一泊なのにこの荷物!

第18回

こわい

2021.09.15更新

 本上さんと知り合って二十年以上経つけれど、年々声が低くなっているように思う。「おはよう」の声ひとつとっても変わった気がする。二十代の頃の朝露を含んだそよ風のような「おはよう↗」と、今の(あえて喩えないけれど)低音の「おはよう↘」と。さらに微量の威嚇、マウンティングが入っているような気さえするが、それはこちらの考えすぎかもしれぬ。テレビやママ友たちとの会話など、よそではそんなに低くないが、私と息子には低い。これも考えすぎか。

 ただもともとが自然の近くで遊び中心に暮らし、動植物・昆虫が好きな人なので、何モノにもあまりびびらず、肝が座っているタイプ。畑仕事で出会うミミズもカエルもネキリムシも平気らしい。まあつまりそれに関しては私の方が「あかん」わけで、それが証拠にGが出現すると彼女を呼ぶ。するとすぐさま新聞紙を丸めてバシっ。片づけまで。日頃は生き物に優しく命を大切にする妻だが、Gにはきびしいなあ。

 裏口の掃除をしていたら、ゴミ箱の下にぐるぐるとぐろを巻いた気味悪いのがいたので、あわわと妻を呼んだら、「ヤスデやん」のひと言。このパターンはほかに「ゲジゲジやん」「カナヘビやん」「カメムシやん」などがあって、基本動じない。だから低い声は似合うっちゃ似合う。

 しかしある日。そんな妻の「きゃあ!」という叫び声が、物置部屋から大音量で響いたのであった。なにごと!? 賊でも出たか? 腐乱死体でも見つけたか?

(おそるおそる)馳せ参じてみたら、アシダカグモだった......というのは彼女の原稿にある通りなのだが、青ざめる本上さんと、すさささっと楳図かずお『紅ぐも』のごとく猛スピードで逃げ去るクモ。あちらも慌てているようだ。

 最近、クモの先生、ミシマガジンでもおなじみの中田兼介さんに夫婦で会う機会があり、妻がその話をしたら、中田さんは「ああ」と気の毒そうな顔をして「人に害はないんですよ」とおっしゃったものだが、あれはアシダカグモの方を気の毒に思った表情だったと、あとで気づく。

 ちなみに中田さんとはこのところメールのやりとりをしていて、クモ映画からホラー映画談義へと話題が移る中で、先生は『スクワーム』や『フェノミナ』などに出てくる「柔らかそうなものはちょっと得意じゃない」と白状する。へえ、柔らかそう/硬そうで分けるの面白いなあ。クモの内部は柔らかそうだけどなあ、なんて思う私であった。

 いやしかし。久々に妻から女子の悲鳴を聞くのは久々であった。金属音のまじった特有のあれ。人がびびっているというのはいいもので、こちらが急に優位に立った(気がする)。本上さんの「きゃあ」をほかに聞いたのは、ずっと前、エレカシのライブを聴きに行ったときの日比谷野音で、宮本浩次が出てきた瞬間か。あれは意外だった。あ、これは「こわい」とはちゃうな。「こわい」で言えば、徳島のいなかの土手を二人で歩いていて、私がわら縄を足先で引っ張り「ヘビや」と脅かしたとき。きゃあ! と叫んでぴょーんと跳び、着地するなりだまされたと悟った妻は、そのあと三十分ほど「うー......うー」と悔しげにうらみがましく唸り声を発し続けていたっけ。しばらく私は仕返しを恐れていたものだ。

 そう、何がこわいって、人を脅したあとの仕返しを待つ時間だよ。生まれつき脅かしたり怖がらせたりするのは好きなんだけど、これがあるからなあ。小学生の頃、掃除の終わりがけの時間にモップ入れのロッカーに隠れ、女子が開けるとばあっ〜「きゃあ」まではよいのだけれど、そのあとは何かを開けるたびにドキドキしていたもので、隠れているときもこわければ、そのあとももっとびくびく。ドッキリも命がけなのだ。覚えてろ、ってのはこわい。

 あ、覚えてろ、で思い出したけど、昔知り合いのヘアメイク氏がとある少女アイドルのメイク中、何かが逆鱗に触れたらしく、その子が急に怒り出したという。ツッパリ系少女におろおろどきどきしつつも、まあなんとか撮影も終えられたが、帰りがけにその子が振り返って彼を睨みつけ、こう言った。「忘れねえぞ!」。覚えてろではなく、忘れねえぞというのがこわかったとヘアメイク氏は今も述懐する。


 今回のアシダカグモの事件は、目の前に落ちてくる恐怖というポイントが指摘できよう。地べたを横切るヘビは一定の予想はつくけれど、ぽーんと落ちてくる物体は確かに予想外のショッカーである。クモとか毛虫とか。私もそんな経験はあるなあ。ずっと昔、バリ島に行ったとき。夜お祭りから森のコテージに帰ってきて、開けにくい木戸をがたがたやっていたら、てのひらにぼたっと何かが落ちてきた。その手の中でびんたらびんたら暴れたのが、トッケイと呼ぶ大ヤモリのちぎれた太いしっぽ。ちょっとカラフルで、卒倒しそうになりましたよ。

 あとついでに記憶が蘇ったのだけど、そのお祭りのとき、会場で小用をもよおした。公衆トイレなんてないものだから、林をうろうろしていたら奥の方で並んで立ち小便をしている数人を発見。よかったよかったと私も並び、チャックを開いてほっとする。横目で彼らを見ると......全員女性だった。私以上にあちらが目をくわっと剝いて驚いた。大騒ぎになりそうなので、走って逃げた。こわかった。

 最後に私も、もののけの話。

 わが家にお化けが出るのだ、とある日妻が言う。築百年以上の家だから、そりゃあちこちから木の音が出るんだよ、と私が答えると、いやそんなもんではない、と妻。

 深夜に一階のダイニングでパソコンを見ていたら、後ろの古いガラス戸が開いた。すきま風では? 違う、全開だった。がらがらっと急に開いた。でも誰もいない。ただの暗闇。しかも一回ではない。妻の母も経験したという。ときどき走る足音が二階から響くねん。小さい、いたずらな子の幽霊かもしれへんなあ。

 子どもらには黙っといてな、と妻。こわがるから。......って、私にも黙っといてほしかったなあ。

 あれ? でもこの話、なぜ今回の「こわい」の巻に書かなかったの? と聞くと、「なんかな、よくも書いてくれたなあ!」と仕返ししてきそうな気がするから、と妻はいっそうの低い声で答えたのであった。動じない語り口が憎らしい。

 というわけで、こちらは書いてしまった今、また何モノかの仕返しをびくびくと待つ身。やだなあ、この時間がいやなんだよねえ。

本上まなみさんによる
「こわい」はこちら

澤田 康彦

澤田 康彦
(さわだ・やすひこ)

1957年滋賀県生まれ。編集者・エッセイスト。1982〜2010年:マガジンハウスにて、「BRUTUS」「Tarzan」等を編集。2015〜2019年:「暮しの手帖」編集長。2020年より家族の住む京都に戻る。近年の編集本に「戦中・戦後の暮しの記録」(暮しの手帖社)、著書に「ばら色の京都 あま色の東京」(PHP研究所)、「短歌はじめました。」(穂村弘、東直子との共著、角川文庫)など。京都暮らしのお気に入りは、入山豆腐店の朝イチの豆乳、美山の由良川。

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