ダンス・イン・ザ・ファームダンス・イン・ザ・ファーム

第8回

断水inda House 前編-日常に忍び込んだ非常事態-

2018.12.28更新

 ダンス・イン・ザ・ファーム。僕がこんなタイトルにしたからだろうか。まさかの今年2回目となってしまった大島全島での断水が今も継続中です。1カ月経った今日。40歳の誕生日を迎えた朝にこれを書いています。

 正直、疲れました。

***

 という書き出しを書いたのが11月22日。気づけば1カ月以上が経ってしまいました。あまりにたくさんの出来事が日々刻々と現れて変化していった40日。ずっと続いた非常事態。ポジティブなこともネガティブなことも書ききれないほどありました。

 まず、どういうことが事象として現れたか、続けてみたいと思います。

橋が壊れた

 10月22日の未明、周防大島と本州を結ぶ全長1020m、約1キロの「大島大橋」に船がぶつかった。橋よりも高い大きな貨物船。

高さ約40メートルのレーダーマスト、さらに35~36メートルのクレーン4基を搭載した船体で、大島大橋(海面からの高さ31.9メートル)の下を通過しようとして衝突(長周新聞・2018年10月24日

 それが橋を傷つけ、水道や電気、インターネットのケーブルをひきちぎり、船も10mほどオーバーした自身の構造物を折って去っていきました。(11月9日船長は業務上過失往来危険の罪で略式起訴・罰金50万円)

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 僕はその夜、島のお寺での数十年に一度の住職の代替わり、その盛大な儀式とお祝いに参加して家に帰って床についたあと。

 翌朝から、僕の家を含む全島民に影響が出てきました。まさかそのあとあんなに長くなるとは思わずに・・・。

 日経新聞11月22日の記事によれば、

橋の下部を通る送水管が切断され、島内の98%の家庭や施設への給水が止まった。(日経新聞・2018年11月22日)

 電気やネットのケーブルはバックアップがあったりすぐ修理が済んだ。そして橋の破壊には2つの大きな影響が始まりました。

交通の不安定

 話はちょっと先に進みますが、もともとこの渦中、事故から約20日後の11月11日に独立研究者の森田真生さんによるライブ「数学の演奏会in周防大島」を計画していました。そして、この機会を逃したくないと慎重に会を開催しました。

 ほんとうに偶然なのですが、この参加者の中に「全国の橋の点検をする技術者」の方がいました。大島大橋をこの6月に点検したばかり、この橋は「トラス式」というタイプで一カ所でも破損すると全体の負荷のバランスが変わり危険な状態になるそう。

 船の衝突によって「現に危険な状態になっている」「もう少しずれていたらもっと危なかった」、と。

 橋の破壊の直後から、「片側通行」と「風速5mで通行止め」(当初は3m)、「2t以上は日中通行不可」という厳しい条件での通行が許可。風速5mなんて、普通に吹くような風です。

 島の人「島の外に用事で出ても、風が吹いて橋が止まったら帰ってこれなくなるかもしれない」
 外の人「島に遊びに来ても、風が吹いたら帰れなくなるかもしれない」

 実際に「通行止め12時間」。その間待つ人も出るような事態が始まりました。

 物流と、人の流れが極端に不安定になる → 出入りすることを控える。

 例えば、

 主幹産業の一つである観光客の激減
 学校の先生、生徒、役場の職員、商売、つまり仕事の足のストップ
 宅配便のトラック、シーズン本番のみかんの出荷の大幅な変更と遅延 
 資材が入らないための建築・土木工事のストップ
 予定されていたイベントの中止、などなど。

 本州側の柳井市でもお店の売上が減ったという話もありました。島の人が買い物に行けなくなったから。影響は多大で多様で書ききれないくらいです。

 周防大島の交通は42年前に完成したこの橋が要となっており、四国・松山と本州・柳井を結ぶフェリーは通常、深夜便を含む1日4便。たくさんの輸送に向いているとはとても言えない状況です。

 僕は「フェリーの便が増えないのかな」と思っていましたが、どうも費用が掛かるらしい。

 風で橋が止まったときのための歩行者用の渡船が3隻用意され、約一カ月後の11月18日の仮復旧まで続きます。実際にそれらの船が使われることも多かった。

 この状況プラス、水道管が切れたことによる「断水」。

 水が使えないのと、お客さんが足止めされるのと。宿泊施設や観光向け商売の40日にわたる休業。40日給料が払われない友だちの話を聞いて、ガクゼンとしました。

 水がなくて、保育園、学校の給食が作れない。病院、介護施設の職員は給食もお風呂も提供できない。あとで訊いたら職員が1日車で給水所を何往復もして、トン単位で水を確保する日々が始まる。そして、各家庭への影響―――。

水が重い。助け合い。そしてガマンする

 そもそも周防大島では今年1月の時点でも3~10日間の断水が発生していました。「またか」と思った島民の方も多かったと思います。うちもそう。その時と同じように家庭でポリタンクでの給水が静かにスタートしました。

