一泊なのにこの荷物!

第4回

毒虫

2020.07.15更新

「見て、窓の向こうにかわいい子がいるよ」

 妻が息子を呼んでいます。「わー、ほんとだ! おとうさん、おとうさんも来てよー」。7歳の息子は日ごろ荒ぶっておりますが、その実かわいいもの愛好家で、いつも誰かと一緒に観賞するのを好む。

 ほーい、どれどれ......にゃーるほど。大雨から逃げてきたのかな。うちの小さな庭に面した網戸に留まる、黒いクリクリまなこの小さな蛾。目が合いました。映画『グレムリン』のギズモって感じです。黄色い翅に、もさもさの触覚、胴体は太い......って、これチャドクガやんか! チャ・ド・ク・ガやんか!!

 というのが、これまでの展開。このエッセーは本上さんの「毒虫」を受けて書き出しております。彼女はかつてテレビドラマ『陰陽師』で「蜜虫」を演じましたが、今回は「毒虫」の巻。気色悪いテーマを選ばはったなあ。

 チャドクガ。買ったばかりのごっつい『広辞苑 第七版』によると、

ドクガ科のガ。開帳二(雄)〜三(雌)センチメートル。年二回発生し、幼虫は茶・椿・山茶花の葉を食害。幼虫・成虫・繭には毒毛があり、これに触れると激しいかゆみと痛みを覚え、皮膚に赤い発疹を生ずる。幼虫を茶毛虫ちゃけむしという。

 とあります。なんだかカ行が多く、読むだけでかゆくなる。幼虫でも成虫でも繭までも毒毛があるなんて、どんだけ守ってんねん。しかも「茶毛虫」って! 「チャ」音になんとも悪い感じが漂っているではありませんか。

 この虫には、一昨年の夏、義母が庭仕事の際に右腕をやられました。最初はぽつぽつと発疹、「かゆいかゆいかゆい」...掻いたのもいけなかったようで、あっというまに腕全体が腫れあがりました。

 後に知るのですが、チャドクガの毒針毛どくしんもうにやられた場合は、「掻かずに」まずは「落ち着いてガムテープでぺたぺたと毛を取る」ことが肝要だそうです。そうは言われても、最初はむずむずくらいでしょうから掻きますよねえ。落ち着いて、なんて言われても。

 ヤマヒルがくっついたときの対処法も、すぐに取っ払ってはいけない、傷口が広がるから、なんてよく言われます。塩をかける、ライターの火を近づけるなど落ち着いて......って、ぼくもフライフィッシングなどの山行でしばしば出会いますが、血を吸ってぱんぱんに膨れあがったあいつを付けたまま落ち着いて、なんてできませんよねえ。普通は「うわっ」と振りはらう。血はなかなか止まりません。なんでもヤマヒルは噛むと同時に痛さを感じさせない麻酔成分や、血を固まらせない特殊な成分を出すそうで、なんて小賢しくあくどいやつなんでしょう。噛まれたあとはY字のような、メルセデスベンツのようなマークがつきます。前に釣りに同行した女子Nちゃんはおでこ、眉と眉の間を噛まれ、ちょうどインド人女性がビンディをつける場所にくっきりと跡を残して、しばらくは「ベンツ」と呼ばれていましたっけ。

 チャドクガの話でした。刺された義母はかゆみ痛みが引かないので、皮膚科で強いステロイド剤を処方してもらい、毎朝毎晩腕全体に擦り込んでいるのを恐ろしげに遠くから眺めていたものです。「お義母さん、それはいくらなんでも塗りすぎでは......」。

 チャドクガの怖さを知ったのは、そのときが最初でした。それまではぼくの最も恐れる毛虫は、イラガの幼虫だったのです。

 イラガ。鮮やかな黄色や早緑色にときおり茶色が配されたボディ、サンゴのようなトゲトゲがあちこちから突き出た姿。滋賀県の実家では「ヤツガシラ」と呼んでいました。ネットで調べると、地方により「デンキムシ」「オコゼ」「蜂熊」「キントキ」......と、それだけで痛さ怖さがしのばれます。柿の木や桜の木についている。柿の実がまだ小さく青い頃に発生して、葉っぱとともに落ち、あちこちをのそのそ跋扈ばっこしている姿を見ると身が縮こまります。実家では洗濯物を木に引っかけたりするので、トレパンなんかに潜りこんでいることもあり、履くなり......「ぎゃあ!」。電気ショックのような強烈な痛みです。ハチの比ではない。子どもの頃、何回こいつに泣かされたことでしょう。ほら、子どもってうかつに木や葉っぱに手を触れますよね。あれが致命的!

