一泊なのにこの荷物!

第7回

2020.10.15更新

 ときおり妻は「出かけよう!」と言い出すのである。業を煮やしたように「歩こう!」「散歩しよう!」「体操、体操!」。

 日曜日、あっちの隅とこっちの隅でごろごろ、それぞれの本を読んでいた娘とぼくが面を上げる。え、やだなあ、と二人で目を合わせる。

「お父さん、先週から全然歩いてない」と妻。

「そんなことないよ」と娘、「原稿書けないときとか、家のなかをあっちこっちウロウロしてるよ」とそれは味方としてのフォローなのだろうが、結果的におとしめられている気もする。「外に出なくても、あれはいい運動になってるよ」と娘が付け加えると、「お年寄りか」と妻がつっこむ。娘が「おじいちゃんやし」と笑う。むか。

 おじいちゃん――――ちょっと待って、プレイバック♪――――前にも言われたぞ。息子の迎えに行ったら、見知らぬこわっぱが「誰のおじいちゃん?」と。むか。

 京都に戻るなりコロナ禍で家ごもり。生まれて初めてのことが多い年だけれど、ブショウヒゲもその一つ。伸ばしたらどんな顔相になるのだろうと楽しみにしつつ生えるがままにしていたら、妻がしみじみ「おじいさんやなあ」。むかむか。本人的には『レット・イット・ビー』時代のポール・マッカートニーや、サム・ペキンパー『砂漠の流れ者』のジェイソン・ロバーズ、『20世紀少年』のケンヂやさすらうオッチョおじさん(豊川悦司演じるところの)のイメージだったのに。

 先々週は風邪っぽかったので近所の医院に行った。「いや日々何かもうしんどくって」と言うと「運動不足ですわな」と医者は妻のようなことを言う。「もうじいさんかも」と自虐的につぶやいてみると、「62歳は十分におじいさんですわ」と決めつけた。むかむかむか。

 あと、さっきつい書いた「ちょっと待って、プレイバック♪」も我ながら古いな。

 「え、散歩やだ」と下の息子も言う。彼は彼で『妖怪学園Y』に『スポンジ・ボブ』に『東大王』に『世界ふしぎ発見!』に......と、すっかりテレビっ子と化していて、忙しいのだ。そうそうやだよね〜。ぼく自身もテレビっ子だったからね、日曜はテレビの日だよね。今はいいなあ、録画というものがあるから、いつでも見られる、何度でも見られる。最近はネット番組まであって、『ウルトラマンZ』『五等分の花嫁』なんて何回見ていることだろう。むしろ、放送中のテレビを見ているときにも、トイレ時に「止めといて」とか言うくらいだから、まるでテレビ観賞というものの把握がちがうのだろうな。

 「おい、きょうは『逃走中』があるぞ」と父が教える。「何それ?」と息子。「大人のおにごっこだよ。ハンターから逃げられると賞金がもらえる」と答えると、妻が食い気味に「おにごっこは外で!」。いよいよさあさあさあ、という展開になり外、ひとまずは賀茂川へ。そこで無理やりリアルおにごっこをやらされ、子どもにすぐに捕まり、すもうにキャッチボールに......このパターンが2週間に1回はあるのでした。

 と、そんななかで今回は「山」の巻となった。「海」の次は「山」か。いつもながらシンプルすぎる妻の発想に、おそれいりやの鬼子母神である(←おじいさんの言いぐさ)。

 学生時代は山男だった。前々回でロードバイクに乗っていたと自慢したけれど、それも(担当さんに)信じてもらえぬくらいだから、こちらはもっと信じてもらえないだろう。が、確かに二十代は三千メートル級の山に登り、それより下を我々は「丘」と見下していたほどの大変な山男であったのです。

 南八ヶ岳の初登山を皮切りに毎夏、甲州・信州の山々の縦走へ。甲斐駒ヶ岳から仙丈ヶ岳、馬鹿尾根経由、両俣から北岳へという1週間近いコース。大雪渓から白馬岳、不帰嶮かえらずのけんを越え、唐松岳から五竜岳を経て鹿島槍ヶ岳へという後立山連峰コース。西穂高岳からジャンダルム越え奥穂高岳へという峻険コース、等々。これらは調べなくても書けるし語れるのだ。特に甲斐駒ヶ岳はいちばん好きな山で、三回登攀したもの。軟弱モノは裏から登る、オレらは正面突破、心臓破りの黒戸くろと尾根からなのだ、なんて豪語していた。

