一泊なのにこの荷物!

第11回

2021.02.15更新

 二月と聞けば、心は少しゆるむけれど、実はひょっとすると最も寒い月かもしれぬぞと、午前六時ごろ、毎日気づくのであった。

 青少年時代はカッコ第一で、ズボン下もインナーシャツも絶対拒否。雪の日でもぺらぺらの学生服を羽織って学校に通っていたものだけれど、今は堂々とぱっちを穿き、なんなら腹巻きもつけて、極暖の長袖シャツの上にTシャツも羽織り、その上にパタゴニアのぬくいトレーナー......といった出で立ちで、そんな上下を順に一枚ずつズボンにおさめていく様子は、郵便局の現金書留、上下を交互に封をするあれに似ているなと思う。

 こんな姿を高校生のぼくが見たら何と言うであろうか? と考えたが、まあ単に「おじん」と言うだけであろう。ふん、若造めが。

 さて、コロナ禍のせいで平日は息子を車で小学校に送り迎えする展開となった今冬、着替えのあとにするのは外に出て、車の確認。フロントガラスに霜がびしっと凍りついていたら暖気で溶かしておかねばならない。この送迎は昨春からで、もう少しで一年となる。たくらまざるして京都の朝、賀茂川まわりの四季の変化を車窓から楽しめることとなった。なんなら息子を落とした帰り道、気が向いたらどこかに駐め(京都は駐車スペースはけっこうある)、コーヒー片手に鮮やかな景色を見てぼんやりもできるのである。

 車種はミニヴァンで、座席をうまく案配したら八人が乗れる。へえ、家族は「コンちゃん」なんて呼んでいるのか。知らなかったな。うちには子どもが二人、近くに妻の妹、その子ども二人、本上の母がいて、全員がお出かけ好きな人種のため、メルセデスのワゴンのあとはこの車となった。確かに便利そのもの、ぼくが東京から撤収する際も大荷物を二度にわたって運んでくれた車であり、感謝しかないのだが、小旅行もままならぬ今、ちっこい息子とランドセルだけを乗せて運転する時のすかすか感は否定できない。

 道々ですれ違う軽快なセダンや2ドアクーペ、おしゃれなスポーツカーやクラシックカーを見るたび、「ああ」と思う自分がいる。

 先日の朝は、隣に駐まった車が、ランチア・デルタHFインテグラーレ。1980〜90年代初頭、バブル時代に目立ったジウジアーロデザインの角ばったラリーカーだが、今もぴっかぴか! 思わず「カッコいいですね」と降りてきたドライバー氏に言うと、「いやあ、三回に一回は故障するんですよ」と困り顔で応えるのであった。「こないだは国道でエンジンがかからなくなって」。おお、憧れの、すぐに壊れるイタリア車! 「すぐに機嫌が悪くなるんですよ」とボンネットを「な」という感じで彼はぽんと叩いた。いいなあ! そういう時だよ、車に本当に人格があるように見えるのは。

 ぼくも一度だけ、道路で"エンコ"の経験がある。昔むかし、忘れもしない真夏の東京、環状八号線=環八。渋滞中の片側3車線の真ん中でバッテリーがあがってしまった。風量をハイにしたエアコンと大音量の音楽が原因だが、あのトラブルには参った。悪名高い大渋滞の道路がウルトラ渋滞の道路と化す。その犯人となってしまった。車を降りると炎天下で頭もクラクラ。ドライバーたちがこちらをにらみさげすみ、ぼくは半分くらいの大きさに縮み、ああこのまま置いて逃げたろかな? なんてちらり思ったほどであった。以降今まで、エンコした車を責めることだけはしないで生きております。機械は壊れるものだ。

 でもああいったトラブルも過ぎてしまえば、懐かしい思い出。あの車はぼくが最初に乗ったいすゞのジェミニZZハンドリング・バイ・ロータスだったな。濃緑色の1600cc。軽快な3速の4ドアセダンで、当時のキャッチコピーは「街の遊撃手」。野球のショート。愛らしい車なのであった。その後もトラブルが続いたのでやむなく手放したのだけれど、今頃どうしているかなあ......なんてきゅんと思ったりするあたり、昔の恋人のようだ。

 妻も言及しているアニメ『カーズ』シリーズは、すべての車に"人格"がある傑作である。とりわけ『2』が好きで、息子とともに何回見たか。ぼくのお気に入りは悪党たち、いわゆるヴィランズってやつで、本作ではレモンズの面々が実に魅力的なのである。レモンとは「できそこない」を意味する俗語。つまり失敗車。日本語でレモンちゃんと言うと若い頃の落合恵子さんだが、英語で「Lemon」と言われたら怒ったほうがいい。ちなみに『カーズ』の日本語版では、ペッパー。「故障=胡椒」のダジャレだ。レモンでええやんかと思うのだけれど。