 今も秋に帰省するとき、子どもらに厳重警戒を呼びかけています。それなのに息子などは聞かずに荒ぶって落ち葉の上でボールを蹴っている。それをはらはら見守りつつ、「一回刺されたらええねん」と願う自分もいる。

 数年前は実家に大発生して、毛虫を凍らせる殺虫剤を噴霧して回ったものです。凍ってももぞもぞ動いていて、どこまでかけてよいのかわからなかったものです。殺虫剤っていつもそう。2缶使っても追いつかなかったなあ。

 ちなみにですが、赤塚不二夫さんが傑作『レッツラゴン』で描いた、暴力的なネコ「イラ公」の姿、名前に、いつもイラガを連想しています。

 チャドクガの話でした。この話題、すぐ横道にそれる。ネットの画像などを見ていただければお分かりだと思いますが、幼虫は何匹もがきれいに整列しています。夫婦とも正体を知らなかった頃は、公園などで見かけると、妻がパンパンと手を叩いた。すると、毛虫たちがむくりと一斉に頭を上げ、ゆらゆら揺れるのです。その様子がかわいくて可笑しくて、何度も繰り返していたものですが、今思えばあのときやつらは威嚇して毒針毛をまき散らしていたのかもしれません。

 そして気づかなかったけれど、その木はきっと椿だったに違いありません。椿がお茶の仲間、というか、お茶がツバキ科であることも、チャドクガから知りました。チャドクガの「チャ」はお茶のチャだったのか。

 今の京都のわが家にも、玄関の前に椿の木があります。

「お名前は?」「(椿を見て)椿、三十郎......もうすぐ四十郎だ」

 とうそぶく三船敏郎に倣えば、ぼくは「六十郎」かあ、椿六十郎なんて語呂悪いなあ、なんて通るたびにのんきに思っていたのだけれど、そういうことを言うてる場合ではない。一定の季節、通るときには気をつけねばならなかったのです。

 案の上、妻の原稿にあるように、葉っぱがぎざぎざ食い荒らされて、梅雨の前、毛虫が発生し始めた。折しも庭師さんが来てくれるタイミングで、庭木も散髪、毛虫も駆除してもらいました。「椿の木ごと切ってほしいなあ」と小声で妻。借家なのでそうも行きませんが、椿もよくよく嫌われたものであります。

 そんななか成虫が網戸に現れた。雨宿りではなく、文句のひとつも言いに来たのでしょうか。

 庭は子どもの遊び場でもあるので、殺虫剤を買いに走りました。庭師さんの「普通の、アースとかのハエ・カ用でよいです」の言葉を信じ、妻が安いやつを購入。長袖、マスク、帽子と完全防備で、裏と表の庭をパトロールすると、意外にもたくさんいるのです。茶色や黄色が塀に留まっていたり、ときに舞い踊ったり。これはそれぞれ雄と雌なのですね。なかにはからみ合っているものも。申し訳ないけれど、カップルにもシューッ、シューッと毒液を噴霧します。ばたばたばたと慌てたチャドクガがこちらに飛んでくる。「うひゃあ!」我ながらへっぴり腰のおやびんだ。笑うな、ちびまる。ゴキブリもそう、なぜこっちに来るのでしょうね。

 1日で10匹以上に振りかけました。遠くに飛んでゆくものもあり、本当に効いているのかなあ??? 落下した個体には徹底的に噴霧してびちょびちょにしました。あとでさらに調べたら、成虫への噴霧は危険だとか。ばたばたするときに毒針毛をまきちらすので、「毒針固着剤」がよいそうです。庭師さんはそういうこと教えてくれなかった。

 あとで玄関先を見ると、ぼくのやっつけたチャドクガの死体をチビクモが引きずっています。自分の体の5倍はある蛾を。ハエトリグモ、わが家は「ぴょんぴょんぐも」と呼んでいるすばしっこいやつです。それを妻に報告すると、「あかんで」と叫ぶ。あれ食べたらその子が死んでしまう。急いで外に出る妻は、細いお箸でクモからチャドクガ(死体)を引き離そうとする。しかしクモはがちっとくわえたまま放そうとしません。本人にしてみれば「取られてたまるか」ってところだな。小型のクモに「ごめんね」「あんたのためやからな」と言いつつ蛾を奪おうとするちびまる、絶対ゆずらないクモ......何してんねん! の新喜劇であります。

 さてさて、ぼくのがんばりのおかげで、家の周りからチャドクガ成虫の姿が消え、平穏が戻りました。

 が、それもつかのま。ある朝見ると、くだんの椿の葉の裏に何かの固まりが! チャドクガの卵です。あ、こっちの葉にも産みつけてる。真っ黄色で、ケバ立って、ちくちく感あり。

「おや、はっぱの うえに ちっちゃな たまご。」おつきさまが、そらからみて いいました。

『はらぺこあおむし』を思い出す......なんて言うてる場合ではありません。

本上まなみさんによる
「毒虫」はこちら

澤田 康彦

澤田 康彦
(さわだ・やすひこ)

1957年滋賀県生まれ。編集者・エッセイスト。1982〜2010年:マガジンハウスにて、「BRUTUS」「Tarzan」等を編集。2015〜2019年:「暮しの手帖」編集長。2020年より家族の住む京都に戻る。近年の編集本に「戦中・戦後の暮しの記録」(暮しの手帖社)、著書に「ばら色の京都 あま色の東京」(PHP研究所)、「短歌はじめました。」(穂村弘、東直子との共著、角川文庫)など。「京都新聞」朝刊に1面題字下コラム「新暮らし歳時記」を毎朝、エッセイ「いくつもの空の下で」を毎日曜、連載開始。京都暮らしのお気に入りは、入山豆腐店の朝イチの豆乳、美山の由良川。

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