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 事故発生の4日後、10月26日、僕はツイッターでこう書いていました。

困り方に各家庭でグラデーションがあって(全く困ってないんだーという話まで)、なんとなくこれから風呂に入れない不便さや、水を運ぶののしんどさが来そうな気がしてます。風呂、洗濯、洗い物、水洗トイレ、炊事、、、

 とにかく風呂、洗濯、洗い物、水洗トイレ、炊事、これらに水をたくさん使う。

 この時点では、「井戸や山の水のある家」と「井戸はあるけど飲み水としては使えない家=風呂、トイレ、洗濯、洗い物はOK」、そしてうちみたいに「水道頼みの家」などいろんなパターンがあり、地域や血縁などに応じてそれぞれで情報を交換。「井戸あるから使っていいよ」「風呂に入りにおいで」と自然発生的に助け合いが始まりました。

 1月の経験もあり、初めのうちは拍子抜けするほど個々人の対応はスムーズだった気がします。炊事、洗い物にたくさんの水を使う上に、小学校と保育園の給食がストップ。なのに、妻がのちに「断水ハイ」と振り返るようにどこかテンション高く楽しんでいました。初めのうちは。

 中村家は親戚の家の風呂を借りにいっていました。井戸水がある家。その親戚は80代の夫婦で、日暮れと共に、つまり夕方6時くらいに床に就く家庭です。こちらはそんなに早くには帰ってこれないので、8時9時になってしまうと伝えるも「ええよええよ」という言葉に甘えて、寝室の横を通ってお邪魔していた。

 ところが、途中途中で復旧の見通しがでる。「あと1カ月も!?」と想像を超える深刻さが明らかになっていく。だんだん申し訳なくなってきて、親戚の家への風呂は徐々に遠慮するようになる。町内の入浴施設が3カ所、島の外の入浴施設も無料開放してくれていた。訊くと「洗い場が並んでいる」という話で結構混みあっているよう。僕はだいたい5日にいっぺんの入浴になった。

 知り合いのおばちゃん(Aさん・80代)に様子を聞きにいったら「友達を誘ってね、みんなでドライブしながらお風呂入りにいったんよ。たのしかったよ」とほっこりする一言もありました。

 一方、僕はそのころ、

 「自衛隊が来てくれているみたいだけど、災害でよく見る仮設風呂は来ないのかな」

と思っていました。ある人からは「今来ているのは航空自衛隊で、お風呂を持っているのは陸上自衛隊みたいよ」とも。

 これらがだいたい前半の話。

 助け合いも、時間の経過とともに状況が変わっていきました。僕が訊いた話では、普通の家庭に毎日誰かが来る、起きてないといけない、という状況に日が経つにつれストレスを感じていったという人もいたし、逆にそれを楽しんで、毎日のように宴会をやっていた人もいたといいます。こればっかりは性格や各家庭の事情による。いずれにせよ、本来あるはずのなかった光景です。

 20リットルのポリタンクを車に4つ積んで給水。家に持って入る。台所に置く。重い。

 僕が住む集落のおばちゃん(Bさん・80代)が車で10分ほどの距離にある給水所に原付で来ていて、10リットルのポリタンクと6リットル×2袋の災害時用ビニールに入れていた。「あぶないから持って帰るよ」と声をかけると最初は「大丈夫じゃろ」と言ってたけど「遠慮しないで」と言ったらおばちゃんも「そうじゃね、乗せてってもらおうか」と何度もありがとうねと笑って、僕の軽トラに乗せた。

 ご縁のある島外の方から支援の声が寄せられるようになりました。ペットボトルの水が送られてきたり、洗い物をしなくていいように、紙皿など使い捨ての炊事道具、体を拭くもの、そして「使って」とお金の寄付をいただいたり、島外から駆けつけてくれたり、オンラインショップから買い物をしてくださったり、紹介してくださったり。メールや電話、SNSでのメッセージで「大丈夫?」「何かできることない?」と声をかけてくれるのが心強くうれしかった。「見捨てられていない」という気持ちになって、救われました。

 周防大島は、何度もいうように、大きい島。そして、先ほど書いた「各家庭のグラデーション」が時を経るにしたがってさらにまだらになっていく。

 僕は送っていただいた2リットル入りのペットボトルの水を縁のあった方から配り始めたのですが、これが当たりはずれがすごい。持っていく前に、事前に電話しても「遠慮される」ことがわかったので、家に直接持っていく。すると、

