第19回
旅の宿
2021.10.01更新
朝晩急に涼しくなったので、部屋着のスウェットパンツをごそごそ引っ張り出していた時のことです。タンスの引き出しから足袋靴下が転がり出てきました。旅の宿に時々備え付けられている、二股で平べったく編まれている薄手の、あの靴下です。正式名称は、検索してみるとどうやら湯あそび足袋、湯上がり足袋などという名前でも呼ばれているみたい。
私はこのぺらっとした足袋靴下を愛用しているため、旅館でもらったものを持ち帰ってきていたんですね。
じつはこれ、子どもとの水遊び、海や川へ行くときの必需品なのです。
水辺のアウトドアではいつも日焼け防止のラッシュガードを上下で着ているのですが、唯一、ビーチサンダルの足の甲が無防備に日にさらされていることが気になっていました。そこであるときこの靴下を履いてみたのです。
別にこれじゃなくてもいいじゃないかと思われる方も多いでしょう。しかし、この絶妙な薄さが良かったのです。砂や泥まみれになっても汚れが落ちやすく、干してもすぐ乾き、つま先や足裏を砂利から保護しつつ指先も動かしやすいのであらゆる遊びを妨げない。踵部分がないことで左右裏表どちらでも履け、綻んできても片足を無駄にしなくてすむし、サイズもフリーなので子どもにも履かせられる。なんたって水から上がったときビーサンがストレスなく履けるのが嬉しいではないか! え、ダサい? いや、実用性はものすごく高いんだって。
これ以上快適な水遊びソックスはないんじゃないか。真剣にそう思っています。
今夏は結局、一回、美山の川で泳いだだけで終わっちゃいましたが、来年はもう少しのびのびと遊べるようになっているといいなと願いつつ、アウトドア用のバッグにぽんと入れました。
コロナ禍で旅行自体もしばらく行っていませんが、秋が来たせいか、ますます旅に出たい気持ちが高まってきました。とっぷりと温泉に浸かって、紅葉を見て、美味しい魚を食べたりしたいなあ。
温泉街を下駄履いてそぞろ歩きたいなあ。温泉街って、どうしてあんなに素敵なのでしょう。湯けむりという言葉も好き。お土産屋さん覗くのも楽しいし温泉まんじゅうとか、温泉卵とか買うと包み越しに温もりが伝わってきて幸せな気持ちになります。
昔、城崎温泉に泊まりに行ったときのこと。スマートボール場に居合わせた知らないお兄さんに「なんか分かんないんだけど上手くいき過ぎてさ、いつまでも終わらなくって困っているの。良かったらこの続きやってくれる?」って言われて、ガラス面が半分以上球で埋め尽くされた状態のスマートボール盤を引き継いだことがありました。ひゃー、見えにくい! って言いながら打つの、面白かった。得点穴に入るとさらにじゃらじゃら出てきてしまって、景気良いのなんのって。あのときは笑いがとまらなかったね。
宿に卓球場があったりするところもありますね。友だちや家族と浴衣でピンポンは盛り上がる。白熱するとスリッパが脱げたりして!
