第9回
すっきりしない
2020.12.15更新
何がねらいか、自分で決めた「すっきりしない」というテーマで、今回サワダ家の惨状を白日の下にさらした本上さん、長めの原稿を書き上げるなり「ふー、
そやな。2どころか
見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける 素性法師
古今和歌集の名歌があるのだが、京のわが家は、見渡せばビー玉スリッパ紙袋、学習プリントに割引券、梅ジュースに生姜の残りカス、いろいろこきまぜた世界であります。
今ここダイニングのテーブルの視点から見渡しただけでも......テニスボール、フリスビー、ランドセル、紙袋、ヘルメット、洗濯バサミ、ポリ袋、古新聞(山)、らんちゅうの水槽(+ブクブク音)、古い地球儀(東西ドイツ、ソ連時代のもの)、花瓶(花なし)、ほうき、折りたたみ傘(3本)、写ルンです(防水仕様、現像に出してないもの)、ゆで玉子用のお尻を刺すやつ、各種書類(とても大事なものとどうでもよいものの混在)、ぷちぷち、今度回収に出す予定の雑紙、壊れた卓上コンロ、回覧板、水筒(5種)、戸棚に貼られたままのハロウィンのコウモリシール2体......が四方八方に。目の前の冷蔵庫には、あちこちでもらった色とりどりのマグネット大中小(キャラものも仰山)でくっつけられたカレンダー、学校からの通知、各種請求書、美術館などの割引券、クーポン券、クーポン券を持っていくのを忘れたためにいったんはんこを押してもらったレシート等々で満願飾り。冷蔵庫の顔が見えない。知らない人なら、ぱっと見、それが冷蔵庫であることを認識できないかもしれません。
私どもは京都市の北の方、二階建て、大きめの古民家を借りて住んでおりまして、築100年ほど。外観はそれなりに風情がある。数えてみれば部屋数は10。それに押し入れが2つ、納屋が2つ、縁側や通路の廊下が4つ。いえいえ豪邸ではありません。昔ながらの小ぶりの部屋がいくつもある家なのです。が、いずれにしても、これらをたった親子4人で使って「狭い」とは、それってどうなんだろう? ダイニングのテーブル脇をカニ歩き=横向き歩きで進んで、すれ違うのもやっと、って。体も大きくなってきた中二の娘などは自分がいちばん忙しいと思っているらしく、父とすれ違う際「ちっちっち」と言い、片手のひらで道を譲れという仕草をするのが憎らしい。
その床には小二の息子がベイブレードを撒き散らし、それがまきびしの務めを果たす。あいたた! と叫ぶと、息子は「イエー」と合いの手を入れ、それも腹立たしい。全部捨てたろかなと逆上することしばしばだが、そのつど「けっこう高かった」ことを思い出し、こらえる。妻の親戚には、お笑いばかり見て何もしない息子3人に業を煮やし、テレビを庭に捨てたおじさんがいたそうな。ちょっと尊敬するな。
ついでながらダイニングには、《トリップトラップ》というノルウェー製、ストッケの真っ赤なベビーチェアがあり、これは子どもがある程度大きくなっても使える、見た目も美しく堅牢な椅子なのだが、問題点が一つあって、床に接する脚が安定性確保のためににょきっと飛び出しているのだ。つまり歩いている誰かを転ばせるときに脚を出す恰好で2本。これにぼくは何度つまづいたことだろう。あいたっ!(「イエー!」)が日々繰り返されている、まさに「トラップ」なのであった。こういうのにつまずくと、ツッコミ肌の娘から「年とったなあ」とか言われがちなので注意はしているのだけれど。
ダイニングの隣の廊下に目を移すと、妻も書いている大量のエコバッグに加え、布袋、靴袋、紙袋。どんだけ袋好きなのだろう。保冷バッグ、保冷用の四角い発泡スチロール、保冷剤......って、どんだけ冷やす。バスタオルにスポーツタオルにフェイスタオルに温泉からもって帰った薄手のタオルにタオルハンカチ、妻が趣味で集める手拭い群......って、どんだけ拭くねん。
うちの祖母がその昔台所の流しの下にキッコーマンの空きペットボトルを数十本貯め込んで、扉を開けたらごろごろ飛び出してきて、用途を聞けば「お墓参りのときの水入れに......」。ばあちゃん、あのときは笑って悪かった。我が家はそんなレベルなんてとうに超えております。
すっきりしないのはものだけではない。たとえば洗面所のスイッチ。1階と2階にそれぞれ3つずつ、トイレの灯りと手洗い場の灯りと換気扇のスイッチがあって、そのうちトイレの灯り用のスイッチ部には(上下階とも)小さい赤いビニールテープが三角に(ゆがんで)切って貼ってある。これは「トイレの灯りはこれ」を意味する。義母=本上の母がつけたものだ。理由は、1階のスイッチは一番下、2階のは逆で、「わかりにくいから」。義母は、ぼくが東京に単身赴任していたころ、子どもたちの世話を引き受けてくれたありがたい人なので、妻に対するようにはイヤミを言えない。このビニールテープは、一昨年ぼくがたまたま帰宅したとき気になって、「すっきりしてない」のでそっと剥がしたのだが、次に帰ったときにはまた新たに貼ってあった。ここでまた剥がしたら「感じ悪いムコ」ということになるので、以降がまんすることに。よって今も貼ってある。「わかにくい」ったって、スイッチをぱちぱち2回やればよいだけなのになあ。あるいは「下は下、上は上」と覚えればよいのに(ということも黙っています)。
