一泊なのにこの荷物!

第15回

ひま

2021.06.15更新

「ひまじゃのー」

 憧れの言葉である。わが人生において記憶のある限り発したことはない。

 なぜならば、ぼくはひまではないからだ。ぼくは忙しい。忙しい忙しい。忙しくないときはなかった。物心ついてからずっと忙しかった。だからひまに憧れる。ないものねだりだ。

 依頼のメールなどで「お忙しいところすみません」「ご多忙のこととは存じますが」「ご多用中恐縮ですが」とあると、うむとしんねりうなづいたりして、もったいをつける。東京の出版社を辞め、京都に帰ってきて、そのあと一年間続いた京都新聞朝刊連載も終わったというのに、いまだに忙しいなあ。もう定年の歳だというのに。「ひまじゃのー」とつぶやいてみたい。

 近年愛用愛読している『てにをは辞典』(三省堂)で「ひま」の項目をのぞいてみた。いろんな例文がある。

若葉にはまだ少しひまがある。ひまを与える。ひまを頂戴する。ひまを盗む。ひまをむさぼる。ひまを持て余す。ひまを見てはせっせと釣りに行く。手間とひまをかける。ひまなご身分。ひまさえあれば絵を描いている。他人の恋にかかわっているひまはない。息つくひまなく第二撃を加える。涙に袖のかわくひまもない。ひまに任せていろんな本を読みあさる。嘘のようにひまになる。ひまでひまでどうしようもない......

 ここにはなんだか"いざない"があるなあ。素敵だ。

 小三の息子が学校から帰る。着くなりランドセルを放り出し、ガリガリ君を口にくわえ、テレビをつけ、片手にゲーム、片手に『ドラえもん』。宿題もたんまりあるらしく、「あーいそがしい」とこぼす。忙しがっている。わかる。父もそんなだったぞー。息子は「つかれたー」とも。わかるわかる。いつも疲れていたぞー。

 忙しい小学生だった。毎日出る宿題に追われていた。復習もすれば予習もした。テスト勉強もした。100点でないと焦った。毎日日記を書いた。優等生だった。遊びにも手を抜かなかった。漫画も小説も読んだ。月刊漫画誌『少年』やその他の付録の組み立ても即日で全部作った。懸賞にも応募した。『科学』の付録で実験し、『学習』の付録で学習した。テレビのアニメも特撮も人形劇も全部見た。再放送まで見た。主題歌を全部覚えた。土曜夜は『キイハンター』まで見た。野際陽子を色っぽいお姉さんやなあと思った。ペンパルと文通をした。近所の子とゲームもした。メンコ、トランプ、花札はもちろん、五目並べ、将棋、野球盤、バンカースゲーム、コピットゲーム、ダイヤモンドゲーム、魚雷戦ゲーム、ツイスターゲーム、ラブテスター......どんどんやった。親には「はよ寝ぃ」と言われ続け、寝たらすぐに朝が来て集団登校。やっとたどり着いた夏休みも休むことはなく、朝からラジオ体操で皆出席。宿題に廃品回収に子ども会に虫採りに魚つかみに水まきに水泳練習に地蔵盆に盆踊りに花火大会に怪獣映画にヘチマの観察に......と追われるうちにすぐ秋がめぐり来て、そうしたら運動会と文化祭と修学旅行で、六年生には児童会会長となり時の権力をほしいままにした。春夏秋冬を6回繰り返したあとの春には卒業で、気づけば中学生。入学式には優秀な成績だったため総代で挨拶が当たり、父の作った入魂の作文「おうからんまんのこう......」を意味も分からず必死で暗記、見事暗唱、まだ声変わり以前だったから甲高い声で、新しい教室の級友には「女の子かと思たわ」と言われたものだ。そして中学生になると忙しさは倍旧となり......

 なんて綴っていけばきりがない。上記はほんの一例である。やや自慢げに聞こえてしまうデフォルメ箇所があった気もするが、かにかくにぼくは忙しかった。吉本新喜劇の谷しげるのギャグ「よっこいしょ。は、いそがし、は、いそがし」さながらだったのだ。わかりにくいか。時間がない時間がないとともかく気がせき、時計とカレンダーと手帳ばかり見ている人生であった。

 長き学生時代もさることながら、出版社に就職してさらなる多忙を極めた。編集者として毎号の雑誌を作るだけでもけっこうな労働なのに、三〇代四〇代と何に憑かれていたんだろう? 本業以外にも映画評を書き、自分の本を出し、香港映画の新聞を編集し、ワイン会にプロレス観戦に短歌の会、映画を製作したり、香港ツアーにフライフィッシングツアーに歌会ツアー、イベントも頻繁にやっていた。2晩くらいの徹夜は平気だったな。酒をたんまり飲んだあと、また会社に帰って朝まで仕事していた。落ち着くことを知らぬ日々

 たまの海外旅行でリゾート地へ向かうも、休暇とはならなかった。現地に着くなり、釣りだシュノーケリングだパラグライダーだ市場歩きだ星つきレストランだ酒だ買い物だセールだお土産だお祭りを見に行くのだビンゴだ記念撮影だあ!......と動き続けて、へとへとに疲れていた。荷解きから荷造りまでずっと追われていた。リゾートもまた忙しい場所だった。残された過去のアルバム、未整理の大量の写真は忙しさの証。