 「水よかったら使ってください」
 「うち井戸あるんよ」「大丈夫よ」「誰かほかに持って行ってあげて」

 なんてこともしばしば。もちろん「ありがとうね」「いくらあっても助かるけえ」と言われることも何度も何度も。方々で喜んでいただきました。

 「使い水」と「飲み水」を分けて考えている人たちが大半で、2リットル入りの水は飲み水、炊事用。なので、とてももったいなさそうに使っていました。

 なので「情報がどこかに集約されていないか」と町の担当課や社会福祉協議会などに訊いてみたら、「民生委員が把握している」ということ。3週間後に、民生委員からの情報をもとにした支援を必要とする人の数字が出てきた。その数字は「リアルに要支援な人」で、実際よりも少ない印象の数。だから「健康だけどお年寄り」とか「健康だけど車がない」とか、そういう人は勘定に入っていなかった。

 同時にこのときから、各集落の消防団による家庭への給水支援が始まったのですが、仕事のある人が多く「土日しか動けない」、また地域によっては「消防団自体が高齢化」している。そういう問題があらわになりました。

 色々な人たちが模索しているなかで、例えば周防大島の「島のむらマルシェ」の実行委員は、調理の難しいなかで「あったかいごはんが食べられる場」として、また「おしゃべりできる場」として、炊き出しイベントを毎週実行。そのときに支援いただいた水も配布していて僕もスタッフとして参加したのですが、それが想像以上に手に取って帰られる人が多かった。断水解消されるまで続きました。

 マルシェだけでなく、島の多くのお店や個人宅で、井戸を持っている人は井戸を開放、また洗濯機を開放したり、トイレを開放したり、炊き出しをしたり、多くの助け合いが行われ続けました。

 なかでも特筆すべきことがありました。それは途中で知った、ミシマガジンや雑誌「ちゃぶ台」でもおなじみの「みやた農園」の宮田正樹さんの活動です。

 「島の人はみんな家族なんだ」という心境でいた宮田さんは、断水が始まってすぐの段階で、近くの給水所で待ち伏せして、お年寄りの方に声をかけ始めました。おうちまで水を運びますよ、と。

 そのあと、畑仕事の前後の朝夕、「空いた容器を回収して、給水して運ぶ」という作業を毎日淡々と繰り返していきました。

 そんななか、断水2週間たった後こんな注意喚起の町内放送が入りました。

「断水に乗じて、水を自宅まで運び料金を請求しているとの情報が寄せられています」

 この放送で状況が変わった。つまり、見知らぬ人間が家まで運ぶと、たとえ善意であったとしても「怪しい」と思われるので家まで運べなくなった。実際に、宮田さんも不審者に間違われることも出てきたほど。

 ただ、宮田さんは初動の速さですでに多くの人との関係性を築いていたために、断水解消まで水の配達は続きました。

 そして、解消後の議会に傍聴しに行った際に、町による「被害の裏付けがなかった」つまりウワサどまりだった、ということもわかり、僕はずっこけました。

 給水車による給水所は、最終的には14カ所プラス巡回で、僕の集落には週1のペースで来ていた。

 11月6日から募集がはじまったボランティアによる給水支援は、なので「給水車」から「自家用車など」に乗せるサポート。この限定された支援は、つまり先のウワサにも起因しているということになる。

 そして、給水した容器を車や自転車や原付や歩きで家まで移動したのち、「家の駐車場や玄関」から「家の中」までは各自の負担。

 車に乗れない高齢者は離れた給水所まで歩き。島だから坂道もある。ポリタンクを「ねこ車 」に乗せて1キロ歩いた人。何度も往復できないので、「できるだけ多く」といっぺんに20リットル入りを4つ持ってきて、重いので半分ずつ10リットルずつ入れて、結局持って帰れなかったおばあちゃん。

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 また別のおばちゃんに訊いた話。

 「断水最初のころ、ボランティアもいなくて自分たちで給水していたとき、行列ができてて、あるおじいちゃんがペットボトルに入れようとするんだけど口が小さいうえに手が震えてほとんど入らなくて、それを後ろに並んでいた人がイライラして『こがなこまいもんもってくるな、もったいなかろーが』と怒っていた。そのとき、さらに後ろの人から『そんな怒らんでもねえ。自分もそのうちそうなるんじゃけえ』と声があがって。笑ったよねえ」

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(後編につづきます、次回は1月5日掲載予定です)

中村 明珍

中村 明珍
(なかむら・みょうちん)

1978年東京生まれ。2013年までロックバンド銀杏BOYZの元ギタリスト・チン中村として活動。2013年3月末に山口県・周防大島に移住後、「中村農園」で農業に取り組みながら、僧侶として暮らす。また、農産物の販売とライブイベントなどの企画を行う「寄り道バザール」を夫婦で運営中。

YORIMICHI BAZAR

編集部からのお知らせ

エフエム山口特別番組「Dance in the island~周防大島に生きる」が放送されます

中村明珍さん、周防大島在住ラジオディレクターの方によって制作された、エフエム山口特別番組「Dance in the island~周防大島に生きる」が2019年1月2日午後5時から放送されます。40日間の断水生活を経て、島の今、島の声を届けます。下記よりぜひお聴きください。

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