第19回
旅の宿
2021.10.15更新
「旅館の朝、チェックアウトのとき、ロビー待合のソファに案内してもらって、コーヒーでもいかが? ってうれしいよね」
と言うと、妻は「それな」と若者の流行り言葉で返してきた。「あと、出発のときにおにぎりを持たせてくれるのも」とつけ加えた。
それな。
あったあった。何回かあった。前の夜仲居さんに明日は近所のどこそこを散策しますなんて、なんとなくのプランを話していたのを覚えておいてくれて、チェックアウトのときに「よろしかったら」。おかみが手渡してくれる包みの温かさ、頼もしき重さよ。お昼に丘の上、竹の皮を開けば、おにぎりが2つずつ、隣にきゃらぶきや塩こんぶ。気づかいがとてもしみる。
いい宿は、朝で決まるのだ。一夜越して、朝を迎えるとよくわかる。余裕がある宿、懐の深い宿かどうか。早く帰ってちょうだいね感がある宿はヤだなあ。もっといてね、いつまでもいてね、がよいなあ。上手に「行ってらっしゃい」してほしい。チェックアウトも10時(できれば9時)にしたいところをぐっと耐えて11時に、なんて。甘えすぎですか?
朝ご飯から部屋に戻ると、まだふとんが敷いてある! というのもうれしいな。宿としてはさっさと片づけたいところだろうけれど、そこをぐっと耐えて。息子と一緒に、ばふんとダイブ。「もう一回お風呂はいってこ」と妻は娘をさそったり。おお、浴場はまだ
いやいやしかし、ほんとにすみません。旅館側にとって朝のサワダ家ほどモタクサ見える存在はないであろう。チェックアウト時間が近づいても、ぎりぎりまでごろごろ。お風呂行ったり、のろのろ荷物のパッキングしてる。こらこら息子よ、今からトランプ広げるな。今ごろウッドパズル(部屋に置いてあるやつ)始めるでない。これからDVD見始めるな。娘よ、今ごろドライヤーか。ゆうべ借りた本を返しに行きなさい。妻はもらった200円引き割引券片手にいそいそと売店へ。ああ、それにしてもたくさんのバッグよ。なんでこんなに荷物が!
って、ここまで書いて気がついた。この連載タイトルではないか。「一泊なのにこの荷物!」。そう、まさにそれなんですよ。いったい"
数々の旅の、記憶に残る限り、常に私たちが最後まで残る客であった。それが証拠に駐車場にはうちの車しかないからな。なんでみんなあんなに早く出られるんだろ? 判で押したようにチェックアウトタイムを15分超えている。すみませーん。
朝ごはんで思い出深かったのは、フライフィッシングで4連泊、10人ほどで合宿した北海道の民宿。とてもフレンドリーな一家の宿なのだが、「この日曜の朝だけはなんのお世話もできませんので」とあらかじめ申し渡されていたのであった。最初意味がわからなかったんだけれど、聞けばその日は宿の子の小学校の運動会なんだという。そのお弁当、お重の準備で、客の朝ごはんどころではないらしい。「運動会なんで!」と強めに言われると、ならしょうがないかな、とつい思ってしまう私たち。遠いけどコンビニにでも行きますか。
例によってその朝も5時起きで、ねむねむぞろぞろむかむか(二日酔い)と早朝の川へ。8時を過ぎればパンパーンとどこからか花火の音が。おお、運動会か。自分たちが出るわけでも見に行くわけでもないのに心が躍る。でも朝ごはん、ないんだよねー。ぼちぼちと帰れば、宿の一家はもういない。だがしかし、私たちを待っていたのは運動会用のお弁当の(残りの)おかずたち! 玉子焼、焼き魚、筑前煮、おひたし、トンカツ、エビフライ、おいなりに太巻に、フルーツに......。残りの、とはいっても色とりどり、ものすごい量で、いつもの朝ごはんをはるかにしのぐ立派なラインアップ。「お世話できない」というのはセルフでお願い、ってことだったのね。運動会、おめでとう。息子さんが100m、一着になりますよう。
