第25回
遊び
2022.04.01更新
春休みになり、隣県に住む小5、小2の甥っ子が久しぶりにわが家へやってきました。玄関先から「ま〜ちゃん(私のことです)こんにちは〜」と声が聞こえてきた途端、待ち構えていた息子(小4)はいそいそとテレビをモニター画面に切り替える。3人くっついてソファに座りこんだかと思うと速攻ニンテンドーSwitchでマイクラを始めたのであります。「やあやあ」も「久しぶり!」も「元気だった?」も「宿題出た?」も何もなし。しみじみ旧交を温めることをしないというところが小学生っぽいね。まるで
マイクラことマインクラフトは説明する必要もない超人気ゲームですが、カクカクした動物や村人が動き回る世界でさまざまな資源を自力で採取し、それらを活用しながらありとあらゆるものを自分の手で作りだしていくという、画面上でやるブロック遊びのようなもの。やればやるほど創作意欲がわいて、どんどん熱中してしまう終わりなきゲームです。すっかりはまっている息子たちには、角張ったイルカも猫もウーパールーパーも可愛い姿に脳内変換できているようなのだけれど、正直、私にはぱっと見何の生きものかの判別がつきません。うろうろ動き回っては、おもむろにこちらに近づいてくる緑色のゾンビは四角くて不気味。子どもは「こんなのどうってことないよ」と言うのですが、怖そうじゃないところが、逆に気味悪く感じるんだけどなあ。カクカク世界に浸りすぎて、現実世界もカクカクして見えてきたんじゃないか。時々お寺やビルを見て「これ作れそうかも」と呟いていることさえあるのです。
などと心配する私をよそに、彼らは互いに作った建造物や、自動でいろんな作業をする装置などをおのおの披露しては「これすごいな」「どうやって作ったん?」と感嘆し、作り方を伝授し合っているのでした。歳が六つ離れた姉しかおらず、普段ひとりでゲームする息子は、同好の士であるイトコと合流するのを心待ちにしていたので、念願叶って実に嬉しそう。声に張りがあって、楽しんでいるのが判る。よかったね。
さて、遊びにもいろいろありますが、私はどちらかというとアウトドア派で外が楽しいと思うタイプ。とりわけ冬が終わっていい陽気になってくるこの時期は家にいてもそわそわそわそわ、庭にしょっちゅう出ているのです。
雪柳がふわふわ揺れ、ブルーベリーも一斉に芽吹いて。最近始めたミニ菜園は先月蒔いた種からスミレカブと春菊がいっとう最初に、続いてニンジンがぽよぽよと芽を出しました。ちっちゃい葉っぱのかわいらしいことよ! ビーツとベビーリーフは発芽待ち。そう言えば息子もマイクラでビーツを大量に栽培していたな...。ネギ、パセリ、ディル、スナップエンドウは日に日に緑が濃くなってきて勢いを感じます。セリ、クレソン、バジルはスーパーで買って食べた残りを植えたのですが、こちらも順調に茂ってきて、内心ほくほく。今後、今月後半には落花生を蒔く予定で、5月になったらミニトマトとキュウリも植えたいなあ。広さは畳二枚分くらいのこぢんまりしたスペースですが、あれこれ組み合わせを考えて栽培計画を立てるのが面白くてしょうがない。種類ごとの成長具合、収穫時期を見越し、日の当たり方も念頭に置いて、とテトリスをやるみたいに凸凹をはめ込んでみたのです。さて結果は私の思ったようにいくのかどうか? 米のとぎ汁や雨水タンクの水を蒔き蒔き、日々様子が変わっていくのをわくわくしながら見守っています。半分実験のようなこの家庭菜園は、私がいま一番熱中している遊びと言っていいかもしれません。
お出かけするのが好きだ。遊ぶ山、と書いて
今年最初のお花見は賀茂川でした。ぼちぼち代替わりの準備なのか、最近桜の若木が何本も土手に植えられていたのですが、それがあっという間にふわふわのピンクの花を咲かせたのです。シルバーグレイの細い幹に、ふわふわピンクは、なんとも可愛らしい。それから京都御苑の糸桜。小ぶりの花弁はほっそりして、先のとがっているのが特徴的。繊細ではかなげで、この街に似合うなといつも思う。