それと宿に生きものがいるところは特に印象に残ります。鳥取の大山に行ったとき、朗らかな白い大型犬がいるホテルに泊まったのですが、この子がいつも笑顔でかわいかった。ふさふさのシッポを振ってくれて全身で「ようこそ!」って言ってくれているのがわかるのです。バリやパラオで泊まったホテルでは猫が庭先に遊びにきたし、宮城の松島で泊まった旅館では、部屋にガラスの金魚鉢が置かれていて、金魚がぷりぷりと泳いでいたこともありました。この金魚と一晩過ごすのかあ、と喜んでいたら、夕方には仲居さんが迎えに来て、金魚鉢は去っていきました。
なかでも断トツに幸運だと思ったのは、徳島の鳴戸へ行ったとき宿泊した部屋の軒先にツバメの巣があったことです。しかも一メートルほどの至近距離! ちょうどヒナが大きくなってきているときで、親鳥が大忙しでエサを運ぶのですがその度に「ごはんクレクレ」の大合唱で、かわいくてたまりませんでした。怖がらせないよう障子の陰から覗き見ていたのですが、本当に巣立ちまで見守りたかったよ...。
これらは全部、実際に行ってみて始めて分かるラッキーな出来事。
インターネットで宿の手配をするようになってから旅の楽しみ方が変わってしまったような気がしているのですが、みなさんはどうでしょうか。かつて宿を探すときに、ガイドブックや雑誌片手に一軒一軒電話で問い合わせをしていたこと、覚えていますか? 応対してくれている方の声の気さくだったり丁寧だったりする感じで宿の雰囲気を想像するのは楽しかったし、行くまでどんなところかよくわからないというどきどきわくわくした気分も、旅の大切な一部分だったように思います。今やオンラインで検索も予約もできるから圧倒的に便利ではあるのですが、情報が事前に手に入りすぎるために調べれば調べるほど当日のわくわくが減ってしまったように感じるのです。
これは極端な例ですが、私が子どものころ、うちの母はよく「行き当たりばったり」の旅行を楽しんでいました。温泉地に着いてから、宿を探すこともしばしば。観光案内所で「今日空いている、安くて、感じのよい宿、ありますか?」って。もしくは一軒一軒飛び込みで聞いていることもあった。「ここ、どうかな?」って言いながら。今じゃあまり見かけなくなったけれど「空室あります」の看板出している宿や案内所、珍しくはなかった記憶がある。つまりオカンみたいな旅人が他にもいたということだ。昭和はのんきな時代だったのかも。
オカンは動物的勘の働くひとなのでかなり「アタリ」を引く力があるのですが、それにしても時々夕方四時くらいになっても泊まる場所が見つからなかったりすると子どもとしてはかなり不安で、なんで出かける前に決めとかへんねん? と心の中で思っていたものです。こんなことを繰り返していたから、いつのまにかストレスに耐性ができてきたのかもしれません。旅とは、ハプニングも含めて楽しむものであると。
さて、オカンとの旅もこのコロナ禍でしばらく行けていませんが、四年ほど前、福井の民宿でこんなことがありました。
私と子どもたち、オカンの四人プラス老犬一匹の旅でしたが、お食事処で夕ご飯に食べきれないほどの魚料理が出て嬉しい悲鳴状態。そこで母が「おにぎり詰めてたタッパー、あれに入れてちょっと持って帰ろう」と言いだしたのです。確かにどう考えても食べきれるものではないので、焼き魚など、明日でも食べられそうなものを選んで持ち帰ることにしました。カニも三匹ついていたのでジップ付のビニール袋に。部屋に冷蔵庫があったのでそこに入れとこうということになったのです。その時点で娘が「でもカニ、殻が残ってなかったらおかしいと思われへんかな」と不安がっていたのですが、「でも今食べられへんし、持って帰らないともったいないやん」と私も言って、ぎゅうぎゅうと袋に詰めたカニを手にし、食事処を後にしました。
「お食事お済みですか?」背後から宿の方。はい、ごちそうさまでした! みんなでお礼を言うと、「カギはどうされました?」。うちのオカンは民宿の裏口のカギと思い、「あ、車に犬を置いていてまた散歩で出入りするんで、夜はこちらで閉めておきます」と返事しました。
「あ、いえ、あの、カニです。こちらで預かりましょうか?」
カギちゃう、カニだ。「お、お願いします!」
カニは、調理場の冷蔵庫へ大事にしまわれ、翌朝女将さんから「また来てくださいね〜」とドサッと手渡されました。
優しかった旅の宿と、めちゃくちゃ恥ずかしかった親子の思い出。私の娘もひどく顔を赤らめていたので、三代の恥。今思い出しても身が震えます。