第20回
秋景色
2021.11.15更新
賀茂川まで歩いて五分のところに住んでいるので、散歩となればまずこの土手を歩く。カラスとトンビの舞う死んだような冬景色から、立春を迎え徐々に萌え始める緑、白河上皇も恐れたという暴力的な濁流を生む梅雨を越え、炎天にめげず草木繁れる夏を経て、秋へ。ついこないだまでぼぉぼぉに繁茂して、投げそこねたキャッチボールの球を見つけるのにも苦労した原っぱが、今はバリカンをかけられた野球小僧のようにやけにこざっぱり! 緑の気配がこうして消えてゆくかわりに、土手は赤やオレンジ、黄色、金色で彩られる。いいよね、秋。私はこの季節に生まれたのだ。
今年の秋の凋落ぶりは激しく、あっという間に晩秋、ヒートテックの出番となった。今朝がた見た夢は、深夜きいきいと外で音がするのでのぞいてみると無人のブランコが揺れている。こわっと思っているまにめらめらと青く燃え出す、というもの。うわあ、というところで目覚めたのだが、この「きいきい」の音が原因だった。何かというとジョウビタキの鳴き声。よく「ヒッヒッ」と表記される高音で、思いっきり可愛らしい渡り鳥。そうかそやな、もう冬なのかい。まだ11月なのに気ぜわしい。
小三の息子のサッカー教室に迎えに行った帰り、グラウンドから見る西空。でっかい鰯雲をダイナミックに彩る、この季節独特のばら色夕焼けに胸打たれて、うわあ見て見てあの空、と父は指さす。息子は「ふん」とただうなづくが、興味の対象は今すれ違った散歩中の大型犬らしい。そうだったそうだった。少年は夕焼けなんて見ないんだ。スケボーとかロードバイクに目が行くのだ。何の意味もなく「マンションマンション!」と叫んでジャンプする。あほです。
本当に一気に寒くなったなあ。一年中同じ時刻に迎えに行ってるから、明るさ、気温の違いがはっきりわかる。これから2月までぐんぐん寒くなることを私はよく知っている。一昨年凍えきったから。子どもらはボールを追って暴れているからいいけど、待つ身のつらさよ。防寒の準備は怠りなく! 妻の知り合いのベテランの俳優さんによると「寒いなと思ったときにはもう遅い」。けだし名言。
娘の6年あとに息子、この(あほ)男子が生まれてきて、その
空なんて見なかった。積極的に見るのは雪が落ちてきたときくらいのもので、入道雲も夕焼け雲も、月も星も見ないんだ。見ても"じんわり"しない。季節の移り変わりに興味はなくて、少年にしみじみ、わびさびの秋はない。特に男子。いやヨソの子のことは知らんけど、子どもの頃のツレの面々を思い起こせばまあそうだろう。
国語は苦手ではなかった教科だけれど、秋の歌がわかっていたわけではない。百人一首は中学校時代のチャンピオンであったけれども、
秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露に濡れつつ 天智天皇
この意味はわかっていなかった。「かりほ」?「あらみ」? それよりも「わが衣手に雪は降りつつ」と獲り間違わぬよう目を血走らせていたものだった。十六首あると言われる百人一首の秋の歌を覚えてはいても、秋の本質を知るには至らなかった。
白露に風の吹きしく秋の野はつらぬき留めぬ玉ぞ散りける 文屋朝康
玉を蹴散らすなんて痛そうな歌だなあ、くらいのもん。「きりぎりす〜ひとりかもねむ」はカモがひとりでキリギリスに囲まれて寝てる、の絵。「嵐吹く」の下句は「竜田揚げ」と覚える。「奥山に」の作者は猿丸太夫、って名で一回笑う。猿が鹿の声を聞いて悲しがってはる、の絵。
今日でこそマンガで有名になったこれも、実際には何人の若者が意味を理解しているでありましょうか? 秋の歌なのだけど。
ちはやぶる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは 在原業平朝臣
あるいは三夕の和歌の一つとして知られるこちら。
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ 藤原定家
