ダンス・イン・ザ・ファームダンス・イン・ザ・ファーム

第20回

rightへならえ? - 非常時と日常‐

2020.03.06更新

 ウイルスはウイルスの都合で、居心地のいい環境を求めて、生きるように生きていくんだろう。人間もそうやって生きてきたんだと思うし。そう考えながら、もやもやが止まらない日々。みなさんはどうでしょうか。

 僕はおととしぐらいから、自分の性質が若干「緊急事態敏感仕様」になっているんじゃないかと思い始めています。「危急の事態に発芽する」個体といってもいいでしょうか。それが先天的なものなのか、後天的なものなのかはわからないけれども、思い当たる節があって。どうも以前いたバンドのことが影響しているっぽいのです。詳しくは省きますが、そのバンドは今の生活から逆算するに「毎日が緊急事態」でした。ルーティーンをこなすだけでは到底対応できないので、あるときには「ルールから外れる」こともオプションとして入れておかないといけなかった。

 とにかく、僕はそういう事態に対応するクセがついてしまっているかもしれないです。

 おととしあった事件―――周防大島の橋への貨物船の衝突事故~断水と交通のストップ―――がきっかけとなって、この性質がまた発芽しました。

 そこで今、あらためて感じていることを記してみます。それは、橋の事故で起こった様々なことが、今も同じ表情をして起こっている気がしてならないから。わかっていてなお起こる問題があるのなら、それは避けたいし作り直していきたい。そのための土台を見つけたい。僕たちの社会はどういう惰性が働いていて、自動運転をしてしまうのかを知りたい。ということでいってみます。例えば―――。

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情報のこと 

 こと緊急事態に限らず、あるプロジェクトで「どういう状況になっているか」を把握して、関わっている人に知らせる作業は必ず発生するものだと思います。レコーディングやライブの制作など、ロックバンドの中でだって同じでした。それがないと「今、どこにいて、どこに向かっているか」がわからず、プロジェクトのゴールにたどり着けないからです。

 おととしの船の事故の際に、強い印象を残したことがあります。断水が1週間、2週間と経つ間に「ケガ人が出ている」という情報を友人の医療従事者から聞いたのですが、その時点で一般にはほとんど知らされておらず、実際には軽傷者・重傷者合わせてかなりの人数にのぼっていました。
 「骨折した高齢者の中には、入院のためにもう一生家に帰れなくなった人がいる」という話もあり、1人の人生が変わったという点だけでも大きい事実。それを僕と友人とで伝えようとして、より正確な報道が出たという経緯がありました。
 
 この緊急事態という名のプロジェクトの目指す先は、「被害を少しでも出さない」こと。これだと思っていました。ところがそれが、わからない。情報を出す主体が見当たらなかったからです。

 外国船がインフラを壊した事故に対して、民間の個人が動いて、民間の独立系メディア(ミシマ社や8bitNewsの堀潤さんなど)が動いて。それで正確な情報が出た経緯が、今なお胸に残っています。この話、相手が大きすぎて、はてなマークがたくさん出ました。

 例えていうなら、野外ロックフェスの会場でトラブルが発生したとして、その場にいた「観客」が会場の外に向けてアウトプットしているだけで、「主催者」は沈黙している。そんな感じでしょうか。現実には、主催者は何かしらの進捗を発表すると思うし、リアルな現場ではきっとありえないことです。
 
 「いま、どういう状況?」というのがわかるようにすることは、僕みたいな者にもできるし、決して難しい振る舞いではない。それはいったい誰がやるべきなのか。バンドマンにできて、公の機関にはできないものなのか。
 ここには「誰々のせい」と死ぬほど言いたくても言いきれない、構造的な理由があるように思えてきました。

正しさのこと

 NYから英語教師として島に赴任しているエイブくんと、最近ある講義に一緒に参加しました。テーマは「欧米人の旅、宮本常一の旅」。講師はミシュランガイドの制作に携わっていた森田哲史さんで、日本型と欧米型の旅行の文化の違いをみていくものだったのですが、そこにはこんな観点がありました。
 日本の典型的な旅行は「講」からきている巡礼スタイルであり、欧米型は学びを通した個人の成長がテーマにある。
 日本型は、ガイドブック=誰かのオススメに沿ってプランを決める傾向があり、欧米型は誰かがやった経験をフォローすることは重要ではない。

 そんな話題の中、隣に座っていたエイブくんが突然小声で、旅行とは関係ないこんなことを伝えてくれました。

 もしかしたら The ideas of "Right" and "Wrong" are too strict in Japan.

 日本では、正しいということに厳しすぎて、間違いを受け入れられないのでは、という話に。むむむ。なんと。

 どういう気づきでしょうか。エイブとはここ1年、日本で感じる「Uniformity」という言葉が話題にあがります。訳せば「均一性」と出てくるけど、「みんな一緒」というあり方とでもいえるでしょうか。

 Pencil case thing.