 保育園時代からの幼なじみたちが同好の士であった。田舎町だから、小中高校とずっと同じ。登りつつ吉本新喜劇、ギャグ、漫才、学校でのバカ話を延々と、息が切れ黙りこくるまで話し合っていたっけなあ。シロキくんがはあはあ息を切らしつつ「すごい面白い、お腹痛くなる話を...思い出したんやけど...今はしんどいんで...次の休みのときに話すわ」と言い、楽しみにだけさせといて、次の休み場所に着いたところで「あれ?......忘れたわ」なんてことがしょっちゅうあったもんだ。景色なんて見ていない。そもそも何で登っていたんだろう。体力はあったが、まあ山をなめていたものです。

 そういうシリーズの最後は、槍ヶ岳→穂高連峰に向かった六月だった。登山道が整備される前の縦走にいつもの幼なじみ三人組でトライ。軽装備、遅い午前にコーヒー飲んで山小屋出立という態度に、ついに神の鉄槌が下される。稜線でみぞれ混じりの暴風雨に見舞われたのだ。道に迷い、登って降りて登っても中間地点の「中岳頂上」ばかりに出るという恐怖の無限ループに陥る。陽が沈み始め、体ががちがちに冷え、三つの若き命が風前のともしびに。シロキくんが「おれ、もう死んでもええわ」とつぶやくと、同行のキムラくんが「あほか」と怒鳴ったのが耳に残っている。ということを後に彼らに話すと、「それよりサワダが『遺言書いてきてよかった』と言ったのが怖かった」と述懐した。「あとサワダ、頂上でこっそりチョコレート食べたやろ」「あれはぼくのチョコレートやったからな」「そういうとこやぞ、おまえのイヤなところは」「あれはぼくのチョコレートやから」......などといまだに言い合う始末であった。

 遠くにぽつんと山荘の灯が見えたときの喜び。そのときもらったカリントウのおいしさをいまだに忘れない。あれが最後の登山らしい登山。以降は勾配を登ることがあっても、それは「丘」であった。

 滋賀の故郷では、実家の裏山から猪子山いのこやまへ。帰郷時にはときどきハイキング。その提案者も妻であり、先日も登った。

 子どもたちが「きのこやま?」と聞き、父は「いのこやまだ」と答えるのもいつものこと。ああそうか、昔ここに松茸を採りに来たことがあったなあ。あの頃は秋の山全体が松茸の匂いに包まれていた。それにしても、ぜいぜい、簡単に息が切れる。

 お父さん、全然歩いてない......確かになあ。ある1週間の自分のスマホの万歩計を覗いてみると、「1165」「730」「2881」「646」「1503」「774」......これは確かに歩行不足。家にいるときは携帯していないからとか、家のなかで(原稿書けないときに)実にウロウロしているからとかは、勘案の対象とはならぬ絶対値の小ささだ。ぜいぜい。息も切れるわけである。明日は筋肉痛に見舞われるかもしれぬ。情けないなあ。甲斐駒ヶ岳のぼくはどこへ行った? 花はどこへ行った?(←古い) ぜいぜい......。

 妻はずんずん歩く。夫を待つ気もないようで、ぐいぐい登る。登りながら、苔をなでている。変わってるな。そして体力あるなあ。ろくにボールをキャッチできないくせになあ。これが癒し系と言われた人の正体である。「そうでもない」ことを、つきあって二十数年のぼくはよく知っている。

 子どもを従え、容赦なく標高を稼ぐ女。ひょっとすると夫に対し、自らの優位を示すマウンティングかもしれない。いやそうだろう。

 そして子どもという動物は、すぐ疲れるけれど、すぐに回復する。そりゃあおにごっこも捕まるわけだよ。父親は孤独にとらわれる。

 ようやく頂上に到達。琵琶湖が目前に広がっている。ああ気持ちいいな。いい風吹いているな。ぼくの生まれた町のほぼ全容が見える。あそこが小学校で、あっちが中学校で、あのあたりに好きだった女の子が住んでいた家があって(ということは妻子にはねんのために黙っておく)。

 こんなにしんどいのだから、けっこう歩いたはず。スマホを見ると......4000歩ちょっと。少ないな。猪子山の標高は......267.5メートル。低い。

 おじいさんは、このままではいけない。かもしれない。

本上まなみさんによる
「山」はこちら

澤田 康彦

澤田 康彦
(さわだ・やすひこ)

1957年滋賀県生まれ。編集者・エッセイスト。1982〜2010年:マガジンハウスにて、「BRUTUS」「Tarzan」等を編集。2015〜2019年:「暮しの手帖」編集長。2020年より家族の住む京都に戻る。近年の編集本に「戦中・戦後の暮しの記録」(暮しの手帖社)、著書に「ばら色の京都 あま色の東京」(PHP研究所)、「短歌はじめました。」(穂村弘、東直子との共著、角川文庫)など。「京都新聞」朝刊に1面題字下コラム「新暮らし歳時記」を毎朝、エッセイ「いくつもの空の下で」を毎日曜、連載開始。京都暮らしのお気に入りは、入山豆腐店の朝イチの豆乳、美山の由良川。

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