あの時代に、「ない」ことを歌う凄さよ!......とか思わない。思うのは「秋の夕暮れ」ってやつは、きりたちのぼったり、まきたったり、しぎがたったり、いづこも同じだったり、忙しいなあ、くらいのもんで。
童謡だってそう。「赤とんぼ」、十五で農家に嫁に行く姐やの運命や、絶え果てたお里の便り、三木露風の悲しみなんて知らなかった。「里の秋」は母さんと栗の実を煮てるなんていいなあ食べたいなあなんて思ってたけど、実際は敗戦後、戦場から引き揚げてくる父さんを秋の夜に待つ歌、ラジオ番組「復員だより」「尋ね人の時間」の歌だったなんて知らなかったのだ。「ああ父さんよご無事でと......」なんて泣ける。まずご無事なわけないのだろうから。
というわけで、今はしみる。秋はしみる。秋は老境に喩えられるが、私もまた秋か。老いたな私、夕焼けの赤が胸にしみるとは文字通りヤキが回ったな。
保育園からの友人Rから先日メールが来て――彼とは中学時代からミステリー情報の交換をしているのだけれど――エラリー・クイーンの『Yの悲劇』を新訳で久々に読んだら、探偵役、引退した老優と書かれるドルリー・レーンが60歳、今のオレらより若い! とあった。
そーかー。たいがいの昔のおじいさんは若いんだよね。60歳と言えば、映画監督・小津安二郎もその歳で亡くなった。映画の風格、奥行き、本人の風貌、言行録......どこを取っても老大家なのだけれど。そして彼の作品には「秋」の字が目立つ。最後の三作は『秋日和』『小早川家の秋』『秋刀魚の味』と続いた。前には『麦秋』という傑作もあったが、あれは晩春だな。おっと『晩春』もあった。『早春』もある。ややこしい。
『小早川家の秋』のラストシーンは忘れられない。農夫役のおじいさん、笠智衆が火葬場の煙突から立ち上る煙――中村鴈治郎を焼いてる――を眺めて、こうつぶやく。
死んでも死んでも、せんぐりせんぐり生まれてきおる。
しみるなあ、この無常感。ちなみにこの映画は1961年だから、あの笠智衆は57歳くらい。私より若い。とほほのほ。
さて。秋が今年さらに身にしみる原因というのがひとつあって、滋賀の実家――今回本上さんが草をむしり、柿をもいでくれた私の母の家、その裏に立つもう一軒の古い家を解体したのであった。ここも母のものではあるのだけれど、今は誰も住まず、葛に覆われ朽ちつつある空き家、屋根も崩れ始めて危険だというので、こぼつことに。
解体されるこの家。ここには仲良しのまたいとこのマサキ一家が住んでいて、かつてこっちに小鳥小屋があって、裏の庭には鯉の池があって、半地下には「川戸」と呼ばれる井戸があって、ここでスイカやサイダーを冷やした。玄関の柱にある傷は勉強しない少年マサキが怒られて夜に勉強机ごと外に追い出され、泣きながら手近の鎌で雨戸を開けようとごりごり削った跡で......と、これらがキレイさっぱり消えて、ただの平地になっていったのであった。
いや木が少し残された。紅葉の木1本、白梅2本。そして今回本上さんが格闘した大きな柿の木と(本上さんはずっと見上げ続けて、私の母の予言通り、翌日はこっぴどい頭痛に見舞われた)。
家がなくなると景色が変わる。向こうの向こうにあるお寺まで見渡せる。気持ちいい。しかし、さびしさがまさる。そして今も立つ母の住む茅葺きの母屋のことも思う。九十二歳の母が一人で暮らす家。あっちもこっちもがたがた。江戸時代からある家である。古い簞笥から《文化十二年》なんて書かれた芳名帳が出てきた。化政文化の時代。調べれば1815年。祖父の祖父の祖父の......澤田ナニガシが建てた家......近未来、ここはどうなるのかな? ずっと前、冗談で、母が先か家が先か? なんて言ってたもんだけど。
先日、また一家そろって帰省した。ふるさとの秋の夜は本当に静かで、東近江の空気はりんと澄んでいて、星が美しい。息子を誘って外へ。夏の大三角が沈みはじめ、ペガサスの四角形が天頂に。カシオペアのW、そこから探す北極星も教えんとす。南を見れば、あ、フォーマルハウト! 父は叫ぶ。「みなみのうお座。秋の空にぽつんとさびしい、父さんの一番好きな星だ」。得意げに息子を見れば、懐中電灯をスターウォーズのライトセーバーみたいに振り回している。まるで聞いてない。