数々の旅の写真が残ってる。昔のは紙焼きで、今はデータで。ありすぎて、実のところすぐにはどこか判別がつかない。基本お酒に酔ってるせいかなあ。飲んだのではなく、飲まれたのかあ。その点、本上さんはよく覚えている。それは東山温泉、それは草津。鳴門、大町、伊香保、箱根、松島、富山、湯河原、清里、修善寺、和歌山、広島、熊本。それは唐津やわ、そっちは釧路......。すぐに出るの、すごい能力だ。「景色で覚えてるねん」と本人。そういえばワインもラベルの絵で覚える人。これ前にも飲んだ、この絵見たことあるから、と。文字で「
いろんな宿に泊まった。フンパツして超高級なところもごくたまにはあったけれど、記憶、心に残るのは不思議とそういう宿ではない。
二千円台で泊まれたインド人経営、インド人ばかりだった日光のホテル(夜と朝のカレーの本格っぷりよ)。宿の子が何度ものぞきに来た京都の海辺の民宿。手花火のサービスのあった福島の温泉宿。カメムシが大量発生、仲居さんが見事なガムテープさばきでぺたぺた捕獲していった滋賀の宿。地元名物ザザムシや蜂の子の佃煮を私らが食べ終わるまでじっとおかみが見守っていた信州の旅館。シーツめくれば30cmのムカデがいた石垣島のホテル。海外、特にイタリアはいろんな宿があったなあ。電球の傘、カッパの髪型のようにしかお湯の出ない天井からのシャワー(真下に立つと濡れないのだ)。受付の宿帳に乗っかったまま絶対どこうとしない猫。なくした万年筆を見つけ出して日本まで送ってくれたホテル。ギリシアのホテルは太陽熱だけのシャワーで一定時間しかお湯が出ず、はらはらしたっけ。これは私の話ではないけれど、知り合いが泊まったエジプトのホテル。シャワーの栓をひねると洗面台の水が出て、洗面台の栓をひねればシャワーが出たという。こういう経験、うらやましい。ま、いっか、って気持ちになれる宿。望んでもそうは出合えるものではない。
懐かしいね、と今も夫婦で思い出すのは、数年前のゴールデンウィーク。クルマに大量の荷物を積み込んで、京丹後から西へ。鳥取、大山まで足を伸ばしたあとの帰途。前もっての予約を取る習慣があまりない私らは、連休の最終日前日は、兵庫県の山奥へ。そこの宿しか取れなかったのだ。ネットでの評価は低く、値段はけっこう高いのだけど、なんとか見つけた最後の1室で、文句は言えない。ここを逃すと野宿かも。まああってよかった。
夜ご飯は大広間。テーブルを眺めれば六家族ほどで、あっちの席もこっちの席もみんなにこにこ、同じ浴衣姿の家族連れ。こういう光景は日本ならではだなあ......なんて言っている場合ではなかった。
料理の出が遅いのだ。先付を食べ終わったまま、しーん。やがて仲居さんがどたばた現れ、すみませんすみません。おしのぎのあと、またしーん。お椀も15分後。追加のビールだけでもと頼めど、しーん。熱燗を頼む勇気は出ない。あっちの席もこっちの席もそんな光景で、各家庭、テーブルや品書きや天井をただ眺めてる。3人の仲居さんが入れ替わり立ち替わりモタモタあたふた右往左往。どう見ても素人っぽく、ようするにキャパシティ超えなのだ。満室を想定しなかったため、急場しのぎで近所のおばさんをパート的に雇ったと見た。それが証拠に仲居さんの一人が「すみませんねー。私らこういうの慣れてないんで」とつぶやいたのだった。陰で年配のおかみさんが叱りつけているのが聞こえる。「困ります!」とかって。大きな声で。あの、今は叱ってないでさー。
やっとたどりついたメインはしゃぶしゃぶ。各席にお肉が無事配られ、固形燃料に火もつけられ、お湯はぐつぐつ沸いている。あとはタレ。タレはまだか? 千はどこだ?(←神隠し)
タレ、その敷居の向こうのお盆の上に見えてるよ、と娘。あほんとだ。なんであれを運ばない? あっちのお客さん、こっちのお客さんもそれを見つけてざわざわ。私がたまらず立ち上がると、あっちもこっちも。そのあとはみんなで協力し、お皿お料理お酒を運び合うことに。最初からこうしてたらよかったね、と黙って苦笑する。
あんなに出会ったばかり、見知らぬ同士の家族が、心をひとつにした宿はなかった。あれが忘れられないのは、誰ひとり怒ってなかったこと。むしろみんな困り顔で微笑み合っていたことだ。結局3時間くらいかかった夕食だったなあ。
「しかし」と妻、「あの宿、しゃぶしゃぶも、どの料理も、とってもおいしかった」
それな。