をつかまえ、二人を壁に押しつけて、性交の動作の真似をした。集まっていた人びとは、どっと大笑いをし、一方、哀れな犠牲者たちは、解放されるやいなや大急ぎで逃げ出した。(182頁)
ジョンは「須恵の人びとにとって、軍国主義の思想はまったくなじみのないものだと私は確信している」とつづる。しかし時代は、1937(昭和12)年の盧溝橋事件で日中戦争がはじまる前夜だ。村のなかも表向きの国家主義の世界とその背後でつづけられる生活世界との乖離はあきらかだった。
国防婦人会の会長には男性の校長が就任し、女性たちに質素倹約による経済更正計画への貢献を訴えた。女性たちに礼儀作法や料理の講座への参加が義務づけられ、愛国心を示すために、かっぽう着とたすきの着用が指示された。ジョンは「大体において、女たちはそれを、馬鹿げたものだと思っている」と記して、将校への閲兵式のときの様子を次のように書き残す。
女たちは、閲覧が終った後に、校長の演説を聞くために集められた。その後、男の教師が、婦人会の決議を婦人たちに読みあげた。彼が、「私たちは台所を清潔にきちんとします」という文を読んだとき、私はあまりのばかばかしさにあきれてしまった。婦人の組織が、国家主義的目的のために、男たちによって結成され、発展させられていったのだ。部落レベルの単位の指導権が問題になるときでも、女たちは責任を拒絶しようとする。私は、この組織のいかなる総会においても、女が演説したのを聞いたことがない。あらゆる組織作り、あらゆる決議、あらゆる取り決めが、男性によってなされる。女性はただ、命令を遂行するだけである。(96頁)
白いかっぽう着は若い女性には見栄えがいいが、年寄りだとおかしく見える。暑くるしいし、そもそもエプロンは外で着るものではなく、お客が来たらとるものだ。女たちはそんなまっとうな不満を口にしながらも、男たちの「指示」に従った。
須恵村の女たちの宴席でのふるまいは、卑猥だとか、教育がないとか、恥ずかしいと感じてしまうかもしれない。たぶん日本の男性研究者であれば、こんな記録は残さなかっただろう。でも「教育」を受けた「品行方正」な男たちが主導して進めた国家事業が、どんな歴史の結末を迎えたかを私たちは知っている。
性を恥ずかしく、隠すべきものととらえる感性も、もしかしたら男たちのつくりあげた、いかがわしい「道徳心」のなれの果てなのかもしれない。女たちの艶やかな身のこなしに、私たちがすでに内面化してしまった常識の空虚さも、からかわれているような気がする。
編集部からのお知らせ
松村圭一郎さんが『はじめてのアナキズム』を寄稿!
ミシマ社の雑誌 ちゃぶ台Vol.5 「宗教×政治」号!!
『ミシマ社の雑誌 ちゃぶ台Vol.5 「宗教×政治」号』 ミシマ社編(ミシマ社)
「明日の朝、目が覚めて、日本という国がなくなっていたら、どうする?」(『はじめてのアナキズム』より)
生まれたときから、自然に空気のように存在する国家。でも、本当にそれってあたりまえ? はじめてのアナキズムは、そんな問いからはじまります。我々は何に真面目に、そして何に不真面目になるべきなのか? 必読の一本です!!
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