 一方、旅先では「いいなあ」と感じさせる地元の男たちをよく目にした。街の舗道でも田舎道でも。椅子やベンチにただ腰掛けているのだ。数人で、あるいは一人で。なんかくちゃくちゃ食べたり飲んだりしゃべったりタバコ吸ったり笑ったりしながら、こっちを見る。にかっと微笑みかける。何をしているのかというと、何もしていない。カバンさえない持たず、ただ行き交う車やバイク、自転車、通りがかりの観光客とか犬とか猫とか鶏を見ているだけ。ただそこにいるだけ! こちらが用事をすませた帰り道、同地点を通りかかると、まだいる。同じ姿勢で同じ仲間と。こっちを見てにかっと微笑む。文字通りの日がな一日。つまり「ひま」なのだ。全身から「ひまじゃのー」が溢れでていた。こういう男たち――なぜか男が多いのだが――は、南の島はもちろん、アジアにもアメリカにもヨーロッパにもいた。あちこちで見た。時おり赤子を抱えた妻らしき人が怒っているのを見たこともあるけれど、さして動じず(たぶん)、首をすくめて、またタバコに火をつける。ああこのカッコよさよ。非生産的であるが故の存在の美しさよ。

 「いいなあ」とぼくは憧れる者である。彼らが仙人にさえ見える。だが自分の性格では一生こうはなれそうもない。そもそも「非生産的」と書く時点で貧乏性ではないか。いいなあと思いつつ、自分はこの時間に耐えられないだろうなとも思う。ベンチに座るなり、数秒で本や漫画を取り出すだろう。今ならスマホを取り出すだろうな。なんならiPadも。なんか実にカッコ悪いな。自分はダサいなと思うのだ。これからの暮らしの理想としては、やるべきことはささっとすませて、あとは自由の身となり「ひまだ」とこぼすことかもしれぬ。まずは、口に出すだけでもやってみようかなあ。ひまじゃのー。

 と、そんなことをつらつら思ったので、家族に話してみたのだ。お父さんは暮しの手帖社を辞め、会社勤めの必要もなくなったになぜこんなに忙しいのだろう? すると妻は「いや、ひまに見える」と即答したのだった。隣の娘も「うん、ひまに見えるよ」と尻馬に乗った。

 え? どのへんが!? 「きほん、ぼおっとして空中を見ていることが多いよ」と娘。あ、それは原稿が書けないときだよ、ネタを考えてるんだ。「お父さん、しょっちゅうそれ言うよね」と手厳しい。

 思い出した。娘が幼稚園児のころ。友だちとのままごとを観察していたら、「げんこうがかけないんだよ〜」と困り顔でお友だちにぼやいてみせたことがあったっけ。あのときはぞっとして妻を顔見合わせたものだ。余談ながら、お買い物ごっこのときに「あ、りょうしゅうしょください」というのもあったっけ。親は言動にはつくづく気をつけねばであります。

 家族に旅先のひまな男たちの話をしてみる。「あ、お父さんもそういう印象だよ」「マイペースだし」「庭の鳥見てるし」「猫の相手してるし」「ボウフラとりしてるし」「けっこう椅子にふんぞり返って何もしないで座ってるし」......それはネタをだね。「はい」「はいはい」......なんかむかつくのであった。家族の目には、ぼくはのんびり、朝はコーヒーとトマトジュース飲んで、サプリメントを大量に摂取して、夜はお酒各種をアンバイする、なんか本とDVDばかり右に左に整理しているものの一向に片づかず、原稿ははかどらず、時おり嘆息しては空を見上げているおじさん、というふうに捉えているようだった。ひと言で言えば、いい気なもんだ。むか。

「まさやんもそんなだよ」と妻がつけ加えた。まさやんというのは妻の父である。「なんかいつも忙しい忙しい言うてはる」。ああ確かにそうだな。海釣りが好きなこと以外は日頃何をしているのかわからないのだけれど、会ったときにはいつも何だか忙しがっているなあ。のんびり口調で「忙しいねん」と言っても説得力がないのだけれど。まあでも釣り人とはそう見えぬが忙しいもの、とぼくはそっちの味方ではある。

 まさやんとは二十年ほど前の年の暮れ、本上との結婚を決意、自宅に挨拶にうかがったときが初対面だった。目がぱっちりして娘に似ているなあと思った。未来の義父は「ああどうもどうも」とぼくに頭を下げたあと、すぐにまなみに「お父さんな、今日ソフマップに行かなあかんねん」と言うのだった。「年賀状を印刷するのにバージョンちがうソフト買うてしもてんやわ」。スローな話し口調。この日は、あろうことか18歳も年上、しかもバツイチという男が大切な娘を奪い去る宣言をしに来る、それを迎え撃つ日なのに、まさやんときたら間違えたパソコンソフトの交換の方をより気にしていたのであった。そして実際、話もそこそこに早めに切り上げ、そわそわ消えていったのであった。忙しい忙しい、と背中には書かれていた。結果的にそのおかげで家の空気がぐにゃんと弛緩し、ぼくの緊張も消え、実に助かったものであったが、いまだに「何だかなあ」と振り返ったりする。

「おやびん(ぼくのこと)もあれやわ」と妻は決めつけた。

 あれかあ。忙しいのではなく、忙しがってる人ね。で、他人にはひま人に映る。ひまに憧れると言ってみたものの、ちょっとがっかりしたりして。

本上まなみさんによる
「ひま」はこちら

澤田 康彦

澤田 康彦
(さわだ・やすひこ)

1957年滋賀県生まれ。編集者・エッセイスト。1982〜2010年:マガジンハウスにて、「BRUTUS」「Tarzan」等を編集。2015〜2019年:「暮しの手帖」編集長。2020年より家族の住む京都に戻る。近年の編集本に「戦中・戦後の暮しの記録」(暮しの手帖社)、著書に「ばら色の京都 あま色の東京」(PHP研究所)、「短歌はじめました。」(穂村弘、東直子との共著、角川文庫)など。京都暮らしのお気に入りは、入山豆腐店の朝イチの豆乳、美山の由良川。

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