第27回
ウソ
2022.06.01更新
ウソをつくのが苦手です。
ウソをつくことを考えただけで胃がきりきりと痛み出す。どんなウソにしようか思いつく前から、バレたときの恐ろしさを想像し、気持ちが悪くなって頭はぐらぐら、吐きそうになるのです。うう、めまいがする。目を閉じるとあっという間にまぶたの裏に変な映像が浮かんできます。得体の知れないものがこっちに向かって押し寄せてくるのが見える。ポニョに出てくる海水の塊みたいなのが私の周りを取り囲むようにして巨大化し、みるみるうちにとぷんとぷんと首元までせり上がってくる。うー飲み込まれそうで苦しいよ。やめてやめて、まだなんにもしていないんだってば......。
ウソとまではいかなくても、行く先々で調子よく楽しくはしゃいでしまった時など、あとからじわじわと後悔の念が押し寄せることも多い。その場はああ面白かった! で済んだはずなのに、ふと我に返る帰り道。話を盛ってしまったかもしれないとか、勢いでわけのわからない軽口をたたいちゃったかもしれないとか、楽しかったら楽しかった分だけ不安になってくるのです。今さらくよくよしても仕方がないのに。程よい会話って難しい。長く生きてきてそれなりに経験積んでいるはずなんだけどなあ。
あ、誤解のないよう申しますが、決して真面目というわけでも正直者というわけでもなく、単に不器用ということ。小心者で、すぐどきどきするのです。加えてうちのおかん曰く「あんたは小さいうちから、遠くに豆粒大の車が見えようものならそれが通り過ぎるまで道を渡ろうとしない子だった」と。根っからの慎重派なのですね。こりゃどうしようもないか。
まあそんな風なので実際ウソついたのは数えられるほどしかありません。ウソつく前にこっちの具合が悪くなるんだから、割に合わないのです。思い出せるなかで大きめのウソは、高校一年生のときに「ここの学校は成績表がないらしいよ」って、おかんに言ったこと。で、へえ、って言われて終了。わざわざウソを言わなくても、母は成績表に関心がなく、真剣には見なかったと思うので完全に無駄打ちです。
そんなうちのおかんは、自分がどうでもいいと思っていることには適当に話を合わせるクセがあり、そのため結果的にウソつきと糾弾されてしまいがちです。最近治まってきたけれど、こないだまで口うるさくしつこい孫ども(幼稚園〜小学生男子たち)に「ばば、おもちゃ買ってくれるっていったやん!」「お小遣いくれるっていったやん!」と、しょっちゅうつきまとわれていたっけ。血気盛んなピラニアみたいに群がっていたけれど、7、8歳にもなってくると「どうせまたウソだ」と流せるようになり、期待値がうんと下がったせいか、今はアイスひとつ買ってもらえるだけで「やった!」と喜んでいる。
ゲームの時はどうでしょう。駆け引き。これも苦手なんだよなあ。トランプのポーカーとか、ダウトとか、ババ抜きをやるときは、これは"平常心を保つ訓練"だと思うことにしています。良い手札が来ても、ジョーカーが来ても一々ハッとしてしまうので、自分がヘマをしないうちにさっさと終わって欲しいと願っているところがある。特にダウトはストレスが多いね。だってそんなに順調にちょうど良いカードを持っているはずがないのに、みんなしれっと場に重ねていくんだもの。全員ウソついているに決まってる! と思うと心がしくしくしてきます。
トランプではないのですが『犯人は踊る』っていうカードゲームをご存じですか。これは配られたカードを元に、色々質問し合ったりカード交換をしたりしながら参加者のなかで誰が犯人役かを当てるというものなのですが、犯人カードが自分の手元に来た時点で、誰にもなんにも言われていないのに衝動的に公表したくなってしまうのです。みんな見つけて! 犯人はオレだ! って言いたくなる衝動と地味〜に戦っている。もちろん黙っているけど。踊らないけど。敵は内にいる。
こんなだから心からゲームを楽しむには一体どうすれば良いんだろう? って思うのです。
ウソは身体に悪い、でも実はウソをつかない、つけないからこそちょっぴりウソつきというものに憧れている面もあります。そのせいか自分の書く童話、おはなしではちょこちょこウソつきの子が登場するんですよね。
よるごはんのとき かあさんがクッキーに「きょうは なにかとれた?」と ききました。クッキーは つい「うん」と いってしまいました。にいさんたちは「へえ すごいね」「どんなサカナ?」とつぎつぎにしつもんします。「えーとね、なんか、ぎんいろのやつだったよ」「ほほう それはフナだな」ととうさんはかんしんしました。(『かわうそクッキー』より)
「え、なにさがしてるの? ぼく見つけるのとくいだよ」すーすーぐさ。「あ、知ーってるー!」ほんと!? 「すーすーぐさは、あーっちさ!」アナグマが鼻でさしました。ねえ、アナグマさん、それほんとう? ここから遠いの? 「あは。遠くないよ。いっしょに行ってあげるよ」(略)ねえ、これほんとにすーすーぐさかなあ。ちっともすーすーしないんだけど......。「ちぇっ」アナグマがしたうちしました。「つまんないのー。いいじゃんそんなのなんだってさあ。これがすーすーぐさってことにしたらいいじゃん」かぴはびっくりしました。ねえ、ほんとのすーすーぐさはどこにあるの!? 「ほんとの? そんなのわからないよう。小さいころにおかあさんにおしえてもらったけど、たぶんこんなのだったよ」ええっ!(『こわがりかぴのはじめての旅。』より)
これまででもっともびっくりしたのは、二歳の自分の娘が初めてウソをつく様子を目の当たりにしたときです。
台所で食事の準備をしていた私は、料理をテーブルにいくつか並べていたのですが、娘ふうたろう(仮名)がわざわざ私のところにやってきて「とうもろこし、ないよ」と言ったのです。中華セイロのふたを取ってみると果たして、なかのとうもろこしがひとつ減っている。家族分、みっつあったのに? 娘の顔を見ると「食べてないよ」「これは、ふうちゃんの」と残ったふたつのうちのひとつを取って自分のお皿にいれたのです。えーっ!
急にどきどきして、そ、そうなんだ! とつい調子を合わせてしまった。あとからゴミ箱を覗くと、とうもろこしの芯が紙ゴミの上にぽんと乗っかっていたのであります。
しれっと。しれっとですよ。あまりに自然なふるまいを見せつけられて、ウソはだめ、だめなんだけどすごいもの見ちゃったなと衝撃を受けたのでした。
ちなみに高校生になった娘は、今のところ大ウソつきにも大泥棒にもなっておらず、ただのとうもろこし好きのおねえさんです。