 彼は、英語教師として島の小中学校のクラスで教え始めたとき「みんなが筆箱を持っている」ことに驚愕したそう。なぜなら、彼自身は「筆箱を持っていない」ことが普通の世界に生きてきて、彼自身も持っていない。持っていても無くてもどちらでもいい世界だったのに、こちらでは誰一人として「持っていない、ということがない」。それに驚いたということでした。実は僕ももっていたので、そこで大笑いしたのですが。

 「みんなが筆箱を持っている」こちらの世界で、「持っていない」という選択肢は、なかなかイメージしにくいし、どこか選択しづらいと思います。別で言えば「ランドセルを持って行かない」という想像がわかりやすいでしょうか(僕は持っていなくて全然かまわないと思いますが)。

 僕は、それがその社会の中の「安心」という心持ちとセットになっていると思っていたのですが・・・。

 別のシチュエーションを考えてみます。「有名だから」「誰かがいいと言っていたから」という理由が決めのフレーズになる場面もいろんなところで見かけます。誰かのオススメによって「ハズさない」。それも、安心を意味している気もします。その裏側にあるのはなんでしょうか。

 それは、「間違う」ことへの怯えでしょうか。何かを間違ったときに、金銭的または社会的に「損をしたくない」という心情があるかもしれません。もしくは、間違ったときの「断罪」が待っている。だから、間違いに怯えるのかもしれません。

 前述の森田さんによると、こうです。ミシュランガイドの仕事を通じて感じたのは、欧米型の旅行においては「間違うこと」自体を楽しんでいるそう。「リスク管理を自分自身がする」ことそのものが、旅行の喜びになっている。彼らに日本型の旅行のような「絶対にハズさない」情報を先行して与えることは、旅の喜びを奪っていることになってしまう。だから、ガイドブックの在り方が違う、といいます。

 現実的には日本型にも欧米の旅行スタイルが入っているのでとシンプルには言い切れませんが、たしかに旅のモチベーションは逆を向いているところがあります。
 
 一言で「正しさ」「間違い」といっても、中には取返しのつくことも、つかないこともあるのでさらに精査が必要ですが―――この「間違わないこと」が意味するのは―――もし、ひとたび「間違い」「失敗」が目の前に現れたとしたら、そこには「隠そうとする」振る舞いが同時に起こりうることも示しています。

 僕たちの生活上の無数の「選択」にも、この影響は現れていると思うのですが、次のトピックにもつながってきます。

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「予防」と「トラブル対応」のこと

 「予防」、未然に問題を防ぐ。「トラブル対応」、起こってしまった問題に対処して解決する。トラブルに対峙するという意味では同じでも、全く違う系統の作業です。当り前かもしれないけれど、僕は前者が「普段通りの日常」にベースがあるのに対し、後者は「非常時」にモードが切り替わっているのだと思います。

 これも、おととしの船の事故のときに感じたことです。あのえんえんと続く断水の中、復旧工事などが始まってはいても、「水がない」状況下で起こる、目に見えにくい数々のトラブルを少しでも改善するような「スピード感」が無いように見えた。それはつまるところ、モードが「非常時」に切り替わらず「普段通りの日常」にあるからではないか。

 旅行のことで、欧米型は「リスク管理」自体を楽しんでいると書きました。それは「非常時」モードである、とも言えそうです。何かあったときには、自ら主体的に対処する。リスクを引き受けること自体を楽しむ旅。一方で、日本型は「ハズさない」「間違えない」。こちらは安定した「日常」モードでいく傾向がありそうです。非常時モードは動的で、日常モードは安定的。そんな感じ。

 最近息子とよく行く「釣り」で例えてみます。
 予防:絶対に絡まないような仕掛けを工夫して用意しよう。
   (絡まったら切って新しいのに替えよう)
 トラブル対応:絡まってしまうことも勘定に入れといて、絡まったらほどこう。
       (時間がかかってしまうけど)
 
 ちょっと乱暴な整理かもしれませんが、そういう傾向はあるのではと思ったのです。

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地球温暖化のこと

 話は飛んでしまいますが。
ウイルスの件は主に人間との関係のことですが、そもそも現在、地球が温暖化し続けていると言われています。これは実際に肌感覚でもわかるようになった昨今で、もっと違うスケールの、人間以外全てが関わってくる事態です。
 僕たちはこのことについて、「日常」の線の予防の段階にいるのか、それとも「非常時」の線のトラブル対応の段階にいるのでしょうか。
 
 地球そのものからすれば、「地球の体温が上がっている」だけのような気もするし、その熱によって人間が死滅するか、それともしたたかに生き延びるのか、「人間は地球にとってのウイルス的な存在」という想像も、できなくはありません。

 ただ、この事態は人間が巻き起こしたことでもあり、自業自得といっても人間以外にとってはただの狼藉。今、僕が住んでいる浜が、何年後かにすっぽり水没することがリアルに想像できたり、その間、暑い夏が訪れ台風は吹き荒れ、森林は燃え、生きられたはずの生物が消え、ということが間近に見えてくると―――。子どもには責任を感じますし、その他のいろいろに対しても、これまで通りありのままの欲望をさらけ出していくのは、さすがに恥ずかしく思えてきます。

 僕は温暖化の事に対して、すごく最近まで「日常」モードでいました。なんとなく予防の段階かなと。でも、これまで言われていることや実際に体感していることを踏まえると、きっと「非常時」モードに切り替わっていていい。

 いずれにせよ僕が今ここで出来ることは、釣り糸を完璧に絡まないようにすることよりも、絡まった糸を根気よく時間をかけてほどいていくことではないか。そう思うようになりました。
 みなさんは今、どう感じていますか。

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中村 明珍

中村 明珍
(なかむら・みょうちん)

1978年東京生まれ。2013年までロックバンド銀杏BOYZの元ギタリスト・チン中村として活動。2013年3月末に山口県・周防大島に移住後、「中村農園」で農業に取り組みながら、僧侶として暮らす。また、農産物の販売とライブイベントなどの企画を行う「寄り道バザール」を夫婦で運営中。

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