京都府立植物園に行くのは二週間ぶりでしたが、ほんのわずかな間にすっかり様相が変わっていました。しまった、多くのものを見逃してしまったかも...とちょっと焦る。桜のピンクに木蓮の白、赤。ボケの淡いオレンジ。シャクナゲの白や赤、トサミズキの黄緑、アセビの白、ショカツサイの紫、菜花の黄、それに雪割草や水仙、ツバキにシクラメン、クリスマスローズにチューリップ...。それらが遠近で重なり合って、どこまでもどこまでも連なり広がっているのです。なんて美しいのだろう。なんて豊かなのだろう。伸び伸びと枝を伸ばす大樹の下に日陰を好む可愛らしい花々が一群れ二群れあり、それらをゆっくり見て回るのは宝探しをするようなわくわくがあります。
子どもたちはというと丸太と切り株がごろごろしているエリアが大のお気に入り。そこでは丸太の上を走り回っている子がたくさんいます。切り株によじ登る子、揺れる丸太の上に乗って楽しむ子、ジャンプして飛び降りる子、端と端から駆けてきてドン、ジャンケンポンをする子。子どもだけでなく飛び石のようにぴょんぴょこ渡り歩く大人もいる。初めはみんな恐る恐る、次第に勢いと度胸がついて、足取りが軽快になっていくのが見ていて面白い。とくに小さな子たちのバランス感覚と敏捷さには目を見張ります。あれができたらどれだけ体幹が鍛えられるか...なんかちっちゃな忍者みたいだなあ。園内には数年前の台風の爪痕が今もねじ切れたような枝や、丸太、切り株といった形でところどころに残されていますが、どうやらこれらも大切な展示の一部のようです。年代問わず触れたり、腰掛けたり、転がしたり、登って遊ぶ人がたくさん。大地に根を張っていたときには到底見られなかった箇所も、切り倒されたことによって間近に観察でき、また朽ちていくさまも見せてもらえて、これは貴重な展示物だなあと思う。しかも人々が乗っかることは想定内よ、といった風に極太丸太が転がっているのが、大らかでいいんですよね。
希少植物も多く、生きものの宝庫であり、日々細やかに目を配り手をかけてこの環境を保ってくださる多くの方の存在があるからこそ、この植物園は唯一無二の魅力的な場所になっているのが、通いつめている私にはわかります。ここにいると遊ぶことと学ぶことが対義語ではないこともわかる。
だからそう、北山エリア開発計画にこの植物園が含まれていると知ったときは、仰天しました!
歴史的にも文化的にも価値のあるこの植物園に必要なのは開発ではなくて、ここが貴重で大切で、後世に残していくべき京都の宝物だということを共有するためのPR活動であり、みんなでここの素晴らしさを味わい、大事にしていこうね、という応援の仕組みを作ることなのでは? と思ったのです。京都府はここで「賑わいを創出する」ことを念頭に置いているようなのですが、こちらは国内のどこよりも多種類の植物を生育管理しているんですよ。創出しなくても植物で充分賑わっていますし、そもそも植物園にわさわさした賑わいなんて、要ります? 植物園は公園ではない。
ミシマガジンにもミシマ社代表、三島邦弘さんの「はじめての住民運動 ケース京都・北山エリア整備計画」というコラム連載がありますが、府知事、府議会、京都府がこの開発をどんな風に進めようとしているのか、よくよく気をつけて見ていく必要があると私も思っています。ほんと、油断禁物。
って、熱く語ってしまいましたが、遊びの話でしたね。
おかんや妹、息子や甥っ子たちといつものように園内を探索、お弁当食べて丸太エリアでも十分に遊んで、休憩にはアイスも食べて。閉園時間ぎりぎりまで大満喫した私たちは、賀茂川をほてほて歩いて帰路につきました。
お風呂で汗を流したあと、子どもたちはまたゲームの世界へ。たまに思い出したように麦茶を飲んだり、ぎりぎりまで耐えたのちトイレに走ったりするものの、あとはさっぱり動かない。春休みの子ってのは、毎日200パーセント燃焼する勢いで遊ぶんだな。
あまりにも熱中するため、ごはんだよの声も耳には入らないみたい。
とうとう「もうおしまい!」「ハイ終わり!」とモニター前に仁王立ちする羽目に。彼らは、引っこ抜かれたマンドラゴラのように、ぎょえー! がおー! と、一斉に叫び声を上げたのでありました。