うちの古民家のスイッチはほかにも、押してもどこも点かない、なぜあるのかハテナのものとか、押したらすごく遠くのランプが点るものもある。それでいつも思い出すのが、女優の水野美紀さんに聞いた話。旅先のエジプトのホテルで洗面台の蛇口をひねったらお風呂のシャワーが出て、シャワーの蛇口をひねったら洗面台の水が出たそう。「すっきりしない」の極致だけれど、旅情はあるね。
義母は、夫=義父に言わせると「若いときは、まなみより美人」という、目鼻立ちがエキゾチックな、しゅっとした人。散歩が趣味で、近所の人とすぐ仲良くなる人なつっこい人。鉢植えやらメダカやらみかんやらをもらってくる人。いろんなものを拾ってきて、以前は大八車の車輪も拾ってきたという剛の者でもある。そして私の娘は大量のライトノベルを買ったり借りたり、文具を集め過ぎたりし、息子はネコジャラシやイノコヅチなんかの草を持ち帰り、紙ヒコーキを戦時中のように作り飛ばし続け、妻はぼくが捨てたものをこっそり戻したりし、こうしてものが減ることなく、むしろただただ増殖していくのであった。
さて、そんなこんなでありますが、夫の目から見たわが家のすっきりしないものの代表格は、放置されたままの網戸セット2点でありましょう。これは数年前に本上さんが、夏場の暑さ、窓を開け放しにしたときのたくさんの蚊の侵入に閉口して、娘の勉強部屋と玄関だけでもつけようと、鋭意巻き尺で間口・高さを測量、自らホームセンターに向かって鼻息荒く特注した《ぴたっと網戸》なるものです。一週間後に届いた商品の箱には「私にもできる!」なる文言と微笑む主婦の写真。ところがね、できなかったのです。
なぜか。彼女はなんと採寸ミスをしていて、娘の部屋用には大きめのものが届き、絶対に嵌められない。玄関部はというと「やっぱり開け放しは物騒だからやめよう」と(それならなぜ注文した!?)。特注なので返品は不可。かくして家には、使わない網戸2枚と、2間分の長さのレールが4本、捨てるのも口惜しいため永遠に放置されているわけである。読者諸兄姉は、使わぬ網戸セットがどれくらい邪魔かお分かりであろうか?
妻の原稿では、ぼくが東京で買ったオーブンをディスられている。正式には、パナソニック「ロティサリーグリル&スモーク」といって、ローストビーフやポークスペアリブ、燻製玉子が作れる、いいやつなんだけど。大きめのブロック肉に塩・にんにくを擦りつけて、複雑な金具にはめこみ、スイッチオンすると、中でくるくると回り出す。見ていて楽しい。ほらよく見る小豚の丸焼きのごとく回転し続ける逸品なのだ。しかしこれ、要不要で冷静に考えると確かに不要かもしれぬ。今調べたらもう「製造中止」とか。売れなかったのかなあ。でもね、網戸2枚に比べたら極小と呼んでいいだろう。しかもこちらは「いいやつ」。網戸は、まあ「あかんやつ」。
あ、それでまた思い出したのだが、かつて雑誌「ターザン」の水泳特集の撮影でオリンピックスイマーの千葉すずさんとグアムに行ったときのこと。現地プールで自由形=クロールの見事な泳ぎを見せてくれつつ、本人もなかなかの自由形、"面白いこと言い"の人。ちょいちょい自分仕様のウエアや小物を自慢する。黙っているとカッコいい美女なのになあ。しゅっとしたゴーグルをつけながら言うには「これな、いいやつやねん」。「へえ、いいやつですか?」と返すと、「いいやつやねん」とすずは繰り返したものである。
ああしかししかし要するに結局とにかく、わが家には「いいやつ」が多すぎるのであった。けっしてゴミではないのだった。上記グリルしかり、トリップトラップしかり。コーヒーミル(3つ)、オーディオセット、ブルーレイ(4台、うち1台故障)、青竹踏み(2つ)、フライパン(5つ)、体重計(2つ)、掃除機(5台、うち1台は壊れている)、キッチンタイマー(3つ、うち2つは壊れている)、懐中電灯(10ほど、うち5つは壊れている)......。書いていて気持ちわるくなってきた。「
そして私たちは知っている。解決策が二つあって、一つは引っ越し。当たり前。もう一つは、客人を迎えること。このときばかりは一家総出で片づけをし、けっこう思いきってものを捨てられ、多少なりともすっきりする。それでもまあ来てくれたお客さんがうちを見て「すっきりしてはるなあ」とは思わないだろうな。だってねえ、
最近うちがすっきりしてないのは、コロナ禍のせいで人が来なくなってきたことが大きいかなあ。と最後は流行病と客人のせいに。そして、今はこうでも、いつか次の家に引っ越したアカツキには、一切のダンボールを消し去ることを胸に誓う。