 私はトミカで入手しているレモンズ数台。それぞれモデルとなる実在の車があって、たとえばリーダー格のザンダップ教授は旧西ドイツの1957年頃の(私が生まれた年の!)ツェンダップ・ヤヌス。ネットなどで見てもらえればおわかりと思うが、ドアが前後にあり、乗りこんだ人はなぜか背中合わせになるという非合理な乗用車だ。ほかに子分のグレムはAMCグレムリン、エーサーはAMCペーサーがそれぞれのモデル。などなど歴史上あざ笑われてきた失敗車たちが現代の人気車たちへの復讐に励むという、ちょっと涙のにじむストーリー設定である。たとえば彼らに捕らえられたアメリカの諜報員(ダッジ・チャレンジャーとフォード・マスタングがモデル)は彼らにこう言う。

「おれは変装だったが、おまえらは最初からそんな形か?」

 だまりこむレモンたち。かわいそうでしょ? 彼らがその諜報員を即座に抹殺するのも、さらに悪事に手を染めるのも無理からぬことと思うのであります。そして黒幕が実に憎らしくって、そのミニカーも買ったんだけど......と、この話きりがない。

 ちなみに、妻がバラしたぼくのトミカ。松岡茉優さまにサインをいただいたクルーズ・ラミレスは第三作『カーズ/クロスロード』のヒロイン。車体のボンネットとトランクリッドに息子の名前とハートマーク、「学校がんばってね! 松岡茉優」とあって、この息子の名と「学校」の文字を消せば、完全犯罪が成立するなあ......と思ったりしているぼくもまたヴィランズの仲間か。「悪いこと思いついたぞ、ケンケン」というのは『チキチキマシン猛レース』のブラック魔王のセリフだね。ハヒヒヒヒ(←ケンケン笑い)。

 当然のことだが、車は移動・運搬の道具。家族の形、数によって選ぶ車も変わっていくもの。妻と二人きりだったちょっと前――と言ってももう二十年も前か――結婚した頃は、ぼくはBMW320iの2ドアクーペ、妻はボクスターSにそれぞれ乗っていたもの。癒し系と呼ばれる本上さんがオープンスポーツカーなんて驚くのだけれど、乗せてもらうと、そののろのろ運転にもっと驚かされた。ポルシェのブーブーなる大きなエンジン音が車からのブーイングのように聞こえたものだ。

 結婚した頃、その車で「ゆっくり走って」と言う妻を羽田まで送っていった午前、その帰りに幌を上げ「ポルシェはこう運転するのだ」と鼻息あらく、レッド・ツェッペリンの一枚目のアルバムを聴きながらすっ飛ばし出した直後、ねずみ捕りに御用になったトホホ話も、また懐かしい思い出。いつも思うのだけれど、あの時の警察官は優しいよね。「カッコいい車ですねえ」とかって言うのだよ。お世辞言いつつ署名させるのだよ。そして後に数万円払わせるのだよ。

 あれから月日が流れて、娘が来て、息子が来て、すると旅行の質、種類も変わり、荷物も二倍、三倍になっていった。だから現在のミニヴァンはそれ以上にない正しい解なのだけれども、それでも"マイ"カーがほしいな、と思う。思うというか、駐車スペースや諸経費を考えると無理な話で、夢見る、が近いかな。

 ただし、その夢はとても自由で、ショーン・コネリーにとても似合ったアストン・マーティン、『羊たちの沈黙』で主人公のクラリス・スターリングがこれでぶっとばすと言うムスタング、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のデロリアン、『卒業』を駆け抜けたアルファロメオ・スパイダー、クリント・イーストウッドの『ピンク・キャデラック』......なんて派手な車を考えたり、逆に上に書いたようなレモンカーや、『カーズ』のルイジの古いフィアット500や、はたまたいにしえのシトロエンCXやBXやXMなど、「壊れやすいんですよ」なんて車を考えたり、やっぱりまたジェミニに乗りたいなとか、BMWのあのシュイーンというエンジン音聴きたいなとか、小さい軽の二人乗りスポーツカーも京都にはいいかもとか......自分に似合う似合わないはさておくけれど、本当にいろんな姿を夢見るわけです。それはまあ単に欲ばりのおっちょこちょいとも言える。そしてこれらの夢は、ぼくの人生で夢のままに終わる代表的なものとなるのでありましょう。

 夢ではあろうが、免許証返納の日もそんな遠い未来ではなかろうから、焦るっちゃ焦る。

本上まなみさんによる
「車」はこちら

澤田 康彦

澤田 康彦
(さわだ・やすひこ)

1957年滋賀県生まれ。編集者・エッセイスト。1982〜2010年:マガジンハウスにて、「BRUTUS」「Tarzan」等を編集。2015〜2019年:「暮しの手帖」編集長。2020年より家族の住む京都に戻る。近年の編集本に「戦中・戦後の暮しの記録」(暮しの手帖社)、著書に「ばら色の京都 あま色の東京」(PHP研究所)、「短歌はじめました。」(穂村弘、東直子との共著、角川文庫)など。京都暮らしのお気に入りは、入山豆腐店の朝イチの豆乳、美山の由良川。

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