一泊なのにこの荷物!

第8回

魚釣り

2020.11.01更新

 かつて玄界灘で、ヒラマサ釣りに挑戦したときのことです。

 2〜3メートルの波がザンブラ〜ザンブラ〜と私の乗った船を揺らします。濃紺色の海は強大なエネルギーの塊。外洋を目の当たりにすると、手で掬えばさーっと流れ落ちる、なんていう風にはとても思えません。映画『崖の上のポニョ』で描かれる海にはいろんな表情があり、なかでも打ち寄せる波がゼリーみたいな水の塊で表現されているものが印象的でしたが、玄界灘を思い返してみると海はあのゼリーの大親分みたいなものだったと説明するのが一番しっくりきます。ぶりんぶりんと手強そうな巨大な物体、どこまでも繋がって地球全体を覆っている水のおばけだ。

 それにまあ考えてみてください。私は沖に出るまでぼんやりしていて気づかなかったのですが2メートルの波が立つということは波が引いたときはマイナス2メートル、つまり船の上にいれば最大高低差は4メートルになるということです。3メートルあれば6メートル。想像しただけで酔いそうな・・・うっぷ。遊園地の乗り物も昔から得意ではありませんでしたが、船の揺れときたら不規則極まりなく、しかも遊具のようにベルトで乗り物に固定されているわけでもないので甲板でひっくり返ったらとか、万一外に放り出されたらどうなるのだアワワワワ、なんて考えが脳内を巡るのを止めることができません。基本的に恐がりなのです。波の頂点にいるときジャンプでもしようものなら、家の屋根からとりゃあ! って下りるみたいなものではないか。一瞬「しゅたっ」と着地するかっこいいイメージが浮かびましたが、イヤイヤそんな忍者のようなことできるはずがない。釣りをするために乗船したのだ、ここで骨折するわけにはいかんやろ。

 しかも、なぜ船に乗ったかというと釣り番組のロケだからなのです。私が魚を釣らなくてはお話になりません。なんたって「にっぽん釣りの旅」なのですもの。

 さあ頑張って釣りますよ〜と意気込みは陸でこそ勇ましいものでしたが、実際沖に出てみると日和ってしまって(船釣りって、こんなに激しいんですね・・・)と、ただただ不安な気持ちが押し寄せる。せめて揺れに備えよう、安定感を出そうと腰を低くしてバランスを取っていたら「ほんじょさん、だいじょうぶですか腰が引けてますよ」って言われました。せ、背筋を伸ばさねば。帽子じゃなくてヘルメット被ってくれば良かったかなあ。

 釣り船の船長さんは、海のことなんてほぼ知らないに等しい私のようなものを連れて沖に出てくれ、船がひっくり返らないように波の様子を見ながら角度を調整(横からの波に注意、だそうです)、さらに魚が釣れるようにあの手この手でサポートしてくれます。他人の命を預かってお目当ての魚を釣らせるなんて、どれだけ大変な仕事でしょうか・・・。

 釣りの指南役Mさんに至っては仕掛けまですべて準備してくださり、恥ずかしながらいわゆる"大名釣り"の状態。すべてお膳立てしていただいて、ここで私が釣りあげなければMさんも船長さんも努力が水の泡です。笑い話にもなりません。

 釣りに詳しい方ならご存じなのでしょうが、その時に挑戦したのは〈落とし込み〉と言われる方法で、表層部を泳ぐイワシをまず針にかけ(=釣る①)、そのイワシを50メートルほどの海底付近までそのまま降ろしてヒラマサをかける(=釣る②)という、なんじゃそりゃ! っていうものなのでした。事前練習なし、初めましておはようございますで船に乗り、撮影日はたったの二日という厳しい条件。イワシの口って華奢で柔らかったはず、そんな何十メートルも針にかけたまま落とすことができるのか??

 ポイントを移動しながらの釣りは、あっという間に数時間が経過しました。

 イワシが針がかりする感覚はわかるのですが、かかったイワシを下へ下へ下ろすと海流に乗って糸がひゅーっとリールから出ていき、何メートルまで出たかというのが電動リールの数値で見るしかないという、なんとも想像しにくい状況です。イワシが針についているのかどうかさえ素人にはわからない。イワシが外れちゃったらただの針が海底近くにふわふわ漂っているだけなので、誰も食いには来ないのです。しーん、という沈黙がこわい。太陽光線がじりじりと音を立てながら海面近くへ移動します。いつ釣れるかわからないのでカメラさんはずーっとファインダーを覗いている。はー、まずい、どうしよう!

 イワシがかかるくらいの小さな針で、でかいヒラマサを釣っちゃおうってことだからもう、ものすごく難しいことをしているってわけなのだ。初めての私にはめっちゃ難しいってことなのだ。スタッフさん含め船にいるみんなが見守り、釣れますように! って願ってくれているけれど、ひとりぼっちの気分であります。脳内にしょぼい絵が浮かびました。自分のいるところと全く別の世界とが細い細い糸一本で繋がっている絵。海底で魚たちが笑っている。空っぽの釣り針を見てはしゃいでいる。ほんとのところは一体どうなっているのだろう、ああ、潜って見に行きたいよ・・・。

 絶対弱音は吐かんぞ、と思っていたものの、かなしい絵日記を描いたような気持ちになって目尻がじんわり濡れてきました。ハァとため息をついたとき、ぐっとアタリが!

 「Mさん! 船長! 来ました! なにかが引いてます!!」

 絶対バラすな、そーっとわっしょい、ゆっくりわっしょい、がんばれがんばれ負けるなわっしょい。

 ふかーい深い海の底からゆらゆらと姿を現したのは・・・ヒラマサ、じゃないじゃないか!

 掃除機のノズルみたいな口を長く伸ばした、見たこともない変なやつでした。

 ぎゃふん。

 「マトダイでしたね!」Mさんがちょっと残念そうに、でも明るく言ってくれました「これ、美味しいんですよ!」。

 マトダイは、的鯛。馬頭鯛とも書き、マトウダイとも呼ばれます。平べったくて、身体の真ん中に大きな黒丸印がぽんとついている。弓矢の的のような模様です。《関西では高級魚とされており、白身で淡白なよい味》(食材図典、小学館より)。

 その晩は、みんなで的鯛の煮付けを食べました。確かに美味しい。ですが、今回の狙いはヒラマサであって的鯛ではないのです。もぐもぐもぐ、うーむ、とっても美味しいんだけどなあ。

 つぎの朝。さあ、もう後がありません。今日こそはヒラマサを! 酔い止めをぐっと飲み干し、いざ出陣です。

 ザンブラ〜ザンブラ〜。二日目も波は高かったけど、ものすごい集中力で竿先に注目、自分と竿は一体なのだと思い込む。微かなアタリも絶対にのがさないぞ・・・。その時です。

 がくん! びーんっ! わわわわ、来た! 来たっ!

 ぎゅーんとしなる竿! 竿先が海に引きずり込まれます。ぐは! つ、強い。

 前の日の反応とはまるで違って、竿がUの字に曲がっています。真っ二つに折れないのが不思議なくらい。

 沖へぐーっと遠ざかったかと思うと船の下にびゅーんと走り、さらに深くに逃げ込もうとする。向こうも、こっちも必死です。岩陰にでも逃げ込まれたら糸が切れちゃう!

 「時々緩めて、ちょっと走らせて、はい、少し巻いて!」Mさんが隣で声をかけ続けてくれます。「大丈夫、大丈夫。しっかりかかっているから、焦らないで」。

 どれだけ時間がかかったのか全くわからないけれど、昨日見た光景が私の目の前に現れ始めました。深い深い海の底からゆらゆらと姿を現したのは・・・。

 かっこいい流線型。今度こそ、のヒラマサでした!

 網で掬い上げてくれたMさんと、操縦室から船長さんも飛び出してきて、良かった良かったと顔をくしゃくしゃにして喜んでくれました。

 釣れた喜びよりも、正直なところ、おふたりの笑顔を見られたことが何より嬉しかったです。

 《時速40㎞で回遊し、「海のスプリンター」と呼ばれるヒラマサを佐賀県唐津沖の玄界灘で狙う。ヒラマサは強烈な引きで、釣り人憧れの大物》(NHKアーカイブスより)

 ヒラマサくん、時速40㎞も出して泳ぐの!? 今更ですが、すごい魚なのでした。味は、それはもう、最高に美味しかったです。

澤田康彦さんによる
「魚釣り」はこちら

本上 まなみ

本上 まなみ
(ほんじょう・まなみ)

1975年東京生まれ、大阪育ち。俳優・エッセイスト。長女の小学校進学を機に京都に移住。主な 出演作に映画『紙屋悦子の青春』『そらのレストラン』、テレビドラマ『パパがも一度恋をし た』、エッセイに「落としぶたと鍋つかみ」(朝日新聞出版)、「芽つきのどんぐり 〈ん〉もあ るしりとりエッセイ」(小学館)、「はじめての麦わら帽子」(新潮社)、絵本に「こわがりか ぴのはじめての旅。」(マガジンハウス)など。京都暮らしのお気に入りは、振り売りの野菜、 上賀茂神社での川遊び。

写真:浅井佳代子
公式サイト「ほんじょのうさぎ島」

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